第3話 14
グラート爺に引きずられるようにして、俺は一週間ぶりに公城の外に出た。
城下に繰り出して、酒盛りに興じようというのだ。
鍛錬場の入り口で合流したダグ先生は、グラート爺の隣を歩いて、アレコレと質問している。
というかグラート爺。逃げやしないからいい加減、肩を離して欲しい。
リディアの父――バートン男爵と出会うより前の、宴に忌避感と軽い恐怖を覚えていた頃の俺を知っているからか、グラート爺はいまでも俺が宴嫌いと思っているようで、その太い腕で俺の肩を抱えたまま離してくれないんだ。
俺達の後ろには、騎士達が思い思いに雑談しながらついて来ていた。
名目としては俺との再会祝い兼歓迎会ということだが、単に騒ぎたいだけというような気もする。
とはいえ公城に詰める騎士すべてが参加しているわけではなく、あくまで今日、訓練に参加していた<竜牙>騎士だけだ。
この公都にいる騎士すべてが参加しようとしたなら、城下の呑み屋ではなく城のホールを用いる必要があるだろう。
「――え? じゃあグランゼスの騎士全員が<竜牙>騎士ってわけじゃないの?」
グラート爺の話を聞いていたダグ先生が、驚いたように問い返した。
「他領の者はみなそう捉えておるようだがな。
実際の<竜牙>は、グランゼス騎士総勢千五百余名のうち、一割にも満たんのだよ」
対するグラート爺は、
そうそう。俺も子供の頃は勘違いしていたものだ。
――大昔から、アグルス帝国の度重なる侵攻を防ぎ切ってきたグランゼス公爵領。
その最大戦力たる<竜牙>騎士団の名は、ローダイン王国内ではあまりにも轟き過ぎていて、グランゼス騎士と言えば<竜牙>騎士というように思われがちなのだ。
実際のところ、グランゼス騎士の大半は陪臣家に仕える騎士達で、その大半が大叔父上から管理を任されている土地に駐屯している。
公都にいる騎士はそういった陪臣家の子息達で、公城で鍛錬を積み、嫡子ならばいずれは父の跡を継いで管理地へ戻り、そうでないものはそのまま騎士として公都で騎士を続けるか、跡継ぎである兄弟を助ける為に管理地に戻るかの選択をすることになる。
グラート爺の言う千五百余名のグランゼス騎士のうち、公都に常駐しているのは延べ三百名ほどだろうか。
それに加えて公都には、主に庶民で構成された治安目的の専任衛士隊が五百名、予備戦力として引退した騎士や、半兵契約をしている冒険者で構成された兼任衛士隊が千名ほど詰めている。
そんな公都を守るグランゼス騎士の中で、厳しい試験を乗り越え、日々の鍛錬を乗り越えた者だけが、<竜牙>騎士を名乗る事が許されるのだ。
その総数は他領の者が考えるよりずっと少なく、鍛錬中の事故による怪我などで脱落する者も多い為、グラート爺がダグ先生に説明していた通り、グランゼス騎士全体の一割以下――わずか百名前後しかいなかったりする。
そういったグランゼス騎士団の内訳を、グラート爺はわかりやすい言葉を選んでダグ先生に説明した。
そうしている間にも俺達は、貴族街や行政区画を抜けて、下町に差し掛かっていた。
グランゼス領都は城郭都市として発展した経緯を持つ。
都を囲う最外壁は数十年ほど前から主流となっている城塞建築方式で築かれた、星型防壁なのだが、その内部はさらに公城を中心として二重の旧防壁に覆われている。
公城の城壁のすぐ外には、城に務める陪臣達の屋敷が軒を連ねる――いわゆる貴族街が広がっている。
そこから第一防壁を抜けると、民達の生活を支える役場が建ち並ぶ――行政区画だ。
ここまで来ると、チラホラと庶民の姿も見受けられるようになってくる。
ちなみに他の領でもそうなのだが、治安維持を目的とした衛士の屯所は行政区画にはない。
彼らには城下の四方にある都門のすぐ横に屯所が設けられており、大半の者はさらに辻ごとに設置され少人数向けの詰め所に交代で駐在している。
第二防壁を抜けると、いよいよ城下だ。
「なあ、グラートじいちゃん。なんでこの街って、こんなクネクネ曲がりくねってるんだ? まっすぐの方が便利じゃねえの?」
と、道を進むうちに、ダグ先生が再びグラートに訊ねた。
ダグ先生が言う通り、グランゼス城下の道は
最外壁が築かれた折に、当時のグランゼス公が直進できる大通りを禁じたらしい。
その理由は――
「……フフ。おまえの言う通り、平時ならば直路や大通りがあった方が便利だろうな。
だが、ダグよ。考えてもみい。この地はローダイン王国の西の果て――国防の要たるグランゼスの中心地だぞ?
この領の西にはなにがある?」
「ん? ちょっと待って。今、地図を思い出すから」
逆に問われて、ダグ先生は腕組みして、記憶を掘り返すように頭をひねった。
「西には……アグルス帝国があって……」
そこまで呟き――ダグ先生は答えに行き着いたようだ。
「――そっか! 帝国に領内深く――公都まで侵攻された時の事を想定してるんだな?
それも防壁を突破された後の最悪の状況――都市内での抵抗戦を想定してるんだ!
