第3話 33

 サリュート殿が剣を閃かせたのと――


「――おぉ~とぉっ!?」


 ひどく気の抜ける声と共に、エルザと名乗った女は右手を前に突き出したのは、ほぼ同時だった。


 サリュート殿の――若い頃にババアにもらったのだと、いつだったか自慢していた長剣が横薙ぎにエルザの首元へと迫り、しかしその直前で、突き出された右手に多重展開された虹色の防壁――結界に阻まれて青白い火花を散らした。


 俺は戦慄する。


 サリュート殿は国内で五指に数えられるほどの剣士だ。


 その彼の抜き打ちに反応し、結界を喚起して防いで見せたのだから、あの女は魔道士でありながらサリュート殿並みの反射神経をしていることになる。


 だが、驚いたのはエルザも同様だったようだ。


「――君、すごいねぇ。まるで帝国騎士張りの戦闘能力じゃないか」


 彼女は多重展開された結界を自身の周囲に巡らせて、そう目を見張りながら呟く。


 奇襲に失敗したサリュート殿は、刃をひるがえして後方に跳躍。


 俺のすぐ横に立った。


「――サリュートッ! 貴様、大賢者様に刃を向けるなど、赦される事ではないぞ!」


 その時になって、ようやくレオニールが喚き始める。


 そんな彼に整った眉をひそめ、エルザは頭上――兵騎の鞍房あんぼうから身を乗り出して声を荒げる彼を振り仰いだ。


「ああ、レオニール君。ちょっと黙ってくれたまえ。

 これから大事な話をしなければならないんだ」


「……は? 私は貴方を守る為に――」


 と、エルザにたしなめられて、怪訝な表情を浮かべるレオニール。


「ああ、うるさいなぁ。私は黙れって言ったよ?

 これだから低能な者はイヤなんだ」


 エルザは呆れ――いや、哀れみのような表情を浮かべ、ひどく無造作に指を鳴らした。


 途端、レオニールの顔から表情が抜け落ち、糸の切れた操り人形のように鞍房あんぼうの足場に、彼の上体が倒れ込む。


「――いったいなにを……」


 突然倒れ込んだレオニールに、俺は思わず呻いた。


「なに、ちょっとローカル・スフィアと躯体の接続を解除してやっただけだよ。

 壊したわけじゃないから、安心したまえ。

 あとでちゃんと直してあげるよ」


 ――ローカル・スフィア。


 それはババアやクロが魂を指して用いる言葉だ。


「……魔道で魂に干渉だと?」


 ババアは繰り返し言っていたはずだ。


 魔道で魂に干渉はできない、と。


 ヤツの言葉が本当なら、ババアが不可能と言っていた事をやってのけた事になる。


 驚く俺に、エルザは口元に笑みを浮かべ、優しげな口調で続ける。


「あれれ? この土地ではやってないのかい?

 隣の国じゃあ、純血種を維持する為に再生人類をあんな風に扱ってたのに……さすがにアレは私も引いたなぁ。

 まあ、そんな彼らのおかげで私はこの地のユニバーサル・スフィアから、再生人類のローカル・スフィアの管理キーを解読する事ができたんだから、感謝しないといけないよね」


 ヤツは親切に説明しているのだろうが、なにを言っているのかまるで理解できない。


「……アル、話を聞いちゃいけない。僕が昔出会ったヤツもあんな風だった。

 連中は話したい事しか話さないし、話している事が真実とは限らない。

 わかっているだろう? アレはドクターを名乗ったんだぞ?」


 サリュート殿に注意されて、俺は気を引き締めた。


 王族が――ババアの鍛錬を受けた者が、ババアに代々必ず言い渡される事がある。


 それは王族が鍛錬を積む意味であり、目的でもある。


 ――すなわち、ローダイン王族は「敵」に対抗する為に、異常とも思えるほどの研鑽を積むのだ。


 長く生き過ぎた所為で、恐ろしいほどの寛容さを見せるあのババアが、顔をしかめて明確に「敵」と断ずる存在。


 敵――それはいくつかあって……侵災によって溢れ出す魔物であり、<三女神>と異なる<女神>を信奉する者だったりするのだが……


 なによりもババアが警戒し、見つけたら即座に殺せとまで徹底的に叩き込む者が「ドクター」を名乗る者――マッドサイエンティストという存在だった。


 昔、ババアは語っていた。


 ――連中は独自の価値基準、自身の好奇心を満たせるかどうかだけを根拠に行動するのさ。


 そのため常人の善悪のくびきから解き放たれた思考をし、まったくの善意で大量虐殺を行う事もあれば、悪意をもって万人を救う事もあるのだという。


 ――救われる者がいるのならば、悪ではないのではないか?


