石ころによる家畜の改造

森本 晃次

第1話 温泉旅行

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年7月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。疑わしいことも含んでいますが、それをウソか本当かというのを考えるのは、読者の自由となります。今回は、外人に対してのお話なども、フィクションであることをご了承ください。


「社員旅行」

 あるいは、

「慰安旅行」

 などという言葉が聞かれなくなって、久しい。

 今から思えば、

「そんなものは、バブル時代の幻のようなもの」

 といってもいいだろう。

 というよりも、

「会社が行う旅行は、苦痛でしかない」

 ということで、

「なくなってよかった」

 と思っている人がたくさんだったことだろう。

「何を好き好んで、仕事の拘束時間以外も、会社の上司と一緒にいなければいけないんだ?」

 ということである。

 しかも、費用は

「会社が持ってくれる」

 というわけではない。

「社員の給料から天引きされる」

 という形の、体のいい、自分たちの給料からの積み立てなのだ。

 だったら、

「行きたくないから、その分返してほしい」

 と思うのは、十人中、十人がそう思うことだろう。

「社員旅行に行きたくないから」

 ということで、あからさまに、社員旅行の時に、会議を開くところもあった。

「他の部署との会議なので、この日でないとダメなんだ」

 という、分かりやすい言い訳をしている。

 それだけに、

「文句はいえない」

 のだが、そのあからさまな分、明らかに皆から嫌われるのであった。

「そんなにまでして行きたくない社員旅行というのは?」

 ということを考えてみると、

「なるほど、大体、同じ部署の中に、一人、宴会部長のような人がいて、その人が仕切っている以上、誰も行きたくないと思うのも無理もないことだ」

 といえるだろう。

 もっとハッキリといえば、

「俺の酒が飲めんのか?」

 という、いわゆる、

「昭和時代のパワハラ」

 というものが、公然と行われていた時代だったのだ。

 だから、誰も行きたくなどない。特に、

「費用は自分の金」

 と思っているからだ。

「その分、ボーナスを増やしてくれればいいのに」

 と思いたいのだろう。

 ただ、それが、バブルがはじけることで、社員旅行どころか、

「いつ、リストラされるか分からない」

 という状況になっているので、

「何が慰安なんだ」

 ということになる。

 ただでさえ、給料が下げられるのに、旅行のための積立など、ありえないという時代になってきたのだ。

 給料が下がることで、嫌な慰安旅行がなくなったというのは、実に皮肉なことであるが、

「嫌なことばかりではない」

 と思えば、ある意味、最悪の状態の中でも、

「一輪の花が咲いている」

 という意味で、完全に落ち込むということはないだろう。

 昭和の頃までは、

「慰安旅行」

 というと、普通の会社では、

「当たり前」

 というものであった。

 これは、忘年会と同じレベルであるが、今では、その忘年会もしないところが多くなっているだろう。

 というのも、

「ハラスメント」

 という、いわゆる、

「コンプライアンス違反」

 ということで、

「忘年会」

 にしても、

「慰安旅行」

 にしても、どちらにしても、問題になるのは、

「パワハラ」

「セクハラ」

 などである。

 昔と違って、今の時代は、世間話程度でも、

「セクハラ」

 と言われる時代なのである。

「俺の酒が飲めんのか?」

 というだけではなく、今だったら、女性社員に酌をさせるということも、セクハラではないだろうか?

 しかも、会話が、

「君は、いつになったら結婚するんだ?」

 であったり、

「彼氏はいるのかね?」

 などという会話も、アウトである。

 下手をすれば、キャバクラでも嫌われる客の会話レベルであり、そんな状態を、昭和の頃は、酔っぱらってからのことなのか、それとも、分かってやっているのか分からないが、昔であれば、

