第1話 3
百姓が着るような厚手の紺色のワンピースを着込んだ彼女は――
「ん? リディアか?」
思わずその名を口にする。
以前のように髪をひっつめては居ないし、化粧もしていないようだが、風呂の世話をしてくれてた時に素顔を見た事があるからわかる。
――リディア・バートン。
かつて俺の専属侍女をしてた少女だ。
俺の呟きを聞きつけて、リディアもまた目を見開く。
「そのお声っ! でん――」
と、言いかけて、彼女は自ら手で口を塞いだ。
どうやら彼女も、俺が廃されたのは知っているんだな。
現在、俺がどういう扱いになってるのかはわからんが、隠してくれるということは、あまり良いようには伝えられていないのだろう。
「ん? リディア姉ちゃん、アル兄ちゃんの事知ってんの?」
不思議そうにダグ先生が首を傾げる。
「アル……兄ちゃん!?」
ダグ先生の俺への呼び方に、驚愕するリディア。
だから俺は、安心させるように手を伸ばしてダグ先生を抱え上げた。
「ああ。ダグ先生は俺の話し方の先生になってくれるそうだ。どうも俺の喋りは堅苦しいそうでな」
「――ダグ、先生!?」
リディアは理解が追いつかないのか、俺とダグ先生の間で視線を彷徨わせた。
「リディアも俺の事はアルと呼んでくれ」
先輩侍女達には役立たずのように言われていたが、この少女が思いの外察しがよく、有能である事を俺は知っている。
思った通り、リディアは俺の思惑を汲み取って。
「わ、わかりました。アル。目覚めたようでなによりです」
「ああ。まさか、きさ……きみ……」
「おまえ、で良いんじゃね? じゃなきゃ名前で呼ぶか。
姉ちゃんはお貴族サマだけど、オイラ達と一緒で、あんまそういうの気にしねえし」
と、ダグ先生は寝台から飛び降りて、ニシシと笑う。
「ふむ、さすがダグ先生だ。
まさか、リディアに助けられていたとはな。世話になった」
「そんなっ……!」
頭を下げる俺に、リディアは恐縮して跪きそうになっている。
「だから
そう指摘したダグ先生は、俺の背中を叩くと、やってみろとばかりにリディアに向けてアゴをしゃくった。
「あ、ああ。ありがとう。リディア」
「いえ。その……そのお顔の仮面の所為で、すぐに殿――アルと気づけず、こんな部屋にお連れしてしまって、申し訳ありません」
「あ~、なるほどね!」
頭を下げ合う俺達を、ダグ先生は不思議そうに眺めていたのだが、不意に手に平に拳を打ち下ろして、そう告げた。
「なるほどなるほど、アル兄ちゃんはリディア姉ちゃんのイイ人って事か!」
「――は?」
「――ちょっ! ダグくんっ!?」
俺らは驚きの声をあげたんだが、ダグ先生は納得顔で手を突き出し。
「いい、いい! 俺、姉ちゃんから借りた本で知ってるんだ!
アレだろ? 姉ちゃんが王都に行ってた時に出会ったんだよな?」
「お、おう……」
そこは間違ってない。確かにリディアは、王都――王城に行儀見習いとしてやって来て、俺の専属侍女を先輩に押し付けられたんだ。
「アル兄ちゃんのその堅苦しい喋り方、お偉いお貴族サマなんだろ?
身分の差で苦しんだ姉ちゃんは涙ながらに身を引き、けれど姉ちゃんを忘れられなかったアル兄ちゃんは、そんなおかしな仮面を被って顔を隠して、この村までやって来たんだ!」
まるで物語の一節を読み上げているように、スラスラと語るダグ先生。
ダグ先生、すごいな……作家の才能でもあるのではないか?
