第1話 9

 そもそも学園に行っていない父さんは、字を書くのが苦手で、ひどい癖字なのです。


「書類に書かれたサインは、明らかに父さんの字と違っています!

 ――捏造でしょう!」


「いや、男爵は自分の字の汚さを自覚して、代筆を頼んだんだよ。

 愛娘の大事な書類を穢すわけにはいかない、ってね」


「家同士が結ぶ婚約契約書を代筆なんて、父さんがするわけがないでしょう!?」


 もし仮にそんな書類があったとしたら、きっと父さんはなにを置いても直筆したわ。


 ――よりにもよって、父さんの事までバカにしてっ!


「わたしは長女ですよ? 家を領を継がなければならないのに、父さんがわたしを嫁がせようとするわけないでしょう?」


「だからこそ父達は、おまえと私とが一緒になる事でチュータックス領とバートン領をひとつにしようと考えたのではないかな?」


 それだけは絶対にない!


 わたしはカップを置いて、オズワルド様を見据える。


「野良仕事を下賤と嫌うあなたに、父さんや小父様がこの領を任せようとするはずがない!

 ……オズワルド様、いったいなにを企んでいるのです!?」


 かつて、まだわたし達が本当に小さな頃には、確かにそういうお話もあったのだと父さんから聞かされています。


 ですが、それはあくまで幼い頃の話です。


 わたしは王宮務めに憧れ、けれど父が病に倒れて帰省を余儀なくされてからは、領の安堵に努めるようになりました。


 一方、オズワルド様はというと、成長するにつれて都会の暮らしに憧れるようになり、学園に進まれてからは滅多にチュータックス領に帰って来なくなったのだと、エドワード小父様も嘆いていたのです。


 だから、オズワルド様がチュータックス家を継ぐ時は、かなり揉めたと聞いています。


 エドワード小父様は息子のオズワルド様ではなく、ご自身の弟のお子様――つまりは甥御様、オズワルド様の従兄弟にあたる方を後継者として育成なさっていたのですが、オズワルド様はそれを認めなかったそうです。


 幼い頃からお世話になっているとはいえ、チュータックス家はあくまでよその家ですから、エドワード小父様のご逝去に際して、一門内でどのようなやり取りがあったのかはわたしにはわかりません。


 わかりませんが……お家を継いでから、やたらとわたしに好意を示し、頻繁にやってくるようになったオズワルド様の言葉を信じるならば、裁判に則って正式に跡を継いだのだそうです。


 なんでも、カイル陛下が新設した法律で、嫡子から親戚筋が不当に家督を奪う事はできない――というものがあるのだそうで。


 その法によって、オズワルド様はチュータックス家の後継として認められたのだそうです。


 それからすぐに、彼はわたしに求婚するようになりました。


 ですが、そもそもの話――


「心外だな。私の愛を疑うのか?」


「愛? 昔からわたしを泥臭い田舎娘と毛嫌いしていたあなたが、わたしに愛?」


 王宮に憧れ、必死に勉強を初めた時でさえ、「おまえのような田舎娘が王宮で務まるものか!」と、小馬鹿にしていたのをわたしは忘れていません。


「そ、それは――幼さがゆえのあやまちだ。

 よくあるだろう? 好きだからこそいじめてしまうという……わかるだろう?」


「それで済ませようというのですか!? わかりませんよ!」


 あまりな言い分に、わたしは声を荒げます。


 途端、オズワルド様の雰囲気が変わりました。


 深々とため息を吐くと、ソファに深くもたれかかり。


「……もう、面倒だな。こうして何度も何度も足を運んでやってるのに、おまえは変わらずその態度だ」


 懐から紙巻たばこを取り出し、魔法で火を着けると、彼は煙に目を細めながらわたしを見据えます。


「――なら、諦めてくださいよ!