「酔っていたからね。すまない。私も君たちと少しでも、お近づきになりたくてね」

 などという言い訳は通用したかも知れないが、今の時代では、一発アウトで、下手をすれば、懲戒処分のレベルである。

 それを考えると、

「社員旅行というのは、今やったら、上司の方も怖いものになるのではないか?」

 ということであった。

 特に、会社でも、

「今までの世間話は、下手をすれば、すべてが、セクハラになる」

 ということになれば、

「会社であっても、仕事上以外のことで、女性社員と関わりたくない」

 といって、ピリピリしている上司もいるだろう。

 何しろ、世間話ができないのだから、言葉の掛けようがないというものだ。

 だから、もし、女性社員が、無断欠勤したとしても、昔であれば、

「どうして無断欠勤をしたのかね?」

 と聴けるのだろうが、もし、それが、

「女性としての問題に抵触することであれば、聴いた時点でアウト」

 ということになってしまう。

 そうなると、

「迂闊に聞くこともできない」

 ということになる。

 しかし。上司としては、キチンと理由を明らかにしないと、上司として、部下を管理しているとは言えないだろう。

「理由もなく、無断欠勤した」

 と報告し、本部の方で、

「どうして無断欠勤をしたんだい? 上司にちゃんと説明はしたのかい?」

 と言われ、

「上司が聴いてくれなかったから」

 とでもいわれると、上司の立場は、非常に難しいことにならないとも限らない。

「君は上司として、どうして確認をしなかったんだい?」

 と聞かれて、さすがに、

「セクハラになるかも知れないと思いまして」

 などというと、

「そうか、それなら仕方がないな」

 といってくれるだろうか?

 いやいや、

「それくらいのことができなくて、課長職と言えるのか?」

 ということだ、

 管理職として、手当ても貰っているということを考えると、それも、無理もないのだろうが、課長としても、

「残業手当もなしで、いつもサービス残業をさせられることを思えば、それこそ、パワハラではないか?」

 と言いたいのだが、それをいうと、

「課長という職はそれくらいできて当たり前の職なんだ。嫌なら、引き受けなければいい」

 という、こちらも、パワハラに思えるが、

「そもそも、残業をしないでいいように、段取りを取るのが課長の役目、君は、それをはき違えているのではないか?」

 と言われると、

「ぐうの音も出ない」

 ということになってしまうのだ。

 大友ゆいかが、勤めている会社は、

「昔は慰安旅行もあったが、最近はなくなった」

 という他の会社と一緒だった。

 ただ、忘年会だけは、毎年やっていたのだが、ここ数年の、

「世界的なパンデミック

 の影響で、忘年会も、できなかったりした。

 しかし、それを最初は、

「中止になったら、お金を返す」

 ということであったが、

「会社としては、給料を若干下げたいとやっていけない」

 ということで、給料を下げられたのだが、積立金だけは、取られていた。

「それじゃあ、困る」

 という人がいたが、会社の説明で、その人も納得することになったのだが、そお説明というのが、

「ボーナスも大幅にカットされるということになると思うが、ボーナスを見越して、ローンを組んでいる人が困ると思うので、その分を、会社が貸し付ける」

 ということだったのだ。

 その分の資金が足りないということで、

「積立金から充当する」

 ということを話すと、皆、しぶしぶではあったが、納得はしたようだ。

 何と言っても、

「明日は我が身」

 ということである。

「そもそも、積立金というのは、忘年会だけではなく、会社の冠婚葬祭などがあった場合の、お香典であったり、結婚式の時のご祝儀など、会社からお金が出るのと一緒に、部署一同ということでの見舞金としての役目のために、積み立てているという側面が大きいだろう」

 それを考えると、

「会社から、ボーナス払いで困っている分」

 と言われると、従わざるを得ないだろう。

 自分もいつ同じことになるか分からない。

 そういう意味で、会社への積み立ては、実に大切なことだと思うのだった。

 そういう意味で、今の時代、政府おいい加減さから、

「老後は絶望的だ」

 と言われている。

「自分たちが老後を迎える時は、年金などない」

 と言われている。

 つまりは、

「死ぬまで働け」

 ということだ。

 確かに、今の60代というのは、昔とはまったく違っている。

 しかし、だからといって、全員が全員、同じだといえるだろうか?

 特に今の世の中、

「すべてにおいて病んでいる」

 という状況から、若い人でも、精神疾患や障碍者認定などにおいて、

「障害者年金」

 というのを受給していたり、

「生活保護」

 という聞こえはいいが、最低限の生活しかさせてもらえないほどの金しかもらえないということを、ずっと続けなければいけない人もいる。

 それでいて、

「ある一部の特権階級は、金に胡坐をかいて、好き放題に生活をしたり、金だけもらって、仕事場に出てこない国会議員もいる」

 ということを考えると、

「世の中というもの、勝てば官軍」

 ということなのだろう。

 そんなことを考えると、

「政府のいうことは、まともに聞いてはいけない」

 と誰もが思っていることであろう。

 そんな世の中なので、自然と、社員旅行というのは、

「慰安にも何にもならない」

 ということで、次第にやらない会社が増えてきたのだ。

 もちろん、

「バブルのための、社内留保によって、なるべく社員を切らずに、できるだけ、会社が損をしないようにするための、一種の保険のようなものだと思えば、いいということであろう」

