第2話 背中を押すのは女商人
第2話 1
執務室のある二階からは、王都の目抜き通りがよく見える。
行き交う人々はみんな笑顔を浮かべているわね……
ウチは思わずため息をついた。
「――イライザお嬢様、またため息が出てますよ」
ローゼス伯爵が付けてくれた、メイドのミリィが苦笑交じりに注意してくる。
「だって、ついにクレイス商会まで店を畳んだのよ?」
それも貴族向けではなく、庶民向けの――日用品に近い食器等の陶器や木工家具を扱っていて、農作物を始めとした素材関係を主に取り扱っているウチにとっては、大口顧客のひとつだったわ。
ローゼス商会が素材を仕入れて、クレイス商会がそれを購入し、傘下の工房が加工したものを店で販売する。
ウチが王都で商売を始めてから、ずっとそうして支え合ってきたのよ。
そのクレイス商会が、店を畳んで王都を去った。
理由は職人の数が減って、商品を用意できなくなったからだそうよ。
最後の挨拶に来られた際、クレイス会頭の奥様の実家がある、グランゼス公爵領の公都で再起を図ると力なく言っていたわね。
――カイル王の即位から二年。
確かに王都の民には笑顔が増えたわ。
……けれど。
視線を通りに向けると、いくつもの閉じられた商店が見える。
休日というわけではないわ。
みんな、クレイス商会のように店主達が店を手放し、王都を去っていったのよ。
硝子をはめ込んだ窓に映る、ウチの顔もくたびれ果ててるわね。
いつもなら朝にミリィが整えてくれている紫髪も、ここ最近はそんな暇もなくお屋敷を飛び出してくるから、ボサボサなのを隠す為にうなじの辺りで紐で結わえてる。
どうしてもミリィが譲らないから、商会に着いてから化粧だけはしているけれど、それだっていつもに比べたら簡素なもの。
毎日のように飛び込んで来る、取引先顧客の撤退の報に、ここ数ヶ月のウチはずっと対応に追われて来たわ。
現在、王都に店を構えていた大手商会は、次々に撤退を余儀なくされているのよ。
「不思議ですよねぇ。なんでこんなにみんな王都を去ってるんでしょう?
カイル陛下の政策で、貧しい人が減ったはずなのに……」
子供の頃からローゼス伯爵家でメイドをしているミリィにとって、今の状況は理解ができないのでしょうね。
ウチは執務机に腰掛け、組んだ両手にアゴを乗せる。
「……確かに貧民街が整備され、貧しい人達は救済院に収容されたわね」
カイル新王の目玉政策のひとつだわね。
新設された救済院では、収容された貧民達に衣食住を提供し、小遣いまで与えているそうよ。
「あっ! ひょっとしてアレですかね?
こないだ始まった、経営不振の商会や工房への補助金政策!
あれでライバルが増えてお客様の取り合いになっちゃって、商売にならないから地方に移ったとか!」
ウチはため息をついて、ミリィが淹れてくれていたお茶を飲んで一息。
「そうね。それらが――新王の善意の政策が積み重なった結果……なんでしょうね」
「んん? 善意の政策なのに、ウチや同じくらいの大手は苦しむんですか?」
不思議そうに首を傾げるミリィ。
「……ミリィ、救済院ってどんなトコか聞いてる?」
「はい! 三食ご飯が食べられて、部屋や服も支給されて――あ、お小遣いも貰えるって聞きましたね。すごいですよね! 正直、羨ましいです!」
素直なミリィは両手を握り締めて力説する。
「あら、羨ましいのなら、アナタも救済院に入ったら?」
口調が皮肉げになってしまったのは、あの愚かな新王が褒められたのがムカついたから。
……疲れてるわね。
ミリィに悪気がないのはわかっているのに。
けれど、根が素直なミリィは気にした様子もなく――
「――え? イヤですけど?」
躊躇せずきっぱりと断った。
本当にこの娘は……
思わずウチは苦笑する。
「だってアタシ、メイドのお仕事好きですし。
イライザお嬢様こそアタシが居なくなったら、書類整理や執務室のお掃除する人いなくなって困るんじゃないですか?」
「む……まあ、そうね。
新たに人を雇うのは、確かに手間よね……」
「でしょう?」
得意げな笑みを浮かべるミリィ。
「みんなアナタみたいな考え方をしたなら、こんな事になってないのでしょうけどね……」
「ん? 褒められてます?」
「ええ。アナタは救済院で暮らすより、仕事に意義と楽しみを見出してるでしょう?
でもね、世の中の大半の人はそうじゃないの」
ウチは再びため息を吐く。
「衣食住に加えて遊ぶお金まで、なんの対価もなしに与えられるのよ?
