5.視察

* * *


 ミナが有能な秘書だという評価は撤回する。


 あいつはどっかの雑誌社の口車に乗せられ、おれに黙って勝手におれの自叙伝だか密着取材だかを掲載する約束をしちまった。


「口車じゃないです! ちゃんとメリットを計算してますよ」

「うるせえ、断れ。おれの話なんか誰にニーズがあるんだよ」


 おれは執務机に両足を上げたまま、その雑誌社の訪問伺いの書状をほうった。ミナは、両手を広げて説得にかかった。


「ガレンドール国民にですよ! 今って、シェヘラザード殿下のお初子出産で王太子ご一家ブームじゃないですか。皆、シェヘラザード様のことももちろん知りたいですけど、サイードさんにもすごい興味があるんですよ。アーノルド殿下の大親友にしてシェヘラザード妃殿下の弟君で、商館長代理も務める…」

「うるせえつってんだろ!? 聞き飽きてんだよその口上はよ!」


 机を叩いて黙らせようとすると、ミナも負けずに両手でばしんと机を叩いて凄んだ。


「とにかく、サイードさんはものっすごーーくおいしいポジションにいるんです。最大限利用してフィニークのものをばんばん輸入させて、がっぽり儲けて、皆とわたしのお給料をもっと上げてください!」

「本音はそれか! なーにがメリットだ」


 おれはずり落ちかけた体勢を直して、改めてミナを睨んだ。


「だったらなおさらダメだろ。今も昔も、おれの素行にゃあイメージダウン要素しかねえぞ」

「えっ?」


 ミナはきょとんとした。


「お育ちがよろしくなくってな」

「え? ユーシェッド家の生まれなんでしょ? 連邦筆頭国のオリフォンテでも屈指の大富豪で、家長のオミードさんは連邦総督を二期八年も務めたじゃないですか」

「それでもだ。事情があるにせよ娘を十八年も軟禁しとくような家だぞ。後から生まれた子どもなんか自分で勝手に育てって扱いだ」

「ええ…?」


 おれは、留学前の自分の暮らしがどんなだったかをかいつまんでミナに話した。商船や隊商に参加して海に陸にと出ずっぱりの旅暮らしはまあいいとして、その過程でしょっちゅう海賊や山賊と渡り合ったり付き合ったりだ。きれいとは言えねえ半生だ。

 ミナは口を開けながら聞いていたが、やがて呆れたように言った。


「はあ…。サイードさんは、アーノルド殿下とはまた違った意味でスペック高かったんですねえ」

「ふん。王子様のお友達にゃあふさわしくねえってか」

「十五になるまでに剣も酒も覚えていた、ですか。…その頃にはもう博打や女も覚えてそうですね」

「……」


 おれはどうとでもとれる沈黙で返事した。


「さあ、納得したんなら自叙伝はなしだ。断れ」

「…わかりました。密着取材だけにしときます」

「お前もしつけえな!!」


 ミナは、記者はもうこれから来るから追い返せないと言い張った。聞けばもともとうちからの持ち込み企画で、今日の視察に付いて来てそれを記事にすることで話をつけてあるんだそうだ。視察先を思い出しておれは折れた。と言うより、いい加減抵抗するのが面倒になった。


「しょうがねえ。プレゼンは全部おまえがやれよ」

「ええ、望むところです!」


 憮然として椅子に倒れ込んだおれの耳に、ミナの張り切った声が響いた。

 くそ、こいつが有能てのは認めねえぞ。勝手に外堀を埋められてそうで油断ならねえ。やっぱりアナスタシアから下手なことを学んだりしねえうちに本国に帰らせるのがいいかもな。


* * *


 視察と言ってもそう大層なもんじゃない。王室への献上も済ませて解禁となったフィニーク茶を、王都内の目ぼしい広場や辻に屋台を出して飲ませてる。その反応を見て回るだけだ。同行させた記者が詳細を雑誌やかわら版に書いてくれる。


「噴水広場と他三カ所ですか。行楽客の多いウィンストン・パークにも出店したら良かったのでは?」


 もじゃもじゃの髭を顔周りに蓄えた記者が質問した。ミナがそつなく答える。


「あそこに屋台を出すには、仲介している商会との契約が必要なんですが、一年先まで空きがないとのことでして」

「ああ、なるほど。ではパーク内の見世物小屋エリアの方はどうですか?」

「あっちはもっとダメだな。テキ屋の縄張りが入り乱れてる」


 おれはつい口を出した。


「仁義を通すの通さないので揉めたかないし、丸く収まるようにしても変なご縁ができちまう。嫌でもお世話してやる羽目になって、そのうちヤバいブツを抱えて本国にご案内なんて流れはごめんだぜ」