「――ちがっ! ダグくん、変な事言わないで!」
関心する俺とは裏腹に、リディアは顔を真っ赤にして否定した。
けれど、ダグ先生はすべてわかってるとばかりに大きくうなずく。
「大丈夫、村のみんなにはちゃんと説明しとくからさ。
せっかくアル兄ちゃんが追って来てくれたんだ。がんばれよ、リディア姉ちゃん!」
そう言って、ダグ先生はリディアの尻を叩くと、部屋の出口へと駆け出す。
「んじゃ、ごゆっくり~」
ドアから顔を覗かせて、そう告げると、バタバタと足音を響かせて廊下を駆けて行った。
「もうっ! あの子ったら!」
腰に手を当てて嘆息したリディアは改めて俺に振り返り、腰を落とす。
「失礼致しました。お久しぶりでございます。アルベルト殿下……」
よく整ったカーテシー。
俺の婚約者だったクソ女――アイリスよりよっぽど洗練されているだろう。
あの女は立場に甘えて、よく稽古をサボってたそうだからな。
「大恩があるにも関わらず、危急の際に駆けつけられず、本当に申し訳ありませんでした」
そうしてリディアは床に身を投げ出して跪礼する。
「おい、止めろ! いや、やめ……てくれ?」
ああ、ダグ先生が居ないと、こういう時、なんと言えば良いのかわからん!
「す、座って……申せ――いや、はな……話そう?」
それでも察しの良いリディアは、俺が咎めていない事に気づいてくれたようだ。
アーモンドみたいな丸い目を瞬かせて、それからクスリと笑う。
「ああ、やっぱり殿下ですね……ご無事で……本当に良かった……」
そう告げるリディアの目からは、綺麗な――俺が初めて見る種類の、美しい涙がこぼれ落ちたんだ……
「お、おい! なぜ泣く! なにか気に障ったのか!? す、すまない。俺はこの通り、相変わらず言葉選びが下手でな!」
ダグ先生が居ない今、頼れるのは相棒の教えだけだ!
俺は素直に口下手なのをリディアに謝罪する。
いっそ、あのクソババアのように気に食わなかったら殴りかかって来てくれたなら、こちらも楽なのだが、泣かれてしまっては対処がわからない。
「いえ……いえ……存じ上げております。ですからこそ、殿下だと実感できてしまって……
申し訳ありません。お見苦しいところを……」
ハンカチで目元を抑えて涙を拭い、リディアは謝罪した。
俺はなんとか言葉を求めて天井に視線を彷徨わせる。
「そ、そうだ。おまえの父親――バートン男爵はどうした? 世話になった礼がしたいのだが――」
途端、リディアは顔を曇らせた。
「申し訳ありません。父は昨年……」
――だああああぁぁぁぁっ!!
本当に俺はっ!!
「す、すまん! 軽率であった。そうだったな、貴様が侍女を辞する事になったのも父親の病の所為で――」
そこまで告げて。
――これではまるで、父親の所為で侍女を辞める事になったように聞こえるではないか!
「――ち、違う! そういう意味ではなく!
ええとだな、あー……もう! 俺って奴は本当にっ!」
頭を掻きむしって首を振る。
なんでこう、いつもいつも間違った事しか言えんのだ、この頭は!
「殿下のお気持ちはわかっております。
侍女を辞したのはわたし自身の願いで、殿下のお力添えがあったからこそですもの。
お陰で……短い間でしたが、父とは充実した日々を送る事ができました」
そう言って微笑むリディア。
「……すまない」
「いえ、父も殿下には最後まで感謝しておりましたよ。そして、御身の行方を案じておりました」
こんな俺を――案じてくれた家臣がいたとはな……
てっきり、貴族は皆、俺が居なくなって清々していると思っていたんだ。
「お父上は――バートン男爵は、なぜそこまで……」
首を傾げる俺に、リディアは寝台脇までやって来て。
「もし起き上がれるようでしたら、ご覧頂きたいものがございます」
「あ、ああ」
差し出された手に掴まって寝台を降りる。
熱の所為か多少ふらついてしまったが。
「し、失礼致します! すぐですので……」
リディアが俺の身体に両手を回して支えてくれた。
そうして、ふたりで窓際に立って。
どこにでもあるような、田舎村の光景。
吹き込んだ風がカーテンを揺らし、土と緑の強い匂いを運んでくる。
村より高い立地になっているらしいこの屋敷。
その二階にあるこの部屋の窓からは、村の様子を一望できた。
村の中央を流れる小川と、そこから網の目のように伸びて村の周囲の畑へ広がっていく灌漑。
――灌漑。
「ああ! そうかっ!」
「……覚えて、いてくださったのですね……
――そうです。今、この村があるのは、殿下のお陰なんですよ!」
そう告げて微笑むリディアの横顔は、今まで見たどんな令嬢より、誇らしげで、美しく思えたんだ。
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