どう? 合ってる!?」
嬉しそうに顔をあげてグラート爺に尋ねるダグ先生に、俺とグラート爺は驚きを隠せなかった。
「あ、ああ……」
グラート爺がほのめかした、たったあれだけの言葉で、ダグ先生はそこまでを読んでみせたのだ。
昔、俺が同じ質問をした時もグラート爺は、今回と同じように問いかけてきた。
だが当時の俺は、この都市がアグルス帝国からの防衛を目的としている事は理解できていたのだが、それと城下の曲がりくねった路地を関連付ける事はできなかった。
「……殿――っと、アル坊……」
グラート爺が、思わず口を滑らせそうになるほどに困惑している。
「この小僧、庶民の子と聞いていたが、何者だ? この歳で防衛軍略を理解しておるぞ……
本当はどこかの貴族――いや、あるいは在野の軍略家の子息なんだろう?」
「いや、正真正銘、辺境の開拓村――バートニー村の漁師の孫息子だぞ。親は百姓だ」
俺もダグ先生の利発さに驚いて、同じ事を考えた事もあったから、グラート爺の驚きは理解できる。
貴族かなにかの落胤ではないのか、とな。
しかし、俺は村での寄り合いでダグ先生の両親とは何度も話している。
彼らはダグ先生を大切に想っていて、実子である事は疑いようもないのだ。
そもそも賢いのはダグ先生に限った話ではない。
「ふたりとも驚いてるけどさ、あれだけ手がかりをもらえたら、オイラじゃなくても……う~ん、悔しいけどマチネも同じ答えを出せたと思うよ?」
と、ダグ先生はマチネを認めるのが悔しいのか、顔をしかめて苦笑する。
「ああ、そうだろうな」
俺が肯定すると、グラート爺が再び目を見開いて俺を見る。
「なぜ庶民の子が軍略を!?」
「リディア姉ちゃんの屋敷にある本の中には、軍記モノもけっこうあるんだよ。
この街がクネクネしてて細いのは、大軍で一気に城まで攻め込まれない為と、防衛側が抵抗作戦を展開しやすくする為だよな?」
ダグ先生は自分がしっかりと理解できている事を示すように、その理屈まで説明してみせた。
「――最初は戦用とは思わなかったから気づかなかったけどさ」
それから照れくさそうに頬を掻き、頭の後ろで腕を組んで笑う。
「考えてみれば、戦史小説のロムレース皇国興亡記に出てくる城塞都市にそっくりなんだよな!」
「おまえ、その歳であの長い本を読めるのか!?」
ダグ先生が告げたロムレース皇国興亡記というのは、二十年ほど前、とある在野の軍略家が史実を元に発表し、現在も続刊中の大長編軍記小説だ。
その軍略、戦略の描写の巧みさが評価され、騎士を志す者なら一読すべきと言われるほどに評価されている作品でもある。
「うん。でも、リディア姉ちゃんは興味ないみたいでさ、領主のおっちゃんが亡くなってから続きを入れてくれなくて、途中で止まってるんだ」
この時になって、ようやくグラート爺の両手が俺の首から剥がれた。
代わりにグラート爺はダグ先生の肩に両手を置いて尋ねる。
「どこまで読んだ? 続きならワシが用意してやろう!」
あ~、そういえばグラート爺もあの作品の熱心な信者だったな……
幼い頃、よく布教されたものだ。
「え? 良いのか? サザンドーム防衛編までは読んだんだけどさ、あれってちょうど主人公の兵騎が壊れるトコで続くだろ?
すっげえ続きが気になってたんだ!」
「おお、なんという事だ! 中盤の山場ではないか! そんな良い所で止められるとは……よしわかった。ダグよ。明日はワシと共に本屋巡りだ! 最新刊まで買い揃えるぞ!」
「――ええ!? 買うって……じいちゃんが持ってるのを読ませてくれるだけでいいのに……」
辺境育ちのダグ先生にとって、本は高いものという意識が強いのだろう。
ダグ先生は困ったように、グラート爺と俺を見比べる。
「――なにを言う! あの名作――いやさ神作は、何度も読み返してこそ深みが増すのだ! 同志の為なら、ワシはいくらでも財布を開こうぞ!」
鼻息荒くそう告げるグラート爺に、俺は苦笑してダグ先生に頷いた。
「買ってもらうと良い。爺は昔からあの作品の布教には熱心なんだ。
お返しに感想を手紙で送ってやれば、それで満足するはずだ」
「ホント? 本当にそんなんがお返しで良いのかい?」
俺がそう言うと、ダグ先生は遠慮がちにグラート爺に尋ねる。
「おうともさ! おまえの歳でそこまであの作品を理解できておるなら、きっと面白い感想を貰えるだろう。今から楽しみだ」
「じゃ、じゃあ……ありがとう、じいちゃん!」
心底嬉しそうに顔をほころばせるダグ先生の栗色の頭を、グラート爺は優しく撫でて――
「ではダグよ。さっそくこの後、おまえが読んだところまでの感想を聞かせてもらおうか!」
豪快な笑みを湛えたまま、ダグ先生を肩の上に担ぎ上げた。
「うわっ!? うわわ!?」
慌ててグラート爺の頭にしがみつくダグ先生。
「……おいおい、ダグ先生は孫じゃねえんだぞ」
思わず俺は苦笑してしまう。
一方、後ろを着いてく騎士達は、団長であるグラート爺に気に入られた少年の素性について、あれやこれやとかすりもしない憶測が飛び交い出していた。
ダグ先生には激甘に見えるグラート爺だが、騎士達にとっては鬼の団長閣下だからな……
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