真尋さんの新婚旅行
増田朋美
真尋さんの新婚旅行
その日は、暑い日であったが、なんとか外へ出れそうな暑さの日であった。それでは、なんとか出かけられるということで、いつもより、人がたくさん外へ出ている様に見えた。車も多いし、なんだか晴れている日より、曇っている日のほうが、街に活気が出てくるという時代に変わってきているのではないか。
その日、いつも通り杉ちゃんが、水穂さんにご飯を食べさせようと躍起になっていると、
「ごめんください。」
と、一人の女性の声がした。杉ちゃんたちは、こんな暑いときに誰かなと思ったが、
「あの、すみません。加藤美里です。今日はちょっと相談したいことがありまして。」
と、言う声がして、加藤美里さんが来たことがわかった。
「ああいいよ、上がれ。」
杉ちゃんがでかい声でそう言うと、
「お邪魔いたします。」
美里さんは、申し訳無さそうに言って部屋に入った。なんだか困っているというかなにか悩んでいるような顔をしている。
「すぐお茶持ってくるからな。待っててね。」
杉ちゃんは車椅子を動かして、部屋を出ていった。その間に、水穂さんは、布団の上に座って、着物の襟を直し、
「相談ってなんですか?」
と、美里さんに言った。
「ええ、実はどうしてもやりたいことがありまして。」
と美里さんは話を始めた。
「やりたいこと?それなんですか?それより結婚生活はいかがなんでしょう。真尋さんはお元気ですか?」
水穂さんが聞くと、
「ええ。今のところ、体調が悪くなることもなく、元気に過ごしています。今頃は、お母さんと一緒に、家で勉強してるんじゃないかな。一生懸命勉強してるんですけど、やりすぎて体を壊さないようにって、こないだ、厳重注意をされたばかりです。」
美里さんはその話をすると止まらなくなってしまうようだ。
「この間は、国語の授業が面白かったらしく、こんな勉強がまたできたらいいなって、嬉しそうに話していました。なので私は、望月学園に入学させて本当に良かったと思いました。」
「はあそうですか。それでは、今回のやりたいことといいますのは?」
水穂さんがそう言うと、杉ちゃんが車椅子用のトレーに、お茶の入ったグラスを持ってやってきた。
「それは僕にも聞かせてもらうよ。それなら初めから頼むぜ。そして終わりまでちゃんと聞かせてもらう。」
杉ちゃんがお茶を渡しながらそう言うと、
「はい、それでは、お話したいんですけど、実は私、ハネムーンに行きたいと考えております。」
と、美里さんは言った。
「はあ、何馬鹿なことを考えているんだ?だって、真尋くんは、寝たきりの状態だぜ。満足に座ってもいられないくらいだ。それなのに、新婚旅行なんていかせてやれるもんか。まあ、無理なものは無理だと思って諦めろ。」
と、杉ちゃんがいうと、
「そうですよ。重い心臓病を抱えた男性を、外へ出させるというのは、難しいと思います。」
と水穂さんも言った。
「でも、最近は、授業で長く座っていることもできる様になってるし、一泊、いや、日帰りでもいいですから、旅行に行きたいんです。もちろん、学校が休みの日で、あまり混雑しない日を選ぶし、公共の交通機関だって、混雑しない時間帯に行きます。病院が近くにある観光地にします。だから一度だけでいいんです。一度だけ、二人だけで観光地に行きたいんです。」
美里さんは一生懸命それを訴えた。
「うーんそうだねえ、美里さんのその気持はわからないわけでもないよ。だけどねえ、真尋くんの身体のことを考えると、無理なものは無理だと思うんだ。僕も立てと言われてもできないし、ましてや真尋くんは立つどころか座ることもできないからねえ、、、。」
杉ちゃんがそれを柔らかく否定すると、
「真尋くんのお母さん、つまり古郡睦子さんは何を言ってらっしゃるんですか?」
と、水穂さんは聞いた。
「ええ。一緒に暮らしているんですけど、行ってもいいのではないかと言っています。最近は、真尋が、学校に行くようになって、割とすんなり受け入れてくれています。」
「古郡さんは、今でもソープランドでお仕事を?」
美里さんの答えに水穂さんがまた聞く。
「いえ、もうソープランドは退職しました。ただ真尋さんの事があって、外へ勤めることはできないので、私が紹介した出版社で、春画を描く仕事をしています。」
「はあ、なるほど。睦子さんは、今でも売春とは縁が切れないわけか。それはやはり、真尋くんのせいなのかな?」
杉ちゃんが聞いた。
