第1話 7

 俺もまた子供達に続き、流れる水底にスコップを差し込んでは、堆積した泥を掻き上げていく。


 石材を組んで造られた灌漑は、幅一メートル、深さ五十センチほどで、ここに来る前に取水源に木板を降ろして水量調整してから来たので、水の深さは俺の脛くらいだ。


 子供達の背丈でも、膝まであるかないかといったところ。


 水の冷たさにきゃっきゃと喜びながら、子供達もスコップで水底の泥を灌漑の外に放り投げる。


 やがて作業にも慣れて来たのか、子供達は日常の些細な出来事――昨日の夕飯だとか、山に拵えたのだという秘密基地の話だとかを語り始める。


「――今度、アル兄ちゃんも連れてってやるな! アケビの蔦を這わせてるから、秋になると食い放題なんだぜ!」


 と、ダグ先生は得意げだ。


「ほう、秘密基地……」


 庶民の子供はそういうものを造るのだと、幼馴染のアイツから聞かされている。


 俺自身は造った経験がないのだが、領民の子と一緒に造ったと言っていたアイツも、ダグ先生と同じように誇らしげな笑みを浮かべていたな。


「そういえばダグ兄ちゃん。

 お父さんが魔獣が出るかもしれないから、しばらくは山や基地に行っちゃダメって言ってた」


 ルシオがしょんぼりと眉を落としながら告げる。


「え~? そうなのか?」


 ダグ先生もがっかりと肩を落とす。


 それでも見に行こうとか、自分が倒すと言い出さない辺り、ダグ先生はやはり賢い子だ。


 アイツなら、きっと止めてもこっそり討伐に向かっただろう。


「お父さんもはっきりみたわけじゃないって。

 森の向こうから、金色の目がこっちを見てて、たぶん魔獣じゃないかって……」


「ふむ、金色とは珍しいな」


 俺は首から下げた手拭いで、額の汗を拭いながら呟く。


 金色の目、ねぇ……


 そう言われて俺が真っ先に思い出すのは、魔獣よりも――


「――アルお兄ちゃん、魔獣見たことあるの?」


 と、シーニャが俺のズボンを引いて、不安そうに訊ねてきた。


「ああ、あるぞ。それこそイヤになるくらい戦わされた」


 魔獣とは、世界を構成する精霊や霊脈から、なんらかの拍子に影響を受けて、体内に人のように魔道器官を宿した獣の事を指す。


 元になった獣からまったく別の生き物のようになる事もあれば、単に角が生えてちょっと力が強くなっただけのものもいたりと、一口に魔獣と言っても様々な種類が存在するのだが……


 俺が最終的に戦わされたあの魔獣の事は、もう思い出したくない。


 ……ババアめ。なにがただのトカゲだ。嘘つきめ……


 蘇りかけた記憶を、頭を振って再封印する。


 それからシーニャの頭を撫でながら。


「普通の魔獣ってのは、宿した魔道器官の影響で目が紅に染まるんだ。それが歳を経て魔道を扱えるようになると、瞳が金色に変わって安定する。

 だから、ロディ――ルシオの父さんが見たのは、歳を経た特別な魔獣かもしれないな」


「ええ!? お父さん、大丈夫かな!?」


 ルシオも俺の側にやってきて、不安そうな表情を浮かべる。


「心配するな。ロディは優れた狩人だ。そこらの冒険者よりよっぽど強いだろう。危険を感じたら、逃げてくるだろうさ」


 これはお世辞でもなんでもない。


 そもそもロディは元冒険者なのだ。


 ルシオの母と結婚する為に冒険者を辞めたと言っていたか。


 俺がまだ王太子だった頃に、貴族連中が自慢気に連れて来ていた、二つ名持ちの冒険者に勝るとも劣らない能力をロディは持っている。


 無名なのは、結婚資金を稼ぐ為に冒険者をしていて、金が溜まったらさっさと村に帰って来たからなんだとか。


 彼は罠を仕掛ける場所を見極める目も素晴らしいが、たった一矢で木々の間を縫い、獲物の頭を的確に射抜く矢の腕も見事で、軍に入隊していたなら斥候として栄達できたに違いない。


「そっか! アル兄ちゃんから見ても、お父さんは強いんだ!」


 嬉しそうに目を細めるルシオの頭を撫でて、俺は子供達を見回す。


「とにかく、そのロディが危ないと言ってるんだから、勝手に山には行かないようにな」


「は~い」


 子供達が声を揃えて返事する。


 そうして再び、雑談しながら泥掻きを続けていたのだが――


 ガラガラと砂埃を撒き立てながら、豪奢な二頭立て馬車が農道を駆け抜けて来る。


「ん? 馬車だと?」


 このバートニー村で暮らすようになって結構経つが、馬車など見たことはない。


 車と言えば、せいぜいがロバに牽かせた荷車くらいだ。


 俺は目の前を猛速度で走り抜ける馬車を見据える。


 車体には貴族である事を示す、家紋が刻まれているのがわかった。


「……あ~、また来たのね……」


 マチネがため息交じりに呟く。


「ん? まただと? マチネ、知ってるのか?」


「うん。お隣の領のチュータックスとかゆーお貴族様。

 リディアお姉ちゃんの事が好きみたいで、時々、あんな風にやって来るの」


「……シーちゃん、あのおじちゃんキライ……」


 シーニャが俺の脚にしがみついて、べそを掻き始める。


「オイラも! シーニャさ、前にあいつの馬車に轢かれそうになってさ。

 でもアイツ、謝るどころかシーニャを怒鳴りつけたんだぜ!」


 ……ふむ。


 俺は首を傾げる。


 記憶ではチュータックス子爵家は、古くはバートン男爵領開拓に融資し、バートン家が叙爵されてからは、寄り親になった協力者だったはずだ。


 バートニー芋の運搬時の関税について話し合う為、先代男爵――リディアの父を交えて、本人と何度か会った事もあったが、無闇やたらに子供を怒鳴りつけるような人ではなかったはず……なにせ当時は俺自身が子供だったからな。


 だが、彼は俺を子供と侮る事もなく、ちゃんと話を聞いてくれたんだ。


 確か俺より三つほど上の嫡男がいると言っていたか。


 商談に口を出す俺に怒る事もなく、むしろ息子にも見習って欲しいと、世辞とも本気とも取れない事を言って笑っていたものだが……


 ……どうも嫌な予感がする。


「よし、行ってみるか」


「お、兄ちゃん、殴り込みか!?」


 ダグ先生が力こぶを作りながら俺に尋ねてくる。


「紳士はまず話し合いからだぞ?」


 俺はそう返し、灌漑から農道に上がってしゃがみ込む。


「おまえ達を置いて行くわけにもいかんからな。乗ってくれ」


「へ?」


 子供達が不思議そうに首を傾げる。


「ああ、年少組は抱えるとしよう。ダグ先生とマチネはおんぶだ」


「え、ええと……」


「時間が惜しいな……」


 俺はダグ先生とマチネを抱え上げると肩の上に乗せ、それから両手でルシオとシーニャの腰を抱え込む。


「しっかりと掴まっててくれ!」


 手短にそう告げて。


 魔道を通した俺の足が、地面を深々と抉り取る。


 ダグ先生とマチネが両手で俺の頭を抱え込んだ。


「う、うわあああああああぁぁぁぁぁ――――ッ!?」


 子供達の悲鳴を置き去りにして、俺は一歩目から全速力で駆け出す。

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