 何度来られても、わたしはあなたと結婚するつもりなんてありません!」


 オズワルド様が紫煙を吐き出します。


「それは……おまえが近頃拾ったという、男の所為か?」


「は?」


 なにを言われたのかが理解できず、わたしは首を傾げます。


「聞いたぞ? おまえなんかを追って、王都からやってきた男が村に住み着いたとな」


「そ、それは――」


 どうやらオズワルド様は、殿下との噂を聞きつけ、勘違いしているようです。


 わたしは否定しようとしますが、オズワルド様はタバコを咥えたまま、身を乗り出して怒鳴ります。


「偽物王子に弄ばれ、捨てられたおまえを、この俺様が貰ってやろうと言っているのに、なかなかなびかないと思えば、よもや王都で別の男にも股を開いていたとはな!」


「違います! 取り消してください! あの方は――」


 瞬間、衝撃が来て、視界がブレ、わたしは床に倒れ込みました。


 頬に熱が走って、殴られたのだと気づきます。


「――あの方だぁ!? どこの者とも知れぬ野良犬だそうじゃないか!

 おまえ、そいつが追って来たと思って、気が大きくなってるんだろう?

 だが、そうは行くか!

 ――おいっ!」


 オズワルド様がドアの向こうに声を掛けると、部屋の外で待機していた彼の護衛が踏み込んできます。


 王都の下町でたむろしているゴロツキのような風貌。


 剃り上げた頭に浅黒い肌。


 その体躯はゴリバさんより大柄で、暴力沙汰に慣れているように見えます。


「なんでえ、結局こうなるんじゃねえか」


 彼はわたしを見下ろして、べろりと舌舐めずりしました。


「だからオレぁ言ったんだぜ? さっさと剥いてブチ込んどいた方が早えってな!」


 護衛の男が下卑た笑みを浮かべながら、そうオズワルド様に言い放ち。


「ああ、ここまでバカだとは思わなかった。

 もう優しくしてやるのはヤメだ。立場をわからせてやらんとな!」


「じゃあ、早速始めるか?」


 男はその巨体とは裏腹に、素早い身のこなしでわたしに近づき。


「ぐぅっ……」


 右手でわたしの喉を握り込みました。


 宙に吊り下げられ、呼吸ができず、目に涙が滲みます。


「――いや……まだダメだ」


 オズワルドは床にタバコを落として踏み消しました。


 絨毯が焦げる臭いが客間に漂います。


「村の連中に感づかれたら面倒だ。まずは屋敷に連れ帰って、躾けるのはそれからだ」


「んだよ。いっそ見せつけてやったら、大人しくなるんじゃねえか?」


 男はわたしの首を掴んだまま顔を寄せてきて、わたしの頬を舐めました。


「――――ツッ!? ヤッ……」


 ……この人達は……わたしを慰み者にしようとしているの……?


 そう理解できてしまうと、身体がガタガタと震え出します。


「ハハっ! こいつ、ようやく状況が理解できたようだな!?」


 と、男は嘲笑を浴びせながら、わたしのブラウスの前を空いた手で掴み、力任せに引っ張りました。


 ボタンが弾け飛び、ブラウスが引き裂かれます。


「おお、地味なツラの割に良いモン持ってんじゃねえか」


 太く無骨な指がわたしの胸を撫で回し、わたしは不快さに吐き気がこみ上げてきました。


「ぐっ! やめ――触らないで!」


 なんとかそう叫んだのですが。


「うるせえ!」


 頬を張られて、目の中に星が飛びました。


 口の中が切れたのか、鉄臭い味が広がります。


「……ジョニス、私は帰ってからだと言ったぞ?

 正式にこの領を手に入れるには、妙な噂を立てられるワケにはいかないんだ。

 バカな貴様にもわかるだろう?」


 オズワルドに低い声で告げられて、男――ジョニスは舌打ちしました。


「さあ、愉しみたいなら、さっさと例の魔道器をそいつに着けろ」


「――へいへい」


 と、オズワルドの指示に応じて、ジョニスがズボンのポケットから黒色の首輪を取り出しました。


 ――例の魔道器。


 オズワルドがそう言う以上、ロクなものではないのでしょう。


「じゃあ、帰ったらたっぷりと可愛がってやるから、大人しくしてろよ」


 その首輪が――ゆっくりと迫ります。


「アル……ベル……」


 怖気づきそうになる心を必死に保つ為に……わたしはあの方の名前を呟きました。

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