第3話 18
あたしがリディア達に指定された店に辿り着いた時、イライザはお酒を呑んで、すっかりできあがっていた。
足の固定された丈夫な丸テーブルの上には、領の特産のりんご酒を蒸留した強めのお酒の瓶が、すでに五本も転がっている。
「あ、ほら、イライザお姉ちゃん。アリシア様、来たよ。聞きたい事あるんでしょう? ちゃんとしよう?」
と、テーブルに突っ伏すようにして、チビチビと木杯の蒸留酒を舐めるイライザの肩を、ダグくらいの女の子――確かマチネという名前だったはず――が、揺すりながらあたしを指差す。
あたしは彼女達のテーブルに歩み寄って、まず第一声、疑問を口にした。
「……なんで居酒屋なの?」
リディアもイライザも、あたしと違って女の子らしい人だから、てっきり喫茶店なんかでお菓子をつつきながら談笑していると思ったんだけど……
「あはは。
……それが……事実を知ったイライザが、すっかり拗ねちゃいまして」
イライザの隣で同じお酒が注がれた木杯を手に、リディアが苦笑する。
それほど呑んでいないのか、彼女の顔色は普通に見える。
リディアが言うには、初めふたりは子供達を連れて城下めぐっていたらしい。
この街出身のミリィの案内で、市場や職人街にある工芸品工房を見て回り、子供達は大はしゃぎだったという。
そうしてお昼になり、昼食はミリィの叔母が経営する食堂で取り――そこで先日の……アルがイライザに口づけしようとした、真の理由を聞かされたのだとか……
それでミリィが――こんな時は酒! お酒の力を借りましょう!
と、この店に案内したのだとか。
ミリィ自身は、年少組を連れてとっくに城に帰ったらしい。
「……ウチ、アーくんもそうして良いって思える程度には、ウチの事気にかけてくれてると思ってたのに……まさか、医療行為と考えていたなんて――」
リディアが説明を聞くうちに、また感情が昂ぶってきたのか、イライザは身体をテーブルから起こして木杯を一息に煽った。
あたしは思わず鼻を鳴らす。
「いまさらなに言ってんのよ。だからあたしが止めたんでしょ?
絶対にそういう意味じゃないって、わかってたもん。
あのバカ、乙女の唇を軽く考えすぎなのよ!」
あたしの言葉に、テーブルを囲む三人の目が集まる。
そんな三人を尻目に、あたしは手を振って女給を呼んで追加の料理とお酒を注文した。
すぐにりんご酒入りの木杯が運ばれてきて、あたしは三人に掲げて見せて、それを煽る。
酔っぱらいの相手を素面でするもんじゃないのは、<竜牙>騎士の酒盛りでイヤというほど思い知らされてるからね。
りんご酒は甘くさわやかな口当たりとは裏腹に、実は強いお酒だったりする。
王都の宴では、呑み慣れないご令嬢を酔わせて良からぬ事をするのに使われたりもしてるって聞いた事がある。
まあ、あたしは呑み慣れてるから、りんご酒くらいじゃ正体をなくすほど泥酔したりはしないけどね。
即座に木杯を空にしたあたしは、テーブルの上にある酒瓶の中身を注ぐ。
「あ、アリシア様。こうするとより美味しいですよ」
と、あたしの呑みっぷりに唖然としていたリディアだったけれど、あたしが蒸留酒を注ぐのを見て、木杯の口に手をかざした。
「――来たれ、氷精」
それは魔法の喚起詞。
あたしの目には、周囲の精霊がわずかに動いて、現実を書き換えるのが見て取れる。
「はい、どうぞ」
笑顔でリディアが差し出した木杯には、すでに注いだ琥珀色の蒸留酒の中に大粒の氷が浮いていた。
「……あんた、魔法をそんな風に日常的に使ってるの?」
そんな話、聞いたことがない。
これでも冒険者として長く旅をしていたから、庶民の暮らしは知っているつもりだよ?
