第2話 12

「そうよ。トランサー家は借金のカタに、彼らを奴隷に堕としてアグルスに売っていたの……」


「……ひどい……」


 リディアは口を両手で覆って絶句する。


「奴隷なんて……重罪じゃないですか」


 リディアが言う通り、ローダイン王国では奴隷は所有はおろか、それに準じる扱いを他者に強要する事も禁じている。


 これは何代か前の王子が、アグルス帝国の捕虜になってしまった事がきっかけとなっている。


 身代金を払う事で解放はされたのだが、彼は虜囚となっている間、奴隷扱いを受けて古代遺跡の探索をさせられていたそうだ。


 人を人とも思わない扱いで、罠の身代わりや魔獣への盾代わりに使われたのだと、彼は帰国後に語ったのだという。


 そんな彼の発案と、同じようにアグルス帝国に捕虜にさせられていた騎士達の後押しがあって、ローダイン王国では奴隷の徹底禁止が実施されたんだ。


「その重罪を――トランサー家は犯してやがったんだ」


 アシュトンが殺された街こそ、まさにそのトランサー家の領屋敷のある領都だった。


「俺はイライザを聴取していた衛士班長として、トランサー家との繋がりを吐かせた」


「アーくん、すごかったのよ?

 大の大人に馬乗りになって、無言でとにかく殴り続けるの。

 他の衛士の人が止めようとしても、ゴルバス将軍の名前を出して、絶対に止めなくてね……」


のコツは、まず相手の心を徹底的に折り砕く事だからな」


 俺はそう胸を張って見せたんだが……


「あ~……」


 リディアはなぜか視線を逸らす。


「霊薬なしでアレやったのかい?」


 呆れたようにクロが訊ねてくる。


「当時の俺は治癒魔法が使えたからな」


 今は外部干渉系の魔法はすべて使えなくなってしまったが、あの頃は魔法で衛士の傷を癒やしながら殴りつけたんだ。


 痛みだけを与え続ける良い方法だと思ってな。


「うわぁ……そいつの顔が歪んだままになったでしょ? その状態を正常だと魂に認識させる治癒魔法の裏ワザだよ……無茶するなぁ」


 そういえばあの衛士の顔は、何処からのタイミングかで膨れ上がったままになっていたな。


「事件の後、大叔父上が性根を叩き直すと言って領に引き取っていったが――まあ、あんなクズの事はどうでも良い。

 重要なのは、ヤツがトランサー家との繋がりを吐いた事と、イライザの養父を殺害した犯人の行方を知っていたという事だ」


 アシュトン殺害の実行犯は貧民街に暮らすゴロツキだった。


 現場検証を終えて戻って来た大叔父上にそれを報告すると、大叔父上はそれはもう烈火の如く怒ったよ。


 溢れ出た魔動に反応して、周囲の精霊が真っ赤に発光して稲妻まで墜ちた。


 ――己の罪を隠す為に、民を殺めるとは何事かっ!!


