おやすみ、ジャッカル

ヲトブソラ

おやすみ、ジャッカル

 インターネット上で知り合った顔も知らない“友人”と、毎日のように“作業通話”なるものをしていた。“声”のみの存在はある意味、この世に実在しているのか分からない人間だ。いつも決まって集まるのはイラストレーターの“ぷちとまと”さん、もう一人はプログラマーの“クロノス”さん、そして、ぼく。ぼくは文章書きで“脱兎”と名乗っている。文章書きと名乗る理由は、小説家なんですね、と問われた時に“はたして、そう名乗っていいのだろうか”という弱虫から。“ぷちとまと”さんと“クロノス”さんは、それぞれの分野で金銭を得ているというが、匿名の世界で真偽は不明。ただ唯一、確かな情報として文章書きのぼくは“文章で金銭を得ていない”という事である。


 しかし、こういう三人が集まり作業通話をしているなどと言うと、さぞかしクリエイティブな情報交換をし、それぞれの想像力に刺激を………なんて想像をするだろうが、そんな会話をするのは半月に一度ほどである。大体、学生が深夜にぺちゃくちゃとファミレスや公園で話している会話と変わらない。そして、今夜も……、


『人妻って言葉……、エッチだよね』




「『は?』」


 急に“ぷちとまと”さんから謎の感想が飛び出た。人妻、つまり既婚女性の事であるが、最近はあまり聞かないように思う。聞いたとしても男性同士のひそひそ話に多いような気もする。何故、“人妻”という単語に性的な魅力を感じるのかは個人の自由だとして、ぼくの「あー……ぼくは魅力を感じないかな。というか、エロい言葉ではなく普通の言葉では?」という意見に“クロノス”さんも賛同してくれた。


『えぇ〜?えっちだよ?んんー。君たちには分かんないかなあ?こう………奥ゆかしい魅力が!』


「もしかして、未亡人とかも?」

『そう!それ!』

『“ぷちとまと”さん、団地妻は?』

『“クロノス”さん、だんちづまって何ですか?』


 未亡人とは夫を亡くした女性で、団地妻とは大昔のポルノ映画等のタイトルに付けられていた言葉と記憶している。この三人の中で一番若いと聞く“ぷちとまと”さんから、これらの言葉をこの時代に聞くとは思ってもいなかった。そして、団地妻を知っている“クロノス”さんとぼくは…………まあ、こんな感じで下らない話ばかりをしつつ、それぞれの作業をしている。


「あ、そうだ。あの賞の二次選考ですが、また落ちたよ」


 三人の中で唯一、NDAや守秘義務などを守らなくていい、ぼくの話題になると会話が止まった。ぼくの部屋と誰かの部屋でタイムラグのある秒針が一秒一秒と音を刻むのに、何も動かない音が響く。ぼくとしては軽く報告したつもりだったのだけど、この感じだと嫌いな“あれ”が始まるんだろう。


『次があるでしょー?だから、気にせず』

「まだ次は決めていないすね」

『続けていれば、実る!』

「実るどころか芽が出ない。種が腐ったのかも」


 苦手な迷信たちが、頭から降り注いで体温を奪っていく。信じて水をあげ続けていても芽は出ず、伸びたとしても花も咲かずに、実がならないかもしれないのは、充分に知っている。それでも、ぼくは訳あって出るか分からない種に、水を与える人生を選んだ。その為に仕事も辞め、何度もパートナーと話し合い導いた判断に、喜んで協力すると同意してくれた彼女は、今、何処へやら。それでも、


 ぼくは、ただ単純に自分の人生というやつを生きてみたかったのだ。


 ある出来事が人生というやつ全てを“創作”に注ぎたいと心の底から思わせた。退職の一年前から様々な小説投稿サイトに小説を投稿して、目についた公募は片っ端から応募した。睡眠時間は二時間取れれば良い方で、執筆に使える時間は歩行者信号の待ち時間でも、バスの中でも、電車の乗り換えの三十秒でも使うという、狂気じみた生活に友人達も苦笑いしかしていない。多くない貯え、アルバイトもしていないから金銭的に困り、飢えに苦しんだ果てが、ぼくの……、


『おっ!!オリックスが来た!!』

「急に何?“ぷちとまと”さん?」


 静かな音に“ぷちとまと”さんの声が弾けた。どうやら、いつも作業のお供にしている動画サイトでナミビア共和国のナミブ砂漠という、この星で最も古い砂漠のひとつに設置された定点カメラに動物が映り込んだらしい。ぴこん♪という軽い音と『見ろ!汚れた心の表現者ども!』という雑な“ぷちとまと”さん節と動画へのリンク。それをクリックするだけで九時間も離れた砂漠を見れるのだから、すごい時代になったものだ。団地妻とか言っている時代ではないのだ。


「向こうは何時くらいなんすか?」

『んー……昼の十二時前だね』

「後ろにダチョウがいますね」

『順番待ちか。偉いねえ』


 オリックスが六頭いて、その後ろに二羽のダチョウがいた。電車待ちのホームのように綺麗な列になっている訳ではないが、どうやらオリックス内でも順番はあるみたいだ。列に横から入り平気な顔で順番を乱したり、割り込む事に罪の意識がないような動物はいないように見えた。


