第3話 15

 グラート爺が案内したのは、下町の片隅にある大衆食堂だった。


 予め話が通っていたのか、俺達以外には客がおらず、貸し切り状態だった。


「――ようこそ、いらっしゃいました!」


 そう言って俺達を出迎えたのは、エプロン姿のマリーだった。


「む? なぜ君がここに?」


 俺が首を傾げると、彼女は右手で店内を示しながら笑みを浮かべる。


「ここ、私の叔母の店でして。よく<竜牙>の宴会に使われるんですよ」


 ラボ・シップで目を回した彼女は、目覚めてすぐにせめて俺の歓迎会の段取りだけでもと、城から店まで走って用意していたのだという。


「おう、マリー! そうしてればまともな女に見えるな!」


 と、ヘリオスがマリーにからかいの言葉を投げつける。


「そんな事しか言えないから、貴方はいまだに独り身なんですよ」


 しかし、マリーは慣れているのか、手にしたトレイで扇のように口元を隠し、ヘリオスをやり込めていた。


「うむ。今のはヘリオスが良くないな。マリーは今も騎士としても、立派だし美しいだろう?」


 ただ着飾るだけなら、金さえかければいくらでもできる。


 だが、マリーの立ち居振る舞いは、積み重ねられた鍛錬に裏打ちされた内面から溢れ出るもので、身に着けた衣装に左右されない確固たるものだ。


 恐らくはアリシアの専属従士になる為に、武だけではなく――あらゆる場に同行できるよう、礼儀作法すらもしっかりと学んだのだろう。


「――は!? ア、アニキ!?」


「――ア、アルさん!?」


 ヘリオスとマリーの驚きの声が重なる。


「……む? なにを驚く? 人の真の美しさとは、立ち居振る舞いにこそ宿るんだぞ?」


 俺も王族として、他者に侮られないようにと、ババアによって立ち方から仕込まれたからわかるのだ。


「あ、ああ……そういう……」


 なぜかヘリオスがほっとしたような表情を浮かべ。


「殿――アルさん、そういう事はもうちょっと言い方を考えないと、いらぬ誤解を招きますよ」


 と、マリーはやや赤みを帯びた顔をトレイで扇ぎながら、そう忠告してくる。


「ふむ。どうやら言葉選びを間違えたか。すまない。今後は注意しよう」


 素直に謝罪すれば、マリーは慌てたように手を振りながらも謝罪を受け入れてくれて、それから俺達を席に案内してくれた。


 広めな四角いテーブルが並ぶ店内で、それぞれがテーブルを囲むように席に着く。


 俺の隣にはヘリオスとグラート爺が座り、ダグ先生はグラート爺の隣だ。


 マリーが手配してくれていたからか、すでにテーブルの上には大量の料理が並べられていて、女給達が各テーブルに酒をなみなみと注いだ木杯を配っていく。


「ダグくんは、果実水ジュースをどうぞ」


 騎士達に配られているよりやや小振りな木杯を手に戻って来たマリーは、そういってそれをダグ先生に差し出した。


「グランゼス特産のりんごジュースです」


 やや黄色みがかった白色の液体の中で、魔法で作ったと思しき氷がカラリと音を立てる。


 俺達に配られた酒もまた、グランゼスの特産であるりんご酒だ。


 全員に木杯が行き渡ったのを見届け、グラート爺が立ち上がる。


「今日はアル坊という新たな仲間を迎えられた事を祝う席だ。

 皆、明日からの鍛錬に備え、大いに英気を養うと良い!」


 手短にそう告げ、グラート爺に視線を向けてくる。


 どうやら俺にも挨拶をしろという事らしい。


 俺は立ち上がって、周囲の騎士達を見回した。


 以前から知っている古参連中はともかく、若手連中からも出会ったばかりのような敵愾心や警戒心はなくなっていて、生真面目な顔で俺を見つめている。


「あ~、こんな怪しい出で立ちの俺を受け入れてくれて、ありがたく思う。

 人に教えるという経験はないのだが、諸君らの武の成長に貢献できるよう、精一杯務めさせてもらうつもりだ」


「おいおい、多少は加減してくれよ!」


 と、古参のひとりが軽口を叩く。


「ちげえねえ。アル坊の基準で鍛錬させられたら、俺らでも辛えわ」


 その隣の古参騎士もまた、苦笑してそれに応じた。


「……先輩達でも辛いって……」


「ア、アニキの鍛錬って、いったいどれほどなんだ?」


 それを見た若手騎士達が顔を青くしていた。


「おまえ達、あまり若い衆を脅かすもんじゃないぞ」


 グラート爺もまた苦笑交じりに古参達に注意して。


「まあ、今日は楽しむがいい! 、な!」


 そう念押しするように告げれば、古参達は一斉に爆笑する。


「――団長が一番、脅してんじゃねえですか!」


 そんなグラート爺達に、若手の表情はますます引きつったものに変わっていった。