裕福な家が魔道器を使って、生活を豊かにしているのは見たことがある。
例えば氷を造る魔道器や、食品を冷やして長期保存する氷室のような魔道器というのは存在するよ。
他にも火を起こす魔道器や、竈のような役割を果たす魔道器さえあって、貴族や豪商の家で使われているんだ。
でも、それはあくまで用途を限定された魔道器での事だよ。
「え? ええ。お城に勤めていた時に、先輩侍女の方に教わったんです。
あいにくわたしはそれほど魔動が強いわけじゃないので、攻性魔法なんかは喚起できませんけどね。
火起こしや農作業には便利なんですよ?」
あたしの問いに、リディアは苦笑する。
なんでも、急いでる時なんかは畑の水やりを水精魔法で行っているんだとか……
……とんでもない話だよ……
魔法というのは、世界を書き換える唄――喚起詞を正しく唄い、そこに適切な魔道を通す事で喚起される現象――技術だ。
だから使うには、喚起詞を覚えるだけじゃなく、魔道の制御もしっかり学ぶ必要があるんだ。
一般的に庶民であっても、魔法を喚起できたなら、それだけで領館なんかへの仕官の口に困らないと言われてる。
役人に貴族が多いのは、連綿とその血脈に受け継がれてきた強い魔道器官を持つからで、彼ら彼女らは、王都の学園に通う事で魔法の使い方を学ぶ事で、役人に取り立てられているんだ。
――アジュアお婆様から、この国の興りや魔道器官について詳しく教えられているあたしには理解しづらい概念だけど。
要するに、強い魔動を持つ者、巧みに魔法を喚起できる者ほど、その血脈の尊さを証明している、と――貴族達は思い込んでいるらしい。
……リディアは貴族としては三代目――彼女のお祖父様が叙爵された新興貴族で、学園には通っていないって聞いてる。
それなのに日常的に魔法を――魔道器的に使っているなんて……
あたし達、武に関わる者にとって魔法とは戦う為の技術だ。
一方、魔道を専門に扱う魔道士達にとっては、魔法とは研究すべきものであり、同時に秘匿すべきものとして扱われる。
貴族達にとっての魔法は、あくまで血の証だ。
魔法を学んだ者であっても――いいえ、学んだ者だからこそ、魔法は特別な技術という観念に捕らわれて、日常的に――それこそ魔道器のような、道具のように使ったりはしないんだよ。
……だから。
一般的に魔法を日常生活に用いようとする人は、この国にはほとんど居ないんだ。
あたしが知っている限りでは、そんな事してるのは、アジュアお婆様――あの人はそれこそ物を取るのに手の代わりに念動の魔法を使ったりしている――と、
ローダイン王国の魔道の大家、ベルノール侯爵家の令嬢であるレイリアお姉様は、魔法を多くの人の生活に役立てたいと仰って、様々な魔道器を世に送り出している。
アジュアお婆様と似た雰囲気と思考をする人で、ちょっとだけ苦手だったりするけれど、その理想は尊敬してるんだ。
そんなふたりと同じ発想をしてのけるリディアを、すごいと思う。
いや……考えてみれば、彼女はあのダグに勉強を教えてるんだったね……
あの子が利発なのは、彼女のこういうところを見て育っているからかもしれない。
先輩侍女に教わったと言っていたけど、その人の出自が気になるなぁ。
その人の教え方がよかったのか、それともリディアの理解力が優れていたのか。
「ん~? それくらいならあたしもできるよ?
リディアお姉ちゃんみたく、おっきい柱を作って涼んだりはまだムリだけど」
と、リディアの話を聞いて驚くあたしに、マチネが不思議そうに首を傾げる。
「は?」
あたしが彼女に顔を向けると。
「んふ、見ててね?
――来たれ、氷精」
マチネは
途端、指先ほどの氷がいくつも生まれ、ぽちゃぽちゃと音を立てて
「リディアお姉ちゃんが教えてくれてるから、これくらい、村の大人ならたいていはできるよね?」
マチネはリディアを見上げながら、心底不思議そうにそう訊ねた。
「――どうなってんのよ、バートニー村!」
あたしは思わず声を張り上げたよ。
リディアの教え方がよほど上手いのかな!?
ウチの領民のように、先祖がアジュアお婆様に直接鍛えられたというならわかるんだよ。
その魔道器官は、領民――それこそ庶民にさえ受け継がれていて、他領の民と比べて屈強な性質を持っているからね。
でも、バートニー村の民はなんなの!?
少なくともあたしが知る限りでは、彼らがお婆様に鍛えられたという話は聞いてない。
そもそも開拓民があの地に入植したのは、リディアのお祖父様の代――詳しくは知らないけど、多く見積もっても五十年ほど前の話だもの。
その頃、お婆様は地下大迷宮で自堕落な生活を送っていたはず……
ううん……それに村人全員が魔道器官に恵まれているとは考えにくいから、本当にリディアの教え方が良かったとしか思えないよ。
マチネみたいな小さな子に魔法を教えられてるんだから、リディアは学園――それこそ王立でさえ講師としてやっていけるんじゃない?
……まあ、領主を継いだばかりというから、それどころじゃないんでしょうけどね。
アルのヤツ、実はとんでもないトコで暮らしてるじゃない。
アイツ、村の防衛を強化する為に<竜牙>騎士を傭兵の教導に招きたいとか言ってたけど、村人を育成した方が早いんじゃないの?
「え、ええと……普通の開拓村ですよ?
特産がお芋しかない、田舎の農村です」
あたしの驚愕の叫びに、リディアは困ったようにそう告げる。
「……あんたがそう思い込んでるのが、あたし、一番怖いわ……」
ああ、ダメだ。
酔った頭で、あまり突っ込んで聞かない方が良い気がする。
なんかあたしの勘が、大事な事が秘められているのを感じ取ってるよ。
この手の予感は外れた事がない。
きっとなにも考えずに深入りしたら、後に引けなくなるやつだ。
この話題は、素面の時に改めて尋ねるべきだと思う。
あたしは木杯を煽り、一度、この話を忘れる事にした。
「……ふう。
ん! 話を戻そう!
えと、なんの話をしてたんだっけ……」
「そうそう。ええと、アリシア様はあの時のアルの考えをご存知だったのですか?」
ああ、イライザに口づけしようとしていたアルを止めた時の話だったっけ。
確か医療行為みたいなものだとアルが考えてて、それを知ったイライザが荒れてたのよね。
そこまでを思い出し、あたしはリディアの質問にうなずきを返す。
それからテーブルを囲む三人を見回して、あたしははっきりと断言してやった。
「そもそもあいつ、自分が誰かに――女の子に好かれるなんて思ってないんだよ」
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