第1話 11
あの大男に首輪型の魔道器を着けられた途端、わたしはまるで身動きできなくなってしまいました。
オズワルドはわたしを馬車に乗せて連れ去ろうと、大男に担がせて屋敷の外に出たのです。
もうこのまま連れ去られるしかないという諦めと……
同時に、殿下が居ない時で――あの方を巻き込まずに済んでよかったという……ささやかな満足感が湧き上がりました。
……動かない身体は涙する事さえできませんでしたが、それでよかったのかもしれません。
――わたしはあの方の侍女なのです。
殿下がどれほど否定しようと、あの方は父さんが誇りに思う王族で――わたしが敬愛する王子様なのです。
だから、そんな方にお仕えするわたしが、我が身可愛さで泣くような事があってはならないのだ――と、わたしはともすれば湧き上がりそうになる恐怖心を抑えつける為に、そう自分に言い聞かせました。
これからオズワルドの屋敷に運ばれ、そこでどのような陵辱が待っていようと、あの方を再びお世話できたこの三週間の思い出さえあれば……わたしはきっと耐えていける。
馬車に乗せられた時には、そう覚悟を決める事ができました。
……だというのに。
ああ……だというのに――
「――死ねっ!」
そんな叫びと共に、あの方は突風を引き連れて現れたのです!
まるで物語の一幕のような光景。
あの野卑な大男を蹴り飛ばした殿下は、さらにオズワルドも殴り飛ばしました。
魔道器によって涙が流れない事が悔やまれます。
この想いを――この喜びを表す術が、今のわたしにはなにひとつないのです!
殿下を巻き込みたくないと思っていたのに、喜びに心を高鳴らせてしまう自分を恥ずかしく思います。
けれど、こんな……こんなのって――殿下はズルいです!
この三週間ですっかり懐いた村の子供達が殿下に抱えられ、あるいはしがみついていましたが、殿下から地面に降り立つとわたしを馬車から降ろしてくれました。
殿下が拳を鳴らしながら、オズワルド達を牽制している間に、子供達はわたしを馬車の向こう――畑の横にある納屋の前まで運びます。
「……アルお兄ちゃん……」
不安そうに殿下を呼ぶ、マチネちゃん。
「大丈夫だよ、お姉ちゃん! アルお兄ちゃん、すっごかったじゃない!」
シーニャちゃんが興奮気味に拳を振ってマチネちゃんに言います。
「そう! アルお兄ちゃんのキック、すっごかった!」
ルシオくんも目をキラキラさせています。
「――ダグ先生! こういう時、庶民はなんと言う?」
と、オズワルド達と対峙していた殿下がこちらを見て、ダグくんに呼びかけます。
「おっと、お呼びだ! ちょっと行ってくるから、おまえら動くんじゃねえぞ?
リディア姉ちゃんを頼んだからな!」
そうして駆けていったダグくんは、殿下の背に飛び乗って耳打ちしました。
殿下は一度首を傾げたものの、ダグくんがさらになにか告げると納得したようです。
ダグくんが馬車の陰に滑り込んで身を隠す中、殿下はオズワルド達に言い放ちます。
「――俺のオンナに手を出すんじゃねえ、ゲス野郎!」
わたしの唯一自由になっていた、思考が真っ白になって止まりました。
――俺のオンナに手を出すんじゃねえ。
俺のオンナ……
その言葉が――殿下の低い声で何度も何度も脳内で繰り返されます。
殿下がわたしを、俺のオンナって――っ!?
