第2話 7
「結論から言うなら、地下大迷宮に墜とされた俺は、一年ほどほぼ身動きできずにいた」
俺がそう告げると、全員の顔に困惑の色が広がった。
「……それは……墜とされた時の怪我とかで?」
リディアが顔を青くして訊ねてくる。
「いや、落下の際は浮遊の魔道器を着けられていたからな。怪我などしなかった。
――問題だったのは、その前の怪我とこの仮面でな?」
と、俺は顔の狼面を小突いて見せ、それからシャツの袖をまくりあげた。
腕の内側に今も残る大きな傷痕。
リディアとイライザが痛ましげに表情を歪め、子供達は息を呑んで顔を背けた。
「抵抗できんようにと四肢の腱を断ち斬られてな。加えて王騎にふっ飛ばされて背中を打った時に神経まで傷つけられたようで、身体が自由に動かせなくなってしまったんだ」
「あれ? でもアルお兄ちゃん、今は普通に動けてるよね?」
「わかった! クロのあの薬を使ったんだろ?」
マチネとダグ先生の言葉に、俺は首を振って見せる。
「いや、傷は確かに霊薬で塞がったんだがな。
あ~……クロ、なんだったか? 説明を頼む」
ババアから説明は受けたのだが、高度な魔道の話でイマイチ説明が難しいのだ。
「もう、キミは! 何度も説明したのに!
ええとね、主が造る霊薬ってのは、個人の魔道器官に働きかけて、そこに内包されるローカル・スフィア――魂に記憶されてる、身体の正常な状態を再構築するってモノなんだ」
と、クロは俺に文句を言いながらも、説明を引き継いでくれた。
「ところがコイツってば、魔封じの呪具なんか着けられててさ。
この仮面って、コイツの父親が戦場で着けてたモノだから、主もボクも最初は呪具だと思わなかったんだよね」
大穴の底に墜ちた俺を、ババアはすぐに見つけてくれて、その場で傷を癒やすために霊薬を使ってくれた。
だが……
「魔封じってひと口に言っても、魔動が精霊に干渉できなくするモノや、周囲の精霊の動きを抑制するモノとか色々あってね。
んで、コイツが着けられてたのは、最低最悪の魔道器官そのものを封じ、体内の魔道を乱すモノだったんだ」
俺もそうだったが、魔道知識に造詣のないみんなも、やはり首を傾げている。
クロは困ったようにアゴをさすり。
「ん~とね、わかりやすく言うなら、霊薬はその魔道器官が封じられ、魔道が乱れた状態が正常な状態として誤認して作用しちゃったんだ。
で、それがコイツの魂にまで刻まれてしまった」
「……完全にババアの手落ち――医療事故だよな……」
「主だって焦ってたんだよ! キミ、あの時ってけっこうベラベラ喋れてたけど、ひどい状態だったんだからね?」
全身の骨が折れまくって、一部は内臓に突き刺さりかけていたらしい。
痛みが強すぎて、どこが痛いのかすらわからなくなっていたからな。
「結局、外傷はともかく、身体の中身――特に経絡系と魔道がめちゃくちゃになっちゃって、コイツは寝たきりになっちゃったんだよね……」
ダグ先生が俺のそばにやってきて、手を握ってくる。
「でも、アル兄ちゃん。今、動けてるって事は治ったんだよな?」
心配そうに俺を見上げてくるダグ先生は、やはり人を思いやれる素晴らしい人格の持ち主だと思う。
そんなダグ先生を不安にさせるのは心苦しいのだが、やはり情報は正確に伝えるべきだろう。
俺は首を横に振って応える。
「正確には治ったわけじゃないんだ。今も俺はこの仮面がなければ、寝たきりに逆戻りだ」
全員が息を呑んだ。
「……どう、いう事ですか? その仮面は呪具なんですよね?」
そう訊ねるリディアに、クロが首を振った。
「いや、呪具だった――だね。主がその効果を利用して改造したんだ」
と、クロは俺の肩に飛び乗って来て、その丸い手で俺の仮面を叩いた。
「そもそもね、人の魔道器官に干渉できる魔道器なんて、そうそうあるもんじゃないんだ。
誰が施したのか知らないけど、正直、主もこの仮面に施された刻印には驚いてたよ。
だから、利用させてもらったんだよね」
「簡単に言うと、俺はこの仮面によって身体を動かせてる状態なんだ」
クロの言葉を引き継ぎ、俺は心配そうな顔を浮かべる一同を見回す。
「俺も詳しくは理解し切れていないのだが、俺の魔道器官と魔道は呪具と霊薬の作用によって壊されてしまったらしい。
そこでババアは、魔道器官に替わるものを用意した」
「それがボクの心臓――ファントム・コアだね」
クロは俺の肩の上で、自分の胸を叩いた。
予期せぬ悪影響も起こり得る一種の賭けだったらしいが、どうやら俺はその賭けに勝ったらしい。
「なにやら複雑な魔道手術が行われ――俺はクロの心臓を新たな魔道器官とする事で、魔動を取り戻せた」
「その上で、この改造した仮面を使って乱れた魔道を整調してさ。
いまのコイツは、不髄になった身体を魔法で動かしてるってワケ」
サラリと言ってのけたクロに、俺もうなずきで肯定する。
「自由に動かせるようになるまで、半年かかったな」
「前例のない症例だから、主もボクもアドバイスできなくて、みんなで頭を悩ませたよねぇ」
と、俺とクロは笑い合うのだが、みんなは呆然とした表情だ。
「待って! いろいろと考える事が多すぎるわ!