「それはわかりません。でも、お母様は、売春することが、私の天職なのかもしれないって、笑ってました。それしかしてこなかったから、もうほかに働けそうな場所がないんだって言ってました。」
「そうなんだね。そういうことならなおさら反対だ。だって、真尋さんが可哀想すぎるよ。ただでさえ、いるだけで精一杯なのに更に遠くへ旅行に出させるなんて。それにね、寝たきりの人が行けるような観光地は、どこにあるんだ。そんなもの、どこを探したってないさ。」
「そうですね。海外であれば見つかるかもしれないんですけど、日本ではないですよね。僕も杉ちゃんと同じ考えです。」
杉ちゃんと水穂さんがそう言うと、美里さんは、がっかりとした顔をした。
「そうそう。日本では、そんなふうに寝たきりの人が観光するなんて、そういうことは、まずないんだよ。海外の、例えばヨーロッパとか、そういう国家だったら、すぐに行けるかもしれないけど。大体ね、そういう人が観光地に行ってみな、周りの人がどう見るか。みんな、何であんな人を観光地に出されるなんて、ご家族は無神経だなって顔をするんだよ。それはね、本当に辛いんだよ。だから、よしたほうが絶対いいって。安全のためだから、今回は諦めろ。」
杉ちゃんに言われて、美里さんは、
「でもどうしても行きたいんです。」
と小さな声で言った。
「そんなに行きたいのなら、なにか理由があるのですか?」
水穂さんがそう言うと、
「はい。真尋と二人の時間を持ちたいんですよ。それではいけませんか?」
と、美里さんは答えた。
「はあ、そんなに強い意志があるのに、理由はなんだか掴みどころが無いな。もっとはっきりした理由があるはずだろ?それを言ってみろよ。」
杉ちゃんに言われて美里さんは、小さくなって、
「はい。実は理由があるんです。実は真尋が、学校に行き始めて、しばらく経ってからのことなんですが、、、。」
と理由を話し始めた。
「ある日突然、介護のお手伝いがしたいと言って、女性が一人乗り込んできたことがあったんです。私達は、結婚の約束をしたとき、古郡さんが、やれるときは最後までやりたいという希望を聞いていましたので、女中さんは雇わないことにしようって決めていました。ですが、そうして、女中さんが乗り込んで来たものですから、うちは女中さんは雇わないと言って、断ったんです。それでも何度もしつこくやって来るものですから、うちではお給金は払えないとはっきり言ったところ、加藤クリーニングからお給料が出るからということでしたので、、、。」
「はあ、つまり、それでは、美里さんのお母様である、加藤理恵さんが、命令して、女中さんに立候補させたのかな?」
杉ちゃんがそう言うと、
「ええ、きっと母がスパイとして女中さんを雇わせたんだと思うんです。あたしが、母とほとんど連絡を取っていないので、それで気になって女中さんを派遣させたんでしょう。全く、お金があるからって言って、汚いことする母ですよね。でも、あたし自身も、母には逆らえなかいから、なんとかして、」
美里さんは、一生懸命答えた。
「なるほど。お母様をギャフンと言わせたいのね。」
と、杉ちゃんが言った。
「そういうことなら、旅行に行くことではなくて、もっと別のやり方で考えてみればいいと思うんですけど。いくらなんでも、彼を観光地につれていくのは酷というものです。寝たままで旅行に行くなんて、日本では見世物になってしまいますよ。それに、広くて空いていて、なおかつ人助けがある観光地なんて、絶対ないですし、、、。」
水穂さんもそう言うと、玄関の引き戸がガラッと開いた。そして、杖をついている音が聞こえてきて、ふすまが開く。
「もし、そういう観光地があるとしたら?」
と誰かの声がした。水穂さんが振り向いて、
「弁蔵さん!どうされたんですか?」
と言った。
「だっていくらご挨拶しても誰も出ないので、上がってしまいました。今日は、富士市で旅館経営にまつわるセミナーがありましてね。それで、よってみたんです。水穂さんはどうされているかなと思って。」
弁蔵さんは、にこやかに言った。
「ええ、ご覧の通り寝たり起きたりしています。それより弁蔵さん、僕たちの話を聞いてしまわれたんですか?」
水穂さんがそう言うと、
「はい。杉ちゃんの声は大きいので、丸聞こえでした。それで、もう一度いいますが、先程おっしゃった観光名所、広くて空いていて、なおかつ人助けがある観光名所ですが、それならぜひ接岨峡温泉にいらしてください。中には転地療養の目的で長期滞在するお客様も多いので、うちの旅館ではそういうお客様に慣れている仲居が多いですよ。」
