第2話 温泉宿の魅力
そんな時は音楽を聴くことが多かったのだが、その音楽も、気分で、ジャンルがいつも違っていた。
そんなモヤモヤした時は、
「夏の終わり頃によく聞いた音楽が似合いそうな気がするんだよな」
というのであった。
秋に入ってくると、もう涼しさというよりも、
「寒さ」
というものを感じるようになって、完全に、
「夏の終わり」
とは、一線を画していたのだ。
というのも、
「夏の終わりというのは、暑さというものがまだ感じられ、必要以上に汗を掻いている気がしている」
というのだ。
それは、
「自分の身体に、その暑さというものが、こもった形になっていて、熱がこもっているといってもいいくらいではないだろうか?」
と感じていた。
身体から暑さがにじみ出てくるのを感じる時というのは、最初は汗を掻かないものだ。
そうなると、身体の感覚が次第にマヒしてきていて、
「このままでは、ぶっ倒れる」
と感じるようになった時、次第に、身体から汗がにじんでくるようになった時、
「それまで死んでいたであろう意識がよみがえってくるのを感じる」
というのだ。
それが発汗作用というものであり、汗を掻くと、体温も次第に下がってきていて、身体に弄んでくる汗が、身体にまとわりついていて気持ち悪いという雰囲気はあるのだが、吹いてきた風が、そのすべての気持ち悪さを吹き飛ばしてくれるような気がした。
それでも、まとわりついた汗は、どうすることもできず、
「気持ち悪さと、その中でも、風邪による爽快さ」
という少し入り組んだ気持ちになっていることで、この時期は、
「必要以上に疲れる」
という気持ちになっているのだった。
そんなことを考えていると、
「温泉旅館」
というものは、
「夏が本当は最高なんだが、残暑に来るのが、本当は一番なのかも知れない」
と感じるのだった。
その理由の一つとして、
「夏の暑さというのは、蓄積されるものだ」
と考えているからだ。
暑さというものが、身体の奥からにじみ出てくる時、汗を掻かずに、熱がこもっていることを思い知らされると、
「もっと、熱くなって、身体から汗を拭き出させたい」
という気持ちになる。
それが、真夏の容赦ない照り付ける太陽の下では、身体が言うことをきかず、どうすることもできないというところまでくると、
「ヤバイ」
と感じるのだ。
というのも、
「身体がいうことをきかない」
というところまで実際にいったことはなかったので、そんな状態になると、本当にどうなるのだろう_
という思いがこみ上げてくるのだった。
それを思うと、
「こみあげてきた暑さの中、最初は、一人がいいと思うのだが、そのうちに、誰かが一緒だったらと感じることもある」
ということを感じるのだった。
本当なら、夏や、夏の終わりなどというのは、
「人肌に触れるのも、気持ち悪い」
と感じることがあったが、それだけではないようだった。
というのは、
「身体が、熱を伝導するという作用は、まるで、自分が熱を溜めこんでおけるだけの何かがないといけない気がした」
つまりは、
「鉄は熱いうちに打て」
ということであるが、熱くなっている時ほど、融通か利くというものだ。
そんな時に出会った男であれば、
「自分ではどうすることもできないことを、相手の男なら、熱くなって柔らかくなっている自分を自由自在にできる気がする」
というものであるが、実際には、
「私に触れることができるかどうか?」
というのが、
「最初で最大の難関」
なのではないだろうか?
