第1話 12

 俺が振り降ろした右足は兵騎の仮面を割り、その下――頭内部に収められた合一器官までをも踏み砕いた。


 膝まで埋まった脚を引き抜くと、俺は兵騎の胸部装甲を強引に押し開く。


 剥き出しとなった鞍房あんぼうの中で、ハゲ男は失禁し、白目を剥いて意識を失っていた。


 その胸ぐらを片手で掴み上げれば、ハゲの股の間にあった割れた仮面――機能を失った兵騎の同調器だ――が、乾いた音を立てて床に落ちる。


 いかに騎体の損傷が、合一者リアクターに痛みとなって反映されるとはいえ、これしきで気絶するとは情けない。


「本当にただのゴロツキだったのかもしれんな……」


 俺は呟きながら、ハゲを地面に放り投げた。


 頭から落ちたハゲは、上下逆さまな奇妙な体勢のまま静止する。


 腕が曲がらないはずの方向を向いているが、リディアを拉致しようとしたのだ。安い代償だろう。


「さて、残るはチュータックスだが……」


 あの野郎、どこ行きやがった?


 兵騎の胸から飛び降りて、周囲に顔を巡らせると。


 不意に子供達の悲鳴が響き渡る。


「――アルお兄ちゃーんっ!」


 シーニャが泣きながら俺の元まで駆けてくる。


 俺は膝を折って彼女を抱きとめ。


「どうした?」


 そう尋ねると、シーニャはやって来た方を指差しながら訴える。


「あのおじちゃんが――」


 その方向に視線を向けると――


「――てめえ、リディア姉ちゃんを離せ!」


 ダグ先生の声。


 納屋の前。


 ぐったりとしたリディアを抱きかかえたチュータックスと、それに対峙したダグ先生が見えた。


 ダグ先生は泣きじゃくるルシオを背後に庇っている。


 チュータックスに殴られたのだろうか。


 ダグ先生の頬は青黒く腫れて、唇が裂けて血が滴っている。


 だというのに、あの子は自分より幼いルシオを庇い、リディアまでをも取り返そうとしているのだ。


 俺はシーニャを抱えあげ、そちらへ向かう。


「バ、バケモノが! 来るな!」


 俺に気づいたチュータックスが、手にしたナイフをリディアの首筋に突きつける。


「……小物が……小賢しい真似を……」


 毒づきながらも、俺は足を止める。


「――兄ちゃん、ごめん。オイラ、姉ちゃんを守れなかった……」


 ダグ先生が涙ぐみながらに吐き出した。


「いや、ダグ先生。その頬を見ればわかる。彼女を守ろうと戦ったのだろう?

 ……ここからは俺に任せろ」


 そうして俺はシーニャをダグ先生に任せて、チュータックスを睨んだ。


「それでどうするつもりだ? 逃げるのか? リディアを抱えて? 貴様のようなお貴族サマは、自ら馬車を操れはしないだろう?

 なあ、教えてくれ。どうやってこの場から逃げ切るつもりなんだ?」


 激昂して襲いかかって来ないものかと、俺はヤツを煽った。


 だが、ヤツはニタリと気色の悪い笑みを浮かべる。


 チュータックスはリディアにナイフを突きつけたまま、その首にもう一方の手を這わせ――ん? あれは魔道器か?


「――解き放て」


 チュータックスが唄った喚起詞に応じて、リディアに嵌められていた黒色の首輪が外れた。


「――オズワルド! こんな事をして――子供に手まであげて、あなたは恥ずかしくないのですかっ!?」


 途端にリディアが身じろぎして、チュータックスに怒鳴る。


「おっと、動くなよ。手元が狂うかもしれんぞ?」


 ナイフの刃先がリディアの首筋を傷つけ、赤い雫を滴らせた。


「――っ!!」


 ……なるほどな。


 あの魔道器でリディアの身体の自由を奪っていたというわけか。


 ……呪いの魔道器――呪具だな。


「おい、貴様! 貴様はそれを着けるんだ!」


 チュータックスは俺にそれを放り投げて来て、そう叫んだ。


「なるほどな。その呪具で俺を拘束し、その間に逃げようというわけか……」


 低能な割に――いや、低能だからこそ、こういう悪知恵が働くのだろうか。


「俺が着けると思うか? それをしたらどの道リディアが拐われるというのに」


 皮肉げに哂って見せるが、顔すべてが仮面で覆われているから伝わらんようだ。


「……そもそもの話だ。リディアを殺してしまっては、貴様の目的は叶わんぞ?」


「――目的?」


 リディアが不思議そうに首を傾げて、チュータックスを見上げる。


 俺はリディアの疑問に答えるえる為に、言葉を続ける。


「先日、行商人に聞いたんだが……ちょうど一年ほど前、このバートン領の外れ……チュータックスとの領境そばの山から銀晶が出たそうだな?」


 銀晶というのは霊脈から湧き出す魔道物質の事で、この世界を構成する精霊が結晶化したものだと言われている。


 大型魔道器の喚起や、大規模魔道儀式に触媒として用いられる他、魔道刻印を刻む際にも使われる為、その鉱脈を見つけた場合、金や銀以上に莫大な財産となるのだ。


 リディアの目が見開かれる。


「オズワルド!? アレは管理しきれないからと、国に献上すると父さん達が決めたはずでしょう!?」


 父さんという事は、バートン男爵は恐らく先代チュータックス子爵にも相談したのだろう。その上で二人は国に献上する事にしたのだ。


「……ひょっとしてあなた……小父様が急逝なさったのも……」


 顔を真っ青にしてリディアがチュータックスを睨む。


 途端、ヤツはゲラゲラと笑い出した。


「――ああ、そうだ! あのクソ親父、せっかく金持ちになれる機会だというのに、銀晶鉱脈を国に差し出すとか抜かしやがって!

