第3話 35
「――兄ちゃん達こそなにしてんだよ! 師匠はまだ間に合うだろっ!」
そう叫んだダグは、エルザの足元に打ち捨てられたアリシアの身体を抱え上げる。
「んん~?」
突然の乱入者に、エルザが疑問の声をあげる中、ダグはアリシアの身を抱えたまま、鍛錬場にたたずむ兵騎の
「――師匠! いま助けるかんなっ!」
アリシアの身を
「――霊薬……そうか!」
――たとえ脳や心臓を破壊されたとしても、魔道器官の停止まではわずかな猶予がある。その間に霊薬を使えば、死ぬことはないから安心しろ。
俺がヘリオスやマリーにそう説明していたのを、ダグはしっかりと覚えていたのか!
「……あんな子供が量子転換再生薬を持っているとは――死すら覆そうとする
エルザが再び意味のわからない事を呟き、その両手をダグ達が乗る兵騎へと向けた。
「……ならば、やはり消しておかないとね」
ヤツの手に魔道が集中し、なんらかの魔法を喚起しようとしているのがわかった。
「――させるか!」
サリュート殿が斬りかかり――
「おおっと!」
エルザが身をひるがえしてそれを回避する。
その一瞬の隙に俺が肉薄し、回し蹴りを放った。
皮膚を裂き、骨を砕く感触。
轟音と共にエルザが吹き飛び、防壁の結界に激突した。
どういう理屈かはわからんが、ヤツはアリシアを殺す事に執着しているように思える。
……ならば!
「――ダグ! そのまま兵騎でアリシアを連れて逃げろ!」
「――うんっ!」
応じたダグは、
騎体の仮面に文様が走って
「――させると思うのかい?」
という声は、ダグ達の兵騎の正面――レオニール騎の肩の上からだった。
俺の蹴りによる負傷はすでに再生しているのか、痛みすら感じていないようだ。
「クソ! チョロチョロと――」
なんらかの魔道器でも用いているのだろうか。
ババアでも、あそこまで気軽に転移などしない。
俺とサリュート殿がエルザ目がけて駆け出す。
その間にも、エルザは足元の騎体の
「――ホラホラ、いつまで寝てるんだい? 私を守ってくれるんじゃないのかい?」
エルザの指が鳴らされて、レオニールが身を起こした。
その表情は虚ろで、人形めいたぎこちない動作でヤツは立ち上がる。
「そうだ! せっかくだからバイオ・ウェポンの実証実験も済ませちゃおうか。
アレならまるごと潰せるし、青の実験体の性能評価もできるもんね!
そうだ、そうしよう!」
満面の笑みを浮かべて言い放つエルザに、俺とサリュート殿が左右から跳び上がり、同時に攻撃を放った。
――だが。
「――物理攻撃性能はもう十分測定できたんだ」
腕の振りだけで、ヤツは結界を喚起して俺達の攻撃を防ぎ切る。
俺とサリュート殿は追撃を避ける為に後方に飛び退いた。
「ちょっと準備するから、君らは待っていたまえ」
結界に守られたエルザはそう告げて、両手を頭上に掲げた。
「……常闇の底より這い出て来たれ……」
その喚起詞もまた、俺の知らない旋律のもので。
「――この唄は……いけないアル! 結界だ! あの騎体を守るんだ!」
と、サリュート殿が叫んで、俺の腕を引いてダグ達が乗る兵騎の肩に跳び上がった。
サリュート殿が騎体を覆うほどの結界を喚起し、クロが居ないために結界を張れない俺は、兵騎の合一器に干渉して外装に施された結界の刻印を喚起する。
「……いまここに<誓約>を
エルザの背後に鉛色の線が溢れ出し、デタラメに――まるで子供の落書きのような無秩序さで、景色を塗りつぶして行く。
「綻べ、<
――瞬間、鉛色に塗り潰された空間が渦巻いて一気に収縮し、裏返るように深紅の球体を形作った。
「さあ、器は用意してある! おいでませ! 神の眷属!」
エルザの言葉に呼応するように、球体から漆黒の
視界が黒一色に染まった。
『――に、兄ちゃん!? なにが起きてんだ!?』
ダグが悲鳴じみた声をあげる。
その問いに応えたのはサリュート殿だった。
「……クソ! あの時と一緒だ。あの女、侵災を引き起こしたんだ!」
「――侵災だと? では、この
結界に触れて紫電を放つ
魔道器官を侵し、狂わせ、破損させるという瘴気を見るのは初めてだが、言いしれない嫌悪感が湧き上がってくる。
瘴気を湧き上がらせているあの深紅の球体が、恐らくは侵源なのだろう。
その血を思わせる輝きが、レオニール騎を照らしたかと思うと、まるで生き物のように蠢いて騎体にまとわりついた。
両腕がひとりでに動いて、
重い金属音を響かせて胸甲が閉じられると。
「――は? なんだ!? 声が――誰だ? なにを言っている!? やめろ! 来るな! 俺が消え……がああああああぁぁぁぁぁぁ――――ッ!!」
辺りにレオニールの絶叫がこだました。
直後、騎体の仮面が音を立てて割れ落ちて――