触ることができさえすれば、いくらでも自在に操れるというものだが、触れることができないのであれば、まるで、
「絵に描いた餅」
のようなものだ。
ということである。
確かに、
「触れることができるできない」
というのは大きな問題で、だが、自分に触れることができる男というのは、
「熱を決して、必要以上に伝導できないものだ」
という考えであったのだ。
そんなことを考えていると、今度の社員旅行で、
「昔のことを思い出すんじゃないかしら?」
と、ゆいかは感じた。
実際に、
「思い出す思い出さない」
といっても、会社に、恋愛感情を抱きそうな男がいるわけでもない。
いるとすれば、一人頼りない一つ下の後輩がいるだけで、あとの人は、皆既婚者であったり、そうでなければ、40歳以上の、
「中年オヤジ」
というだけだった。
それを思うと、
「恋愛感情など浮かぶはずもない」
というものだった。
ただ、同じ部署の先輩は、
「課長と不倫をしている」
ということらしい。
本人は、あっけらかんとしていて、後輩のゆいかには、打ち明けてくれた。
どうやら、
「女房と別れて、君と一緒になる」
と言われたようで、それを律義に信じているのだった。
二人が付き合い始めて、そろそろ一年だというのに、課長は相変わらずで、奥さんと別れるなどということを微塵も感じさせない。
普通だったら、
「どうなってるの? 私をいつまで待たせる気?」
といって、怒ってしかるべきなんのだろうが、まったく女の方もそんな気持ちがあるわけではない。
「あの人、奥さんと別れようという気がないんだわ」
といって、呆れかえっているというのは分かるが、その割に、
「怒り狂っている」
というようなそんな雰囲気は感じられない。
どちらかというと、
「もう、どうでもいい」
というような雰囲気さえ醸し出されているかのようだった。
ただ、それでも、
「投げやり」
という雰囲気でもない。
どちらかというと、
「結婚できないなら、それでもいい。しょせん不倫なんだから、私が騙されていたといえば、それでいいんだわ」
と開き直りがあったようだ。
ただ、果たして、それで通用するのだろうか?
まわりに対しては、
「騙されていた」
といっても、女の立場だから、それも分かるというものだが、それが、相手が奥さんであれば、通用するのだろうか?
そういう時の奥さんというのは、
「旦那に対しての怒りと、相手のオンナに対しての怒りとは、どっちが強いものなのだろうか?」
と思う。
ゆいかが考えるには、
「よく分からない」
というのが、本音であろう、
女の立場から考えると、そのどちらも、似たような感覚に感じられるのだが、それはあくまでも、
「他人事」
ということで見ているからではないか?
ということであった。
他人事というのは、実に都合のいいことであるが、逆を言えば、
「どうしようもなくなった」
という心情の表れではないか?
といえるのではないか。
「逃げにでも移行しないと、自分では、解決で来っこない」
という思いなのであろう。
そんなことを考えていると、
「私にとって、時間が経てば経つほど、いいことなのか、悪いことなのか、理解できない状態になりそうだ」
と考えるのであった。
特に、これが、
「不倫」
という経験のないことであれば、難しい。
もっとも、不倫などというのは、基本、
「いけないことだ」
ということなのは、分かり切っていることなのであった。
社員旅行が行われたのは、時期としては、夏の終わりであった。
ちょうど、疲れ切った身体にモヤモヤした時に聴く音楽というのが、ちょうど心地よい時期でもあった。
実際には、観光バスか、高速バスになりそうな大きなバスを一台チャーターして、それでの移動だったので、バスの中では、カオスな状態になっていたりした。
バスが走り出してからすぐくらいに、すでに、酒盛り状態になっていて、30分もしないうちに、すっかり酔ってしまっている人も出てきたくらいだ。
かなり、酔っているのだが、普段から飲み慣れている人は、そうでもないのだが、あまりアルコールを飲んでいないような、普段から真面目で、あまり目立たないような人が危ないのだった。
アルコールのまわりというのは、思ったよりも早いもので、すでにグデングデンの人もいる。
それでも、何とか理性があるのか、誰かに絡むということはなかったが、バスに元々弱い人は、ビニール袋を手放せない状態だった。
さらに、利尿作用が働くのか、
「10分間1本勝負」
などといって、バスを止めて、路地にいって、用を足している人もいた。
