序 2
リグルド卿が派遣してくれた騎士に鍛えられていた僕の拳をまともに受けて、アルベルトの奴は宙を舞った。
「――ぐぅっ!?」
きっとまともに剣の鍛錬もした事がないに違いない。
ヤツは受け身も取れずに床に叩きつけられて呻き声をあげる。
「てめえ、このっ!」
頬を抑えながら立ち上がったヤツは、やおら腰の剣を引き抜いた。
「――殿下、お下がりを! ええい、近衛! この痴れ者を取り押さえろ!」
リグルド卿が声を張り上げ、謁見の間に近衛騎士がなだれ込んで来る。
「――いいや……」
僕は手を横に振って、彼らを制止した。
「この偽物に、真の王族の力を見せてやる!」
左手に王印が刻まれた時、僕の魔道器官にそれの使い方もまた刻まれた。
僕は左手を胸の前で握り締める。
「――目覚めてもたらせ、<王騎>……」
僕の背後に大きな魔芒陣が描き出され、そこから五メートルの巨大甲冑が姿を現す。
寸胴短足な見た目をしたそれは、兵騎と呼ばれる大型戦用魔道器――それも王族に伝わる特別騎だ。
「おおっ!! お使いになられるのですか!?」
リグルド卿が興奮気味に叫ぶ。
「やはり真の王!」
貴族達も歓喜の声をあげる。
「――クソがっ! んなもん出してこようと!」
アルベルトが叫ぶ中、僕の背後で王騎の胸部装甲が左右に割れ開く。
鞍に似た形状の椅子の左右には、手足を収める固定器が備えられている。
床を蹴って鞍房に飛び込み、四肢を固定器に挿し込む。
顔の前に仮面が現れて、装着された。
胸の奥の魔道器官が、騎体と繋がって行く感覚。
目を開けば、騎体の無貌の仮面に文様が走って、
僕は、もはや王騎となっていた。
「だあああぁぁぁ――――っ!!」
声をあげて斬りつけてくるアルベルト。
「……彼我の力の差すらわからないなんて……いっそ哀れだね」
そう呟き、僕は無造作に鋼鉄の塊となった右手を振るった。
それだけでアルベルトの身体は人形のように吹き飛んで、壁を割って叩きつけられる。
「ぐあっ……う……おおぉぉぉ……」
呻きながら床をのた打ち回るアルベルトを見下ろし。
「思い知ったか、偽物が! これが民が味わった痛みだ!」
そう告げると、ヤツはこちらを――王騎の貌を睨みあげ、その視線に込められた激しい感情に、僕は思わず背筋に冷たいものが走るのを感じた。
だが、ヤツの表情はすぐに嘲笑へと変わり。
「……てめえが民を語るか」
そう告げて、血の混じった唾を吐き出す。
「そのおめでたい考えで、大事な大事な民サマが悲しまないと良いな!」
まるで狂ったようにゲタゲタ笑い始めたアルベルトに、貴族達は息を呑んだ。
「ええい! 近衛よ! 早くそやつを捕らえよ!
――カイル殿下、よろしいですな?」
「ああ!」
騎体と合一したまま、僕がうなずくと、待機していた近衛騎士達がアルベルトに殺到して取り押さえにかかった。
「クズ共が! 触んじゃねえよっ! てめえらっ!! ぜってえぶっ殺してやるからな!?」
なおも暴れるアルベルト。
「――いい加減、観念しろ!」
と、僕は右手でアルベルトを上から押さえつける。
「おお、殿下! ご助力感謝しますぞ!」
リグルド卿が僕にそう告げて。
「このまま暴れられても面倒だ。四肢の腱を断ち切れ!」
その命令は即座に実行された。
「ガアアアアァァァァァ――――ッ!!」
近衛がアルベルトの四肢に刃を走らせ、謁見の間にヤツの悲鳴が木霊する。
床に敷かれた赤絨毯が、ヤツの血でどす黒く染まった。
「グウウゥゥゥ……」
痛みに涙を流して呻くアルベルトの姿に、貴族達の顔に嘲笑が浮かぶ。
「悪逆の権化は、今ここに真の王太子たるカイル殿下によって倒された!」
リグルド卿が声高に宣言し。
「カイル殿下、万歳!」
貴族達が一斉に喝采をあげる。
僕は王騎との合一を解いて鞍房の外に這い出し、その入口で貴族達を見下ろして、王印を掲げて見せた。
こうして――王に棄てられた僕は、国を想う心正しき忠臣リグルド卿の助力で、その本来の立場を取り戻したんだ。
翌日、アルベルトの処分が決定した。
公開処刑も検討されたそうだが、僕の治世の始まりが血生臭いものは良くないと内務大臣の反対があり、ヤツは秘密裏に処理される事になった。
城の地下深くに広がるという大迷宮への追放だ。
かつて、この国の初代の王によって封じられた魔神と呼ばれる存在が根城としていたのが、この地下迷宮だ。
王城の地下にぽっかりと空いた広大な大穴。
城は、この穴に何人も立ち入らせない為に、この地に築かれたのだという。
その大穴の縁に、拘束されたアルベルトを連れて、僕達は立っていた。
