閑話 新王の安堵

閑話

「――魔神だって!?」


 騎士が早馬で持ち込んだ情報に、執務室に居た僕は立ち上がって声をあげた。


 伝聞による情報の齟齬を避ける為、直接執務室に通された騎士は、額に大粒の汗を浮かべたままうなずく。


 騎士の報告によれば、トランサー領主ビクトールがローゼス領から花嫁を迎えて屋敷に帰還した直後に、それは現れたのだという。


 事が起こってから五日が経っているらしい。


「――それで、ビクトールは無事なのかっ!?」


 リグルドが騎士の肩を揺さぶりながら訊ねる。


 騎士は顔をしかめて首を横に振る。


「トランサー伯は魔神によって……」


「……くっ……そうか……」


 その応えに、リグルドは力なく呟く。


「また、お連れしていたローゼス伯爵令嬢に関しては、遺体すら残されていない状態でした。毛髪の一部と大量の血痕が残されていた事から、彼女もまた……」


「先日、娶りたいと言っていた令嬢か……」


 長らくローゼス伯爵家に虐げられ、ようやく救い出されて幸せになれそうになった矢先に……


 ――女神サティリアよ……ふたりの死後を善くお導きください……


 僕はビクトールと令嬢の冥福を祈って目を伏せる。


 だが、王としては悲しんでばかりもいられない。


 騎士に報告の続きを促す。


「レントン隊長を中心に迎撃に、我々、トランサー領派遣騎士隊は魔神と交戦したのですが、ヤツとヤツが連れていたドラゴンに敗北。

 そこに偶然、領都に滞在していたという勇者殿がご協力くださりまして……」


「……勇者? 我が国には現在、勇者はいないのでは?」


「先日、サリュート第一騎士団長の娘御が、ミスマイル公国にて認定されたそうです」


 僕の問いに、リグルドが忌々しげに吐き捨てる。


 グランゼス公爵の孫娘ということか。


 僕やリグルドの治世に非協力的なグランゼス家の者が力を持つのは、リグルドにとっては愉快な話じゃないだろう。


 そんな僕やリグルドの内心に気づかないまま、騎士は報告を続ける。


「勇者アリシア殿は領都より魔神とドラゴンを退けさせると、その後を追撃。

 見事、北の森にて討伐を果たされました!」


 騎士はそう告げると、一礼して小脇に抱えていた木箱を執務机に載せ、その蓋を開いた。


 僕とリグルドは木箱の中を覗き込む。


 どす黒い血痕にまみれた長い赤毛と、狼によく似た造作の仮面。それに手の平ほどもある黒い鱗が収められていた。


「これが勇者が持ち帰った魔神とドラゴンの残留物です。

 本体は絶命と共に黒い霧となって消滅したそうですが、戦闘の最中に破壊したこれらは現場に残っていたそうで、討伐の証として持ち帰ったのだと仰っておりました」


「……これが……遺体が消失したとなると、魔神は魔物のような性質を持っていたという事か?」


 世界中で、ある日、突然発生する侵災という現象がある。


 一説によれば異界からの侵食現象だとも伝えられているそれは、魔道器官を狂わせ、破壊する瘴気を大量発生させ、同時にその中でしか生きられない謎の生物――魔物を発生させる現象だ。


 僕自身は侵災にも魔物にも出会ったことはないのだが、師匠――僕に剣や魔法を教えてくれた騎士によれば、魔物は倒すと瘴気となって霧散するのだという。


 魔物は息絶える前に破壊した甲殻などがその場に残る為、高位の冒険者ともなると魔物の亡骸を武具の素材とする為、侵災発生地を巡っている者もいるのだとか。


 魔物の甲殻は鋼鉄などより遥かに硬く、軽い上に、魔法の触媒としても優れている為、銀晶と並ぶ希少物質として流通されているんだ。


「アリシア殿も同じ事を仰っておりました」


 と、僕の推測に騎士がうなずく。


「しかし、魔神は地下大迷宮に封じられていたはずだろう?

