第3話 34

 励起されたファントム・ハートによって、世界が静止して俺の身体が戦闘形態へと書き換えられた。


 漆黒の皮膚と甲殻。


 狼の仮面が頭を覆い、髪が背中まで伸びてたてがみとなる。


 凍りついた世界が音を立てて砕け、再び動き出す。


「――その姿! その魔動ソーサリー・ウェーブ! 君は――」


 両手をサリュート殿に向けたまま、不自然とも思える角度で俺に顔を向けて歓喜の声をあげるエルザ。


 ――この一瞬を逃すものか!


「もたらせぇ――ッ!! <幻創回廊ファントム・バレル>ッ!!」


 俺とエルザの間に虹色の魔芒陣が結ばれる。


 わずか一歩の至近距離――取った!


「おおおおおぉぉぉぉ――ッ!!」


 咆哮と共に俺はエルザに飛び蹴りを放つ。


「――――ッ!!」


 光の速度まで加速した一撃だ。


 エルザは悲鳴をあげる事すらできない。


 視界が真っ暗に狭まる中、鍛錬場の防壁を覆う結界を砕き割り、防壁そのものさえ突き崩して、俺は地面を滑って静止する。


 視界が正常に戻ると、崩れた瓦礫の上でエルザがわずかに人の形を残した肉塊となっているのが見えた。


 ……だが、しかし――俺の眼はヤツの魔道器官がいまだ動いているのをはっきりと捉える。


 ――仕留め損ねたっ!


「――俺が時間を稼ぐ! 総員、対侵災武装で戦闘用意!!」


 俺は騎士達に向けて声を張り上げる。


 相手はババア――魔神だの賢者だのと謳われる存在と同等だ。いかに武に優れた<竜牙>騎士達でも、武装なしでは足手まといにしかならない。


 だから今は、彼らの退去を優先させる。


「アルに従え! すぐに掛かれ!」


 サリュート殿が指示を重ねれば――状況なんて理解できていないだろうに――それでも騎士達は即座に反応して、武装を整える為に駆け出して行く。


 その間にもエルザだった肉塊は渦巻くように魔道器官へと収縮し、そこから時を巻き戻すかのように広がり、元の形を取り戻しつつあった。


「……チッ! あいつも再生器を持ってるのか……」


 ババアと同等の魔道技術を持っているなら、それも考慮すべきだった。


 脳や心臓が潰れていた状態からさえ復活するのだから、俺がクロに幻創させ、騎士達に配った魔道器より性能が上――霊薬に匹敵する魔道器を持っているということか。


 俺の目の前――先程まで広がっていた血の海がまるでなくなった瓦礫の上で、裸身も露わに再生したエルザがぱっと目を見開く。


「んふふ……再生器は緑の賢者がその製法を特許公開しているからね。製造は比較的容易なんだ。

 私はね、七賢者の論文は集められるだけ集めるようにしてるのさ」


 俺から攻撃を受けた事など意にも介していないのか、エルザは先程までと変わらぬ口調で告げた。


「それより君だよ! <大戦>期の遺失論文ロスト・テキストで、青がその可能性を示唆していた<世界法則>への接続!

 君はその研究成果――実証実験体だ! そうだろう!?」


 エルザは興奮気味にその金色の目を輝かせる。


「そのかお、先日現れたという魔神とやらは君の事だよね?

 その形態はおそらくバイオ・スーツの応用だろう? だから外殻だけを遺せたんだ。

 追っ手をかけられないよう、死を偽装しようとしたんだね?

 でも、私は騙されなかったよ? 残されていた毛髪と血痕の遺伝情報がかなり近いけど異なっていたからね」


「……ますます貴様を生かして帰すワケに行かなくなったな」


 もともとそうするつもりではあったが、トランサー領での偽装までバレているのなら、早急に――誰かにその真実を告げられる前に、始末しなくてはいけない。


 ……だが、どうやって?