と、弁蔵さんは言った。
「そ、そうなんですか。でも、接岨峡温泉はトロッコ列車で行くでしょう。それに、寝たきりの男性が乗ることはできるのでしょうか?それくらい広いスペースはないですよね?それに本数も少ないし。」
水穂さんがいうと、
「ええ、それは周知のことなので、体の不自由なお客様は、ワゴンタイプのジャンボタクシーを手配して、電車と並行してタクシーに走ってもらう形で、観光旅行に来る方が多いです。それに、うちの旅館では、介護ヘルパーをしていた仲居もいますから、その人に手伝わせれば、大丈夫ですよ。」
弁蔵さんは即答した。
「何ならジャンボタクシーの運営会社に、話して見ましょうか?すぐに手配できるはずですよ。大井川は、観光の街ですからね。いろんなお客さんが来てくれる設定で、体の不自由な方でも乗れるようなタクシーを用意してくれてあるんです。」
「そうですが、もし真尋さんに何かあったら。」
水穂さんが心配そうに言うと、
「ええ。僕らは、以前ドクターヘリの手配もしたことがありますから大丈夫です。ぜひ、接岨峡温泉にいらしてください。亀山旅館と検索してくだされば、すぐわかります。」
と、弁蔵さんが明るく言った。
「ありがとうございます!真尋も、喜んでくれると思います。ぜひ、日程が決まったら、温泉旅行にいかせてください。」
美里さんはとてもうれしそうに言った。
「了解です。じゃあ、タクシー会社の電話番号と、後うちの旅館、亀山旅館の電話番号をお伝えしますから、日付を決めたら、連絡をくださいね。ちゃんとうちの旅館には障害者用の特別室もございますので安心してください。」
弁蔵さんがにこやかに言うと、美里さんはありがとうございます!と深々と頭を下げた。杉ちゃんが本当に、二人を旅行に出してもいいだろうかと言ったが、
「大丈夫です。末期がんの方が接岨峡温泉に来たこともありますから、それは僕たち旅館業が引き受けます。ドクターヘリもすぐに手配できます。今は多様性の時代ですから、いろんなお客が来て当たり前。だから、それをちゃんと理解して、観光業務に当たります。」
と、弁蔵さんは言ったので、みんなそうすることにした。話は決まった。真尋くんが学校が休みのときに、まず初めに温泉旅行だ。行き先は接岨峡温泉である。宿泊先は、亀山旅館。交通手段は、富士駅から岳南タクシーの、障害者用のジャンボタクシーで行くことになった。真尋さんのお母さんである、古郡睦子さんは、とてもうれしそうに二人の新婚旅行に同意してくれた。
そういうわけで、旅行当日、真尋さんの家に、大型のジャンボタクシーが迎えに来た。ケアドライバーという資格を持っているドライバーが運転してくるということで、運転手は真尋さんの扱いにも慣れていた。すぐにジャンボタクシーに二人は乗って、高速道路を走って、奥大井に向かった。やはり弁蔵さんの言ったとおりだ。大井川線と並行するように道路があるので、景色を眺めながら、車で旅を続けた。名物と言われる奥大井湖上駅も車の窓から見ることができた。流石に駅で降りてみて写真をということはできないのだろうけど、それでも真尋さんたちはとてもうれしそうであった。まだ、夏の季節なので、紅葉も何もしてない季節だけど、とても素敵な風景だった。
走行しているうちに、亀山旅館に到着した。ジャンボタクシーが敷地内に入ると、弁蔵さんと、二人の仲居さんが待っていた。運転手が、真尋さんをストレッチャーに乗せて、亀山旅館に入場させると、二人の仲居が、それを受け継いだ。
「こんにちは、加藤美里さん、真尋さん。奥大井へようこそ。今日は、松の間にお泊りいただきますので、こちらへいらしてください。」
弁蔵さんは、すぐに真尋さんと、美里さんを部屋に案内した。二人が宿泊するのは、ツインの和洋室で、和室の部分と、ベッドルームが、つながっている部屋である。二人の仲居が真尋さんを持ち上げてすぐにベッドへ寝かせてくれた。
「お夕食は、お部屋で召し上がっていただきますので、心配は要りません。今夜は、イノシシ鍋を中心とした、山の幸を召し上がっていただきます。それでは、夕食の時間までゆっくり過ごしてください。」
弁蔵さんが、そう言うと、仲居さんたちは、なにか困ったことがあったらいつでも言ってくださいといった。一応着物を着ている人たちであるが、でも、体力に自信がありそうな、元気のある仲居さんたちである。多分ヘルパー免許を持っている仲居さんたちなんだなと思った。
仲居さんたちが部屋を出ていくと、真尋さんと、美里さんは二人だけになった。