 なぜ外に――いや、そもそもなぜ復活したんだ?」


「それについて、レントン隊長から手紙を預かっております」


 騎士はそう告げて、封蝋が成された封筒を取り出した。


 僕はそれを受け取り、中身を改める。


 堅苦しい挨拶を読み飛ばし、本題に目を通せば――


「――なんだと!?」


「陛下、レントンはなんと?」


 訊ねてくるリグルドに、僕は手紙を渡して、深くため息を吐いた。


 ――魔神復活は、アルベルト前王太子を喰らった為。


 魔神が直接、そう語ったのだという。


 そして、トランサー領に現れたのも偶然ではなく、アルベルトの最後の願い――逆恨みを聞き入れ、リグルドの次男であるビクトールの命を狙った為だそうだ……


「――忌々しい! 死してなお、我らに仇なすというのかっ!」


 リグルドは手紙を破り、床に叩きつける。


「……リグルド、すまない。

 やはりあの時、あなたの言うようにヤツを殺しておくべきだった……」


 僕はリグルドに歩み寄って、頭を下げた。


 まさかこんな事になるなんて……


 ビクトールが殺された遠因は、僕にあるようなものだ。


「い、いえっ! 陛下、頭を上げてください! あの時は私も賛成したのです!」


 そんな僕に、リグルドは慌てて僕の肩を掴んで身体を起こさせる。


「それになにがきっかけであれ、魔神は滅ぼされたのです! 

 ビクトールも、魔神が陛下に仇成す前に身を持って盾となれたのですから、きっと本望でしょう」


 涙ながらに訴えるリグルドに、僕は奥歯を噛み締めながらもうなずきで応える。


「そう、だね……勇者殿だけではなく、彼も讃えなければね……

 丁度いい。開催予定の豊穣の宴に勇者殿を招待し、ビクトールと共に表彰しよう」


 僕の発案に、リグルドは目尻に涙を浮かべながらも、ようやく笑ってくれた。


 と、その時、執務室のドアがノックされ、白いローブを纏った女性が入室して来た。


「――大賢者様!」


 僕とリグルドは声を揃えて彼女の名を呼び、慌ててその場に跪く。


 彼女と面識のない騎士だったが、僕らの行動を見て慌てて倣って膝をつく。


 白銀の髪を背中に流した彼女は、見た目こそ二十代半ばに見えるが、実際は数百を数える年齢なのだという。


 かつて悪政を敷いた王を廃した大賢者様、ご本人だ。


 ――物語に伝えられる悪逆の王が、今また立とうとしている。それを阻めるのは、もはや貴方しかいない。


 元服を迎えたあの日――リグルドに連れられてやって来た彼女の言葉に従って、僕は王位を志ざしたんだ。


「ああ、公式な訪問ではないのだし、畏まらないでくれ。

 宮中に悪しき魔動を感じたのでね、ちょっと顔を出してみたんだ」


 と、大賢者様は仰って、僕らを立ち上がらせる。


「――悪しき魔動? もしや魔神の亡骸にお気づきになられたのですか? さすがです!」


「魔神、かい? 亡骸と言ったが、倒せたのかい?」


「はい。こちらに亡骸が――」


 僕が執務机の上の木箱を示すと、彼女は中を覗き込んだ。


「……これがそうか。

 ふむ……構成成分はバイオロイドの変成体の形質に近いようだが、可変性は持たされていないようだね……量子転換による成形でもしたのだろうか――となると、やはりこの地にいるのか?」


 まるで微笑むように目を細め、大賢者様は独りごちた。


 仰っている事はよくわからないが、恐らくは大賢者様にしかわからない魔道的な考察をなさっているのだろう。


 しばらくブツブツと呟いていた大賢者様は、不意に顔を上げて僕らを見た。


「亡骸がここにあるという事は、コレを倒した者がいるのだろう?

 話をしてみたいのだが……」


 そう仰る大賢者様に、跪いたままの騎士が床を見たまま応える。


「残念ながら、アリシア殿は魔神との激戦で負った怪我を癒やす為に、領に戻ると仰って、すでに旅立たれました」


「ふむ、討伐者はアリシアというのかい?

 領と言ったね? その者は貴族なのかい? どこの領の者?」


「グランゼス公爵の孫娘だそうです」


 僕が応えると、大賢者様はアゴに手を当てて首を傾げる。


「グランゼスというと、リグルド、君が厄介だと言っていた将軍だったっけ?」


 訊ねられて、リグルドは顔をしかめる。


「ええ。領に帰ったというなら、招聘をかけたとしても、ゴルバス将軍がなにかしら理由を付けて応じさせないでしょう」


「……それは厄介だね」


「そうなのか? 彼女の功績は讃えられるべきものだ。直近の招聘は無理でも、なんとか宴には呼べないかな?」


 僕と大賢者様の目がリグルドに集まる。


 リグルドはしばし腕組みして思案していたけれど……


「ならば、陛下。私の策をご了承ください」


 そうして彼が告げた策は、魔神討伐に功績のあるグランゼス家、コートワイル家の両家にとって損のない、まさに仁徳の人と呼ばれる彼に相応しい、素晴らしいものだった。

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