 俺が単独で放てる最大の攻撃――<幻創回廊ファントム・バレル>の一撃を受けてさえ再生するようなヤツを滅ぼすには、どうしたら……


「そうそう。血の遺伝情報といえば、その持ち主――魔神を倒したと報告にあった勇者ちゃんも見てみたいと思っていたんだ。

 ――いるよね? どこかなぁ~?」


 虚空に手を突っ込み、そこから取り出したメガネを再びかけて、エルザは顔を巡らせる。


 その目がアリシアに向けられて止まり――


「――いたいたぁ~」


 愉悦に満ちた弧を描く。


 エルザの裸体が燐光となって霧散し、次の瞬間、魔動を感じて振り返れば、ヤツはアリシアの目の前に転移していた。


「――ぐぅ……」


 あのアリシアが――エルザに喉を掴まれ、宙吊りにされている。


 アリシアは逃れようともがき、エルザの顔面に蹴りさえ叩き込んだが、先程の俺がそうだったようにエルザの腕はビクともしない。


「――アリシアッ!」


 娘の危機にサリュート殿が叫んで駆け出し、俺もまたアリシアの元へと駆け出す。


 その間にもエルザは掴み上げたアリシアを眺め回していた。


「……金眼に至るほどの魔動ソーサリー・ウェーブを放つ魔道器官ソーサル・リアクターの持ち主……あとひと押しあれば、ハイソーサロイドに至るってとこか。

 すごいね。こんな文明が大きく遅れた星で、ここまで皇室の魔道器官を維持できてるなんて。

 これはやっぱり、青の入れ知恵なのかな?

 ま、それはあとでいくらでも検証できるか」


 エルザが腕を引いて、アリシアの顔に自らの顔を寄せる。


「――君、勇者らしいじゃないか。

 <世界の声>を聞いたことはある? いや、あったらもうとっくに成ってるはずだよね?

 ということは、これから成るのかな? だとしたら、私はやっぱり神に愛されている事になるね」


「……なにを……言ってんのよ?」


 アリシアの呻きに、エルザは哂う。


「なにって! この冷たく悲しさに包まれた世界を取り巻く、法則の話だよ!

 ――世界規定設定理論運命論の補足理論、『世界改変時における抑止力の発生』――通称、大逆転論だ。知らないのかい?

 ああ、そうか。こんな未開の星の住民には、まだ設定理論の概念すらないんだね?

 青からは聞いてない?

 そうだなぁ……君にも理解できるように説明すると……世界を揺るがすほどの大きな事象を引き起こそうとすると、必ずそれを止めようとする事象が発生するって事さ。

 具体的に言うなら、私が青を見つけ、新たなる神を生み出すという目的に一歩近づいた以上、私という事象を止める対象が現れるはずなんだ。

 さしもの私も、世界の法則そのものが相手ではいささか分が悪い。

 ……だから、ね?」


 長々と講釈を垂れていたエルザの顔から、不意に笑みが消える。


「私はいつも、その可能性が少しでもある者は、とりあえず潰すようにしてるんだ」


 ひどく無造作に――俺とサリュート殿が駆けつける間もなく、エルザの右手がアリシアの胸に突き込まれた。


「――え……?」


 なにが起きたのか理解できていないような、怪訝そうなアリシアの呟きが、やけにはっきりと聞こえた。


 血飛沫が飛んで、アリシアの背中にエルザの右手が突き抜ける。


 その白い指には、血を噴き出して脈打つ肉塊――心臓が握られていた。


「……じゃあね。アリシアちゃん。女神達の駒にされずに済むんだから喜んでよね」


 エルザはそう告げてアリシアの心臓を握り潰し、そのまま右手を振るってアリシアの身体を地面に叩きつけた。


 ……アリシアは、胸から血を流したままピクリとも動かず、色を失った目で虚空を見つめていた。


「アリシアあああああ――――ッ!!」


 サリュート殿の悲痛な叫びが、鍛錬場にこだまする。


 ……あのアリシアが死んだ? 殺されただって?


 目の前の光景が信じられない。


 エルザはサリュート殿の慟哭を嘲笑うかのように鼻を鳴らした。


「なにを嘆くのさ。抑止力として――女神達の駒にされていたなら、アリシアちゃんはまともな人生を歩めなくなってたはずなんだよ?

 むしろそれを止めて、ヒトとして死なせてやったんだから感謝して欲しいなぁ」


「……貴様ぁ……」


 俺は怒りで目の前が真っ赤に染まるのを感じた。


 もはや手段がどうとか考えるのはなしだ。


 再生できなくなるまで、とにかく殺しまくる。


「――そうそう。危険な存在も排除した事だし、本題に移ろうか。

 青の賢者の実験体の君。ちょっと調査させてもらうよ?」


「御託は良い! 貴様は滅ぶまで殺し尽くす!」


 俺の怒りに励起されて、周囲の精霊が赤く発光して紫電を放つ。


「ほう、感情でユニバーサル・コラムに干渉できるのかい? まるでハイソーサロイドのようじゃないか。さすが青の実験体だね!」


 と、エルザの裸体を見たことのない材質の――身体の線も露わな銀色の皮膜が覆っていく。


 俺は格闘術の構えを取りながら、間合いを詰める為にもエルザの隙を探った。


 ――その時だ。


「――う、うわああああああぁぁぁぁ――――ッ!!」


 甲高い叫びと共に、小柄な影が鍛錬場を駆け抜ける。


 身体強化による恐ろしい速度で駆け抜けて来たその姿を捉えて、俺は目を見張る。


「――なぜ逃げていないっ!? ダグッ!!」

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