 挙げ句に俺を後継から外そうとしてやがったから、死んでもらったよ!」


「……なんてこと……」


 勝ち誇るチュータックスに、リディアは顔を青褪めさせて項垂れた。


「いや、鉱脈はバートン領のものだ。チュータックスは関係ないのだが……」


「バカが! だからこそ、この女を嫁にしてやろうとしたんだろうが!」


「ふむ。それではやはり、バートン男爵が亡くなられたのを良い事に、リディアとの婚姻によるバートン領併合を企んだということか」


 ……本当に、小賢しい事を考えたものだ。


「だというのに、この女は断りやがって! 挙げ句に貴様のような得体の知れん男まで現れて! この俺の崇高な計画が乱れまくりだ!」


「……崇高とはまた。随分と穴だらけに見えるのだがな。

 そもそも銀晶鉱脈の経営は旨味はでかいが、その分、初期出資額も莫大な額が必要だぞ? 貴様程度に出せるとは思えんのだがな」


 だからこそ、先代子爵と男爵は国への献上を考えたはずだ。


「ハハッ! 所詮はバケモノ! 物を知らんようだな!?

 ――我らが偉大なるカイル陛下は、鉱山経営に補助金を交付してくださるんだ!」


「……は?」


 俺は思わずリディアを見る。


「……事実です。ただしその審査の際には、ようですが……」


「なにが相応の見返りだ! そんなものはなぁ、領民を使って鉱脈で働かせればすぐに稼ぎ出せるんだよ!」


「……つまりなにか? 貴様は自らの懐を潤す為に、リディアの自由を踏みにじり、領民に稼がせようとしている――そういう認識で良いのだな?」


 審査する文官――あるいは役所ぐるみで賄賂を取っているという事か。


 普通の鉱山ならば、国土地理院の管轄なのだろうが、魔道という戦力にも直結している銀晶に関しては、管理は内務省にて行われている――はずだ。俺が王宮にいた時の所轄のままなら。


 あの甘ちゃんめ。


 なにが民の為の政治だ。


 補助金に関しては、きっとそれによって鉱山労働者の待遇を良くするとか、そういう目先の考えなのだろう。


 それ自体は悪くない。


 だが、それがどう使われるか、あるいはどう選定されるのかまで考えが及んでいないのだ。


 理想ばかりに目が行って、臣下の締め付けができていないじゃないか!


 いや、そもそも自らの臣下が悪を成すとは考えていないに違いない!!


 この三週間で耳にした、ヤツの施策はこんなのばかりだ!


 お綺麗なお題目の裏で、なにが行われているのか――それがまるで見えていない!


 俺は深々とため息を吐いた。


 ――なにはともあれ、まずはこの騒動を終わらせるべきだな。


「貴様がなにを企もうと、もはや庶民となった俺は知ったことではないのだがな。

 ――リディアに手を出すというのなら……」


 いや、ダグ先生に教わっただろう。


 こういう時に使う言葉を。


「俺のオンナに手を出すというのなら、赦しちゃおけねえ!」


 チラリと横目でダグ先生を見れば、親指を立ててニヤリと笑ってくれた。


 正解だったようだ。


「――わいは……やっぱ聞き間違いでねがった……」


 なぜかリディアが身悶えた。


「いいからさっさと呪具を着けろ! 俺がこの女を傷つけられないと思っているのか!?

 こっちは生きてさえいれば、それで良いんだぞ!?

 いや……顔でも傷つけてやれば、貴様も諦めるか?」


 と、チュータックスは血走った目で呟き、リディアの頬をナイフの腹で叩く。


 リディアが息を呑んだ。


「……ゲスが……」


 俺は吐き捨てる。


 あんな男は一瞬で制圧できるが、万が一にもリディアが傷つく恐れがある以上、強引な手段には出たくない。


 なによりリディアを怖がらせるのは、俺の本意ではないのだ。


 ――だから。


 背後――バートン屋敷の向こうに見える山に顔を向けて声を張り上げる。


「――どうせ俺がどうするか、近くで笑って見ているんだろう!?」


「な、なにを!? おかしくなったのか!?」


 戸惑いの声をあげるチュータックスを無視して、俺はさらに続ける。


「いい加減、出てきて力を貸せ!

 ――クロっ!」


「――もう、仕方ないな。やっぱりキミはボクがいないとダメなんじゃん!」


 そんな声と共に、屋敷の左の茂みから黒い影が飛び出してくる。

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