地面に転がされたアルベルトの顔は、魔道器官を抑制する仮面が付けられている。
顔の上半分を覆う黒色をしたそれは、狼に似た造作をしていて、その双眸には真紅の石が埋め込まれていた。
四肢の腱を断ち切っていても、魔法で暴れられてはいけないと、リグルド卿が用意したものだ。
僕としても、僕とよく似た顔を見なくてもよくなって助かった。
「ねえねえ、殿下ぁ。あれほど威張り散らしてたのに、こんな目にあって、今どんな気持ち?」
と、一緒に来ていたアイリス様がアルベルトに声をかける。
リグルド卿の娘である彼女は、その美しさから強引にアルベルトの婚約者にさせられていたのだという。
「……黙れよ、売女。俺に相手されなかったからって、今度はそいつに腰振るのか。とんだ淫売だなぁ?」
仮面に覆われていない口元を嘲笑に歪め、奴が口汚くアイリス様を罵る。
「――なぁっ!? あ、あたくしはっ!」
「黙れ! クズがっ!」
僕はヤツの腹を蹴りつける。
「アイリス様はそんな人じゃない! 心優しく、美しい心根のお方だ!」
「ぐぅ……う……」
痛みに呻くアルベルト。
「信じてくれて嬉しいわ。カイル!」
アイリス様が僕に抱きついてきて、胸に顔を埋める。
昔と変わらず、花のような良い香りがして、僕は顔が熱くなるのを感じた。
僕は彼女を抱き締め返す。
「彼女は返してもらう! 僕達は真実の愛で結ばれているんだ!」
「へっ、そんなクソ女を寝取られたところで、痛くも痒くもねえな!」
なおも強がるアルベルト。
「ねえ、カイル! もうコイツ、このままここで処刑しちゃったらいけないの?
コイツのせいで、あなたの孤児院も潰されたんでしょう?
みんなの仇を討ちたくないの?」
僕の腕の中で、僕の怒りを代弁してくれるかのように、アイリス様が涙を浮かべて訴える。
「……だからですよ」
湧き上がる怒りを抑え込み、低く殺した声で僕は唸るように呟く。
僕の居た孤児院は、サティリア教会によって運営されていたのだという。
その上層部は私腹を肥やす為に、子供を奴隷として取引していて、売り出す子供が居なくなるとあっさりと施設を取り潰したらしい。
そして、その奴隷売買を主導していたのが、教会上層部と癒着していたアルベルトだ……
「僕はこいつが処刑されて楽になるなんて赦せない!
苦しんで苦しんで……最後の時まで苦しみ抜くべきなんだっ!」
だからこその迷宮への追放だ。
多くの魔獣が巣食っていると伝えられるこの迷宮で、動かぬ四肢を引きずって、生き地獄を味わえ!
それこそが、今も生死の知れぬ奴隷となったみんなへの手向けになるはずだ!
「……てめえが何を言ってるのか、さっぱりわからねえ。なんかやべえクスリでもやってんのか?」
苦痛に呻きながら、そうせせら笑うアルベルトに、僕の怒りは頂点に達した。
惨めたらしく命乞いでもしたなら、僕の気持ちも多少晴れたかもしれない。
だが、ここに及んでもなお、ヤツは減らず口を叩くのだ!
「……地の底で後悔しろ!」
同行した近衛に指示を出し、アルベルトが担ぎ上げられる。
墜落死などしないように、その首に<軟着陸>の魔道刻印が施されたネックレスが掛けられた。
「それじゃあ、地獄とやらで見物させてもらうぜ。
……てめえの言う――民の為の政治ってヤツをよ!」
「やれ!」
そして、アルベルトの身体が大穴へと放り込まれる。
ヤツの哄笑が地下に響いた。
ゆっくりと、けれど確実に落下していったアルベルトは、やがて闇に呑まれて見えなくなり――響いていた笑い声も聞こえなくなった。
「……仇は取ったよ。みんな……」
小さく呟き、僕は踵を返す。
感傷はここまでだ。
アイリス様の腰を抱いたまま、城へと続く階段を登り始めた。
やるべき事は数多い。
まずは愚王と名高い、現王にご退去願わなければ……
数日後、ローダイン王国に新王即位の報が広められた。
王太子であったアルベルトは、その悪行を追求されて幽閉され、隠されていた双子の弟、カイルの即位が国民達に知らしめられたのである。
民の為に尽くすというカイルの宣言に民衆は湧き立ち、歓迎を以て迎えられる事になった。
様々な行政改革が行われ、特に貧困層の救済に多くの税金が費やされた結果、都市部からスラムが消滅し、多くの民が笑顔を浮かべる――そんな世の中になった。
一方、アルベルト治世下で隆盛だった者達は、庇護者を失って権勢をなくし、次第に没落していく事を余儀なくされた。
まるで忌み名のように、アルベルトの名を口にする者は居なくなり……
――そうして、二年の月日が流れた……
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