第3話 31

 それは瞬きにも満たない、刹那の出来事だった。


 騎士として鍛えられたあたしの目は、悲鳴をあげていてさえ、その瞬間をしっかりと捉えていた。


 レオニールの<侯騎>が、突進の勢いそのままに長剣を突き出し、ダグ騎は振り返った体勢のままにそれを受け入れる――かに思えた瞬間、ダグ騎の仮面に描かれた貌文様の眼が、一際強く輝いた。


 流れるように左足が退かれて、両手が前方に――上下にあぎとのように開いて突き出される。


 まるで吸い込まれるように、レオニール騎の長剣はその両手の間に突き込まれ――そして、あぎとが閉じられた。


 きっとレオニールは切っ先を取られた事にさえ気づかなかったに違いない。


 だってその刹那、レオニール騎は天地逆さまに回転して、そのまま地面に頭から落とされていたんだから。


「――ダグッ! 避けてええええええ――――ッ!!」


 あたしが思わずあげた悲鳴がようやく音となって周囲に放たれ、重厚な衝撃音が鍛錬場が重なる。


 まさに一瞬――ううん、刹那の出来事だった。


 レオニール騎が突き込んだ長剣を両の掌で上下から挟み込んだダグ騎は、その腕をひねる事でレオニール騎を転倒させたんだ。


 ――八竜戦闘術のうち、無手格闘術を主に伝える白竜の技だ。


 この場でそれを使えるのは、ひとりしかいない。


『――な、なにが起きた!?』


 レオニールが呻きながら騎体を立ち上がらせる。


 へえ。あんな落ち方したのに合一が解けてないんだ?


 少しだけ彼の評価を上方修正。


「――いきなり合一が解除されちゃったけど……オイラがビビっちゃったからか?」


 その間にも、ダグ騎の胸甲が左右に開いて、中からダグが這い出してくる。


『――子供だとぉ!? 子供ごときにこの私が!?』


 鞍房あんぼうから這い出してきたダグを見て、レオニールが驚愕の声をあげた。


「……いや、違う」


 そんなふたりの疑問にまとめて応えるように、ダグ騎の右肩の上の景色が陽炎のように揺らいでアルが姿を現した。


 あの絶望的な一瞬を覆したあいつは、兵騎の頭に左手を添えて、いまだ吹きすさぶレオニールが巻き起こした突風に、鮮やかな赤毛をなびかせていた。


 その姿はまるでアジュアお婆様の庵で見た、マンガという絵物語に出てくるヒーローの登場シーンのようで。


 ――なんだい、アイツ……ズルいじゃないさ!


 胸の奥がドクンと高鳴るのを意識しながら、あたしは内心で毒づいた。


「――俺が強引に割り込ませてもらった。驚かせてすまないな。ダグ先生」


 どうやらあいつの魔道は、鞍房あんぼうを介さずに兵騎を操り、八竜の技を繰り出せるほどに強くなっているみたいね……


『――な、なんだ貴様はっ!?

 おかしな格好しおって! 神聖な決闘を邪魔立てするとは何事だ!』


 剣身が歪んでねじれた長剣の切っ先をアルに突きつけ、レオニールが早口にまくしたてる。


「――あ、あ~……すまないな」


 そう応えるアルは、いまさら正体を隠さなければいけないことを思い出したのか、いつもより低い声を作っていた。


「見ての通り、この騎体には騎士ではなく見習いの子が騎乗していたんだ。

 大事な決闘なのだろう?

 君だって、見習い相手に勝利したところで誇れないのではないか?」


 見習いと呼ばれて、鞍房あんぼうの入り口で成り行きを見守っていたダグは一瞬、驚きの表情を浮かべたけれど、賢いあの子は空気を呼んで沈黙を選んだみたい。


 問題なのは、生来の空気の読めないアルだ。


「次期近衛騎士団長と目されている者が、子供相手に――しかも不意打ちを仕掛けようとしたなんて笑い話にもならないだろう?」


 きっとアルはあくまで事実を言っただけのつもりのはず。


 けれどその言葉は、的確にレオニールの矜持を傷つけたみたいだね。


『――貴様! 今のが不意打ちだったと!?

 この私が――正義の王、カイル陛下の懐刀たるこの私が、卑怯な行いをしたと言いたいのか!?』


 激昂して声を張り上げるレオニール。


 そんな彼の怒りなど意にも介さず――


「……いや、<竜牙>騎士なら、あの程度の攻撃、不意打ちにもならんだろう?」


 応えるアルは、不思議そうに首を傾げる。


 付き合いの長いあたしには、アルの言いたい事が理解できる。


 アルとしては、あくまで騎乗していたのがダグだったから、「不意打ち」という言葉を使ったんだと思う。


 そして幼い頃に抱いた憧れからか、アイツはどうも<竜牙>騎士を過大評価している節があるから、きっと「先程の攻撃程度、<竜牙>騎士には不意打ちにもならない」というのは、あいつの本心なんだと思う。


 とことんまで言葉選びがへたくそなアルは、まるでレオニールに諭すように人差し指を立てて続ける。


「そもそも戦場いくさばに身を置くべき騎士たるもの、常在戦場の覚悟がなくてどうする?

 ――こと戦いにおいて卑怯なんて口にするのは……」


 そこで言葉を区切り、アルはニヤリと口元を笑みに吊り上げる。


「――弱者の戯言だ!」


 アルはレオニールの行いに非はなかったのだと返し、レオニール自身が口にした「卑怯な行い」という言葉を利用して、その自覚があったのか、と――でも騎士なら、そんなことはそもそも口にしないものなのだ、と暗に批判してみせたんだ。


 ……あいつ、ひょっとしてわざとなの?


