第3話 28
翌日、アルはマリーとヘリオスに宣言した通り、「あの特訓」を始めた。
いつも兵騎同士がぶつかり合う轟音が響く鍛錬場だけど、今日はそこに異彩を放つ音が混じっている。
――懐かしいなぁ。
あたしは閃竜になったクロ相手に、アレをやらされたのよね。
アルもそうなんだけど、途中、<竜牙>の山岳訓練に参加している間は、ああやってクロの代わりを使うように言われてたみたいだね。
「……なあ、師匠。アレ、本当に特訓になってるのか?」
素振りを終えたダグが、胡乱な表情で「あの特訓」を見つめながら訊ねて来る。
どうも身が入ってないと思ったら、アレを気にしてたのか。
『――ア、アニキ……もう、もうイヤだ。やめさせてくれ……感触が……もうムリだぁ……』
あたしとダグが見つめる先で、兵騎が血に
その騎体の正面には、全身血塗れになったヘリオスとマリーの姿。
「――まだだっ! このくらいなんでもねえ!」
「――そうです! 早く次を打ってください! ようやく感覚が掴めて来たところなんです!」
ふたりは兵騎を見上げ、特訓の続行を叫ぶ。
その足元は、どす黒く変色した血が水たまりを作り、どこの部位ともわからない肉片があちこちに飛び散っている。
アルがマリーとヘリオスにさせている特訓――それは、生身で兵騎の拳を受け止めるというものだった。
<竜牙>騎士の上位者――グラート爺やその幕僚達くらい身体強化が巧みなら人なら、それだけでもできちゃう事ではあるんだけど、アルがふたりにさせているのは、ちょっと違う。
「アレはね、兵騎の魔道に外から干渉して、動きを操作する為の特訓なんだよ」
と、あたしはあの特訓の意味をダグに説明する。
「兵騎はね、
その時の感覚は、身体強化の為に魔道を全身に巡らせるのと、理屈としては一緒なんだ」
だからこそ<爵騎>を持つ家系の子供は、伝来騎を扱えるよう魔道の基礎として、まず身体強化を学ぶ。
逆に魔道士の家系の中には身体強化がうまく扱えず、兵騎を喚起、合一まではできても、うまく騎体を扱えないって人もいるみたいだね。
「合一せずに、外からって……そんな事できるのか?」
「あら? 昨日、あたしがあんたの魔道を整調してあげたでしょ? 兵騎が相手だって、感覚は一緒だよ。
むしろ魔道器官を持つ人体に干渉するより、よっぽど簡単なくらいなんだよ?」
魂を内包する魔道器官は、他者の魔道を拒む性質――アジュアお婆様は世界法則に記された
精神操作なんかの魔法が存在しないのも、その為なんだって。
あたし達がアジュアお婆様から教わるのも、あくまで強引に他者の魔道――身体強化なんかを抑え込む技術なんだよね。
「兵騎の
だから、魔道干渉の鍛錬としては、アレは初心者向けってワケだね」
あたし達は抵抗が強い閃竜形態のクロが相手だったからね。
兵騎が相手で――しかも自分が騎乗するんじゃなく、騎士にやらせてるんだから、アルはかなり慎重に、段階を踏んでふたりを鍛えようとしてるんだと思う。
ふたりは無意識に身体強化を使ってしまわないよう、クロが作ったあの魔道抑制の魔道器を着けさせられたまま鍛錬している。
アレは即座に負傷を治す効果や疲労を癒やす効果もあるから、この鍛錬には必須の魔道器なのよね。
現にマリーもヘリオスも、血塗れだけど傷はまるで残ってない。
すぐそばで見守っているアルの足元に大量の霊薬の瓶が並べられているのは、万が一を考えてだろうね。
仮になにかの拍子に身体を修復する魔道器が壊れたり、その際に即死に至るような肉体損傷――脳や心臓が破損するような――を受けたとしても、魔道器官が内包する魂が稼働停止するまでは、どれだけ早くても1分の猶予がある。
その間に霊薬を振りかければ、魔道器官は活性化し、霊薬の作用で無理矢理にでも肉体は再生されるんだ。
アイツやあたしが受けた鍛錬に比べて、激甘とも言える体制だね。
『――ムリだってぇ! おまえらやってみろよ!』
と、兵騎の
「……なあ、アレって、なんか
と、的確なダグの問いかけに、あたしはうなずきを返した。
「アジュアお婆様――あたし達の師匠が言うには、本来はそういう部分もあったみたいね」
兵騎から落ちるようにして地面に降りた騎士は、その場にうずくまって嘔吐していた。
そこにアルが霊薬を持って歩み寄り、彼にそれを手渡す。
「まあ、慣れるまでは仕方ないが……戦場に出れば、兵騎で歩兵を蹂躙する事もあるらしいから、慣れておくに越したことはないぞ?」
「――ヒイイィィ……」
騎乗していた若手騎士の心は、完全に折れちゃってるみたいだね……
あとで彼には精神治療を受けさせるよう、グラート爺に言っておこう。
考えてみれば、ミハイルおじ様が亡くなった前の戦役から、もう十年。
長く戦がなかった所為か、
みんなの前であの特訓をするのは、そういう事を考慮してのものかもしれないね。
「……なあ、師匠。アル兄ちゃん、あんなこと言ってるけど、本当なのか?」
「あたしも戦は経験した事ないからねぇ。
でも、ウチの古株達の話を聞く限り、事実みたいだよ?」
ダグの問いに、あたしは記憶を掘り起こしながら答える。
「前のアグルス戦役なんかでも、<竜牙>騎士は真っ先に敵先陣中央に飛び込んだらしくてね。
――迎え撃ったアグルス兵騎団を破って敵陣深くまで進み、歩兵――法撃戦の用意をしていた魔道士団を蹂躙したらしいね」
そのまま行けば圧勝できたはずなんだけど、途中でミハイルおじ様が討たれた為に、
あたしがそんな事を考えている間にも、アルは騎士がもう騎乗できないと判断したのか、周囲の騎士達に顔を巡らせ――
「――誰か代わりを勤めてくれないか?」
そう告げたんだけど、騎士のみんなは即座に顔を逸した。
「……ひょっとして、今日は古株のおっちゃん達が居ないのって、こうなるのがわかってたからか?」
「――たぶん、そうでしょうね……」
今、鍛錬場に古参騎士達の姿はない。
朝から総出で、国境地帯の魔獣の間引きに行ってくると称して出発し、帰ってくるのは早くて三日後だよ。
まあ、あいつらの気持ちもわからないでもないんだよ?
