4.天敵
適当に場を離れようとしたら、ミナがおれの袖を掴んでいた。
「サイードさん、今のひょっとして…」
「ああ。おれにお前が必要なわけがわかっただろ」
にやにやとおれは答える。
姉上がアーノルドに嫁いだおかげで、ユーシェッド家はガレンドール王族の外戚というとんでもない立場になった。誰もがお近づきになりたいだろうが、とりわけ唯一未婚のきょうだいであるおれは格好の餌食だった。
その上アーノルド本人とも親友だし、王都の商館も切り盛りしてるしで、王都民から見ればおれこそがフィニークの顔みたいなもんだ。オプション設定盛り過ぎだろ。
有力者にとっては何としても抱き込みたい相手だ。さもなくば、ピートみたいに何としても蹴落としたいか。
ミナは、がっくり肩を落としてでかいため息をついた。
「広告塔の次は虫除けですか。一体わたしに何役やらせる気なんです?」
「おう、他にも役をやる気か。まだ余力があるとはさすが有能だな」
「んっもう! そういうのは前もって打ち合わせてくださいよ。…あー恥ずかしい」
わたしにも乙女心はあるんですよ、とかぶつくさ言ってやがる。
「まあ仕事のうちだと思って割り切ってくれ」
「…セクハラじゃないですかねえ」
おっと。フィニークから飛び出すのもうなずけるセンスを持ってんなお前。
「ほら、次の虫が来ましたよ!」
ミナが指差す方を見やり、おれは不敵な笑みをもらした。
「ばーか。あれを虫なんて言ってみろ、殺されっぞ」
「んじゃあ何なんです?」
「あれはな」
おれは再びミナの肩に手を置き、その女を待ち受けた。
「泣く子も黙る公爵令嬢、アナスタシア・ハイリッジ様だぜ」
そしておれの天敵だ。
アナスタシアは、完全無欠が服着て歩いてるような女だ。金髪碧眼でプロポーションにも隙がない。王立学園時代からアーノルドもたじろぐようなずば抜けた才知と行動力を見せつけ、卒業した今は領地経営に思う存分手腕を振るっている。おまけに女騎士の称号まで持っている。
一つだけ弱点があるとすれば、かつてはアーノルドの婚約者だったことが知られているせいで、恐れ多くて誰も後釜になりたがらないことだろう。おかげでいまだに独身だが、多分本人は困っちゃいない。
「しばらくぶりね、サイード」
「おう。あんたがこの程度の会に顔を出すとは珍しいな」
おれとアナスタシアは旧知ではあるが、決して親しくはない。彼女は当初からなぜかおれを警戒していた。そのうちアーノルドと姉上の仲が
実際には、アナスタシアと因縁があるのは姉上の方だ。ロイヤルな男を取り合ったとかいう低俗なことではなくて――その要素がゼロとは言わねえが――そもそも姉上は、天上の主として特別にアナスタシアを見守っていたと聞いた。姉上にとってはそれがアーノルドとの馴れ初めだったというから驚きだ。あいつの、彼女と別れたって相談にしれっと乗ってやってるうちに…ってことだ。聞くんじゃなかったと思わされる話の五指に入るぜ。
アナスタシアはそんな真実なんか知らないが、おれらを王族に取り入った油断ならない外国人として事あるごとに突っかかってくる。
今日は何を言い出すのかと待ってるときは、賭けでカードをめくる瞬間の気分に似ている。
待ち構えていると、上品な赤い唇が動いた。
「あなたに連れがいるのも珍しいわね。妹さんかしら?」
「これ以上きょうだいが増えてたまるかよ。これはおれの秘書のミナだ」
肩に置いてた手を腰に回し直して盾代わりにちょっと引き寄せると、ミナが動きづらそうに礼をした。それを見たアナスタシアは、わずかに眉をひそめた。
「…そう。それは結構だけれど、セクハラはしないようにね」
お前もか。
「あんたはミナとは気が合いそうだな。こいつはうちの期待の新人でさ、すげえ伸びしろがありそうなんだ。よかったら貴族との付き合い方とか、舐められねえコツとかを色々教えてやってくれよ」
「私が?」
「おうよ。あんただってお仲間がいた方が仕事しやすいだろ」
迷惑そうな顔をしてんなあ、心の狭い奴め。ミナを構うメリットに気づけよ。おれと話さずに済むようになるだろ。
「で、今日は何を売り込みに来たんだ? あの『馬に代わる乗り物』って発明品か」
「ええ。『自転車』というの」
アナスタシアが領地経営で特に力を入れてるのは研究開発だ。新しい技術で新しい道具を作っては、自領を手始めに全国展開させている。こうした交流会は絶好の機会だ。
「ミナ、よく見とけ。アナスタシアは全国の商工会議所の中で唯一の女性会員だ。やり手だからぜひロールモデルにしろ」
「へ? あ、はい」
ミナはおれとアナスタシアを交互に見比べた。おっと、まだ腰を抱いたままだった。おれはミナから離れると、ついでに通りすがりの給仕からグラスを受け取った。
「あっ! ダメですよ!」
すかさずミナが見咎める。
「んだよ。一杯くらいいいだろ」
「それで終わんないからダメなんですって! ソフトドリンクにしてください!」
「ガキじゃあるまいし、んな甘ったるいもんを飲めるか」
「じゃあフィニーク茶にします。持ってきますから、動かないでくださいね!」
小競り合いを演じた後、ミナはすたすたと仕出しテーブルへ向かった。その隙に性懲りもなくグラスを確保し、三口で飲み干す。
アナスタシアが無言で突っ立ってるので笑ってごまかすと、クズを見るような目つきをされた。
「…ペース配分しないと悪酔いするわよ」
「今フィニーク茶が来るから問題ねえ。あれは酔い醒ましに効くんだ」
「……」
おお冷てえ。お前の視線だけで十分酔いが引いてくぜ。
おれの素行については、こいつにも前々から苦言を呈されていた。王族の外戚なんだから飲む打つ買うのコンプリートはしてくれるな、とか何とか。となると、ミナで「買う」をクリアしたと思われなかったのは運が良かったかも知れねえな。
「サイード」
「何だよ」
「あなた、どうしてろくでなしのふりなんかしてるの」
「失礼な奴だな。ふりなんかするか。おれはいつでも全力でろくでなしだぜ」
「果たしてそうかしら?」
アナスタシアは腕組みして真顔でおれを見つめた。
「またかよ。お前はいっつも深読みし過ぎなんだよ。やさぐれたいからやさぐれてる、それだけだ」
「やさぐれたくなるような、何があったの?」
しつけえな。
「おれに商館長なんか務まるわけねえだろ。西方大陸でゆっくりしてたかったのにまたぞろこっちに呼び戻されて、だからって大した役割もねえ。ただ弟離れできねえ姉のせいで、いい迷惑だぜ」
「……」
アナスタシアは目をそらさずにおれの台詞を聞いていた。その目がいつもこええんだよな。
彼女は組んでる腕をしばし指先で叩きながら考え込み、やがて言った。
「サイード、今度あなたのところを訪ねてもいいかしら」
「おう。何なら商館を上から下まで案内してやるぜ」
「ビジネスの話じゃないの。あなたに少し込み入った話があるのよ」
「おれに?」
「ええ。あとで日を知らせるわ」
そう言うとアナスタシアはおれの前を離れ、他の客へと挨拶しに行った。
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