 あたしの隣で、お父さんが吹き出す。


「……しばらく見ない間に、彼、ずいぶんと口が達者になったようじゃないか。

 お婆様の仕込みかな?」


「ううん。あの子が教えてるんだ」


 あたしはアゴをしゃくって、ダグを示した。


 あの子ってば、話が長くなりそうと諦めたのか、鞍房あんぼう入り口の足場で胡座を掻いてるよ。


「ああ、バートン男爵領の子だっけ?

 フフ……ずいぶんと大物なようだね」


「うん。将来がすごく楽しみな子なんだよ」


 あたしとお父さんがそんな短いやり取りをしている間にも、レオニールはアルの暗喩に気づいたのか、さらに声を荒げる。


「――貴様ぁ! 名を名乗れ! そもそも顔を隠してこの私を見下ろすなど、不敬も良いところだろう!?」


「……不敬もなにも……今の君はあくまでただの近衛騎士だろう?

 官位で言うなら従七位――下から七番目だ」


 低く抑えられた声で、アルは淡々と告げる。


「……ホント、見違えたよねぇ。普通は六番目と数えるだろうに」


 と、お父さんは意地悪げな笑みを浮かべる。


 基本的に王宮内を手続きなしで自由に行動できるのは、官位を持つ者だけと決められている。


 だから王宮内で飼育されている馬や家畜なんかにも、名目上の官位――従十位が与えられているんだ。


 お父さんがアルの言葉に笑ったのは、本来は省略されるその官位もしっかりと数えたから。


 それが示すのは――家畜にでも威張ってろ、という暗喩だ。


 使用人になる前の下働きの子達に与えられる官位が十位。


 使用人になって九位となり、役職を振られて従八位や八位となる。


 役職のない騎士もだいたいは八位だね。


 近衛騎士は緊急時において、宮廷騎士達に各団長を越えて指示を出す必要があるから、宮廷騎士団の大隊長級と同等の官位――従七位を与えられてるんだ。


 だから近衛騎士の従七位というのは、一般的には緊急時向けのもので、常時は普通の騎士の八位相当として扱われる。


 ――近衛騎士だから従七位。


 そして下から――家畜も含めて数えるという底意地の悪さ。


 やっぱりアルのヤツ、ダグを狙われた事に怒ってるみたいね。


 はじめはいつもの口下手かと思ったけど、あえてレオニールを煽るような言葉を口にしてるんだ。


「まあ緊急時だけの名目上の従七位とはいえ官位は官位か。

 君が不敬と思うなら、そうなのかもしれないな」


 と、アルは腕組みして胸を反らしながら、悪びれる事なく告げる。


「――レオニール殿、彼はアル。

 父上――ゴルバス将軍の補佐官として育てられ、現在は<竜牙>騎士団の教導官を務めてくれている者だ」


 そんなふたりの間にお父さんが割って入って、レオニールにアルを紹介する。


「――む……」


 お父さんがでっちあげた役職名に、アルはわずかに呻いたけど口を挟みはしなかった。


「登城した事はないから無位無官だけど、このグランゼスでは僕以上――父上に次ぐ発言力を持つと思ってくれ」


 お父さんもまた、言外に「アルはおまえなんかより権限が上なのだ」と告げたのだけど。


「なんだ! 無官の――しかも姓すら持たない庶民だったのか!?

 そんな者が偉そうに、この私を見下したというのか!」


 レオニールはアルが庶民だと聞かされると、再び声を荒げた。


 と、その時。


「――ユニバーサル・コラムにおかしな揺らぎを感じて駆けつけてみたら、ずいぶんと面白い事になっているね?」


 不意にアルの背後に魔芒陣――たぶん短距離転移陣だと思う――が描き出され、白いローブ姿で、フードを目深に被った人物が現れて、女性の声でそう告げた。


「――うおっ!?」


 アルが驚きの声をあげて兵騎の肩から飛び降りる。


 ――アルでさえ、あの魔芒陣の出現に気づけなかったというの!?


 短距離とはいえ転移陣は高位魔法に属する。


 基本的には複数人の魔道士が儀式を行って喚起する魔法なんだ。


 けど、あの女は単独でそれを成した。


 しかも魔道に敏感な、あたしやお父さん、そしてアルに気づかれる事なく。


 この国やミスマイル公国を巡ったあたしでも、そんな事できる魔道士なんてアジュアお婆様しか知らない。


 彼女は地面に降り立ったアルを視線で追いかけて苦笑する。


「おっと、驚かせてしまったかな。なにせ歩くのは得意じゃなくてね。失礼かとは思ったんだが、さっきの揺らぎの理由を知りたくてコラム・ジャンプを使わせてもらったんだ」


 肩を竦めながら、楽しげにそう告げた彼女は、それから視線をレオニールと彼の爵騎に向ける。


「そうそう。その子の事もあったね。

 さっそく使ってみたようだけど、レオニールくん。その子はどうだい?

 ――遺失論文ロスト・テキストから復元したバイオ・ウェポンは、君に馴染んだかい?」


 その言葉にあたしとお父さん、そしてアルもまた、顔を引きつらせた。


 あの意味不明な単語を使いこなす感覚。


 ――あいつはアジュアお婆様と同種のなにかだ……


 警戒心が一気に高まる中、レオニールはさらにそれを煽る言葉を放った。


「――はい、大賢者様!」

 

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