いざ戦となれば、敵歩兵を蹂躙する事すら厭わないんだろうけど、好き好んでそうしたいワケじゃないんだろうしさ。
いくらふたりの鍛錬の為とはいえ、可愛がってる後輩を兵騎で叩き潰したいとは思えないはずだよ。
「……ふむ、困ったな……」
アゴに手を当てて、アルは首をひねる。
と、その時、ダグがあたしのシャツの裾を引っ張って――
「なあ、師匠。身体強化ができれば、兵騎と合一できるんだよな?」
そんな事を言い出した。
「……なに? あんた、騎乗してみたいの?」
「兄ちゃん、困ってるみたいだしさ。誰もやりたがらないなら、オイラが手伝っちゃダメかなって」
この数日の鍛錬で、ダグの魔動はかなり強くなってる。
さすがに<竜牙>騎士とは比べ物にはならないけれど、むしろ、だからこそマリーとヘリオスのあの特訓には、ちょうど良い相手かもしれないね。
「ふたりを容赦なく潰さないといけないんだよ?」
――人を傷つける覚悟があるのか、と。
あたしはダグの目を見据えて、その覚悟を問う。
「誰かを守らなきゃいけない時に、ビビって動けなくなるくらいならさ、今、そういう練習ができるのは運が良いんじゃないかって、そう思うんだ」
気負いなく、すきっ歯を覗かせるいつもの笑みで応えるダグの頭を、あたしは思い切りかき混ぜる。
人を傷つける痛みを、怖さを、この子はこの歳でしっかりと理解できている。
だからこそ、その必要に迫られた時に、自分が動けなくなってしまう事を想定できてるんだ。
「いいね。あんた、強くなるよ。そして良い男にもなる。あたしが保証したげるよ!
――そうと決まれば、マリーとヘリオスには悪いけど、ふたりにはあんたの精神修練の糧になってもらおう!」
あたしはダグの手を引いて、アルの元へ向かう。
「――ダグ先生が!?」
あたしとダグの申し出に、アルはあからさまに驚いた。
顔半分を覆う仮面で表情こそわからないけど、付き合いの長いあたしには、アルが仮面の下で渋い顔をしてるのがよくわかるよ。
「――だ、だがな、ダグ先生。これは鍛錬とはいえ、人を傷つける事に……」
アルのヤツ、ダグの前に跪いて、諭すような口調で語り始める。
「ア~ル~、その覚悟はとっくにあたしが確認済み。
この子はやる気だし、できると思ったから、あたしは連れて来たの」
「む……だが……いや、しかし……」
なおもアルはブツブツと反論の言葉を探している。
――ほんっとにコイツは……
敵と見なせば苛烈なくせに、一度、懐に入れたらとことんまで甘くなるのは昔から変わってないみたいだね……
ダグはそれに加えて、まだ幼い子供だというのもあるかもしれない。
――ううん、違うね。
幼いから気遣っているというのも、もちろんあるんだろうけど、あの態度はダグだからこそというのもあると思う。
王太子の仮面を着けてからのアルは、同年代より下の子供には常に畏怖の目で見られて来たからさ……だから、アルを恐れることなく親しくしてくれるダグや村の子には、過剰なほどに甘くなってるんだろうね。
……その気持ちはよくわかる。わかるけどさ……
「――ダグの成長を考えるなら、その甘さは今は邪魔だよ!」
「む……」
はっきりと指摘してやれば、アルは弾かれたようにあたしを見上げ、それから肩を落とした。
「そう……だな……
すまない、ダグ先生。俺はおまえの成長の邪魔をするところだった」
ダグはそんなアルの肩を叩き、すきっ歯を覗かせる。
「良いってことよ。兄ちゃんがオイラの心配をしてくれたのはわかってるからな。
それより認めてくれて、あんがとな!」
本当に――ダグは将来、イイ男になるだろうね。
アルみたいな女の子を振り回すようなヤツになってしまわないよう、師匠として気をつけないとね。
……まあ、ダグには
「――じゃあ、さっそく騎乗用意をしよっか」
あたしはダグにそう告げて、すぐそばで膝を突いている制式騎を見上げる。
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