第3話 37
「――んん……」
意識が浮上してすぐ、喉の奥に違和感。
「ゲフッ! ゴホ――ッ!!」
まだ霞んでぼやけた視界の中、あたしは血の塊を吐き出す。
「――姫様ッ!! ああ、よかった! お目覚めになられたのですね!!」
と、あたしが目覚めたのに気づいて、マリーが声をかけてきた。
「ここは? あたし、死んだんじゃ……」
ようやくはっきりしてきた目で周囲を見回せば、兵騎蔵の入り口そばの休憩所だとわかった。
衝立で仕切られただけだから、その向こうに見える兵騎蔵の前で、多くの兵騎が整列しているのがわかる。
「――伝令班は至急、城下の民の避難誘導を各衛士屯舎に伝達!
魔道士隊は近隣町村に<
低いのによく通るおじいちゃんの声が聞こえてくる。
「ダグくんが使ってくれた霊薬が間に合ったようです!」
と、マリーが手で示した隣のソファにはタグが横たえられている。
「ちょっと! この子どうしたの!?」
「ご安心を。合一器と強制遮断された為、意識を失っているだけです」
そうしてマリーは、お父さんから聞いたのだという、あたしが助け出された時の状況を説明する。
また又聞きだけに、要点だけの説明だったけれど――
「つまりあの女は侵災を起こして、今はアルが一人でそれを抑えてるってワケね?」
「はい。若様は姫様を私に託し、対処の用意をなさっております」
あたしは寝かされていたソファから身体を起こす。
アジュアお婆様の霊薬を使われただけあって、胸を貫かれたというのに身体はまるで不調を感じられなかった。
「今の状況を知りたい。マリー、ついて来て」
そうしてあたしは兵騎蔵を駆け上がり、最上層の窓から屋根へと跳び上がる。
「――姫様! お目覚めになったんで!?」
おじいちゃんの指示で鍛錬場を見張っていた騎士が驚き顔で声をかけてきた。
「ええ。だから状況確認に来たのよ」
手短に応えて、あたしは鍛錬場に目を向け――思わず目を見開いた。
「……なにあれ……」
兵騎蔵のすぐ隣にある鍛錬場は、まるでそこだけ切り取られたように、半球を描いた月夜の空間となっていた。
ひどく巨大な白い月に隠されるように、遠くに青く輝く月が見える。
地面は透き通った青水晶に変貌を遂げていた。
その青を穢すように、おびただしい数の鉛色の甲殻を持った巨蟲――魔物の群れ。
連中はまるで見えない壁に遮られているかのように、あの月夜の空間からこちらへは出て来れらないようだった。
魔物の鉛色の向こうには、粘液質な深紅の光を帯びて渦巻く球体――侵源が見えた。
侵源のそばには――アレも魔物なのだろうか?――鉛色の甲殻と青白い肌を持った人型の異形。
乱杭歯が並ぶ口腔はよだれを垂れ流し、胴には巨大な眼球。
「レオニール殿の爵騎が魔物化したのだと、若様は仰ってました」
「兵騎が魔物化!?」
マリーの言葉にあたしは驚きの声をあげたけれど――
「いいえ、今はその現実を受け止める」
相手はあのアジュアお婆様が「敵」と呼ぶ存在――マッドサイエンティストだ。
侵災を引き起こし、兵騎を魔物化する、なんらかの魔法を知っているんでしょう。
「――それよりアルは!? あの女も!」
「あそこです!」
監視していた騎士が指差して教えてくれる。
あのマッドサイエンティストは意識を失う前に見たまま――恥ずかしげもなく裸体を晒し、鍛錬場の上空に浮いて留まっていた。
その顔に愉しげな笑みを浮かべ、身もだえするように身体をよじりながら、魔物の溢れかえった鍛錬場を見下ろしている。
アルは――見たことのない騎体を駆って、押し寄せる魔物に対応していた。
真紅のたてがみに狼の意匠の兜。
放たれている強い魔動で、あれがわたしが見つけてきたあの騎体なんだって、すぐにわかった。
アルは魔物の群れにも押し負けていない。
けれど……ここからならはっきりとわかる。
アルが魔物を潰すより、侵源が魔物を産み落とす方が早いように見える。
あたしもミスマイル公国で侵災を調伏したけれど、あの時はこれほどの勢いと速度はなかった。
「……手が足りてない」
「ええ。侵災発生を察知したお舘様は、即座に兵騎投入をしようとしたんですが、若様が待ったをかけたんです」
「――兵騎の魔物化か……」
もしエルザのその魔法が、投入された兵騎に向けられたなら……お父さんはそれを危惧しておじいちゃんに待ったをかけたようね。
「現在、兵騎なしでの突入部隊を再編成してるところです」
けれど、あたしは首を振る。
「アルの騎体は魔物化してない! あの女が自由に兵騎を魔物化できるなら、あの騎体に使わないわけがないでしょう?
