第1話 14

 ナイフで斬られた傷口に、シノおばば様の傷薬をマチネちゃんに塗って貰うと、わたしは子供達にお礼代わりに焼き菓子とお茶を振る舞いました。


 時々外から、窓を震わせる轟音やひどく生々しい湿った音が聞こえて来て、シーニャちゃんやルシオくんが窓から覗こうとするので、注意を逸らす必要があったのです。


 山で採れた果実のジャムを練り込んだ焼き菓子は好評で、子供達は喜んで食べ、やがて年少組の二人はソファで眠ってしまいました。


「――んで、リディア姉ちゃん。そろそろ教えてくれよ。

 姉ちゃん、アル兄ちゃんを殿下って呼んだよな?」


 きっと訊ねる機会を伺っていたのでしょう。


 幼い二人が寝入ったのを見計らって、ダグくんが訊ねてきました。


「殿下って、王族の人に使う呼び方だよね? リディアお姉ちゃん、ひょっとしてアルお兄ちゃんって……」


 マチネちゃんもダグくん同様に、すでに殿下について察するものがあるようです。


 わたしはいつか子供達がわたしのように、村の外に出たいと願った時に困らないようにと、普段から勉強を教えていたのです。


 その為、二人は普通に読み書きができますし、屋敷の書庫からよく本を借りて行くので、年齢の割に物知りなのです。


 ダグくんは騎士物語が好きですし、マチネちゃんは社交界ロマンスモノが好きで、どちらも宮廷を舞台にした物語なので、当然、貴族の敬称についても理解しています。


 そんな二人の前で、動揺していたとはいえ、「殿下」とお呼びしてしまったのですから、気づかれないわけがありません。


 賢い二人には、下手に隠すより理解してもらった上で、黙ってもらっている方が良いかも知れませんね。


「……ええ。殿下は――カイル陛下にその座を追われたという、先の王太子――アルベルト殿下です」


「ひゃ~……それってアレだろ? 色々と悪い事やってたっていう、悪逆王太子!」


 タグくんは驚きに目を見開きます。


 村に来る行商人は、殿下が紹介してくれた紹介に所属しているので、殿下の事を悪くは言う事はないのですが、彼が持ってくる新聞にはいまだに殿下を悪く伝える記事が載っていたりします。


 そういった話が村に広まるのはどうしようもなく、ダグくんはそれで知ったのでしょう。


「でも、アルお兄ちゃんって、そんなひどい事してたようには見えないよね?

 そりゃあ変なお面着けてるし、時々、イラっとする事言うけど、すぐに謝ってくれるしさ……悪い人には見えないんだけど……」


 二人が殿下を受け入れてくれているようで、わたしは嬉しくなりました。


「そうなんです! 殿下は素晴らしい方なのですよ。

 でも、色々と誤解もされやすくて……王太子というお立場では謝罪も容易い事ではありませんからね……」


「あ~、謝ることもできないから、余計にこじれるのか……兄ちゃん、生き方が不器用そうだもんなぁ……」


「そうそう。よくジジババに捕まってるよね。

 ジジババの長話なんて、うんうんって聞き流しておけば良いのに、真面目に応えるから、ず~っと付き合わされてるの!」


 ダグくんとマチネちゃんが顔を見合わせて笑い合います。


「でも王太子様って、確かお城の地下大迷宮に追放になったんじゃなかった?」


「新聞に載ってたな。『悪逆王太子、魔神の生贄に!』ってさ」


 王城地下大迷宮とそこに封じられた魔神の事は、この国の子供なら誰でも知っているおとぎ話です。


 初代国王陛下が魔神を封じる英雄譚。


「それがなんでアージュア大河から流れてくるの?」


「大迷宮と大河が繋がってるんじゃね? アル兄ちゃんって結構、抜けたトコあるからうっかり流されたとか……」


 その時、部屋のドアが開いて、殿下がやって来ました。


「――さすがダグ先生だな。およそその通りだ」


 殿下は口元に苦笑を浮かべながら、ダグくんの推測を肯定なさいます。


「――兄ちゃん!」


 ダグくんが殿下に駆け寄りました。


「兄ちゃんって、王子様だったんだな……」


 ダグくんは殿下を見上げ、不安そうに訊ねました。


「わたしが殿下とお呼びしたもので……申し訳ありません」


「まあ賢いダグ先生なら気づくだろうな。

 ――ダグ先生、以前は確かにそうだったが、城を追われた今の俺は……あ~、ただのアルで、ダグ先生の教え子だ」


 ゆっくりと言葉を選びながら、殿下は膝を折ってダグくんに語りかけます。


「……それともダグ先生は、俺が廃された悪逆王子と知って、イヤになっただろうか?」


 仮面に顔を隠されているのに、殿下がひどく不安げな表情を浮かべているのがわかります。


 ダグくんもそれを察したようで、慌てて首を振りました。


「――バッ! バカにすんなよ!? そんな事で俺が兄ちゃんを見捨てるはずねえだろ!?

