第1話 6
村で暮らすようになって、三週間ほどが過ぎた。
日の出前に起きて畑の世話をし、朝食の後は屋敷の掃除などをして過ごす。
リディアは俺にそんな事はさせられないと、初めは拒否していたんだが、そこは強引に押し通した。
ババアの庵では、掃除や洗濯は俺の仕事だったからな。
まあ、ババアと違って羞恥心を持ち合わせた淑女のリディアは、男の俺に下着を洗われたくないだろうから、洗濯にまでは手を出さない。
昼食の後は、ダグ先生に言葉遣いを教わりながら、村人を手伝って回る。
大工仕事であったり、土木作業であったり、牛やロバの世話だったり。
狩人のロディと一緒に山に出かける事もある。
ゴリバ爺さんと川で漁をする事もあるな。
バートニー村は自給自足な生活が主体で、およその仕事は村人同士の間で完結している。
これといって得意不得意の無い俺は、だから人手が必要となる仕事を手伝って回っているんだ。
バートニー訛りもだいぶわかるようになってきた。
発音が独特で難しいから、話すのは中央言葉のままだが、聞き取りは問題ない程度にはできるようになっている。
俺に関する世間の評判も、だいぶ集まってきた。
どうやら俺を廃した後、コートワイルの野郎は爺様に譲位を迫り、カイルを即位させたようだ。
爺様はその後、療養していた離宮からいずこかに移られたというのが気にかかる。
あの爺様の事だから、命の心配はいらんと思うが……
王となったカイルは俺に宣言していたように、「民の為の政治」をしているそうだ。
二週間おきに村にやってくるのだという行商人から聞いた話だが、大規模な減税政策を取ったらしい。
直接納税手続きを行なっているリディアにも確認したのだが、どうやら事実らしい。
俺の感想は――バカだなぁ、だ。
王政封建国家の納税制度を理解していない、お花畑の理想論。
あの甘ちゃんは、きっと「民が喜んでる」と思い込んでるだろうさ。
あとは貧民救済政策を行なっているってのも、目玉政策のひとつだと聞いたな。
貧民街を再開発し、貧民達を施設に収容して三食世話してやってるんだとか。
そりゃあ民は喜ぶだろうな……
その結果、なにを招くかまでは理解できていないのだろう。
ま、もう俺には関係ない事だ。
王宮の官もバカばかりではないだろう。
二年間、それで回って来たのなら、なにかしら対処法も考えてるのかもしれないしな。
城を追われた俺は、受け入れてくれたこの村を豊かにする事だけに専念するとしよう。
「――そんなわけで、今日は
ズボンの裾を膝上までまくり上げ、シャツの袖も肘までまくった俺は、スコップ片手に拳を突き上げる。
「お~!」
と、同じく手足を剥き出しにした、ダグ先生達、村の子供達が応じる。
村中に張り巡らされた灌漑は、時々掃除してやらないと、土や落ち葉で埋もれてしまうのだという。
滞った水は腐り、農作物に悪影響を及ぼす。
だからこうして、手の空いているものが整備してやるんだ。
夏が迫った今の季節、村の子供達にしてみれば、お手伝いを口実に水遊びができるので、
「良いか、おまえら。死にたくなかったら、俺の見えないトコには絶対に行くなよ?
溺れるのは本当に苦しいからな?」
と、俺は目の前に整列した子供達――ダグ先生を含む四人に告げる。
ダグ先生と同じく七歳の女の子、マチネ。
その妹のシーニャは五歳で、同じく五歳の男の子のルシオは、狩人のロディのひとり息子だ。
「はい、アル兄ちゃん!」
以前教えた、胸の前で肘を張る王国騎士式の敬礼をしながら、子供達は一斉に返事する。
「実際に溺れて流されてきたアル兄ちゃんが言うんだから、説得力あるよな!」
ダグ先生がすきっ歯を覗かせながらニシシと笑う。
「――一番あぶないのはアンタよ、ダグ!」
マチネが小麦色の髪を揺らしながら、ダグ先生に人指し指を突きつける。
「ハッ! オイラは川で爺ちゃんの手伝いしてんだぜ? 溺れたりなんかするかよ!」
と、ダグ先生はマチネをからかうように、尻を叩きながら告げる。
……ふむ、これは良くないな。
俺は子供達の前でしゃがみ込んで、目線を合わせる。
「……確かにダグ先生はゴリバ爺さんの手伝いで、水に慣れているかもしれない。泳ぎも得意だろう」
慎重に言葉を選ぶ。
決して怒っているわけではないと、口元に笑みを浮かべるよう教えてくれたのは、他ならぬダグ先生だ。
だから、きっと伝わるはず。
「だが、どれほどその分野に長けた者でも、思わぬ失敗をしてしまう事はあるものだ」
ダグ先生だけではなく、マチネ、シーニャ、ルシオを順に見回して、俺はうなずく。
「俺の知り合いに、乗馬が得意な者がいたのだがな」
騎士を目指すのだと幼い頃から言い張っていたアイツは……
「ある日、いつものように乗馬の鍛錬をしていたそいつは、乗っていた馬の尻を蜂に刺されてな。
……痛みに暴れた馬から放り出され、腕の骨が飛び出るほどの大怪我を負った」
子供達が真っ青になる。
最も当人はそれで懲りる事なく、むしろ振り落とされたのは自身の未熟と言い張って、ますます鍛錬にのめり込んだんだがな……
今は子供達に自戒を求める為に話しているのだから、その辺りは伏せておく。
「いたそ~」
ルシオが指を咥えながら呟く。
「――わかるか? どれほど本人が技術に長けていようと、避けようもない事故というのは起こり得るんだ」
ダグ先生がコクコクと頷いた。
わかってくれたようで良かった。
「説教じみた事を言って済まなかったな。
おまえ達が危ない目に遭ったら、おまえ達の親も悲しむ。
だから、黙っていられなかったんだ」
俺は手を叩いて立ち上がり、みんなを順に撫でて行く。
「ごめんよ、アル兄ちゃん」
「いや、怒ったわけじゃない。だから謝罪も必要ないさ」
最後にダグ先生の栗色の頭を撫でて、俺は全員を見回す。
「では、改めて、楽しく慎重に仕事を始めよう!」
「は~いっ!」
そうして子供達はスコップ片手に、歓声をあげながら灌漑に飛び込んだ。
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