第2話 18

 ミリィの治療を終えると、俺達はトランサー領へと向かうべく、屋敷の外に出た。


 ミリィはボロボロの侍女服から、リディアが野良仕事の際によく着ている紺色のワンピースを借りて着替えた。


「さ、それじゃ行きますよ。遅れるようでしたら、殿下が鈍ってるって、御老公にチクってやりますからね!」


 足の屈伸をしながら生意気な事を言ってくるミリィに、俺は鼻を鳴らす。


「バカめ。走るよりもっと速い手が、俺にはあるんだ」


「は? アタシらが走るより速い?」


 理解できないというように首を傾げるミリィ。


「そもそも、それではリディアが着いてこられないだろう?」


「え? え? わたしも一緒に行って良いんですか?」


 てっきり置いていかれると思っていたのだろう。


 リディアは驚きと喜び半々の複雑な表情を浮かべる。


「ああ。むしろ最悪を想定するなら、おまえが来てくれないと困る」


 年頃の娘が、男の家に連れて行かれたのだ。


 しかも公的に夫婦と王が承認する形で、だ。


 トランサーの今の当主がどういう人間かは面識がないから知らんが、いやらしい絡め手を使った事から考えて、ロクな人間ではないだろう。


 ローゼス領都からトランサー領都までの距離から考えて、イライザ達はちょうど今頃、トランサー家に到着している頃だろう。


 もし、トランサー当主――ビクトールとやらが、のオズワルドやジョニスのように、女性への加虐に興奮を見出す変態嗜好であったなら、万が一という事もありえる。


 そうなってしまっていた時、たとえイライザを助け出せたとしても、男の俺では彼女の心を癒やしてやる事はできない……


 ミリィはイライザに仕える侍女だから適任にも思えるのだが、ヤツはグランゼスの訓練でに対する心構えが完成していて、その鋼の胆力ではかえって、傷ついたイライザの心には寄り添ってやれないだろう。


 最悪を想定するのなら、武の力を持たず、女性としてイライザに寄り添う事のできる者が必要なのだ。


 だからこそのリディアだ。


「――お、兄ちゃ~ん! 釣りに誘いに来たんだけど、どっか行くのか~?」


 と、そこへ釣り竿と木桶を手にしたダグ先生とマチネがやって来る。


「あれ? ミリィお姉ちゃんもいる。いつの間に戻ってきたの?」


 ふたりは駆け寄ってきてミリィに気づき、マチネがそう言って首を傾げた。


「……ふむ」


 俺はアゴに手を当てて考える。


「そうだな、万が一を考えるなら……」


 イライザは精神的に限界になっている可能性は十分ある。


 その時に、俺が下手な言葉選びで発言したなら、彼女をさらに傷つけてしまうかもしれない。


 ならば、ダグ先生も必要か。


「ちょっとこれから隣の領のバカを、し……しば……しばきに行くところだ」


 なんとか先日ダグ先生に教わった言葉をひねり出し、俺はふたりにそう説明する。


「なんだよ、オズワルド兄ちゃん、またなんかバカやらかしたのか?」


 隣のバカというとオズワルドという連想は、そろそろ改めてやっても良いと思うのだが、ダグ先生の中ではその確固たる地位は揺らがないらしい。


 まあ、街道の突き当りにあるバートン領にとって、隣といえばチュータックス領だしな。


 俺は苦笑してダグ先生の頭を撫でて。


「いや、今回は北側の隣なんだ。

 ちょうど良いから、ダグ先生も来てくれないか?」


「――ちょっ!? アルさん!? 子供連れてくんですか?」


 目を剥くミリィに、俺は苦笑。


「荒事は俺が受け持つ。おまえならイライザを救出した後、全員を守りきれるだろう?」


「んん? 殴り込みか?」


 ダグ先生が興奮しだし、マチネが乾いた笑いを浮かべた。


「アルお兄ちゃんと一緒なら安全なんだろうけど……あ、あたしはそういうのは遠慮したいかな……

 ダグのお家に、アルお兄ちゃん達と出かけるって伝えておくよ」


「ふむ、そうか。まあ、女の子には不快な可能性もあるから、今回はそうしてくれた方が良いかもな。せっかく遊びに誘いに来てくれたのにすまない」


 俺はマチネの頭を撫でて謝罪する。


「ん~ん。元々、ダグとは一緒に来ただけで、あたしは釣りじゃなく、お屋敷で本を読ませてもらおうと思ってたの」


「ああ、それなら好きに読んで良いですよ。帰る時に鍵だけお願いします」


 と、リディアはマチネに許可を出して、屋敷の鍵を渡す。


「――それでアルさん。アタシらの足より速くて、リディア様やダグくんも連れて行くってどうするんですか?」


 はやるミリィに俺はうなずきを返し、それから肩の上のクロを親指で指す。


「こいつを使うのさ」


「へ? 確かにクロちゃんは飛べますけど……乗れないでしょう?」


「いやいや、ミリィ。ちゃんと乗れるよ。

 まあ、見てなって!」


 胸を張ってミリィに応えたクロは、俺の肩を蹴って地面に降りる。


「少し下がってくれ」


 と、みんなを下がらせ、俺はクロの額に触れる。


 胸の前で拳を握り、魔道器官――そこに連結されたファントム・ハートを強く意識した。


「――記せライト・ダウン。 <象創咆器ジェネレイト・オリジン>!」


 クロの丸い身体が虹色の粒子にほどけ、周囲に広がって行く。


 それに両手を絡めるようして振るい、俺はさらに喚起詞を紡いだ。


顕せアクト・アウト! <幻創閃竜ファントム・ドラグーン>」


 俺のことばに応じて、目の前で虹色の粒子が象を結び、十メートルほどの漆黒のドラゴンを形造った。


「な、ななな――」


 マチネが絶句して。


「すっげえ! ドラゴンだ! クロ、かっけーっ!!」


 ダグ先生が歓声をあげた。


「ク、クロちゃんは大きくもなれたのですか!?」


 ミリィが驚きの声をあげ、リディアも目を丸くしながらこくこくとうなずく。


「言ったでしょ。僕はいくつも形態を持ってるんだって!

 ――これはD型兵装光速騎の元になった、閃竜形態だね!」


 と、クロは大きくなっても変わらない子供のような声で自慢げに応え、丸太のような太い両腕を腰に当てて胸を張る。


「さ、それじゃあ、みんな乗って。トランサー領都ならボクの翼ならあっと言う間さ!」


 そう言ってクロは笑い、羽根を畳んで地面に寝そべる。


「……つまり、それがビクトールとやらの余命だ……」


 マチネを除くみんなをクロの背に乗せてやりながら、俺は呟く。


 俺を絡めてローゼス家をハメた以上、俺はヤツを赦す気などさらさらなかった。

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