「……いや、そんな無茶はさせるつもりはないのだがな……」


 いずれはここにいる誰かに、バートン領にいるジョニス達、黒狼団への教導をしに来てもらわなければいけないのだ。


 ババアが俺達にしたような、ほどの鍛錬をさせるつもりはない。


 うむ。人に鍛錬をつけるなど初めてだが、きっとアレを少し楽にしてやれば良いだけなはずだ。


 そんな事を考えている間にも、グラート爺は木杯を掲げる。


「――では、乾杯だ!」


 それに応じて騎士達もまた木杯を掲げて打ち合わせ、その中身を一気に呑み干す。


 待ちかねたように女給達が酒瓶を手にやって来て、空になった木杯におかわりを注いで回り始める。


「――うっま! このりんご? っていう果実水ジュース、うっま!」


 ダグ先生が目を丸くしながら、隣に座るグラート爺に告げた。


「ああ、うまいだろう? なにせ興国の頃から品種改良を続けて来られた、グランゼス領の特産だからな!

 ――ああ、マリーよ。果実も持って来てやってくれ。果実水ジュースが気に入ったなら、実もイケるだろう」


 と、グラート爺に頼まれて、マリーが厨房に向かう。


 グラート爺はもはや完全に、孫のご機嫌取りをする祖父の体だ。


 とはいえ、俺もグランゼスのりんごはうまいと思う。


 今呑んだりんご酒も、同じ発泡酒の麦酒と違って苦味が少なく、それでいて同じ果実酒のワインと違って渋味や辛味も少ない為、本当に呑みやすいと思う。


 ほのかな酸味と甘さ、そしてなにより杯底から沸き立つ細かな泡が、喉を通る時に心地いいんだ。


 アグルス帝国との戦が多いグランゼス領は、麦作はあまり行われていない。


 公都より東側ではそれなりに作付けされているものの、その大半は領内で消費し切ってしまう程度の規模なのだ。


 なにせ麦は、戦が起これば真っ先に焼かれてしまうからな。


 同じ理由で畜産もそれほど盛んには行われていない。


 食肉用の家畜は隣接する領から連れて来られ、市場の裏で加工されて店先に並べられるらしい。


 そんなグランゼス領で、りんごが特産となっているのは、りんごが山地の斜面でも育成できるからだ。


 むしろより鮮やかな赤みを出すには、山地の傾斜によってもたらされる豊富な日照こそが適しているらしい。


 戦は基本的に平野で行われ、山地が戦場になる事は稀だからな。


 つまりグランゼス公爵領でりんごが特産となっているのは、それでも農業を諦めなかった百姓達の工夫と努力の賜物と言って良いだろう。


 この領には、りんご酒だけではなく、りんごを扱った菓子なども多く存在している。


 百姓達の努力の結晶である果実を、料理人達がさらに昇華させているというわけだ。


 グランゼスの民のたくましさを、改めて眩しく思う。


「……いずれ俺も、バートニー芋を……」


 興国以来、この地の百姓達が改良を続けてきたグランゼスりんごに、すぐに敵うとは思ってはいない。


 だが、バートニー芋が秘める潜在能力はきっと負けていないと、俺は思うのだ。


 スパイスの利いた揚げ鳥を食いながら、そんな事を考える。


 ……ふむ、旨いな。


 鳥肉と言えば、焼くか煮たものしか食べたことがなかったが、揚げたものもなかなかにうまい。


 大量調理が可能な揚げ物は、庶民の食い物として王宮では出されたことがなかったのだ。


「……これもまた、バートニー芋の調理に応用できるのではないだろうか?」


 村に戻ったら、試してみよう。


 茹でただけであれほどに旨いのだ。この鳥のように揚げたならきっと……


 と、俺がバートニー芋が秘める可能性について考えていると。


「――ア~ニキ~。アニキはどう思います~?」


 すっかり出来上がったヘリオスが、間延びした口調で俺に訊ねてくる。


 どうやら隣の同僚と会話について、意見を求めているようだが……


「む、すまない。少々、考え事をしていて聞いていなかった」


 素直にそう告げると、ヘリオスはへらりと笑って、話題の内容を教えてくれた。


「だぁら、姫様の見合いについてっすよ~」


「……あいつが、見合い?」


「あれ? 聞いてなかったんスか? オレぁ、てっきりその為にアニキが呼ばれたのかと……」


 いや、初耳も良いところだ。


 あいつの見合い話に、なぜ俺が呼ばれた事が関わっていると思うのか。


 どうも嫌な予感がしてならない。


 幼い頃からの経験則に裏打ちされた、信頼性の高い予感だ。


 また面倒事に巻き込まれる気がしてならない。


 俺は木杯をテーブルに置き、ヘリオスに顔を寄せる。


「――詳しく訊かせてもらおうか……」

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