 という考え方が一番納得がいくだろう。

 しかも、社員の側からすれば、

「忘年会でも嫌なのに、社員旅行で、何を好き好んで嫌な人と呑まなければいけないのか?」

 ということである。

 そうなると、

「社員旅行がなくなるのは有難い」

 ということで、今の若い人は、

「社員旅行」

 と言われても、ピンとこないだろう。

 また、

「何が慰安なんだ」

 といっても、意味が分からないはずであった。

 ひょっとすると、今の若い連中は、中には、

「慰安旅行か、行ってみたいな」

 と思っている人もいるかも知れない。

 というのも、

「今の時代は、コンプライアンスの問題には、非常にシビアなので、会社では、完全に、上司の方が立場が弱い」

 ということである。

 だから、昔のような、

「俺の酒が飲めんのか?」

 などという態度に出れば、その時点でアウトだということも分かっているので、下手に、

「無礼講だ」

 などというと、本当に、

「部下が上司を苛める」

 というような信じられない状況になるかも知れない。

 何と言っても、上司が、

「何だ、その口のきき方は」

 と部下に行ったとすれば、

「パワハラですか?」

 と一言いえば、上司も黙ることだろう。

 それで文句を言ってくれば、

「こっちから、問題にしてやればいいんだ」

 ということになり、世間の風潮から考えれば、まず間違いなく、上司の負けということになるに違いない。

 そんな状態で、

「慰安旅行を行えば、まず、部下が苛められるということはないだろう」

 ということだ。

 実際に、忘年会でも、そんなに大きなトラブルは起こっていないのではないか? 

「あの延長だ」

 と思えばいいだけで、会社の組織がどうであろうと、

「時代の風潮」

 というものには逆らえないということであろう。

 さらに、最近では、その慰安旅行というのが、復活しているところもあったりするらしい。

 というのも、

「パンデミックの時代に、テレワークなどといって、会社に来ない時が長く続いたりして、福利厚生という意味で、社員同士のコミュニケーションもうまく行っていない」

 ということで、

「社員旅行の復活」

 をするところが増えてきたということであろう。

 そんな、社員旅行を、ゆいかの会社でも、計画された。中には、

「いまさら社員旅行なんて」

 といって、参加しない人もいた。

 もちろん、昭和の頃と違って、参加を強要するわけではないが、その代わり、積み立てたお金が返ってこない。

 それは当たり前のことであり、

「行きたくない」

 といって人も、それは、承知の上だった。

 家族がいる人は、

「社員旅行にいくくらいなら、家族サービスをする」

 という人もいたが、実際には、

「家事や育児を協力してやっているので、社員旅行などに行っているわけにはいかない」

 という切実な人もいる。

 ただ、それでも、そんな人は数人で、全体として、

「社員旅行が成り立たない」

 というほど、ひどいものではなかった。

 確かに社員旅行など、ほとんどの人が未経験だったので、何をどうしていいのか分からない。

 何しろ、最後に行われてから、30年以上も経っているのだから、経験者というと、もう50歳以上の人くらいであろうか?

 それでも、

「忘年会の延長だ」

 と思えばいいんじゃないか?

 ということで、実際に、宿を決めるのも、そのあたりを考えてのことであった。

 そして、アンケートを取ったところ、

「観光地などで、観光をするよりも、寂れていてもいいから、温泉旅館のようなところで、ゆっくりできる方がいい」

 ということであった。

 その理由としては、

「観光などは、家族で行けばいい」

 という意見と、

「観光地などは、学生時代までに、一人で大体のところは行っているので、必要ない」

 という人もいた。

 そういう人は、

「どうせ、社会人になったら、どこにもいけないだろうから、学生時代に行っておく」

 ということだったのだ。

 特に旅行好きであったり、名所旧跡めぐりが好きな人は、そういう発想が大きいに違いない。

 自分が出かけたところは結構覚えているもので、特に旅行先で知り合った相手などは、記憶に残っていたりする。

 特に異性などであれば、旅行先での、アバンチュールであったり、または、戻ってきてから、連絡を取り合って、あらためて、深い仲になるなど、どちらにしても、男の人であれば、

