第1話 15

「――そうだ、クロ。ダグ先生の頬を治してやってくれ」


 玄関に向かう廊下を歩きながら、俺はクロに告げる。


「あ、そうだね」


 と、クロはチュータックスへの「おはなし」の際にも用いた霊薬を虚空から取り出し、俺の肩から飛び立って、その丸い手でダグ先生の頬に塗り込んだ。


 ひどく腫れていたダグ先生の頬が、見る間に癒えて行く。


「――は? もう痛くねえ!? なんだその薬、すげえな!?」


 頬を押さえて驚くダグ先生に、クロの奴は宙に留まったまま胸を張る。


「まあね! ボクの主――アジュア特製の霊薬だからね」


「アジュア?」


「……俺の師匠だな」


 あのババアの事を説明するなら、それが一番適切な言葉だ。


 さして広くない屋敷だ。


 そんな事を話してる間に、俺達は屋敷の玄関に辿り着く。


 ドアを開けて外に出れば。


「――バートン女男爵閣下! 誠に申し訳ありませんでしたっ!!」


 後ろ手に縛られたチュータックスとハゲ男が地面に頭を擦りつけて、俺達を出迎える。


「うむ、やればできるじゃねえか。偉いぞ」


 と、俺はふたりの間に立って、その背中を叩いて褒めてやる。


 どんなバカな獣でも――いやバカな獣だからこそ、正しい事、良い事をしたなら褒めてやる。


 ババアが教えてくれた、ペットのしつけの基本だな。


「――ハイ! お褒め頂きありがとうございますっ! 光栄でありますっ!」


 声を揃えて感涙にむせぶ二人。


 だが、リディア達は――


「ん? おまえ達、なんでそんな顔してるんだ?」


 やや引きつった表情を浮かべているのはなぜだ?


「あ、あの……アル? ひょっとして二人になにかおかしな魔法でも使いましたか?」


「ハハッ! いいか、リディア。精神操作や洗脳の魔法ってのは空想の産物だぞ? そんなものは存在しないんだ」


「で、では、この二人の変わりようは?

 あっ! さっきの霊薬みたいに、クロちゃんのおクスリですね!?」


 と、リディアはクロに顔を向ける。


「いや~、そういうクスリもない事はないけど、今回は使ってないよ。アレ系はおつむがパーになっちゃって、後始末が面倒になるからね。

 まあ、さっきダグに使ったような傷を治すヤツは使ったけどさ」


「ああ、だから兄ちゃんにふっ飛ばされた、バカ息子の腕が治ってるんだな? 腕まで生えるって、ホント、すげえ薬なんだな……」


 クロの説明に、ダグ先生が呟く。


「――ハイ! クロ様に治して頂きました!」


 チュータックスが律儀に応えた。


「じゃあ、この二人はいったい……」


 いまだ引きつった顔をしているリディアに、俺は笑顔を浮かべ、左右に座る二人の肩に両手を回した。


「ちょっとしたんだ。世の中の道理ってヤツをな。

 な? そうだよな?」


「はいっ! お陰様で身の程を知れました! ありがとうございます!」


「自分もでさぁ! アル様やバートン閣下、お子様達にひでえマネした身の程知らずの自分をブチ殺してやりてえ!」


 澄んだ目で告げてくるチュータックスとハゲ。


 リディアがチュータックスの前に進み出て。


「じゃ、じゃあ、今後はもう、わたしに結婚を迫ったり、付きまとったりしないのですね?」


「――当然でありますっ! アル様のオンナに手を出すようなマネ、絶対に致しません!」


「……く、口調まで変わってしまって……

 ――じゃなくて! では、謝罪を受け入れますので、もうお引取りください」


 なにか哀れなものを見るような目でチュータックスを見下ろし、リディアはそう行って手でチュータックスの馬車を示した。


「いや待て、リディア。ここからが本題なんだ」


「はい? これ以上、お話する事ありますか?」


 首をひねるリディアに、俺は人差し指を立てる。


「銀晶鉱脈の件が残ってるだろう?

 コイツ、父親が王城に送ろうとしていた、鉱脈発見の報告書を握り潰していてな……」


「――はい! 愚かだった私は、なんとか鉱脈を自分のモノにできないかと、王城に届ける役目を買って出た上で、手紙を捨てておりました! 申し訳ありません!」


「ええっ!? それじゃ届けは……」


 驚愕するリディアに、俺は頷いて見せた。


「現状、国は銀晶鉱脈の存在を知らんという事だな」


「なんてこと……」


 顔を青褪めさせるリディア。


 銀晶に限らず、鉱脈や鉱山の発見報告は領主の義務だからな。


 今回の場合は、リディアの父親である先代バートン男爵が、寄り親である先代チュータックス子爵経由で城に報告しようとしていたようだ。


 だが、それをチュータックスに握り潰されていたというワケだな。


「まあ、俺が居なくなった王城は、この地を辺境としか捉えてないようだからな。どうせいつ発見されたかなんて誰にもわからん。

 最近発見された事にして、これから報告しても問題ないだろう」


 あのお花畑が減税政策を取ったと行商人のエールズに聞かされ、リディアに確認した時に教えられたのだが、そもそも中央の役人がこの地を訪れるのは、徴税の時だけ――年に一度だけになっているのだとか。


 各領の要望を吸い上げ、同時に領主の不正を見逃さない為にも、役人達の地方視察は季節ごとに行うようにさせていたのだが、どうやら改正されたようなんだよなぁ……


 まあ、お陰で今は助かるわけだが。


「すぐに新たな報告書を用意します!」


 拳を握って意気込むリディアに、俺は手を振る。


「あ~、それはまだ待て。下手によそから横槍を入れられんよう、しっかりと根回しを済ませてからだ」


「根回し?」


「そうだ。リディア、銀晶鉱脈は国に差し出さず、このバートン領で運営するんだ」


 首を傾げるリディアに、俺ははっきりと言い放つ。


「ええ!? でも、この村にそんな人手なんてありませんよ!?」


 リディアの疑問は当然だ。


「だが、食料は余ってる。

 ……知ってるんだぞ。俺の所為で――バートニー芋の出荷量が減っているんだろう?」


 村に来る行商人――ローゼス商会自体の買付けは当初の契約通り、総収穫量から租税が引かれた分の三割を維持してくれているらしい。


 問題は、それに上乗せする形でローゼス商会が代行して仕入れていた、他領や中央貴族からの発注が激減――ほぼ無くなっている点だ。


 ……俺のお気に入りというお墨付きが、裏目に働いているんだ。


 だからリディアは節約の為、元々務めていた使用人の婆様が腰を痛めて暇乞いをして以降、使用人を雇っていないのだという。


 あのお花畑が施した減税政策があっても、元々の収入が減っている以上、バートン領――この村は俺が王太子だった頃より貧しくなっているんだ。


 俺はずっと考えていたんだ。


 俺が原因で減った村の収入を、なんとか補填できないか、と。


 それが――バカがバカをやらかしていてくれたお陰で叶う!


「いいか?」


 俺はリディアに説明を始める。

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