3.家族会議

* * *


 翌日、おれは再び姉上の部屋を訪ねた。天窓から落ちる静かな光が床に反射して、小部屋に座る姉上の顔もよく見えた。おれはその傍らに腰を下ろすと、両足を投げ出してくつろいだ。


「で、具体的にはどういう予定なんだ?」

「この屋敷を離れ、フィニークからも遠く離れた地に行くつもりです」


 おれは眉をひそめた。


「…どこへ行くんだ?」

「ガレンドールです」

「ガレンドール!?」


 昨日会った外交官を思い出す。水と緑が豊かで、国土も人口もここの何倍もあるそうだ。王都はオリフォンテに匹敵する規模と賑やかさで、同じような街もいくつもあり、人々は華やかに暮らしているという。


 この部屋の壁しか見たことない姉上が、いきなりそんな国に行って大丈夫なのか。


「サイード、私はあなたについてきてほしいと思っています」

「!!」


 半ば期待していた申し出に、おれはがばと身を起こした。


「そいつは願ってもないぜ! 最近は、馬とラクダと船のルーチンに少々飽きてきてたんだ」


 姉上はわずかに微笑んだ。嬉しがってるのか?


「じゃあ、段取りを考えなきゃな。姉上はそんなのわかんねえだろ。あ、その前に親父殿にはどう言うかな」


 はしゃぎかけたおれは、はたと問題に気づいた。


「ていうか、そもそも許しが出るかな? 預かり子の恩恵がなくなるとあっちゃあ焦るだろ。かえって厳しく監禁とかしたりしねえだろうな」

「それは…」


 そのとき、急に入口ががやがやと騒がしくなり、何だと思う間もなく扉が開け放たれた。


「こんな部屋があったのか!? 『開かずの部屋』なんてただの怪談だと思っていた」

「お、おい、いるぞ! 奥にほら!」


 踏み込んできたのは親父殿と兄ども、それからパリーヤだった。中をうかがって驚くハフェズの後ろで、シャヤールが幽霊でも見つけたようにうろたえた。


「何だてめえら! ここに入れんのは親父殿だけだぞ!」


 おれはさっと立ち上がって姉上を隠すように位置を取り、反射的に右手で腰の後ろを探った。その手が宙を掻いたことで、剣とナイフは寝床に置いてきたのを思い出した。同時に、目の前にいるのは曲がりなりにも家族であることも思い出し、力を抜いた。経験をしすぎだ、おれのばかやろうめ。


 だが、親父殿はおれの動きを見逃さなかった。瞬時に厳しい顔になり、つかつかと歩み寄ってくるとおれの胸ぐらを掴んだ。


「お前、今何をしようとした」


 親父殿は小声で凄んだ。


「…何も」


 何も持ってないからノーカンにしてくれ。


「身内に刃を向けようとしたな? そんな不孝非道の悪党にするために好きに修行させたわけではないぞ! そもそも女部屋で刃物を振り回そうなどと考えるな」


 そう言って手を離すと今度は頭をひっぱたき、「座れ」と短く言った。それを合図に他の者も集まり、小部屋の絨毯に窮屈そうに腰を下ろした。


「…人目に触れさせちゃいけねえんじゃなかったのかよ」

「潮時だ」


 憮然とするおれに、親父殿はにべもなく言った。


「パリーヤには話したらしいって聞いたが、こいつらまで何で連れてきた」

「当然です。こんな大事なことを、将来この家を担っていく我が息子たちが知らないなんて有りえません。サイードは知っているというのに」


 まだ食い下がるおれに、今度はパリーヤが扇で首元を仰ぎながら答えた。謎の対抗意識かよ。勘弁しろよ。


「いいんです、サイード。必然でした」


 思いがけなく発言した姉上に、皆が注目した。いや、さっきから注目してたけど、親父殿以外は初めて声を聞いて驚いてる。


「紹介しよう、シェヘラザード。息子のハフェズとシャヤール、お前にとっては義兄あにになる。それから二人の母親のパリーヤ、第一夫人だ」


 親父殿が皆を紹介すると、姉上は黙って頭を下げた。


「そしてお前たちよ。この娘は亡き第二夫人マハスティの連れ子、シェヘラザードだ。『天上の主の預かり子』のため、こうして今まで人知れず育ててきた」

「妹? ――にしては、同じぐらいの年に見えますが」


 ハフェズが怪訝そうに言った。確かに姉上はもう二十代に見える。二十六のハフェズ、二十四のシャヤールとそう変わらない印象だ。


「十八だ」

「トウが立ってるな」


 聞こえてるぞシャヤール! どつこうかと思ったが、向かいにいて届かないので舌打ちだけにしておいた。兄どもは質問を重ねていく。


「それで、預かり子というのは本当なんですか?」

「連れ子って言いましたよね。放り出されないようにする方便てことはないですか?」


 ちっ! 陰険野郎は発想がどこまでも陰険だぜ。


「シェヘラザードを養うことにしてから、家業の調子が良くなったのは確かだ。口をきくようになると時々助言を授けてな。と言っても、『明日は港へ行ってみなさい』といった曖昧なものだが、言う通りにするといつも不思議な偶然が重なって、大口の顧客がついたり、大損をうまいこと避けたりということばかり起きた」

「それは…おっしゃるとおり偶然では?」

「ハフェズ、偶然を立て続けに重ねるのは偶然とは呼ばん」

「…奇跡、ですか? 天上の主の預かり子ですから、恩寵でしょうか」

「どれでも構わん。だが、言い伝えに従ったからこそ、もたらされたものであることを忘れるな」

「――承知しました。では引き続きこの部屋で丁重にお世話するということでよろしいでしょうか」


 ハフェズがあっさり受け入れるもんだから、おれは思わず突っ込んだ。


「お、おいおい。信じるのはいいが、閉じ込めとくことに疑問はねえのかよ。生身の人間だぞ?」


 するとハフェズの代わりに陰険の冷血が平然と言い放った。


「とは言え預かり子だしな。この家の娘ならいい嫁ぎ先を見つけてやったりすればいいが、どこから来たのかわからない娘だ。働かせるわけじゃなし、ただ食わせてやるだけなら十分丁重な扱いじゃないか」

「シャヤール、てめえ! 親父殿は身内として紹介しただろう!」

「形ばかりのな。俺と血が繋がってるわけでもなし、なら情もそこまで湧かないさ」

「てめえに嫁が来ないわけがよーくわかる台詞だな」

「お前は随分熱いじゃないか。先にこの部屋にいたが、よもや昨夜からじつの――」


 奴が許しがたい侮辱を口にした瞬間、おれは飛びかかろうとした。だが脇から親父殿が立ち上がり、おれを打ちすえた。おれは尻もちをつき、陰険は怒号を浴びせられた。


「いい加減にしろ!! シャヤール、お前はしばらく喋るな。まったく、話が進まん」


 そして親父殿はまた腰を下ろし、やっと本題に入った。


「シェヘラザードの今後の扱いだが――預かり子は、世話になった家に一生居つくこともあれば、何かのきっかけで出ていくこともある。今、シェヘラザードもその転機を迎えている」

「それは、出ていくということですか?」


 ハフェズの問いに、姉上が直接答えた。


「はい。私はこの屋敷を去り、ガレンドールへ行くつもりです」

「ガレンドールだと!?」


 親父殿もそこまで聞かされていなかったらしく、皆と一緒に驚きの声を上げた。

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