「割り込まないすね」

『人間は“動物”と区別した生き物が出来る事も出来ない』


「ぼく、思うんですよ」


 専門的な事は分からないが、恐らく人間と動物は区別されていても生命体としての構造は同じだ。もし、人間も動物と同じカテゴライズをされ優劣を測った場合、人間は動物の中で最弱じゃないかと思う。一見強くあるように見える理由の、ほとんどが“道具”を使うからであり、素手だと何もできない。さらに自然環境への適応性も低いと思う。


「もし、この水飲み場に裸一貫で放り込まれたら、ぼくらはな何番目になりますかね?」

『一生飲めないんじゃね?』


 一生、か。それじゃあ、他の水源地を探すか?いや、この暑さだ。水を見つける前に倒れて干からびる。そして、


『おっ、私が推したいジャッカルが来たよーっ』


 衝撃だった。ジャッカルなんて肉食動物がヒエラルキー下位の草食動物と距離を保ちながらも、同じカメラの画角に入っている事が。そして、彼らより弱いと思われる草食動物が水を飲み終わるまで待っているみたいだ。特にオリックスやダチョウも気にするわけでもなく、平然と近くにいる。いくらジャッカルが小さな動物を好むとはいえ、怖くはないのだろうか。彼らの水飲み場には休戦協定でもあるのか。


「……そういえば、新しいドンパチが始まりましたね」

『人間って醜いよね。全く』

『ひとつ大きな戦争が起きれば、便乗する奴らがいる』


 何年か前に大きな国が隣国の小さな国に、突如、侵攻した。理由はどうであれ、多くの市民が亡くなり、それを大々的に取り上げ非難する。国際社会は攻められた小国に援助をしたが、それも各国の思惑と経済の息切れで足並みが揃わなくなる。すると常々、国際社会から監視され非難されていた種々の問題を抱える国が小競り合いを始めた。国際社会はまた非難をしたのだが、介入するまでの体力がないと見込んでの争いだった。実際、利益の無い争いに支援をする国は、いない。


「この子たちは偉いっすね」

『人間が馬鹿なんよ』

「大切な水だから、この場所は争う為の場所じゃない」

『脱兎さん、小説家みた〜い♡』


「この世界の国は獏ばかりですね」

『バク……?』

「伝説上の生き物でいるじゃないですか」

『ああ。“夢を食べる”幻獣ね』


 人間が仕切る世界にはモニタに映る水飲み場などなく、干からびた荒野に獏しかいない。人間の夢を食べるばかりで、新しい日に希望なんか一口も残しちゃくれない。


『そもそも獏は“悪夢”を食べるんだよ、“脱兎”さん』


 最初、“クロノス”さんは何を言っているんだろう、と、思った。


『獏は中国から日本に伝来する時に、何故か“悪夢を食べる”の“悪”が消えて伝わった』

「へえ、そうなんすか」

『だからさ……』






 この世界には“悪夢”を食べてくれる獏がいるはずなんだ。


「そうだと良いですね」

『ところでさあ、“脱兎”さん?』

「なんすか?“ぷちとまと”さん?」




『やっぱり人妻って、えっちだよう』

「『だーかーらーっ』」


 その日以来、ぼくは寝る前にスマートフォンで、“みんなの水飲み場“を観ながら就寝するようになっていた。朝六時前、その砂漠は夜だ。その日現れたのは小さなウサギが二匹。水を飲み終えると、じゃれ合いだし、転げる姿に表情がほころんだ。きっと喉がからからに乾いていて、遊ぶ元気もなかったのだろう。一瞬、影が走りウサギが一匹跳ねて画面の奥、暗闇に消えた。


 カメラに向けられる光る目。

 ウサギを咥えたジャッカル。


 生態系、自然の摂理だ。ウサギを食べてジャッカルは生きる。その場でウサギを地に抑え付け喰む姿に、運良く逃げられたウサギはどう思うのかを考えていた。


 ぼくの名前は“脱兎”。

 逃げたウサギの方だ。


 この世界にいる肉食動物にお願いがある。どうか“悪夢”を食べる獏だけは食べないで欲しい。ぼくら人間は夢や希望を持った、ただの動物だ。創造や表現が出来る動物なんだ。その素晴らしい能力を、どうか誰かや君らを傷付けたり、殺すために使う夢だけを食べて欲しい。


 そんな事に涙を流しながら、ぎゅっと目を閉じて願い、シーツの中に隠れるように潜り呟く。


「おやすみ、ジャッカル」


 ぼくの“今日一日の夢”を食べた獏がいた。このまま睡眠に入れば、一日が終わる。ぼくの夢は、あとどれくらい食べられればいいのだろう。それまでに夢を飼う事が出来るのだろうか。大事にして、小屋に温かい毛布を敷いて懐かれる日が来るのだろうか。


 誰か、誰か、誰か。

 ぼくの夢ばかりを食い散らかす獏だけを食べて。


おわり。

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