 そう訊ねた幼い俺に、ババアは諭すように語った。


 ――言っただろう? アレらは善悪を超越した者――いわば生きた災害なのさ。


 気まぐれに人を殺め、気まぐれに生かす。


 ババアが挙げた実例では、時計のズレを確かめる為に世界ひとつをまるごと――それこそ、その地に生きる生物さえも含めて、すべて魔道の源――精霊へと転換した者さえいたのだとか。


 ――重要なのは、善悪じゃない。


 ババアが繰り返し、俺とアリシアに語っていた。


 連中がという事こそ、連中を「敵」と呼ぶ理由なのだと。


 俺とサリュート殿の短い会話を聞きつけ、エルザはその顔に笑みを浮かべる。


「ふむ、やっぱりドクターの称号に反応したんだね。

 オーティスに反応した可能性も考えたけど、この星じゃあ、まだ教団の名は知られてないはずだものね。

 そして、ドクターを――マッドサイエンティストを知ってるって事は……」


 ヤツは懐からおもむろにメガネを取り出し、顔にかけた。


 途端、ヤツの両目を覆い隠すように、無数の細かい古代文字の羅列が流れ始める。


「――やっぱり! 君らは純血種――しかも白の魔動持ちと来た。

 失われたはずの皇族の血統にこんなところで出会えるとはねぇ……

 ――んん? しかもこの形は……ハハ、ハハハ――」


 メガネを通して俺達を見据えていたエルザは、ブツブツと呟いていたかと思うと、不意に狂ったように――身を仰け反らせて、声を張り上げて笑い出した。


 俺とサリュート殿は、ヤツの突然の行動が理解できず、視線を交わしてさらに距離を取る。


 と、ヤツの笑いが不意に止んだ。


「……みぃつけたぁ~……」


 顔を覆った両手の指の間から、その金色の目を妖しく潤ませて、ヤツは絞り出すように言い放つ。


「――神を造りし七人がひとり――ドクトル・ブルーのその血脈、みぃつけたぁ~……」


 ……ゆらりと。


 エルザの身体が左右に揺れて――


 次の瞬間には、俺の目の前に――吐息さえ掛かりそうなほど間近に、ヤツの顔があった。


「――彼女は何処に? どうすれば会える? 彼女ほどの者が死んでたりはしないよね? 彼女達の事はずっとずっとず~っと探してたんだ。

 それがこんな星図すらない未知領域アンノウン・スペースで見つけられるなんて!」


 ヤツの手が俺の両肩を掴む。


 その体格からは想像もできない強い力で、俺は身じろぎすらできなかった。


「私さ、しばらく前にこの星系で不可解な時震を検出してね、気になって助手君を送り出したんだけど、待てど暮せど帰って来ないじゃないか。

 仕方ないから、私が直接来たんだけどね?

 いやぁ、来てみてよかった。まさか青の賢者がこの地にいたなんてねぇ。

 帰って来なかった助手君に感謝だね。

 そうそう、君、助手君の事知らないかい?

 こんな程度の低い文明レベルの星なら、彼はきっと目立ったはずなんだけど」


「……その者の名は、ひょっとしてドニールという名か?」


 サリュート殿が長剣を構えたまま、俺を捕らえるエルザに訊ねる。


 エルザの狂気じみた喜悦に歪んだ顔が、俺から逸らされる。


 だから俺は、気づかれないようにゆっくりと左手を持ち上げ始める。


「知ってるのかい? そうだよ。ドニール君だ」


「――ヤツなら、ドクターを名乗った為に排除させてもらった」


「ああ、それで君、私相手にも勝てると思って、そんなにイキり散らかしてるのか。

 ドニール君もドニール君だ。私の目がないと思って、無能が勝手にドクターを名乗るなんてさ」


 気づかれないように慎重に、俺は左手を胸の前で拳に握る。


 ……目の前のこいつは、魔道を見通す。だから、気づかれないよう――やるなら一気にだ。


「……ヤツはご丁寧に事切れる前に侵災まで引き起こしてくれたよ。亡骸は魔物に喰われた」


 俺が知る限り、サリュート殿が直接侵災調伏に出向いたのは、俺が生まれるより以前、母上の実家――ベルノール侯爵領での侵災調伏だけのはずだ。


 王宮が動かなかった為、父上と母上が密かに城を飛び出して調伏に乗り出し、サリュート殿もそれに同行したんだ。


 しかし、人の身で侵災を引き起こした?


「ああ、彼の専攻は時空間事象における魔道干渉だったからね。未熟とはいえ、<誓約>に綻びを作るくらいはできたんだろうね。

 ま、それで自分が連中に喰われてるんだから、良い笑い話だ。帰ったら、他の子らに教えてやろう」


「――生憎、貴様をここから生かして帰すつもりはない!」


 サリュート殿が叫ぶ。


「だから、それがイキり散らかしてるって言うんだ。

 彼を倒したくらいでイイ気になって、私さえもどうにかできると思ってるのかい?」


 エルザの両手が俺の肩から離れ、サリュート殿に向けて突き出される。


 ――それを待っていた!


 俺は息を吸い込み、一気に魔道器官を――ファントム・ハートを高鳴らせた。


「――接続コネクトッ! <世界の法則ワールド・オーダー>ッ!!」


「――おおっ!?」


 振り返ったエルザの顔に浮かんでいたのは、驚きではなく歓喜だった。


 瞬間、俺の唄に応じて、世界が書き換えられる――

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