「さすが商館長代理殿は先々の展開を見越していらっしゃる」

「大体、ウィンストン・パークってあれだろ? 先代だか先々代だかの国王が作ったんだよな。パーク全域を管理してるのは当時庇護下にあった財閥で、結構な国粋派だ。どのみち外資が立ち入れる隙はねえんだよ」


 留学時代に仕入れた話と合わせて見解を披露すると、ミナが目を丸くした。


「ええ? そんな派閥があるなんて…」

「群れりゃ派閥はできるもんなんだよ」


 二人が感心してるうちに噴水広場にたどり着いた。商館のある通りからすぐなのでここまでは歩きだ。どこからか香ばしい芳香が漂い、そっちの方向に少しばかり人だかりがある。フィニーク茶の屋台だ。季節柄、人々は熱い飲み物を欲しがるので入りは悪くなさそうだ。


「アリ、調子はどうだ」

「これは商館長」


 ここの屋台はミナの伯父アリに仕切らせてる。従業員二人を使い、忙しく茶を淹れたり通行人に営業トークを繰り出したりしている。


「献上品ということで皆興味を持ってくれています。味見をさせると、馴染みがなくて引く者と気に入る者が半々ですね。こちらの茶のように、ジャムや牛乳を入れて甘みをつけてはどうかとも言われました」

「いいんじゃねえか? ローカライズは歓迎だぜ。地元民がアイデア出した方が定着しやすいだろ。逆にオリジナルはうちでしか出せねえようにすればプレミアも付く」


 おれが適当に言うと、アリは「さすがは商館長です!」と顔をほころばせた。いや出任せだって。いくら何でもこの茶にジャムはどうかと思うぜ。


 屋台では、持ち込んだ小さいかまどの上で豆を焙煎したり、石臼で挽いて粉にしたりのデモンストレーションもやっている。どっちからも、なかなかそそる香りが立ち昇る。

 記者に熱々の一杯を渡しながら、ミナがプレゼンを始めた。近くにいると口を挟んじまうからおれは少し離れよう。…いや、このまま黙って早上がりしてもいいんじゃねえかな…?


 おれが屋台に背を向けて忍び足でずらかろうとしていると、後ろでだみ声が響き渡った。


「何だあこいつは!? くせえくせえ」


 振り向くと、いかにもお約束な風情のちんぴらが数人、従業員に絡んでいた。


「見慣れねえ屋台があると思ったらよ、フィニーク人の出店かよ」

「こいつが茶だと? こんな真っ黒でゲロくせえもん、誰が飲むんだよ」


 あまりのガラの悪さに他の客が引き、少し距離を置いて人垣ができた。


「…お客さん、ひょっとして酔ってらっしゃいますかな。この茶は酔い醒ましにもいいんです。どうですか、一杯飲めば立ちどころにスッキリ…」

「誰がいるかよ!」


 従業員に代わってアリが前に出たが、ちんぴらの一人が差し出された器を払った。器は仲間に当たり、中身が服の腹から下を染めた。


「ぉあち! 兄貴ぃ、汚れちまったよ」

「おう。おい丁稚でっち、いきなり手を出すんじゃねえよ。俺は気が小さいからびっくりしてこいつにぶっかけちまったじゃねえか」

「兄貴ぃ、あちいよう」

「しょうがねえなあ。おい、火傷したらどうしてくれんだ? よう、お前らがまともな茶を入れられねえからこんなことになるんだぜ。洗濯代と治療費の面倒見んのは当然じゃねえかなあ」

「じっ、じ…自業自得じゃないですか! そんなの知りませんよ!」


 流れるように恐喝へと話を展開させたちんぴらに、ミナが気丈にも言い返した。いけね、押さえとくんだった。さっそくちんぴらがミナの手首を掴む。


「おっ!? 茶汲み女かよ! 真っ昼間からこんな往来で堂々と出てくるとは、まったくフィニーク人はわきまえねえ奴だぜ!」


 『茶汲み女』は娼婦の隠語だ。下品な連中は下品なボキャブラリーが豊富だぜ。それがわかるおれもご同輩だが。


 おれは、小さく息を吐き出すと足を踏み出した。

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