 ただ隠されてたのがムカついただけだ!」


「そうだよ! アルお兄ちゃん、あたし達を信用してないのかーって、ちょっとイラっとしちゃった!」


 ダグくんの隣にマチネちゃんも並び、ふたり揃って腕組みして殿下に言い募ります。


 そんなふたりの様子に殿下は狼狽えて。


「す、すまない。俺の過去の所為で、この村の者達を巻き込みたくなかったんだ」


 ――知らなければ、巻き込むことはない。


 不器用でお優しい、殿下らしい考え方です。


「あ~、隣の領のバカ息子とか、兄ちゃんの事を知ったら真っ先にチクりそうだもんな」


 ダグくん、オズワルドの事をそんな風に思ってたのですね……まあ、その評価には同意しますが……


 すっかりいつもの調子を取り戻した二人に、わたしは安堵します。


 それは殿下も一緒だったようで、口元に嬉しそうな笑みを浮かべてふたりの頭を撫でました。


「とりあえず、アル兄ちゃんの事は内緒ってのはわかった」


「うん。お兄ちゃんはもう、大事な村の仲間だもんね。あたし達だけの秘密!」


 と、ふたりはうなずきあって、口元に人差し指を立てました。


「――でも……」


 それから二人は声を揃えて呟き、クルリとわたしに振り返ります。


「――リディア姉ちゃん!」


「――リディアお姉ちゃん!」


「――は、はいっ!?」


 急に名前を呼ばれて、わたしはソファの上で飛び上がりました。


「姉ちゃん、オイラ達の前では兄ちゃんの事、アルって呼んでるけど、普段はどうせ殿下って呼んでるんだろ?」


「というか、普段からうっかり呼びそうになってるよね? 『でん……アル』っていつもなんだろうって思ってたんだけど、殿下って呼びそうになってたよね?」


 ふたりがわたしに詰め寄って来て、指を突きつけて指摘します。


「もし兄ちゃんの事が外にバレるとしたら、絶対に姉ちゃんからだぜ?」


「現にあたし達にバレたのも、お姉ちゃんからだし!」


 そうして二人はうなずきあって。


「――これから姉ちゃんは、『殿下』禁止な!」


「――これからお姉ちゃん、『殿下』禁止ね!」


 二人揃って、わたしに人差し指を突きつけます。


「で、でも……」


「でもじゃない!」


 うぅ……普段は口喧嘩ばかりしているのに、こんな時ばかり息ぴったりです。


 ダグくんは殿下に振り返り。


「別に兄ちゃんだって、アルって呼ばれてもイヤじゃねえよな?」


 問われた殿下は、ごく自然にうなずいて。


「ああ。現にそれを咎めた事などないだろう?

 むしろなぜふたりになると、いまだに殿下と呼ぶのか、不思議だったくらいだ」


 本当にわからないとでも言うように、腕組みをして首を捻りました。


「ほらぁ! じゃあ早速呼んでみて。さんはい!」


 マチネちゃんは、なぜか目をキラキラさせて、わたしに促しました。


「う……ア、アル……」


「ああ」


 うわああ~……


 なんでしょう? なんででしょう? すごく恥ずかしいです!


 きっと今、顔が真っ赤になってるはずです。


 まともに殿下――ア、アルの顔が見られません。


「――まねダメ……たげすごくめぐせじゃ恥ずかしい……」


 思わず領訛りで呟き、わたしは頬を押さえてしゃがみ込んでしまいました。


 そんなわたしの様子を見て、ダグくんとマチネちゃんが手を打ち合わせます。


「そう言えばお兄ちゃん、あのバカ息子はどうしたの?」


 と、マチネちゃんが思い出したように、殿――やっぱりまだ慣れませんね――アルに訊ねました。


 というか、マチネちゃんもオズワルドの事をバカ息子呼ばわりなんですね……


「ああ。ちょっとして、イイ子になって貰った。今は外でクロに治療させてる」


「クロって、あの魔獣? 急に出てきたからびっくりしたけど、まるっこくて可愛いよね」


 それにはわたしも同意します!


 ぬいぐるみみたいな見た目で、すごく可愛らしいと思います!


「――お、ボクの愛らしさがわかるなんて、お嬢ちゃん、見る目あるね」


 と、その時、ドアが開いて、話題の魔獣が部屋にやって来ました。


 黒くてまん丸な彼は、宙を滑るように飛んでアルの肩に降りると、短く丸い手でアルの頭をポムポムと音を鳴らして叩くのです。


「コイツなんてさ、初めて見た時、『変なの』って言いやがったんだぜ? 信じられるかい? 

 こんなに可愛らしい見た目のボクをだよ!?」


「いや、変だろう!? 竜みたいな顔してるクセに丸っこくて、しかも人の言葉を喋るんだ」


「いやいや、あの時、アリシアはちゃんと可愛いって言ってくれたじゃん!

 ローダイン王族歴代を通して、キミだけだかんな!? ボクを『変なの』なんて言ったやつ!」


 と、魔獣――クロちゃんは、アルの肩の上で地団駄を踏みます。


「お兄ちゃんって、本当に言葉選び下手だよねぇ」


 マチネちゃんが呆れたようにため息を吐きました。


「頑張って、直していこうな……」


 ダグくんがアルの背中を叩いて慰めました。


 アルは低く呻いて。


「そ、そういえばあいつらはどうした? 治療は終わったのか?」


 子供達から視線を逸しながら、クロちゃんに訊ねます。


「……あ~! お兄ちゃん、話を逸した」


「兄ちゃん、そういうトコだかんな……」


 子供達のツッコミが入りました。


 けれど、クロちゃんは気にした様子もなく応えます。


「ああ。終わったよ。念の為に手足を拘束して、外で待たせてる」


「よし、じゃあ行くか」


 アルはそう言うと、わたし達を外に――オズワルド達の元に連れて行ったのです。

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