え? じゃあ、なに? アーくんは常に魔法を使い続けてるって事?」
「ああ。身体強化の発展のようなものだな。わかりやすく言うなら、操り人形を念動の魔法で動かすような感覚か。
慣れた今は、こうなる前より正確に身体を制御できるぞ」
これは密かな自慢だったりするのだが、そう言うとババアもクロも理解できないというような――頭がおかしい者を見るような目を向けてくるんだよな。
「ク、クロちゃんの心臓を使ったって、クロちゃんは大丈夫なんですか?」
リディアは俺とクロを交互に見ながら訊ねてくる。
「えっと、心臓ってのはあくまで概念的な意味の言葉で、キミらの心臓とは別モノだからね。中枢と言い換えても良い。別にボクの体内に収めておく必要はないんだよ。
ちょっと専門的な言い方をするなら、同一霊脈上、あるいは接続可能な霊脈上にあるなら、現実の距離がどれほど離れていてもボクの活動に影響はないんだ」
この辺りの話は、手術前にババアもしていたのだが、正直、まるで理解できていない。
まあ、クロに影響がないというのだけは理解できたから、それで良いだろう。
と、ダグ先生が俺の手を叩いた。
「……なあ兄ちゃん。ひょっとして、こないだ兄ちゃんが変身したのって、それでか?」
「おお、さすがダグ先生だ。よくわかったな。
そうだ。俺に移植されたクロのコア――ババアはファントム・ハートと名付けたのだが、それを高帯域で喚起する事で、旧き神々――<
「んん? よくわかんねえ!」
首を傾げるダグ先生の栗色頭を、俺は優しく撫でる。
「正直、俺もよくわかっとらん!」
そう言って胸を張って見せれば。
「ダメじゃん」
ダグ先生は苦笑。
「まあ、さすがは魔道器官の代替品というだけあって、魔法と一緒で使い方はファントム・ハートから湧き上がってくるからな」
「あ~、魔道器と一緒ってワケね。原理や理屈がわからなくても、使い方やもたらされる結果がわかるなら、使う事には不自由しないものね。
というか、アーくん、変身なんてできるのね」
イライザはアゴに手を当てて、納得してくれたようだ。
「ああ。あの状態は<
クロがいくつもの形態を持つように、ファントム・ハートを移植された俺もまた、別の形態を持つに至ったというわけだ。
これはババアも想定していなかった、嬉しい誤算だな。
以前は逃げ回るしかなかったドラゴンでさえ、あの姿ならぶっ飛ばせる。
「まあ、今の状態の弊害としては、常に魔法で身体を動かしている所為で、身体の外――精霊に干渉する系統の魔法が使えなくなってしまった事だな」
「そうそう。コイツ、攻性魔法がいっさい使えなくなっちゃってね。仕方ないから、ボクが相棒として付き合ってあげてるってワケ」
「とはいえ、日常生活で困る事はそうないしな。
ここで暮らして行く分には、攻性魔法が必要になる機会もないだろう?」
たいていの事は腕力と知恵でどうとでもなる。
「こないだ攻性魔法が使えずに、ボクを頼ったこと忘れてないかい?」
「む……」
リディアが人質に取られた件か。
「さ、さすがにあんな事は、頻繁に起こる事はないと思いますよ……」
リディアが困ったように笑いながら助け舟を出してくれた。
俺はそれに即座に飛びついた。
話題を逸らすためにわざとらしく咳払いし。
「――んんっ! とまあ、そんなワケで、俺は地下大迷宮に墜とされてからの二年間、壊れてしまった身体を、以前のように動かせるようにする事に費やしていたワケだ」
そうみんなに告げる俺の肩で、クロが口元を押さえながら、いやらしく目を細める。
「なに言ってんだい。自由に動かせるようになった後も、もう人が信じられない、外に出たくないって、ずーっと迷宮に引き篭もるつもりだったクセに!」
「なっ!? クロっ!?」
いらん事を暴露し始めるクロの口を塞ごうと手を伸ばしたが、ヤツは素早く宙に飛び上がった。
「アル……」
「アーくん……」
リディアとイライザが哀れみを含んだ視線を向けてくる。
「やめろ! そんな目で見るな! い、今はちゃんとこうして外に出ているだろう!?」
「それだって、主に無理矢理放り出された結果じゃん!
コイツったらさ、すっかり動けるようになったのに、いつまでも庵に居座り続けるから、呆れた主に叩き出されたんだぜ。
アージュア大河の源流に叩き込まれてやんの!」
ケタケタ笑いながら、みんなに俺の恥部を暴露し続けるクロ。
「――わ、わたしはアルの事を大切に思っていますよ!」
「ウチもよ? 少なくとも宮廷貴族のように、アーくんを裏切ったりしないわ!」
と、気遣うようにそう言ってくれる、リディアとイライザの優しさが嬉しくもあり――
「俺もだぜ? なんせ兄ちゃんの先生だからな!」
「あたしもよ? アルお兄ちゃんって、なんか放っておけないし」
慰めるように俺の肩を叩くダグ先生とマチネ。
「……やだぁ~! アルさん、前と違ってモテモテじゃないですかぁ~!?」
楽しげな声で告げるミリィの顔には、クロと同様の――いらずらめいたイヤらしい笑みが浮かんでいた。
「……これはモテてるとは言わんだろう……」
俺は羞恥で赤く染まる顔を隠す為、顔を逸らすのだった。
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