「何か変な感じね。うちに居れば、お母さんがいたり、病院の先生が居たりして、必ず誰かが居る生活だったのに。」
美里さんがそう言うと、
「こんなところに、二人で来てしまっていいのでしょうか?」
と、真尋さんは言った。その表情に、美里さんは、彼にどう言おうか迷ったが、
「いいのよ。だって、みんながそう言ってくれたじゃないの。今はいろんなお客さんが来てくれて当たり前だって。だからあたしたちのような訳アリのお客さんでも受け入れてくれるんだって。」
と言ったのであった。真尋さんは横になったまま、
「そうなんですね。」
とだけしか答えなかった。その顔はもう疲れているような感じがした。それを見ると、美里さんは、実は、一度でいいから真尋さんと一緒にやってみたい行為を実行するのは無理かなと思った。それはなんとなくというか、大変がっかりすることでもある。それができれば、一度だけでも母の理恵さんに勝てるのではないかと思っていたのだが、、、。なぜ世の中は、真尋さんのお母さんのように、そのことを仕事にしてしまえるほど、ありふれていることなのに、私はできないのかな。美里さんはそんなことを思った。
今でも、加藤美里から名前を変えなかったのは正解だったと思う。一度は母も受け入れてはくれたのだが、すぐに考えを覆し始めて、古郡の姓を名乗ることを頑なに反対した。それで真尋さんが、自分が古郡から加藤に改姓すると言ってくれたので、何を逃れたのであるが、それでも母は、嫌味を言うことをやめない。美里さんは、母の手が届かない街に引っ越そうかとも考えたが、真尋さんが今通っている病院から離れることができないのと、終始介護が必要であるということから、富士市にとどまらざるを得なかったのだ。それにこの不景気と言うこともあり、美里さんを雇ってくれる企業もないから、彼女はまた加藤クリーニングで働かなければならなかった。真尋さんのお母さんが春画でお金を入れてくれるが、それをもらうだけの生活は、申し訳無さすぎるのであった。
「まあ、一晩だけだけど二人になれて良かったわ。なにかあればあの店主さんか、仲居さんに言えばいいって言ってたし、今日は二人だけでゆっくり楽しみましょ。それにしても、こんな近くに、福祉が行き届いた旅館があって良かったわ。」
美里さんがそう言うと、返事は帰ってこなかった。真尋さんは眠ってしまったのである。確かに、ジャンボタクシーに何時間も乗っていたので疲れてしまったのだろう。それでは、たった一人か、と美里さんは思った。一人で娯楽室へ行くことは嫌だったので、部屋でぼんやりしているしかなかった。ぼんやりしているとときの経つのは遅い。美里さんは、自分の人生を考えてみた。いつでもどこでも、自分の隣には母がいた。確かに父がいないで、女手一つで、会社をやっている母は、本当に大変だと思う。小学校低学年のときは、何でお父さんがいないのか、からかわれたこともあったし、それをお母さんと二人で乗り切ったこともあった。でも、お母さんが会社を大きくすればするほど、自分の方から離れていったような気がする。それを学校の先生に話したこともあった。そのときは、親離れは正常なことなので、そうなっても大丈夫だと先生は言っていた。だけど、今になって、真尋と私との結婚をこんなに反対するなんて、、、。美里さんはなんて親っていうのは身勝手なんだろうなと思ってしまったのであった。
「さあ、夕食の時間ですよ。どうぞ、イノシシ鍋を召し上がってください。」
と仲居さん二人が食事のワゴンを持ってやってきて、手早く食事をテーブルの上においてくれた。その音で真尋さんはすぐ目を覚ましてくれた。美里さんは、真尋さんの分の肉を用意された鍋に入れてしっかり火を通し、小皿に乗せて、
「イノシシ鍋ですよ。食べてください。」
と、真尋さんの前に持っていった。真尋さんは、それを受け取って美味しそうに食べてくれた。それが終わると、美里さんがまた肉を追加する。そんなことを何回も繰り返した。仲居さんたちは、本来それは自分たちの仕事だと思っていたようであるが、率先してやる美里さんを見て、
「とても中の良い御夫婦なんですね。」
と、感心していた。美里さんは、これでやっと、真尋さんのお母さんが、商売としてしてきた行為を、実行できたような気がした。
真尋さんの新婚旅行 増田朋美 @masubuchi4996
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