第2話 25
まるでそこだけ嵐でも起きたかのように、木々がへし折られ、薙ぎ倒された森の中にミリィは降り立ったわ。
すぐ横で、ミリィの姉だという騎士のマリーさんが、抱えていたリディアを地面に降ろしている。
ウチもまたミリィから降りて、自分の足で立つと――
「イライザ、大丈夫ですか?」
すぐにリディアが駆け寄って来てくれたわ。
彼女には助け出された直後の――裂かれたドレスで身体を隠しただけの姿を見られているから、心配してくれているのね。
「ええ。平気よ」
ビクトールに殴られた頬も、リディアが塗ってくれた薬のお陰で痛みすらなくなってるわ。
服もマリーさんの着替えを貸してもらっている。
マリーさんが現れた時は本当に驚いた。
街の外の森に身を隠していたリディアと合流して治療を受けていた時に、急に甲冑姿の彼女が現れたものだから、ウチもミリィも追っ手かと思ったのよね。
ミリィなんか短剣を出して、いまにも攻撃しようとしてたわ。
マリーさんは慌てて兜を取って――それでミリィも、騎士の彼女が自分のお姉さんだと気付いたのよね。
そうしてウチらは、マリーさんからこの街を訪れていた事情を聞かされたのよ。
お
ミリィを護衛メイドとして遣わしてくれているだけでも、十分すぎるほどなのに……
そうしている間にも、マリーさんはアリシア様の元へ歩み寄り、報告しているみたいね。
彼女に背負われていたダグくんは、アリシア様に続いてやって来たアーくんの元に駆け寄っていて、なにか話してる。
ウチは――彼の姿を見た瞬間、勝手に身体が震えてしまったわ。
助けに来てくれた瞬間に感じたあの歓喜は、今はもうすっかりしぼんでいて。
「イライザ……」
息を呑んだウチの肩をリディアが強く抱いて、それから彼女もアーくんの方に向かったわ。
……ウチは顔を上げられなかった。
確かに痛みはなくなったけど……
口の中に残るあの不気味な感触や、ビクトールによって強引にもたらされた快感が蘇って来て、知らずに涙が込み上げてくる。
――この感情はなんだろう……
単純に悲しい――ではないと思う。
諦めや失意がごちゃ混ぜになって、自分でもよくわからない。
……喪失感、なのだろうか。
自分はもう、一番欲しかったものに決して手を伸ばせなくなってしまったのだと、そう自覚してしまったから……
「……お嬢様」
うつむくウチの肩を、ミリィもまた抱き締めてくれたわ。
けれど……
「――ね、わかりました? アル」
リディアは人差し指を立ててアーくんにそう念押しすると、ウチの方に戻って来るのが見えた。
「さ、お嬢様……」
と、そんなリディアに応じるように、ミリィがウチの肩を抱いたまま、歩を前に進める。
「ちょ、ちょっとミリィ……ウチ、今はちょっと……」
「ナニ言ってんですか。お嬢様!
アルさんってば、お嬢様の為にめちゃくちゃ怒ってたんですよ?」
「そ、それはわかってるけど……」
魔道知識に乏しいウチでも、周囲の精霊が真っ赤に染まる現象がなにを示すかはわかってるわ。
強い魔動を持つ人が激しい感情を抱いた時、周囲の精霊に干渉してしまい、精霊光という発光現象を引き起こしてしまうのよ。
「なら、怖がる事なんか、なにもないってのもわかるでしょう?」
と、ミリィはウチの耳元に口を寄せて来て――
「……大丈夫ですよ、お嬢様。あの人はね……実はあなたが思ってる以上に、イイ男なんですよ?」
そう囁くと、ミリィはウチの肩を押して前に進ませる。
「ちょ――ミリィ!?」
よろけたウチをリディアが抱き止めてくれて。
「イライザ、今はなにも考えずに思うままに、ね」
リディアもまた、ウチにそう囁いたわ。
「リディア……でも、あなたも……」
そう応えるウチの唇に、リディアの人差し指が押し当てられた。
それから彼女は首を振り――
「わたしだって、諦めるつもりはありませんよ?
でも、イライザだって、わたしの大切なお友達なんです。
そのお友達が苦しんでいるなら……どうにかしたいって――一番の方法を用意するのは、当然の事でしょう?」
そう告げて微笑むリディアは、どんな高位貴族のご令嬢よりも、気高く綺麗に見えたわ。
……あなたは……自分よりも人の事を想える人なのね……
だからこそ、今の自分が卑しく思えてしまう。
「……ありがとう」
そう告げるのが精一杯で……けれど、リディアは優しく微笑んで、ウチの背中を押してくれたわ。
「――いいか、兄ちゃん? こういう時に大事なのは、相手への気遣いだからな?
オイラも『れんあい』ってのはよくわかんねえけど、小説なんかだと――」
と、ダグくんがアーくんに説明しているところに、ウチは進み出る。
「……アーくん」
ウチが声をかけると、ふたりはこちらを見て。
「あ、イライザ姉ちゃん、ちょっとだけ! ちょ~っとだけ待ってくれ! 今、大事な事を兄ちゃんに教えててさ……」
と、ダグくんが手の平を突き出して、待ったをかけてくる。
「……いや、ダグ先生。大丈夫だ」
そんなダグくんの頭に手を乗せ、アーくんはしっかりとウチを見てくれた。
「あ? 大丈夫って兄ちゃん、ホントか?」
訝しげに首を傾げるダグくん。
「まあまあ、ダグ。ボクらはお邪魔みたいだから、ちょっとあっちに行ってよ」
クロちゃんがアーくんの肩からダグくんに飛び移り、そう言って彼を連れ出してくれた。
「そんじゃ兄ちゃん、ホントによく考えろよ?」
気づけば、リディアやミリィ、アリシア様やマリーさんも森の奥に向かっていて、ダグくんは彼女達の後を追って行った。
ウチとアーくんだけが取り残されて。
ウチを見つめる仮面の青い石と目が合って、ウチは思わず顔を背ける。
「そ、その……助けに来てくれて、ありがとうね。アーくん」
まるで喉の奥が張り付いてしまったように、うまく言葉が出ない。
なんとかそう声を絞り出したわ。
「……おまえの危機に、俺が駆けつけないわけがないだろう?」
そう言って、アーくんはこちらに一歩を踏み出してくる。
アーくんの言葉はすごく嬉しい。嬉しかった……
……でも。
ウチの身体は、その想いとは裏腹に、彼から遠ざかるように後ろに退いて――
「――ダメ! 来ないで!」
手を伸ばす彼を振り払うように、ウチは叫んでいたわ。
「――ウチはもう汚れてるから!」
彼の手を取る資格なんて、もう失くしてしまっているのよ……
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