さっきミリィ自身が言ったでしょう? 羨ましいって。
そう感じた人達が、それまでの仕事を辞めて、次々に救済院の門を叩いてるそうよ」
「あっ……」
ミリィはようやく気付いたのか、驚きの表情を浮かべたわ。
「それで商会や工房が人手不足になっているところに、例の補助金よ」
「あ、やっぱりそれも関係あるんですね!?」
「アナタの予想は外れてるけどね」
補助金程度で、傾いた商店が大商会に太刀打ちできるわけがないでしょう。
「補助金が交付されている商会、商店や工房は、みんな潰れかけて畳もうとしてたところよ。
そこに補助金を注ぎ込んで、倒産を回避させてるの。ここまでは良い?」
ミリィがうなずく。
「そういうトコは、元々経営がうまく行っていないところだけじゃなく、救済院の弊害で会員や職人が居なくなったところもあるでしょうね。
だから、大抵は人手不足で会頭や工房長、その家族だけで回してたのよ」
「あ~、大通りから外れたお店や工房って、そういうトコ多いですよね。
――というか、
事務所にはヘンリー坊ちゃまとお嬢様とアタシだけでした」
ヘンリーというのは、ローゼス伯爵の嫡男で戸籍上はウチの義兄ね。
「そうね。そして、そういう少人数を食べさせるだけなら、別に商売に躍起にならなくても補助金だけで食べていけると思わない?」
「ああ、そっか。救済院と同じ事が起きちゃうんですね!」
「そうなのよ……結果として、そういう商店は形だけ店や工房の体を維持して、補助金を貰い続けているらしいの。
当然、そこに商品を卸していた取引先――商会や工房との取引は破棄されてるそうでね……」
それこそが大店が王都を去っている理由。
ウチの取引先にも、そういう相手がたくさんいて、ウチはず~っと振り回されてるわ。
「そう聞かされると……なんというか、カイル陛下の政策って――アタシ、頭良くないんでうまく言葉にできないですけど、正しいはずなのに良くないんですね」
「というより、目先しか見えてないんでしょうね。
きっと今起きている弊害にも気付いてないはずよ。だから、正しい事をしてるってご満悦で、次々に似たような政策を打ち出してるのよ」
逃げ出した商会が、国内に留まっているならまだマシだけど、国外と取引のある商会はそのツテで外国で再起を図るでしょうね。
現金で税を収めている商会が逃げ出して、新王は今後、どうやってその善政を維持するつもりなのかしら?
――あの人が居てくれたなら……
そう思わずにはいられない。
同時に、そう考えてしまった自分に絶望する。
「……ああ、もうっ!」
ウチは両手で顔を覆って吐き捨てた。
降り積もった疲れが溜まりに溜まって、つい弱音が出てしまったわ。
涙で視界が滲む。
やる事も考える事も多すぎるのよ。
まるでウチの思考を読み取ったかのように、ミリィが机を回り込んでウチの背中を撫でる。
「イライザお嬢様、旦那様も坊ちゃまもダメなら領に帰って来ても良いって仰ってますよ?」
優しい義父と義兄の言葉に、つい頷いてしまいたくなる。
でも、ウチは唇を噛んで首を振ったわ。
「ダメよ。ウチは商会員を養う義務があるんだもの……」
こうしている今も、商会の基幹である流通部門を担う行商人達は旅を続けてくれている。
彼らを見捨てて、ウチが逃げ出すわけには行かない。
そんな事したら――ウチは……ウチを信じて着いてきてくれたみんなだけじゃなく、彼らが立ち寄っている取引先にも顔向けできなくなるわ。
なによりも――
――それはあの人が誇ってくれた、ウチじゃない!
あのやたら目つきが悪い赤毛の彼は……
「そう。アーくんは言ったわ! ウチのような商人が市井に居て足元を支えてくれるから、自分は大局に専念できるんだって!」
そのウチが、音を上げてどうするのよ!
「――出たっ! お嬢様のアーくん!」
ミリィの顔が、それまでのいたわるような表情から、茶化すようなものに変わった。
「う、うるさいわね! 仕方ないでしょう!? あの子は――」
「はいはい。そこから先は耳タコです。
そんなお嬢様に朗報をひとつ……」
と、差し出されたのは、行商人からの業務日報の帳面。
地方の情報を逃さない為、毎日気付いた事を記入するように義務付けているのよ。
「なによ? いつもならアナタが目を通して書類にまとめてから提出するのに……」
目の前に置かれた帳面は、アージュア大河河畔街道方面担当のエールズのものだった。
ミリィはそれをペラペラとめくり――
「良いから、ここ見てくださいよ!」
そう言って開いた
――アルベルト殿下を発見。
一瞬、なにが書かれているのか理解できなかったわ。
ゆっくりとその文字の意味を噛み締めて。
「――アーくんがっ!?」
思わず席を立って、ミリィを問い詰めたわ。
「そう書いてますね。
地下大迷宮の魔神の生贄にされたって聞いてたのに、生きてらしたんですねぇ」
「――あの子は昔から、悪運だけは強いのよ!」
――ああ、サティリア様……あの人を連れて行かずに居てくれて、感謝致します。
この国で最も信仰されている、生と死を司る女神サティリアに感謝を捧げるウチに、ミリィは肩を竦める。
「イライザお嬢様と一緒じゃないですか」
「そんな事より、エールズを呼んで頂戴! 詳しく話を聞きたいわ!」
「そう仰ると思いまして――」
ミリィは執務室の出入り口に向かい、おもむろにドアを開いた。
「やあ、このまま呼ばれないんじゃないかと、ドキドキしたよ」
そう言いながら頭を掻いて笑ったのは、報告書の提出者――ウチの養父の代から付き合いのあるエールズだったわ。
「この用意周到さ。さすがアタシですね!」
と、エールズの隣で胸を張るミリィには、ちょっとだけムカついたわね……
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