5.オリフォンテの魂

* * *


 姉上との面会の後、ユーシェッド家は母上の喪中のためにしばらく控えめに暮らした。ハフェズの婚礼も日取りを決め直し、大幅に後ろ倒しになったようだった。

 喪が明ける頃、親父殿はおれを呼びつけて言った。


「お前の叔父のオーランを覚えているな」

「ああ」


 オーランは、隊商を率いる卸売商人だ。何人かの仲間と組んで連邦の内陸側をいつも旅して回ってる。年に数回、屋敷にやって来て宴会をやっていく。おれにもちゃんと目を合わせて相手してくれるので、親戚の中ではけっこう好きだ。


「しばらくあそこにお前を預けることにした」

「へ?」

「オーランにはうちで仕入れた品を扱わせているから、脇で見ていれば商売の勉強になる。なに、ハフェズもシャヤールも年頃になったらいっぺんは預けている。お前は少し早いが、まあ何とかなるだろう」

「……」


 姉上が言ってたのはこのことか。

 会わせろって言ったのが何か親父殿の気に障ったのか? まさか、中途半端な年の子どもの扱いが面倒になったってんじゃないだろうな。――まあ、どこに行こうが好きにやるさ。


 数日後、オーラン一行が屋敷を訪ねてきた。叔父はおれを見つけると、屈んで顔を覗き込んできた。親父殿に劣らず立派な顎髭に埋もれた口がほころんだ。


「しばらくだな、サイード。いかにも生意気盛りって顔だ。どうだ、俺の家に来るか? 陸の旅を教えてやるぞ」


 おれは返事のかわりににやりとしてみせた。


 オーランの屋敷は、都市まちの中心からやや外れたところにあった。敷地は広いが大半が倉庫と荷下ろし用の庭と馬場で、住居は控えめだった。

 次の出発の準備が整うまでの間、ひと月近くここで過ごした。おれは馬を一頭与えられて世話することになり、あとは学問の勉強をさせられた。ユーシェッド家でも七歳から家庭教師を付けられていたが、最低限の読み書き算盤がわかったところで適当にほっぽらかしてたので、しっかり叩き込み直された。

 それから地理だ。これは結構面白かった。例えば土地柄によって同じ麦でも収穫量や収穫時期が違うとか、その地でしか育たない作物があるとか。それがこの街に届くまで、山の地方なら馬で何日、南の部族はラクダで何日、白貝諸島は船だから――といちいち違う。近海のことはある程度知ってたが、内陸の方はさっぱりだったので話に飽きなかった。


 ときどきは叔父と馬で近くの山にも出かけた。

 峠道を登り切って開けた場所に出ると、交易都市オリフォンテの街並みが一望できた。目線を上げれば広大な水平線だ。水平線は船でおなじみだが、こんな高い視点からオリフォンテ込みで見るのはめったにない。


「おー、いい眺めだぜ」

「あんまり驚かんな。前に来たときを覚えてるのか?」

「え? そうなのか?」


 オーランによれば、おれが四歳のときにここへ連れてきたことがあったらしい。当時、何があったかえらい癇癪を起こしてたおれをたまたま屋敷に立ち寄ったオーランが落ち着かせようとしてくれて、この景色を見せにきたそうだ。


 そうか。あれはオーランだったのか。


 おれの覚えてる一番古い記憶だ。抱きかかえてたのは親父殿か馴染みの船長かと思ってたけど、親父殿はそんなキャラじゃねえし船長はここまで来ないもんな。


「あんとき、あんたが言ったこと覚えてるぜ」

「ほう」

「旅は、おれらオリフォンテの民の魂だとか、その誇りを忘れるな――って」

「その通りだ」


 オーランはおれを振り返り、微笑んだ。


「我らオリフォンテの民は、遠い昔に西の果てを越えてきたと言われている。たまたまこの地にとどまって国らしきものまで作ってしまったが、本来は旅に生きる民なのだ」

「へーえ」

「この大地すべてが我らの庭、この空が我らの屋根。我らは、この庭をどこでも、どこまでも好きに歩き回るのだ。一つところに安んじるより、いつでも立ち去る自由の方をたっとぶ。何にもとらわれず、とらえられずにどこまでもゆく。それが我らだ」


 おお、何か無性にかっこいいな。おれら、そんなにかっこいい民族なのか。


「だが、ここで暮らす多くの者には、その精神は忘れられている」


 オーランの手が、足元に広がる都市と活気に溢れた港とを指し示した。


「もちろん周囲の民族と友誼を結び、連邦を率いる筆頭国として向こう百年の安泰を築くのは何も悪いことではない。だが、しがらみは価値あるものも下らぬものも一緒くたに抱え込む。その重みで身動きできぬようになってしまっては、我らの父祖が情けなく思うだろうな」

「よっくわかんねえけど、むつかしそうな話だな。うちの親父殿も、忘れてる派なのか?」

「忘れているわけではないだろうが、それでも動けぬのがしがらみというものだ」

「ふーん…」

「まあ、お前に何をどうしろと言うつもりはない。ただ知っておけ」


 そうしてオーランは水平線を見やったので、おれも見た。あっちは東だ。ずっと東にも大陸があるという。大きな船が貿易のために盛んに行き交ってて、ユーシェッド家でもその一つを持ってる。

 この海を渡って、まっすぐ東に進んだらそこにも果てがあるんだろうか。果てってどんなところだろう。おれはぐるっと景色を見渡して最後に仰向いた。おれたちの上には、雲もなく青すぎて黒っぽくすら感じる深い空があった。西、東、北の果て、南の果て、空の果て。そこへどうやったら行けるんだろうな。、行ってみてえな。行き着くところまで。


「…おれだってオリフォンテだ」


 つぶやきをもらしたおれに、オーランは満足そうにうなずいた。


「ちなみに、オリフォンテというのも本来の名ではないらしい」


 帰り道を下りながら、オーランはそんな話もした。


「フィニークに来てからそう呼ばれるようになったらしくてな、元の名は学者でももうわからんらしい」

「へえ」

「ここに居着いて言葉や文化を周りの民に合わせたため、馴染むのは早かったが失われたものも多い」

「そうなんだ」

「俺やお前の父オミードの屋敷も、フィニーク風であってオリフォンテ本来のものではない。だが隊商は、昔ながらの暮らしぶりをいくぶん残しているぞ」

「へーえ、見てみてえや! おれも連れてくんだろ? 待ち遠しいな」

「ああ、もうすぐだ」


 かぽかぽと道を下る馬の背で、おれは身も心も弾ませた。

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