『――ケヒヒ?』
現れたのは巨大な――
デタラメに並んだ乱杭歯を覗かせたそこから、甲高い子供のような声を立てる。
それをきっかけにしたように、騎体の変貌はさらに進む。
外装が鉛色の甲殻へと変化して行き、外装のない四肢は生物的な青白い肌へと変って行く。
胸甲が粘着質な音を立てて左右に開き、本来は
レオニール騎は……いまや異形の怪物となっていた。
その眼が――俺達を捉える。
「――ダグ! 合一を解け!」
俺が叫んだ瞬間、怪物が動いた。
その右手が蛇のように伸びしなり、俺とサリュート殿が張った結界をたやすく砕き割って、俺達の足元の騎体の頭を正面から打ち潰した。
駆け抜けた豪風によって瘴気が舞い上げられる中、俺達は兵騎ごと背後の防壁に叩きつけられる。
「――ぐぅ……」
「――兵騎が魔物化するなんて、聞いたことがない」
呻きながら身を起こす俺のそばで、先に飛び起きて結界を張り直したサリュート殿が重い声色で呟く。
「――おいおい、一撃で潰したら試験にならないじゃないか」
と、上空から響くエルザの声。
ヤツは自身を結界で覆ったまま、魔法によるものか宙に留まっていた。
怪物はその言葉に反応したように頭上を振り仰ぎ、エルザへと両手を伸ばして跳ね跳んでいる。
「ふむ。私まで贄と認識するとは、どうやら低級な子が来ちゃったみたいだねぇ」
怪物の手を掻い潜りながら、エルザは苦笑。
地上では、侵災から鉛色の甲殻を持つ、蟲めいた生物――魔物が湧き出しつつあった。
……マッドサイエンティストと侵災という、二重の災害を前に俺は呻く。
――こんなのどうしろってんだ!
気にかかるのは、背後で倒れ伏した兵騎の中のふたりのこと。
アリシアに霊薬は間に合ったのか。
そしてダグは今、どうしている?
合一中の頭部――
もし合一解除が間に合っていなかったなら、元傭兵だったジョニスでさえ恐れるような痛みを体験してしまった事になってしまう。
こんな焦燥感、生まれて始めての経験だ。
カイル達に城を追われた時でさえ、ここまでの焦りは感じなかったというのに。
ふたりの安否を確認したいが、刻一刻と増える魔物を前にそんな猶予はないだろう。
レオニール騎が変貌を遂げた怪物も、今はエルザを追いかけるのに熱中しているようだが、いつその興味が俺達に向くかわからない。
迂闊に動けない中、苛立ちだけが募っていく。
と、その時だ。
「――なるほどね。侵災を感知して来てみれば、またマッドサイエンティストが紛れ込んでたのか」
ひどく気安い口調でそう告げたのはクロだった。
ヤツはエルザの目の前で肩を竦め、甲高い声で続ける。
「おお、おおっ!? 論文通りだ! まさか実験体だけではなく、これまで一緒とは!
自我を持ち自らの考えで行動できるという法器の原型! まさかこの目で見られるとは――あ、待ってっ!」
エルザが震える手をクロへと伸ばすが、ヤツは鼻を鳴らしてそれを払い、俺の元へと急降下してくる。
「クロ、あいつは――」
「ああ。恐らくは教授級のマッドサイエンティストだろうね。
キツかったろ? キミらだけに任せて悪かったね。でも、おかげで準備は整った」
そうしてクロはサリュート殿に顔を向けて。
「――兵騎蔵でゴルバスが騎士達の指揮を執ってる。キミは合流して侵災調伏の準備だ」
「だが、彼女は見逃してくれるかな?」
サリュート殿がエルザを見据えながら悔しげに呟く。
「ハッ! あいつはボクに目の色を変えたんだ、きっと目的は主の研究成果だろうさ。
となればもう、あいつはボク以外は見えてないよ」
「わかった。では、少しの間、頼むよ」
サリュート殿は俺達にそう告げると、背後の兵騎の胸甲を強引に開いた。
アリシアはまだ意識がないようだが、霊薬のお陰かすでに胸に空いた傷痕はなく、肌も赤みを帯びていて、俺は思わず安堵の息を吐く。
ダグもまた気絶していたが、外傷は見当たらない。
サリュート殿はふたりを抱え上げると、防壁を駆け上がって鍛錬場の外に向かった。
「……それじゃあ始めようか。
ボクらを観察対象だと思い込んでる狂人に思い知らせてやるんだ」
クロはそう言って、俺の左手にその丸い手を走らせ、魔道を通して刻印を刻む。
「……これは――」
「この危機を見越したように、この地でボクらはアレと出会った。もう紛うことない世界の法則だ!
――
刻印がファントム・ハートに接続されて、喚起詞が湧き上がる。
「さあ唄え、相棒! 世界が紡いだキミの為の唄を!」
両手を振り回して叫ぶクロに、俺は応えて左手を握り締める。
「――
紡がれた喚起詞に、世界が捲れ上がった。
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