第3話 30
あたしがレオニールと出会うのは、これが初めてではない。
継承権を持たないとはいえ、コートワイル侯爵家もまた三代前には王族の婿入りを許された家であり、言ってしまえば
おじいちゃんの叔父に当たる方が臣籍降下してコートワイル家に婿入りし、侯爵家の家督を継いだんだ。
つまり現宰相リグルドは、ウチのおじいちゃんや大伯父様――先代陛下から見たら
そんな理由もあって、王族――継承権を持つ、アジュアお婆様の鍛錬を受けたものだけが列席する儀式なんかは別として、それ以外の王城主催の宴にはコートワイル家は必ず招待されていたんだ。
レオニールはたしか今年で二十六歳。
あたしやアルとは九歳差――一回り上の世代だ。
だから、あたしやアルが十歳を迎えて宴に参加するようになった頃には、彼はすでにコートワイル家嫡男として参加していた。
でも、当時のあたしやアルの彼に対する印象はあまり良いものじゃない。
元服を迎え、二十歳にもなろうというのに、官位を得るでもなければ領経営を手伝うでもなく――日がな貴族街にあるサロンに学園時代の友人達と入り浸って、テーブルゲームに興じているというのは有名な話だった。
あまり公にはなっていない話だけど、あたしがアルをボッコボコにしたあのお茶会――アルの将来の側近となる友人を見つけるためのあの会に、リグルド侯がレオニールやそのひとつ下の弟、オズワルドを参加させようとしていたって聞いてる。
ミハイルおじ様が年の差を理由に断ったらしくて、それでも側近の座を諦めきれなかったのか、レオニールはアルに会うたびに自分の有能さを誇示していたっけ。
レオニールの思惑はともかく、彼の父であるリグルド侯はアルにその気がないと見るや、早々に見切りをつけて、娘であるアイリスを婚約者にすべく方針変更したみたいだけね。
その頃にはもう、あたしは旅に出ちゃってたから、そういう話はあくまで街に流れる噂や、あとになって合流したマリーから聞いた話なんかで知った事なんだけどさ。
……二十歳を過ぎても放蕩三昧だったヤツが、いまや次期近衛騎士団長サマ、ねぇ……
カーテシーから顔をあげて、あたしはレオニールの細面を見据える。
鍛錬着のズボン姿だったけど、アジュアお婆様に仕込まれた礼儀作法の前には格好なんて関係ない。
実際、ミスマイル公国での勇者認定式の時は
「……ほう。父上にハズレくじを引かされたと思ったが……これは悪くない」
と、レオニールは口の中で呟いたつもりなんだろうけど、強化されたあたしの耳にはその言葉はしっかりと届いてる。
彼の隣でお父さんも眉をひそめたけど、あたしを見つめるレオニールは気づかない。
「それにしても、ずいぶんお早い到着でしたのね?
今日、到着なさるとは思ってもいませんでしたので、このような格好でお出迎えする事になってしまいましたわ」
――早く着くなら連絡くらい寄越せ。
言外にそう皮肉を込めて言ったのだけど、どうやらレオニールには伝わらなかったらしい。
「はは! 一刻も早く君に会いたくて、陛下に魔獣車を用立ててもらったんだ」
彼は前髪を掻き上げながら自慢気に告げる。
あたしは弾かれたようにお父さんに視線を向けた。
「……陛下の裁可があったんじゃ、僕も口出しはできないからね……」
お父さんは困ったように首を振り、身体強化しているあたしだけに聞こえるように、小さく小さく呟いた。
あたしは呆れて言葉が出せなかった。
城に詰めている魔獣車は、確かに馬車より速い交通手段だよ。
でもだからこそ、その運用は緊急時――所領へ急ぎの伝達がある場合なんかの……災害や侵災の時の為に温存されるべきで、決して貴族の見合いごときで使われて良いものじゃないんだ。
「――なにせ今回の縁談は、長くいがみ合ってきた文官閥と武官閥を結びつける為のものだからね。
陛下も父上も惜しみない協力を約束してくれているよ」
あたしの驚きを、彼が魔獣車を与えられた事によるものと勘違いしたレオニールは上機嫌で語る。
たまらずその細面をぶん殴りたくなったけど、あたしはお腹の前で右手を左手で抑え込んだ。
……王城に詰めてる魔獣車はなにも一台だけってわけじゃない。
たった一台が私用に使われただけ……キレるにはまだ早いよ。
「あら、ずいぶんと気が早いですこと。
では、レオニール様はわたくしを娶る為の条件――グランゼス公爵家の家訓をお受けになるということでよろしいのですね?」
あたしとの婚約に出した条件――<竜牙>騎士との決闘は、我が家の家訓という体裁で口裏合わせが行われているんだ。
まあ、実際、領外から婿入りしたおじいちゃんは、その力を示す為に当時の<竜牙>騎士団長と刃を交えたって聞いているから、あながち嘘ってわけでもないんだけどね。
あたしの問いかけに、レオニールは笑みを崩すことなくうなずく。
「――ああ。そういえばそんな話もあったね。
……面倒だ。さっさと済ませてしまおう」
と、彼は周囲に視線を巡らせる。
「は? さっさとって――」
こいつの自信はどこから来るの?