 そう叫んでな。


 元々、大叔父上はローゼス伯爵の頼みで、トランサー領都でのアシュトンの護衛と情報交換の為に会う予定だったんだ。


 グランゼス公爵家の<耳>も、トランサー家の後ろ暗い商売はある程度把握していたようだからな。


 そうして大叔父上は衛士屯所の外に出ると、やおら暮れた空に向けて咆哮した。


「あの叫びはすごかったわよね……街の人がみんなゴルバス将軍に注目して」


「あー、アイツ、昔から戦咆ウォークライがめちゃくちゃ上手かったんだよね」


 クロが目を細めながら肩を竦める。


「……騎士を呼んだんだね?」


「ああ。その辺はさすが<竜牙>騎士団でな。三分ほどで全員が大叔父上の前に整列していたよ」


 音速を越えて完全武装で現れた彼らによって、市壁の上部が崩れ落ちた。


 彼らが飛び越える際に引き連れた衝撃波に、石組みの市壁は耐えられなかったのだ。


「そこからはあっと言う間。

 父さん殺害を依頼した容疑で、トランサー家は<竜牙>騎士団に踏み込まれたわ」


「実行犯のゴロツキは確保の際に抵抗した為、その場で騎士に処刑された。

 家宅捜査の結果、トランサー家が貸付人を奴隷に堕としてアグルス帝国に売りつけていた帳簿も見つかってな。それが証拠となって、トランサー家は処罰を受ける事になった」


「――処罰? お取り潰しではないのですか!?」


 驚きに目を見開くリディア。


 そう。奴隷取引は商人ならば関係者だけじゃなく、親兄弟に至るまで見せしめで処刑される。


 貴族の場合はもっと厳しく、五親等までの親族までもが処刑対象で、それによってその家は基本的に断絶――実質は取り潰しになるのだが……


「……トランサー家は外務大臣――今は宰相だったか……リグルドのコートワイル侯爵家の分家でな……」


 しかも都合よくもと来た。


「ヤツは処分を告げた爺様――陛下に言ったよ。奴隷取引はともかく、金融業を営んでいるトランサー家を取り潰しにしては、王国の経済に影響が出る――とな。

 そこでヤツは、自身の元服したばかりの次男をトランサー家の当主に据え、監視をさせるから取り潰しだけは免じて欲しいと爺様に訴えたんだ」


 リグルドを支持する声は大きく、爺様も無視できなくてな。


 結局は彼らに押し切られる形で、トランサー家は家名だけは残される事になった。


「それって……当時はコートワイル候は外務大臣だったのですから……」


 リディアの言いたい事はわかる。


 俺もローゼス伯爵も大叔父上も、当時、それを疑ったんだ。


 ――アグルス帝国への奴隷売買のツテ。


 それはリグルドが繋いだものではないのか、と。


 なにせヤツの父親はアグルス帝国人であり、加えて外交を取り仕切る立場でもあったのだから。


 ……だが。


 俺はリディアに首を振って見せた。


「……それを確定付ける証拠がなかった。

 仁徳の人――なんて呼ばれてるアイツを糾弾するには、材料が足りなかったんだ……」


「そうしてコートワイル候は、分家の不祥事を機に息子に爵位を与える事に成功して、しかも金融って稼業まで入手できたのよね……」


 ため息を吐く俺とは裏腹に、イライザは苦笑を浮かべて肩を竦める。


「ま、コートワイル候の関与はともかく、少なくとも実行犯とトランサー家の者は処分されたんだから、ウチは満足よ。

 父さんが殺された事がきっかけで、奴隷にされた人達も帰って来れたわけだし」


 イライザが言う通り、帳簿に記載のあった分の者達はアグルス帝国と交渉することで帰還を果たしている。


 先のアグルス戦役の賠償金を減額するという条件は付けられたが、それはトランサー家の私財で充当する事になった。


 この交渉を成功させた事で、リグルドの名声はますます上がる事になったのだが、今それを挙げるべきではない事くらい、俺にもわかる。


 それでも長い付き合いのイライザには、いまだに俺があの時の事を引きずっているのがわかるのか、わざとらしく伸びをして――


「それにね、お陰でウチはローゼス伯爵家に迎えられたわ。

 信じられる? 浮浪児だったウチが、今では伯爵令嬢! しかも大店ローゼス商会の会頭サマよ?」


 茶化すように片目を瞑って見せる。


 ローゼス伯爵は、重用していた<耳>のアシュトンが大事に育てていたイライザを放り出す事なく、自身の養女として家に迎え入れたのだ。


