第8話「〇〇の子」(2024/6/23)

 お隣だった松波トキさんのとこには、生まれたばかりの赤ん坊がおった。

 赤ん坊が生まれてすぐに空襲がひどくなって、新しいとこに疎開しないといけなくなってな。ろくなお祝いもできずに、松波さんとは別れてしまって、ついにその子の名前は分からんままになってしまったのよ。

 ようやく戦が終わって、あたしは何とか生き残ることができた。だけども、もう何も残ってなかったよ。あたしのおっ父は兵隊さんになって出かけたまんま帰ってこんかった。おっ母も、ばあちゃんも、弾に当たって死んじまった。

 平和のいしじは見たかい?

 亡くなった人の名前が、そこにみんな書いてあんだ。

 後から聞いた話だが、松波さんも亡くなったんだ。いしじに松波さんの名前もあったよ。あの赤ん坊も書いてあった。だけど、赤ん坊の名前が分からんで、その子のとこは『松波トキの子』って書いてあんだ。

 ただの文字になっちまったけども、おっ母らの名前は残せた。だが、名前が付く前に死んじまった子や、戸籍が燃えちまって名前が分からん子は、『〇〇の子』って書いてあんだ。

 きっといい名前を貰ってただろうにな。

 あんな可哀そうな想いは、二度とさせちゃいかん。させちゃ、いかんよ。

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