本来なら、こんな醜態を知られると、問題になるのだろうが、この日だけはしょうがないということで、酒を飲むのも、ある意味、
「無礼講」
のようだった。
ゆいかは、ヘッドホンをスマホに繋ぎ、ダウンロードしている楽曲を聴いていた。その曲もシチュエーションごとにフォルダに分けていたので、
「夏の終わりに聴く音楽」
という、フォルダから聴いていたのだ。
だからこそ、まわりが、どんなにカオスになろうとも、自分の世界に没頭していることで、それほど気にならなかった。
そんなことも、最初から分かり切っているということで、この行動も、最初から、
「計算通り」
ということである。
バスは、ほとんどカオスのまま、中には疲れ果てて、いや、酔いつぶれて寝ている人がほとんどの状態になって、出発から、約4時間かけて、温泉宿に到着した。
そもそもの待ち合わせが、正午だったので、いわゆる、
「チェックイン」
にちょうどいいというところであった。
宿は、まぁまぁのところで、宿の前には、細長い板看板で、ゆいかの会社名の下に、
「ご一行」
と書かれ、他にも数組、似たような団体があるというのは、正直、ゆいかをビックリさせた。
「他にも団体さんがあるんですね?」
と女将さんに聴くと、
「ええ、おかげさまで、パンデミックがある程度収まってきたからか、お客さんが増えてまいられたのは、幸いです」
というのだった。
女将さんは、まだ。
「若女将」
といってもいいくらいの優しそうな面持ちの人で、
「まわりの人がきっとしっかりしているんだろうな」
ということを、想像させたのだった。
まわりの人というのは、どういう人なのかということを考えたのは、その友達が、今年度から、部署替えになって、同じ部ではなくなったので、その部の事情がよく分からなかったからだ。
今回の慰安旅行では、
「ゆいかの部署だけでは、人数が少ないから」
ということで、友達が移動した部署との、
「合同慰安旅行」
ということになったのだ。
そもそも、昔の、
「バブル期」
のように、人がたくさんいるわけではないので、他の部署も、複数の部署が一緒になることでの、
「合同慰安旅行」
というところが多かった。
管理部門は、そこまではないが、営業部ともなると、横の確執があるようで、
「なるべく、あの部とは一緒になりたくない」
と思っていると、相手も同じことを思っているということで、ある意味、同じ考えだということで、事なきを得ていた。
そんなことを考えていると、意外と合同で開催する相手は、とんとん拍子に決まっていたようだった。
そして、
「部署で、あまりかたまらないように」
ということで、最初に決めた部署とは、違うところに行くように、通達があったが、そんなことは、最初からそれぞれの部署でも分かり切っていると言わんばかりに、皆適当に場所を決めていたのだ。
もちろん、幹事をする人間の個性にもよるだろう。
若い連中にやらせた部署は、
「全国でも有名な都心のテーマパーク」
に決まったようだ。
後から、
「あいつら、あんなところに決めやがって」
とばかりに、年配の人が言っても後の祭りだ。
そもそも、
「若い連中にやらせて、自分たちは楽をしよう」
などと感じた自分たちが悪いのだ。
だからかどうか、他の部署では、ある程度の年配で、慰安旅行というのを、ギリギリ知らない世代が決めると、
「観光よりも、落ち着いた温泉宿」
ということになり、観光は二の次ということになる。
それでも、自由行動は作っているので、
「観光したい人」
あるいは、
「ショッピングに勤しみたい人」
はそれぞれ、その時にすればいい。
ということで決まったのであった。
そういうのが一番いいのかもしれない。
「ただ、温泉だけ」
という、ゆいかの部署は、物足りない人もいるだろう。
だが、意外と、反対意見が出るわけでもなく、案外スムーズに決まったのは、
「あんまり、自分たちの意見を主張するのを普段から抑えている部署である、管理部だったからではないか」
といえるのではないだろうか。
それを思うと、
「温泉を楽しむ」
というのは、
「以前から、若い子が、温泉ブームといって楽しんでいるんだから、温泉だけということであっても、別に問題ない」
と思っていたのだ。
しかも、他の部署みたいに、
「自由行動の時間を作る」
といっても、それまでにエネルギーを使い果たして、それどころではなくなるということも十分にありえた。
実際に、他の部署は、同じように、何もできなくなっていて、話を聞いてみると、
「初めての、慰安旅行というもので、時間配分などの勝手がわからず、どうしていいのか分からない」
ということだったようだ。
そんな状態を考えてみると、