「武勇伝」

 というものであり、女性であれば、中には、

「男を手玉に取ったうちの一つ」

 とでも考えている人もいるかも知れない。

 実際に、ゆいかも、学生時代は、旅行が趣味であった。親友といえるような女性とよく一緒に、旅行に出かけたものだった、

 目的は、

「温泉」

 だったのだが、もちろん、それだけではなく、近くの観光地である、名所旧跡を訪れることも忘れなかった。

 もっとも、友達が名所旧跡が好きで、計画を立ててくれるのは友達だったので、ゆいかは、その計画に乗るだけのことだった。

 ただ、彼女は、天邪鬼のようなところがあるのか、決して、ランキングでも、ベストファイブに入るようなところに行くことはなかった。

 後から聞いた話では、

「彼女が、ベストファイブに入るようなところに行くとすれば、一人旅をする」

 ということであった。

「ただでさえ人が多いのに、誰かと一緒だと身動きが取れない」

 というのが理由だった。

 というよりも、その子は、

「一人だけの時と、私と一緒にいる時とでは、まったく違った考えを持っている。それは決して悪いことではなく、むしろいいことだった」

 と、ゆいかは感じていた。

 なぜなら、それだけ割り切っているということは、その時々で、

「楽しみ方をわかっている」

 ということであり、それを考えると、ゆいかは、

「旅行に行くというのは、最初から自分の中で楽しむということをどうすればいのか?」

 ということを分かっている必要があると思っているのであった。

 温泉旅行も、何度も来ているので分かっているつもりだった。

 ただ、実際に行くところは、鄙びたところが多く、

「寂しい」

 と言った方がいいくらいのところで、

「芸術家が一人で、創作活動をするにはいいんだろうな」

 と思うようになって、次第に、友達とだけではなく、一人で計画し、温泉旅行に来るようになっていた。

 その時は、ゆいかも、

「自分の創作活動のために来ている」

 ということであったが、彼女は、小説を書くことが好きだったので、まるで、

「プロの作家にでもなったかのような」

 という感覚になり、ほとんど部屋に引きこもって、小説を書いていた。

 そんな時は、大体、3日から5日くらいの滞在が多かった。

 あまり長くいても、次第に、世間の感覚を忘れてしまいそうで、その怖さもあったのだ。

 怖いといっても、錯覚であり、怖いという感覚すら、小説を書くシチュエーションを味わうという意味で、

「利用できるものは利用したい」

 と考えたのだ。

 ただ、あまり怖い話を書くことはなかったような気がする。

 温泉旅館で書く内容は、

「温泉旅館を舞台にした恋愛もの。そこで出会った男女二人が、恋に落ち、それが、いかなる恋愛をするか?」

 ということであったが、その時々、あるいは、旅館の雰囲気によって、ストーリーはまったく違っていた。

「自分のような一人旅の男女が知り合う場合」

 さらには、

「それぞれ単独で走り合うのだが、実際にはそれぞれに伴侶がいて、

「ここでだけのアバンチュール」

 という約束で、ここだけで完結するパターン、

 あるいは、

「アバンチュールだけで我慢できなくなった、どちらかが、禁を破って連絡を取ったことで、ズブズブの、泥沼の恋愛に落ちていく」

 という内容だったりである。

 こういう温泉宿で考えていると、どうしても、

「純愛というよりも、愛欲に塗れた恋愛」

 という、

「ドロドロとしたもの」

 になってしまうのであった。

 そんな恋愛小説を書いていた時代が自分にあったことを思い出していると、学生時代の自分が、実際には、

「そんな恋愛に憧れていたんだろうな」

 と感じ、

 温泉宿で、執筆活動をしている時で、

「誰か、男の人の一人旅の人がいないかしら?」

 と、密かに思っていたのだ。

 特に、執筆活用をしている自分が、

「隠微な雰囲気に包まれている」

 と感じていたからだった。

「私が隠微かどうか、自分ではわからないけど、せっかく、こんな鄙びた温泉宿に来ているのだから、

「どれだけ、この土地に映えていて、創作活動というものを、いかに醸しだすことができているのか?」

 というのを知りたいとも思ったのだ。

 最近でこそ、執筆活動はしていなかったが、やはり、それは就職して、最初の一年くらいは、

「仕事に慣れる」

 ということで、仕事に集中の毎日だったので、それも仕方のないことだった。

 それに、大学を卒業する時、

「辞めるわけではないが、しばらくはできないだろうな」

 という覚悟はしていたので、そのことで悩むことはないと思っていた。

 しかし、それは間違いだった。

 仕事に慣れるまでの一年間くらいは、仕事に集中していて、それだけ、

「充実した毎日」

 というのを送れていたと自分では思っていた。

 そのくせ、急に気を抜いたりした時、

「何か、嫌な気分になりそうな時があるんだよな」

 と感じていたのだ。

 どこか、鬱病のような感じがして、時々、

「何をするのも嫌な時がある」

 と思っていた。


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