理屈は知らないけど、きっと魔物化にはなにか条件があるんだと思う」
あたしはそう告げて、マリーに視線を向ける。
「マリー、あたしの見解と現在の状況をおじいちゃんに伝えて来て。すぐに兵騎隊を投入するように。
それが終わったら、あんたはダグを連れて城まで退避。
リディア達と合流して彼女達を守って!」
おじいちゃんの事だから、きっともう城内への退避指示は出しているはず。
ミリィも一緒だから大丈夫だとは思うけど、彼女達は幼い子供達を連れているから護衛は多い方がいいはずだ。
「……姫様は残られるのですね」
長い付き合いだけあって、あたしを熟知しているマリーは困ったような表情を浮かべつつも、反対はしなかった。
すぐに敬礼して、彼女は屋根から身を踊らせる。
再び鍛錬場に――アルに視線を向けると、強い魔動が駆け抜けて周囲の景色が揺らいだ。
魔物が吹き飛ぶ。
いつの間にか、アルの騎体は黒い晶剣を握っていて、魔物の群れの隙間を縫って異形の怪物目掛けて駆け出す。
『――それは人々を救う為に生み出された彼女達の願い……』
瞬間、唄が周囲に響き渡った。
クロの甲高い声で紡がれるそれは、騎体から溢れ出るアルの魔動に乗せられて、魔法となって現実を書き換える――喚起詞。
魔物の群れの中を駆けるアルが加速した。
『――それはあらゆる嘆きを止める為の刃』
クロの唄に呼応するように、周囲の精霊が純白に発光して舞い踊り始め、アル騎に襲いかかろうとする魔物を縫い止めていく。
『――それは聞き届けられる事のない声に応える為の
まるで見えない手に手繰られたかのように、魔物の群れが押し退けられ、駆けるアル騎と異形までの間に、一本の道が作られた。
『――人の願いの
『おおおおぉぉぉぉ――――ッ!!』
クロの唄に、アルの咆哮が重なる。
長剣を肩がけに構え、切っ先を異形の胸に開いた不気味な単眼に向けて、アル騎は白い精霊が舞い踊って彩る、青水晶の道を駆け抜けていく。
「――ゲヒ?」
異形の両手が刃に転じ、俺を迎え討とうと交差された。
『――理を……記してもたらせ! <
クロの唄が完成した。
アル騎の魔動が膨れ上がり、その背後で魔芒陣めいた複雑な幾何学紋様を描き出す。
紋様の中央には八本の角を持った狼の意匠。
アル騎の速度がさらに上がる。
『――
アルの咆哮めいた喚起詞。
騎体が構えた黒い晶剣の色が、柄から先端へと駆け上るように白へと転じ、強く輝いて光の刃を形作る。
「――ゲゲゲッ!!」
その切っ先が――異形が突き出した両刃に触れた瞬間――
「ゲヒィ――――ッ!?」
ほどけるように異形の両腕が白い燐光――精霊へと転じた。
『オオオオオオォォォああああぁぁぁぁぁぁ――――ッ!!』
アルは絶叫してさらに一歩を踏み込み、光刃を異形の胴体で不気味に蠢く単眼へと突き刺す。
まるで弾けるように異形の巨体が精霊に変わって、上空へと噴き上がる。
その中から侵源めいた深紅の光を放つ、鉛色の
球体はまるで抗うかのように、漆黒の瘴気を放って光の刃を寸前で受け止めていて――けれど……
「――ハァッ!!」
アルの気合いの声と共に鉛色の球体の表面で、二重の光閃が斜め十字に弧を描いてきらめいた。
あたしの目をもってしても、アルがなにをしたのかわからなかった。
直後、球体が乾いた音を立てて光の軌跡そのままに断ち割られ――純白の粒子となって上空へと昇っていく。
……その時。
「あはははは――――ッ!! まさかまさか! いや、そうだよね。受肉したんだからアレもまたこの世界の法則に組み込まれる。
と、なれば君らが創りあげた法則もまた適用されるというわけか!
素晴らしい! 確かに我らの<神>を殺す為の存在だ!」
マッドサイエンティスト――エルザがその裸体を両手で抱くようにして叫んだ。
その注意は完全にアルに向けられている。
だから、あたしは屋根に立ち上がる。
アルは魔物化した兵騎を調伏してみせた。
きっとこの後、マッドサイエンティストの相手もするつもりだ。
対してあたしは、殺されかけてここで見ていただけ。
このままじゃ、あたしはあたしを赦せない。
「いつだってあたしは、あいつと対等じゃないといけないんだ」
呟きながら<
その手の平大の黒い立方体を握り締めて――
「――目覚めてもたらせ、<
喚起詞を唄えば、魔道器は虹色の粒子にほどけてあたしの身体を鎧う。
さらに<
「今が好機だよ! あたしが突っ込んで侵源を潰す!
あんたはおじいちゃん達に突入を急がせて!」
「はい! ご武運を!」
その返事に頷きを返し、あたしは屋根を蹴って宙に飛び出した。
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