「やっぱり、これが正解だったのではないか?」
と言えたのであろう。
温泉に来てみると、ちょうど、時間的に、道も混んでいなかったこともあって、予定y理も少しだけ早く到着したが、それでも、チャックインの時間は過ぎていたので、
「ちょうどいい時間だった」
といってもよかっただろう。
他の団体はまだ来ていないようで、その団体は、
「きっと、いろいろな観光地を回っているんだろうな」
ということを考えていたが、やはりそのようだ。
女将さんがいうには、
「このあたりには、少し離れますけど、観光地としての名所旧跡であったり、城址も残っていて、その向こうには、テーマパークのようなものもあって、団体さんでは、それぞれ、年齢によって、テーマパークにするか、名所旧跡にするかということで、それぞれを楽しまれた後、合流してこちらに来られるというのが多いようですね」
ということであった。
さらに、
「お若い方だけではなく、お年を召した方も、こちらに到着された時は、かなりお疲れのご様子ですが、宴会になる頃にはすっかり、元気になっておられます。こちらの温泉は、急いで疲れを癒す効果もあるんだといって、お客さんもお喜びだったというのが、いつも印象的ですね」
と言って、一種の、
「宣伝」
というのをしているようだった。
それを聴くと、
「そうです、それじゃあ、我々も、その効能がある温泉とやらを、所望させていただこうかな?」
と、男性陣はすっかりその気になっていたようである。
もちろん、女性陣は口にこそ出さないが、
「美肌にいい」
ということをリサーチ済みで、ここは、美肌や健康には、全国的にも有名だということをきいていたので、密かに楽しみにしていたのだ。
だから、
「この宿には、女性の一人旅も多いと聞いていたので、きっと、お風呂では、そういう人と出会うことができるんだろうな」
と思っていたのだ。
部署こそ変わったが親友であるその友達と、
「今回の温泉では、他の女性客と友達になれるといいね」
とも話していた。
もちろん、美肌効果などの話に花が咲けば、
「きっと仲良くなれるというのは、必至なんだろうな」
と感じるのだった。
「温泉は、掃除の時間が、午前中に一度、一時間ほどあるだけで、それ以外は、基本的に入れますので、何度でもお入りになられるのもいいと思いますよ」
お女将がいうと、
「温泉って、何度も入ると、想像以上に疲れると聞いたことがあるんですが?」
と友達が聴いた。
「ここは、そんなことはないですよ。実際に、お客さんの中には、一日に3、4度お入りになる人も多いですし、食事と睡眠以外、たまに散歩に出るくらいで、後はお風呂という人も多いです」
という。
「それは、湯治か何かですか?」
と聴くと、
「ええ、そうですね、昔だったら、神経痛やリュウマチなどに効くということだったんですが、最近では、効能を科学的に調べている研究所の人がいて、その人がいうには、心臓病や、成人病にも効果があるということを言いだしたもので、一時期、繁盛してしまい、パンクしかかったことがあったくらいで、あの時はあの時で、大変でした」
という。
それこそ、
「嬉しい悲鳴」
ということであろうが、実際にやっている人間のきつさは、サービス業関係の仕事という意味で同じなので、結構大変だということが分かるのだった。
「例の、世界的なパンデミックになった時というのは、本当に目の前が真っ暗でしたね。でも、まわりも、どこも、同じ状態だったので、何とか頑張っていこうと思って、今こうやって、お客様を呼び込めるようになったのは、本当に嬉しい限りですね」
と感無量というところであろう。
女将さんが、温泉のことを説明する中で面白いと思ったのが、
「この温泉には、いくつもの、湯がございます。もちろん、お部屋にもありますし、室内風呂の、大浴場もありますし、数種類の露天風呂もございます。露天風呂は、まわりに、滝があったり、神社の横にあったりと、もちろん、お祓いや、方角などを見てもらって作っているので、そのあたりは安心です」
という。
そしてさらに続けるのは、
「このあたりには野生の動物が結構生息していて、人に慣れている動物も多くて、それらの動物が湯治にやってくる湯もあるんですよ。もちろん、直接触ることはできませんが、動物たちが湯治をしているところを見ながら、温泉に浸かることができるという、画期的な温泉になっているんですよ」
というのだ。
それを聞いたゆいかは、
「まあ、素敵だわ」
というと、隣の友達も一緒に眼を輝かせていた。
「じゃあ、後で行ってみましょうよ」
というと、
「ええ、そうね。楽しみだわ」