少なくともあたしは、レオニールが武に優れているという話を聞いたことがない。
「レ、レオニール殿……到着したばかりですし、まず休まれてからでも良いのでは?」
お父さんも彼の発言には驚いてるみたい。
王城に第一騎士団長として詰めていたお父さんが知らないということは、あたしやおじいちゃんの予想通り、レオニールはコネ採用された名ばかりの近衛騎士なはずなんだけど……
その割に、彼は遠巻きにこちらを見つめている若手騎士達を前に、まるで臆してる様子がない。
「ここにいるのはみんな<竜牙>騎士なんだろう?
噂に名高い<竜牙>騎士なら、誰が相手でも一緒だろう?
……ああ、ちょうど良いのがいるじゃないか」
と、彼が見据える先には、あたしの言いつけ通りに鍛錬場を走っているダグが駆る兵騎があって。
「あまり余興に時間を取られたくないんだ。
――おい、そこの貴様!」
レオニールにそう声をかけられて、ダグは足を止めて振り返り――
『――は? 今、オイラの事、呼んだ?』
ダグが応じかけたところで、レオニールは指に喚器をはめて喚起詞を唄った。
「――来たれ。<侯騎>」
レオニールの背後に転送魔芒陣が宙図され、巨大な影がにじみ出る。
「――コートワイル家に爵騎だってっ!?」
お父さんが驚愕した。
その間にも、レオニールが喚んだ騎体は魔芒陣から這い出し、その胸甲を開いて
その騎体は――ひどく生物的な外装をまとった容姿をしていた。
滑らかな曲線を描く艶のない銀色の装甲は、兵騎というより侵災で湧き出る魔物の甲殻を彷彿させる。
多くの兵騎が持っているたてがみはなく、代わりとばかりにその後頭部から背にかけて、尻尾を思わせる器官が生えていた。
『――目覚めてもたらせ。
続けられた喚起詞は、あたしの知らない
<侯騎>の無貌の面が不気味に蠢いたかと思うと、三つの亀裂が走る。
それはゆっくりと広がっていき、真紅の双眸と鋭い牙を並べた顎へと変貌を遂げた。
「――待ちなさい、レオニールっ! あの騎体と合一してるのは――」
あたしが制止の叫びをあげた時にはもう――
『――約束通りの手合わせだ! 行くぞ! 構えるが良い!!』
レオニールは腰から長剣を引き抜き、そう宣言していた。
まるで稽古でも始めるような気楽な口調だったから、あたしもお父さんも周りの騎士達も――誰一人、反応できなかった。
そのわずかな間に、レオニールは騎体を加速させた。
<侯騎>の踏み込みで鍛錬場の地殻が割れ砕け、大気を破る轟音を置き去りにし、水蒸気の尾を引いて、<侯騎>はダグ騎に突っ込んでいく。
『――え? え?』
きっとあの子は、なにが起きてるのかさえわかってない。
「――ダグッ! 避けてええええええ――――ッ!!」
あたしの悲鳴と――重厚な衝撃音が重なった。
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