第3話 32
「……大賢者だとぉ?」
俺は呻いて呟く。
それはかつて王太后の傀儡となって、国を乱した愚王を廃した大魔道士の呼び名として、ローダイン王国においては知らない者のいない有名な称号だ。
だが俺やアリシア、サリュート殿のような王族にしてみれば、王城の地下大迷宮で隠遁生活を送っているババアの、世を忍ぶ仮の姿という事をしっかり教わっているんだ。
あのローブの女は、ババアではない。
時折、思い出したように享楽的な行動に走る悪癖もあるババアは、姿を変える事すら自在にできるから、偽りようのない魔動さえ見透かしてみたが、まったく知らない色と形だった。
――とはいえ、だ。
俺の魔動の影響下にあるはずのすぐ背後に、緻密な魔道制御を必要とする転移魔法で現れるなんてマネができるのは、恐らくはババア級の魔道士のはず。
「……ふうん」
レオニールに大賢者と呼ばれた女が鼻を鳴らし、ひどく無造作に足場にしていた兵騎の肩を蹴って、宙にその身を踊らせた。
魔道を見通す眼が、彼女が喚起詞を省略して<浮遊>の魔法を喚起したのを捉える。
そのまま白いローブ姿は宙を舞い、レオニール騎の肩に飛び移った。
「――ふむふむ? いいお返事だった割に――騎体はまるで地面を転がされたみたいに砂埃まみれ。剣に至っては歪んでねじれてるじゃないか。
……君、ひょっとして負けちゃったのかぁい?」
「――い、いえ! 少々油断したまでです!
そう! 勇名名高い<竜牙>騎士を一撃で倒してしまっては、彼らも立つ背がないでしょう? 少々、花を持たせてやったまで!」
……どっちだよ。
明らかに後のは、いま思いついた言い訳だよな?
とはいえ、ふたりの気が逸れている今は好機。
俺は鞍房の入り口で胡座を掻いているダグ先生に視線を送り、騎体から降りてくるように身振りを送った。
ダグ先生は即座に反応し、
アリシアが無言で彼の元に駆け寄って抱え上げ、そのままマリーとヘリオスの元に駆けて行った。
それを横目で見届けつつ、俺はサリュート殿の元へと歩み寄る。
「……サリュート殿。彼女は?」
尊敬するサリュート殿との再会だというのに、第一声がこんな言葉になってしまおうとは……
挨拶の言葉すら交わす暇がない事を悔しく思う。
「僕もレオニール殿が連れて来た魔道士としか思っていなかったんだ」
サリュート殿も同じ気持ちなのか、大叔父上の子供とは思えない優しげな顔に困ったような笑みを浮かべつつ、俺の問いに答えてくれた。
道中、魔獣車内では別室だったそうで、コートワイル家お抱えの者と思っていたので会話もしていないらしい。
「……まさか大賢者様だったなんて、僕も驚きだよ」
大賢者という存在の真実を知るからこその皮肉。
俺達がそんな囁きを交わしている間にも――
「ふぅん。まあ、君の勝敗は正直、どうでも良いんだ。
大事なのは君がバイオ・ウェポンとシンクロできたかどうかだしね。
――ええと、なんて言うんだっけ? 君ら風に言うと……騎体と合一はできたんだよね?」
大賢者を名乗る女は、レオニールにそう問いかけていた。
「は、はい! 大賢者様に賜った騎体は、本当に素晴らしいです!」
レオニールの言葉に、俺とサリュート殿は無言で視線を交わし合う。
ヤツの言葉が確かなら――あの女は、兵騎を気軽に与えられる術を持っている事になる。
アリシアのように<大工房>を見つけたのか、あるいはそもそもババアのように、<工房>などなくても兵騎を生み出せるほどの魔道技術を持っているのか。
……おそらくは後者だろう。
先程、あの女はあの騎体を
バイオ・ウェポンというのはよくわからないが、
神々の<大戦>において生み出され、その後、封印されたり散逸や喪失した魔道技術を記したモノだったはずだ。
俺が記憶を掘り返す間にも、女はレオニール騎の頭部を小突いたり眺めたり。
「ふむ……再生人類の劣化したソーサル・リアクターでも問題なく稼働できるのか。
……これは朗報だね。
これなら教団の戦力の拡充に繋げられそうだ」
「――え? 大賢者様? 今なんと?」
小さく呟かれた女の言葉は、レオニールには届かなかったようだ。
……教団? あの女の背後には、なんらかの組織があるってことか?