といって、話をそこで終えて、それぞれ、自分の部屋に戻っていった。
「じゃあ、15分後にここで待ち合わせましょう」
といって、ロビーのそだーを、待ち合わせ場所にすることで、二人は、そのまま自分の決められた部屋に入っていったのだ。
部屋に戻ると、すでに、他の人は、
「戸店風呂に行く」
ということで、ここの温泉の目玉である、
「露天風呂へ入る」
ということだった。
もし、他の人が、最初に、
「動物を見ながら入る」
ということであれば、
「私たちはなるべく他の人と一緒にはなりたくはないわね」
と感じるのであった。
それは、ゆいかとすれば、
「元々、温泉には一人で来ることが多かった時の流れがあるからだ」
というのも、
「昔のような、執筆活動ができればいいんだけど、ここではできないだろうな」
と思ったことでm正直、イライラした感覚があった。
昔から、
「温泉地というのは、湯治という言葉になぞらえた、創作活動に勤しむところである」
と思っていたからだった。
温泉というところは、執筆活動には、最適で、執筆だけではなく、
「絵を描く」
ということであったり、中には、
「作詞作曲」
という曲作りに勤しむ人もいることだろう。
つまり、
「芸術家と、温泉というのは、切っても切り離せない」
と思っている。
よく、
「明治の文豪ゆかりの湯治場」
ということで宣伝しているところもある。
といっても、
「旅の途中で一度だけ立ち寄った」
というだけのところもあるだろう。
ただ、数泊しただけということもあっただろう。何も、執筆活動に勤しんでいたというわけではないのかも知れない。
それを、宣伝文句として使うのは、少し卑怯な気もしたが、確かに立ち寄ったのであれば、
「宣伝もやむなし」
といってもいいだろう。
それを思うと、
「自分も、文豪になったかのような気分になれるのであれば、名目だけでもいい」
と思うだろう。
何しろ、自分は別にプロというわけではない。素人のアマチュアなので、気分転換ができるだけで十分である。
そう思っていると、
「温泉宿というのは、実にいいところだ」
といえる。
自分で勝手に、妄想して、いくらでも、想像を巡らせばいいからであった。
だから、今回の温泉も、
「結構いいところだ」
ということが分かれば、
「今度は一人で来てみよう」
ということになる。
だから、今回の慰安旅行は、
「自分のリサーチの予行演習のようなものだ」
ということであった。
温泉というのは、本当にいいところで、それが分かれば、また、
「小説執筆」
ということを趣味にしてもいいような気がした。
今までは
「仕事が忙しい」
ということにかまけて、趣味を忘れてしまっていた。
半分は、
「趣味に嵌ってしまって、仕事がおろそかになることを嫌った」
といってもいい。
しかし、
「趣味はあくまでも趣味であり、気分転換だ」
ということが分かれば、それで十分なのだった。
頭ではわかっているつもりでいるが、実際には。どこまでが理解できているのか、自分でも分からなかった。
今回の慰安旅行でそれが分かることができれば、この時間、
「イライラが残ったとしても、大きな阿問題ではない」
といえるのではないだろうか?
というのも、
「せっかく温泉というところに来ているのに、執筆活動ができない」
ということになると、自分のペースが狂わされたようで、たぶん、自分でもよく分からない苛立ちに見舞われるだろうと思うのだった。
今はその執筆活動を、
「仕事のために辞めている」
というわけである。
仕事のためであれば、何とかイライラせず医済んでいると思ったが、実際には、イライラはしているのであって、抑えているだけだと思えば、それは却って、本末転倒だと思ってもしかるべきではないだろうか?
だが、今回は、慰安旅行というだけで、
「別に執筆活動ができない」
というわけではない、
確かに、以前からパソコンを持ち歩いて書いていたので、今回は、パソコンを持ってきているわけではないので、勝手に、
「執筆ができない」
と思っているだけで、
「手書きであれば、いくらでもできる」
というもので、実際にできないことはまったくないということである。
実際に、筆記具とノートは持ってきていた。ロビーででも、どこででもできるというものだ。
中には、
「何をしているの?」
といってくる人もいるだろうが、どうせ自分に興味があって聞いてくるわけではないということだろうから、恥ずかしがることもまったくないというものだ。
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