 俺に言わせれば、リグルドなどよりローゼス伯爵の方が、よっぽど仁徳の人に思える。


「だが……おまえはアシュトンのように、行商人になりたかったのではないのか?」


 あの時、大叔父上と<竜牙>騎士団の帰りを待つ間、俺達は衛士の屯所で様々な話をした。


 その中で、イライザはそれが夢だと語っていたのだ。


「フフ……ちょっと形は変わっちゃったけど、今はその行商人を支える仕事ができてるんだもの。不満はないわ」


 そう告げて微笑むイライザを――俺は強い、と感じるのだ。


 そうやって笑えるようになるまで、様々な葛藤があったはずだ。


 伯爵令嬢としての振る舞いを覚えるのだって苦労しただろう。


 周囲の貴族達の「元行商人の娘」という心無い揶揄に悩まされていた事も、俺は知っている。


 ――だが、イライザは……不満はないと笑えるのだ。


 この気持ちをどう言葉にしたものか……


 俺はここには居ないダグ先生に語りかける。


 ――難しい事考えずに、思ったまま言えば良いんじゃね? 兄ちゃんはいつも考えすぎなんだって!


 ふむ。そうだな。


「……イライザ。君という友人を持てた事を誇りに思う」


「――ハァっ!?」


 途端、イライザはそんな声をあげて、椅子から転げ落ちた。


「い、いや……今、思った事を言葉にしてみたのだが――不快だっただろうか?」


「ハ、ハァ!? ちょっ――ウチ……ハアァ!?」


 目を見開いて、おかしな声をあげ続けるイライザに、リディアが駆け寄って助け起こす。


「――イ、イライザ。落ち着いて! 殿――アルのいつものよ」


「あ……そっか。いつもの……ああ、そうね!」


「ええ。きっと色々考えて考えて、結局わからなくなって、そのまま思った事を口に出したのよ!」


 ……む、なんだ。いつもの、とは。


 今回はちゃんと心のダグ先生に訊ねたんだぞ。


 そんな事を考えてる間にも、リディアはイライザに耳打ちする。


「わたしもこの前――」


 再びイライザの目が見開かれて、その碧の目が俺に注がれた。


「ちょっ……それって……」


 けれど、リディアは苦笑して首を振る。


「わたしも最初はそう思ったのですが、どうやらそこまでの考えはなかったようでして」


「あ~、そういうトコよねぇ……」


 イライザは片手で顔を覆って、ため息を吐く。


 応じるようにリディアも苦笑してうなずきを返し。


「ホント、そういうトコなんですよねぇ」


 と、意味ありげにふたりで俺に笑みを向けてくる。


「でもリディア。ウチ、今の話を詳しく聞きたいわ」


「え~? でも、ここではちょっと……」


 なにやらふたりで抱き合って、クネクネと身を捩らせている。


 なんだ? イライザを不快にさせたわけではないようだが……なにが起きている?


「――今は黙ってた方が良いよ。ただでさえ口下手な君が、下手に口出ししたところでややこしくなるだけなんだからね」


 首をひねる俺の頭の上に、クロが飛び乗って来た。


「ふむ、そういうものなのか?」


 少なくともクロはふたりの挙動の意味を理解できているようだし、ここは従っておく方が懸命か。


「――話は聞かせてもらったぁッ!」


 と、突然、食堂のドアが音を立てて開け放たれ、タオルを巻きつけただけのミリィが乱入して来た。


「ちょうどお風呂が空いた処です。おふたりともお背中をお流ししますので、続きはそちらでどうぞっ!」


 大声でそう言い放ち、ミリィは瞬く間にふたりの背中を押して食堂から廊下に送り出す。


 そうしてドアを締める際に――


「……この天然たらしがっ!」


 まるで殺し屋のような目つきで俺に吐き捨て、ヤツはドアを締めやがった。


「なあ……クロ……俺、あいつになにかやったか?」


「それがわからないようだから、ああ言われたんだろ?

 あのメイド、イライザの事を大事に思ってるんだろうねぇ」


「ああ。それは俺にもわかる」


 俺は頭の上のクロにうなずき、とりあえず食事を終えたら後片付けをしておこうと考えた。


 ババアなら、それでだいたい機嫌を直してくれるんだ。

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