第3話 19
「そもそもあいつ、自分が誰かに――女の子に好かれるなんて思ってないんだよ」
あたしの言葉に、リディアとイライザは目を見開く。
「――王太……ええと、あの立場に居たというのに!?」
イライザは酔ってはいても、言葉を選ぶ程度の分別は残ってたみたいだね。
声を落として身を乗り出しながら、そう訊ねてくる。
あたしは頬杖突きながら木杯を傾け、苦笑と共にうなずいた。
「そういう立場だからこそ、だね。
良いかい? あたし達王族は――なによりその直系はさ、始祖王アベルとアジュアお婆様の血と知識、そして技術を後世に繋ぐ事が至上の命題と教えられるんだ。
あいつにとって、婚約や婚姻は血を次代に繋ぐ為の義務みたいなもんでね」
アジュアお婆様は血の継承には、かなり熱心だった。
他国の血が混じった者は子孫ではないと言い切るほどに、ローダインの血に傾倒しているんだ。
――本物と模造品が混じり合ってしまった今、いずれ来るべき時に備えて、確実に味方となるものを用意するのは当然だろう?
と、よくわからない事をアジュアお婆様は言っていたっけ。
この世界には再生人類とその血脈が多くなりすぎて、純血種はもう数えるほどしか残ってないとかなんとか……
まあ、この辺りの話は、あたし自身もよく理解できてないんだから、リディアやイライザに話したりはしない。
あたしは木杯を置いて、女給が運んできた川魚の衣揚げにフォークを突き立てる。
衣に香辛料が混ぜ込まれているのか、あっさりとしているはずの魚の身にほどよい辛味が効いていた。
酒精の強い蒸留酒によく合っていると思う。
それからあたしは言葉の続きを待つリディアとイライザを見回して。
「だから、あいつは恋愛なんて概念と感情は、最初から持ち合わせてないんだよ」
あいつの事は、小さな頃から一緒だったからよくわかってる。
アルは年頃になったら当然のように抱く、男女間の特別な感情がわかってない。
ううん。そういうものがあるという事は理解しているけれど、それが自分にもあって、起こり得るものだとは、最初から考えてないんだ。
そうなった理由は、いくつか想像できる。
――ひとつはアジュアお婆様による教育。
あの血統維持の教えによって、アルの価値観が歪んでしまったのは間違いないと思う。
同じ教育を受けてきたはずの歴代陛下達が歪まずに済んでいたのに、なぜアルだけがそうなのかというと……
「……あいつは……本当ならそういう感情を教えるはずの母親……レリーナ様を幼い頃に失くしてるからね……」
王、あるいは王族は、その権威の重さと、アジュアお婆様によってもたらされる超常の知識によって、常人とは異なる価値観と常識を身につけた――一種の怪物と言って良い。
そんな彼らを癒やし、人の身に留めさせ、人の価値観を次代に教える事こそが、王妃、王太子妃の真の役割なんだ。
アルの不幸は、それを――男として女を愛し、慈しむという感情を教わる前に、母親を失ってしまったという事だね……
それでも大伯母様――先代王妃様がご健在なら、きっと違ったのだと思う。
でも、大伯母様はミハイルおじ様をお産みなった際に身罷られてしまっているから……
そう考えてみれば、ミハイルおじ様もアルみたくなってても不思議ではないんだけど、幸いな事におじ様には、曾祖母様がいらっしゃった。
大伯父様やおじいちゃんをアジュアお婆様の元へ送り出してきた曾祖母様は、
そうしてミハイルおじ様は、レリーナおば様と出会い、人として愛を育み、アルを得る事ができた。
――でも、幼くしてふたりに遺されたアルには、そんな人が居なかった……
「……そういう感情を理解できないまま、血を繋ぐ義務だけを教えられてさ。
そのうえ、寄ってくるのはアル自身じゃなく、王太子妃という立場に魅せられたバカ女ばっかり。
――拗らせると思わない?」
あたしの言葉に、リディアとイライザが表情を曇らせ、マチネはよくわからないというように木杯の中の
「まあ、これに関してはあたしに責任がないというワケでもないんだけどね……」
あまり公にはなっていない話だけど、この場なら――この三人になら話しちゃっても良いと思う。
「昔、ね。まだミハイルおじ様もレリーナおば様もご健在だった頃だから、五つか六つ頃かなぁ?
――ダグやマチネより小さな頃だったと思うんだけど、あたしとアルに婚約話が持ち上がった事があるんだよ」
あたしの前に座るリディアとイライザが息を呑み、マチネが目を輝かせて身を乗り出してくる。
あの頃はまだ、あたしもアルもアジュアお婆様のトコに行く前で、歳が同じという事もあって、よく一緒に王城で遊んでたんだよね。
「ああ、あくまでそういう話があったってだけだよ?
ウチの両親とアルの両親が仲良くて、政治的にもちょうど良いって大伯父様もノリ気になってたようなんだよね。
ただ……あたし達がね……」
そういう話を理解しないまま――長い時間を一緒に過ごして、あたし達は仲良くなって行ったんだ。
「……婚約について、あたしとアルが考えさせられ、それがどういうものなのか理解させられたのは、互いを親友と呼び合うようになった頃かな……」
苦笑交じりに告げると、三人は続きを促すようにあたしを見つめる。
「結論から言うとね、あいつはよくわからないままにあたしをフって、あたしはその場でブチギレたのよね……」
「――え?」
「――ブチギ? え?」
まあ、そうだよね。意味わかんないよね。
「順番に話すとさ、あたしとアルが余りにも親しくなり過ぎたから、他にも友人を持たせるためにと、同年代の子供達を集めて、お茶会が開かれたんだ……」
あの日の事を思い起こすと、今でも少しだけ胸の奥が痛む。
でも、あの日を後悔できるのは、あたしがそれだけ分別がつけられる程度に成長したからで……
あの日の出来事がなかったら、あたしは無知で愚かな――それこそアルの婚約者となったアイリスのような、傲慢な女になっていたかもしれないね。
あたしは胸の奥のかすかな痛みを誤魔化すように、木杯の中身を煽る。
喉を流れ落ちる苦味が、痛みを和らげてくれた。
……それじゃあ、語ろうか。
失敗だらけの人生を送ってきたあたしの――
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