第3話 24
「え? 弓ですか? そういえばこのところ鍛錬を疎かにしてましたね」
と、マリーが恥じるように告げた。
「姫様と旅をしていた頃は、野宿のたびに獣を狩るのに使っていたものですが……」
そんなマリーに、ヘリオスが顔に笑みを浮かべ――
「へえ、おまえなんかに――」
言いかけたところで、彼は自らの頬を殴りつけて、出かけた言葉を遮った。
それからヘリオスは確認するように俺に視線を向けてくる。
俺は頷きを返した。
――そうだ。それで良い。
ヘリオスがマリーに好意を抱いているのに気づいたあの呑み会の夜、俺は彼に忠告したのだ。
いまのままの態度を続けていたら、いずれ嫌われてしまう――いや、すでに嫌われている可能性さえあるぞ、と。
ヘリオスとしては、男友達に接するような軽口のつもりだったそうだ。
それに反論される事を契機に、会話が広がれば――そんな思惑があったのだとか。
これが王都の法衣貴族ならば、紳士教育の過程で女性への接し方も教わるのだろうが、ここはグランゼス領で、ヘリオスはその譜代家臣家の嫡男だ。
女にうつつを抜かす暇があったら、鍛錬に勤しめという気風が蔓延っている為、ヘリオスはそんな教育は受けていないのだ。
だからこそグランゼス男性によくありがちな――強さを示す事でマリーの興味を引きたいのだろうが、生憎とマリー自身が優れた騎士だからな。
恋愛という慣れない感情に対してぐるぐると考えた挙げ句、ヘリオスはマリーに対して「自分の方が優れている」という話ばかりを振るようになってしまったらしい。
……うむ。恋愛ではないが、その思考の迷路は俺もよく陥るから、ヘリオスの気持ちはわかるぞ。
要するにヘリオスはマリー限定の口下手なのだ。
とはいえ、俺自身も恋愛ごとに関しては、マチネ先生から学び始めたばかりの素人だからな。
俺が偉そうにヘリオスに講釈を垂れるよりはと、彼にはマチネ先生が俺に勧めてくれた教本――ロマンス小説をいくつか勧めておいたのだ。
ヘリオスとマリーは元服前から共に騎士見習いとして切磋琢磨してきた、いわば幼馴染らしいからな。
ちょうど最近、マチネ先生が勧めてくれた教本の中に、その手の――幼馴染同士の拗れた恋愛模様を描いたものが複数あったから助かった。
ヘリオスは俺が勧めると、早速本屋に走って購入し、徹夜で読破したそうだ。
そして、これまでの自身の行いがいかに愚かであったか――まるで当て馬にされている悪役令息のようだ、と反省し、マリーとの接し方を改めている最中なのだ。
「――ヘリオス、あなた、最近おかしいですよ?
たびたびそうやって自身を殴りつけるのを目にしますが、なぜそんな事をしているのです?」
と、ヘリオスの奇行を目にして、マリーが彼に歩み寄り、彼の頬に触れた。
「――癒せ」
前置詞なしの簡易化された喚起詞は、それだけマリーが治癒魔法に長けている証拠だな。
きっと旅の間、無茶ばかりするアリシアの為に喚起し続けた結果、自然と上手くなったのだろう。
全力で殴りつけたのか、やや青紫になって膨らんでいたヘリオスの頬は、しかしマリーの治癒魔法を受けて元の浅黒い肌に戻っていく。
「――ふぁっ!? マ、マリー、さん!?」
……いや、むしろ顔全体が赤くなっていってるな。
「本当になんなんですか? 急にさん付けなんてして。
それより無闇に自分を傷つけるものではありませんよ?
せっかくご両親に男前に産んでもらったのですから」
グランゼスの男が強さを女性に誇るように、この領の女もまた、男に好意を持つ価値基準は強さで、顔の造作――その美醜はあまり気にしない。
現にあの強面で、決して美丈夫とは言い難い大叔父上の事を、大叔母上はひと目見て恋に落ちたと聞くからな。
当時の大叔母上は、ローダイン王国の三大美姫に数えられるほどのご令嬢だったそうだ。
そんな彼女が大叔父上に惚れて婚約を求めたと社交界に広まった時は、美女と野獣の組み合わせと散々揶揄されたらしい。
大叔母上は恐らく大叔父上が放つ魔動の強さを感じ取り――自身もまたグランゼスの子として鍛えていたからこそ、その強さに惚れ込んだのだと思う。
ふたりの婚姻にまつわる逸話は、いまでは恋物語として本になり、グランゼス公爵領は腕に自信はあるものの容姿に自信を持てない者達の、恋の聖地となっているのだ。
そんなグランゼス領生まれのマリーが、ヘリオスの容姿を口にしたのが俺は気になった。
――マリーもまた、ヘリオスに好意があるのだろうか?
だが、彼女からはそんな素振りは感じない。
……いや、恋愛素人の俺に女性の好意を見抜ける目があるかと言えば、怪しいものだが。
「――オ、オレが男前!? そ、それって……」
ヘリオスもまた、俺と同じ推測に行き着いたようだ。
彼は自分の頬に触れるマリーの左手を取るべきか迷うように、その両手をさまよわせている。
若手騎士達がヘリオスを応援するように拳を握り、熟練騎士のおっさん達は面白がって、にやにやとした嫌らしい笑みを浮かべていた。
「――ええ。姫様と共にあちこち旅をしましたからね。
その時に見かけた、容姿を誇る役者や貴族令息と比べても、あなたは遜色ないと思いますよ?」
……そうか。相対比較での発想だったか。
「あ……そういう……」
ヘリオスもまた理解に至ったのか、ひどく間の抜けた声色で呟いた。
しかし彼は首を振り――意を決したようにマリーの左手を両手で掴む。
「――マ、マリー! おまえ自身はどう思うんだ!?」
――バカが! 今は退く局面だろう!?
「どう思うって……本当になんなんですか!?
――ヘリオス、手を離しなさい。新手のイヤガラセですか?」
マリーの声が、先程までと打って変わって苛立ちを含み始める。
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