既存の兵騎とは一線を画する騎体を生み出し、ババアやクロのようなワケのわからない言葉を多用する女……
サリュート殿が俺の耳元に顔を寄せる。
「……まずは僕が話す。良いね?」
俺が交渉事が苦手なのをよく知っているサリュート殿は、俺にそう囁いて一歩前に出る。
「――レオニール殿! 大賢者様と呼んでいたが、彼女は君の家の魔道士じゃなかったのかい?」
そんな彼の問いに、レオニールは目を剥いて首を振った。
「違う! 彼女は陛下が同行させてくださったお方で、陛下の後見人のひとりだ!」
……カイルの後見人。
そんなところまで、過去の愚王の逸話をなぞろうとしていたのか。
とはいえ、あの女の場合、大賢者というその名に劣る事のない魔道技術と知識を持ち合わせているようだから、すべてがでっちあげってわけでもないようだな。
「――大賢者というのは? まさか歴史に出てくる……あの大賢者とは言わないだろう?」
「そのまさかさ! 私も父上や陛下に紹介された時は驚いたがな。
あなたも彼女の転移を見ただろう? 儀式もなしで転移魔法を喚起できる者が、大賢者でなくてなんだというんだ!?」
……まさか、それだけを根拠に大賢者と見なしたわけじゃないよな?
いくらカイルやリグルドがアレでも……さすがにそこまで愚かではないと思いたい。
いや、あの女は兵騎を生み出している可能性があるのだったか。
現代の魔道技術では生み出せない兵騎素体を生み出す様を見せられたなら、真実を知らない者にとっては大賢者と思い込んでも仕方ないだろう。
自分が話題に上ったのを聞きつけて、ローブの女は先程騎体を飛び移った時と同じように、手の振りだけで<浮遊>の魔法を喚起して、地面に――俺達の前に降り立つ。
「いやはや挨拶が遅れてすまないね。
研究成果を前にすると興奮してしまうのは私の悪いクセだ」
苦笑交じりの気安い口調でそう告げた彼女は、両手でフードを脱ぎ去って笑みを浮かべる。
まるで名匠が緻密な計算を施して造り上げた彫像のように――美しい女だった。
無骨な俺にも、はっきりとそう感じられる。
だが同時に、美し過ぎて相容れない――と、直感的にそうも感じた。
陽を受けてきらめく銀髪を揺らす彼女は、強い魔動を持つ証である金色の瞳でサリュート殿と俺を交互に見据える。
「――レオニール君達は私を大賢者なんて呼ぶけどね、私自身が名乗ったワケじゃないんだ。
ちゃんと名乗ったのに誰も呼んでくれなくて、少し寂しく感じたりもしていたんだよ」
彫像めいた顔とは裏腹に、彼女の口調はひどく気安く、そして友好的だ。
「――では、なんとお呼びしたら良いのかな?」
サリュート殿が社交会でよく浮かべている笑顔の仮面を貼り付けて、そう問いかけた。
「ああ、重ね重ね、すまないね。
どうも私は口が上手くなくてね。いつも『あなたの話は回りくどい』って怒られてるんだ。
――おっと、そうそう、名前だったね。
ええと、今はなんと名乗っていたんだか。
みんなが大賢者と呼ぶから、うっかり忘れてしまうんだよね。
ああ、思い出した――エルザだ
姓は……そうだなぁ……オーティスの巫女だから、エルザ・オーティスだね」
そう名乗った彼女は、美しい顔に妖しい笑みを浮かべて続ける。
「……どうせなら大賢者じゃなく、ドクター・エルザと呼んでほしいな」
その呼称を耳にした刹那――俺が息を呑む間にも、サリュート殿が無言で剣閃を放った。
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