そうしている間にも、激昂したオズワルドの絶叫が響き、大男が――あろう事か兵騎を喚び出しました。
大きい領や王城の騎士達が大型魔獣討伐などに使う魔道兵器――それが兵騎です。
古代遺跡を巡る有名な冒険者や、ごく一部の傭兵団などでも使っているそうですが、ただのゴロツキが持てるようなものではありません。
――浮ついていた頭に、冷水を浴びせられた気持ちです。
自由にならない身体は、殿下に呼びかける事すらできないのです。
ですが殿下は怯む事無く――それどころか仮面に覆われていない口元に笑みすら浮かべて、大男が乗り込んだ兵騎を見上げるのです。
兵騎の仮面に光が灯り、合一が果たされて拳が振り上げられます。
それを見上げながら。
殿下は胸の前で拳を握り、よく通る声で喚起詞を唄いました。
「――
聞いたこともない喚起詞でした。
けれどそれは確かに世界に響いて。
殿下の仮面の双眸が、強く蒼の閃光を放ちました。
その瞬間、世界が静止したかのように、すべてが動きを停めて。
「――オオオオオォォォォッ!」
殿下の叫びが辺りに木霊しました。
仮面から虹色の線が伸びて、瞬く間にその全身を覆っていきます。
描き出された幾何学模様が魔道刻印を示しているのだと気づいた瞬間――殿下の身体が変貌を遂げていきます。
全身を漆黒の皮膚が覆い尽くし、拳を、脚を、甲冑のような甲が覆っていきました。
顔の下半分に、狼の下顎のような仮面が現れ、まるで燃え上がる炎のように、その真紅の髪が背中まで伸びたのです。
まるで人狼のような異貌の姿。
けれどその双眸の蒼の輝きは、どこまでも澄んでいて、間違いなく殿下なのだとわたしに確信させるのです。
――世界が、思い出したかのように動き出しました。
兵騎の拳が、変貌を遂げた殿下に振り降ろされます。
「――兄ちゃんっ!?」
馬車の陰に隠れていたダグくんが叫びました。
わたしの側にいる子供達も息を呑みます。
――ですが。
「――ハァッ!!」
そんな気合いの叫びと共に、殿下は拳を振り上げました。
巨大な兵騎の拳を、真っ向から迎え撃ったのです。
王都にいた時に、街壁の補修の為に古い壁を兵騎が専用の大金槌で突き崩していたのを見たことがあります。
その時によく似た轟音が、辺りに響き渡りました。
拳をぶつけ合って静止する異形と兵騎。
ピシリ、と。
乾いた音が聞こえて。
兵騎の拳に亀裂が走りると、それはみるみる広がり、肩まで駆け上がって、その重厚な装甲の内側から、白色の鮮血が飛沫をあげて噴き出しました。
『ぎゃあああああああ――――ッ!?』
大男が悲鳴をあげます。
兵騎とは、搭乗者が魔道器官を繋げて合一する事で喚起される魔道器です。
だから合一している間は、搭乗者は騎体の痛みがそのまま伝わるのです。
「――ハッ! どうした、<狂狼>? この程度で悲鳴をあげるとは情けない!」
砕けた腕を押さえてのた打ち回る兵騎に、殿下は呼びかけます。
ですが腕を砕かれた痛みの為か、兵騎と合一した大男は悲鳴をあげるばかり。
「そもそも貴様ごときが、俺を見下ろすのが気に食わん!」
そう告げた殿下は、ひどく無造作に蹴りを放ちました。
再び轟音が響いて。
『があああああ――ッ!!』
兵騎の右脚が砕け。
「そら、もう片方もだ」
次いで左脚も蹴り砕きます。
兵騎の巨体が砂埃を舞い立てながら、仰向けに倒れました。
唯一無事な左腕が宙を掻きます。
「フム。他愛もない。これでは傭兵というのすら疑わしいな?
本当に戦場に出た事があるのか? 本当はただのゴロツキではないか?」
殿下がそう呟きながら、その伸ばされた兵騎の左腕を殴りつけると、左腕は嵐に薙ぎ飛ばされる大樹のように、地面に亀裂を走らせてめり込みました。
殿下は倒れた兵騎の胸に跳び上がり、その頭部に向けて脚を振り上げます。
『も、もう、や、やめ……てぇ……』
「……どうせ貴様のような輩は、そう言った者達を笑いながら慰み者にしてきたのだろう? たまにはやられる側の気持ちも味わうと良い。
――恐怖を魂に刻み込め!」
そして、殿下は容赦なく右足で兵騎の仮面を踏み割ったのです。
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