第16話 スクールアイドル研究会:斉藤瑞紀の焦燥
名門・清心女子高等学校の文化祭『
清風祭の当日、いつもなら開いていない朝5時に学校の門が開き、準備が終わっていないクラスや団体の面々が校内になだれ込んだのだが、その中に瑞紀もいた。幸い、ステージの準備が終わっていない人たちは他にはいなかったようで、瑞紀は講堂ステージの照明を点け、1人、ステージに上った。
ステージの上には音響機材が既にセットされている。メインのスピーカーはステージ下に何発も用意されているが、ステージ用には返しのスピーカーが2発あるだけだ。コードはつまずかないように整理され、きっちりと目印の養生テープが何十カ所にも色違いで貼られている。ステージは2回きり。1度だって失敗はできない。
どうして自分がこんな大勢の人前に立つようなことを決意したのか、よくわからない。アイドルみたいな服を作っていただけなのに、何故かそれを着て、ステージに立ち、歌い、躍るのだ。アイドルのように。いや、スクールアイドルとして。
瑞紀は思い返す。
始まりは中学3年のときの文化祭の部活発表だ。美術部の
あの感動を求めて、ここまで来てしまった。それだけではなく、別の共学校に進学した東くんに応援まで求めてしまった。自分の力不足故だ。もし、デザインと縫製に専念できるのなら、自分1人でもなんとかなっただろう。しかし歌って踊るという全くの未知の分野にチャレンジしなければならなかった瑞紀には荷が重すぎた。
東くんには悪いことをした、と瑞紀は思っている。
せめて、見返りに他のスクールアイドル研究会の子を紹介できればよかったのだが、それぞれお相手がいたので、それは適わないことだった。ならばせめて、清風祭の今日1日、自分が東くんのアテンドをして、彼に報いなければと心から思う。こんな邪魔なおっぱいしか取り柄のない自分だ。恥ずかしくて恥ずかしくて、どうにもならないが、いかなる手段を執ったとしても、おっぱいを押しつけてあげるくらいのことはしてあげないとならないだろう。
いや、それ、東くんの報酬になるのか。わたしなんかじゃセクハラになるんじゃないのか? 押しつけたいから押しつけてるくらいに思われるのではないか……その点には全く自信がない瑞紀だった。
スマホのメトロノームアプリを起動させると規則的な音がステージの上に小さく響く。転んでも踏まずに済むような場所にスマホを置き、瑞紀は自分の1曲目のスタート位置を示す養生テープの上に立つ。
まずは、ここから。
振り付けを間違えてはいけないし、遅れてもいけない。もちろん転んだり、他のメンバーとぶつかってもいけない。練習の時、幾度となく、
頭の中で1曲目のイントロが始まる。何十回、何百回と繰り返したステージ練習だ。メトロノームの音があれば間違いようがない。自分にこんなことに対応できる能力があったなんて信じられない。
手をあげ、ステージ下の観客席に目を向け、回る。
そして自分のパートをアカペラで歌い始める。
自分の振り付けは他のメンバーとは異なる。つられないよう、自分の振り付けを完遂する気持ちを強く持ち、ステップ、ジャンプ、また回転。
飛丸くんの振り付けは、日々進化した。ステージ衣装でも無理なく動けるように、それでいてかわいらしさを失わず、映えるように手を加えた。
かわいらしさという点では、柚木ちゃんが細かくチェックしてくれた。当の本人が誰よりもかわいいから、皆、真剣にアドバイスを聞いたっけ。
南風くんはいつも目を光らせていて、故障がないか、疲れている部分がないか、ずっと見守ってくれていた。直接マッサージしてくれたのも何度かわからないくらいだ。彼がいなければ、ここまでたどり着かず、皆、倒れていただろう。
そうだ。ここでプロジェクションマッピングで蝶が舞うんだ。高梨くんは本当にすごかった。最後の最後までセンチ単位で調整を繰り返した。榊原と高梨の口論はもう定番になったっけ。考えてみれば投影するデザインは東くんがやったんだっけ。
うわ。ここの高音域、声が出るようになってる。ボイストレーナーの卵、大津くんの指導のお陰だ。さんざん怒られ、呆れられたっけ。
次の曲は大津くんの作詞と東堂くんの作曲だ。2人の気持ちが伝わってくるようだ。東堂くんは編曲から打ち込みまでやった。驚くべく作業量だった。
そう。ここで小物を拾う。小物を作ったのは
羽山くんが今のわたしを撮ってくれていたらチェックできるのになあ。羽山くんはステージ練習では皆勤賞だ。自分は下僕だって言っているけど、
助っ人たちの力がなかったら、清心女子高スクールアイドル研究会はここまでたどり着くことはできなかった。
メトロノームの音に、瑞紀の脳裏の聞こえないはずのメロディーが重なる。
3曲目。やっと最後の曲。バラードのメロディーが瑞紀の脳内に流れる。バラードなので、ダンスは控えめだ。その代わり、心情を出すんだと飛丸くんが口酸っぱく言っていたっけ。
好きだ――ってことを目の前にいる観客に伝えなければならない。
好きな人に本当に伝えられればいいのに。
そう考えながら、瑞紀は踊りきり、感無量の中、独りごちた。
「――転ばなかった……」
「それは他のメンバーがいなかったからだろ」
不意に声を掛けられ、瑞紀は観客席に目を向ける。薄暗い観客席の真ん中に、東の姿を見つけ、瑞紀の胸はときめいた。
「どうしてこんな朝早く!?」
「眠れなかったんだ。斉藤もそうじゃないのか?」
「うん。眠れなかった」
いろいろな意味で眠れなかったのだが、それを東に言えるほど、瑞紀の覚悟は決まっていなかった。
「でも、踊り切れたな。おめでとう。本番までこのいいイメージを持って行けたらいいな」
「大丈夫だよ。絶対に、大丈夫だよ」
瑞紀がそう言い切れるのは、好きだということを伝える観客が今、ただ1人だけいて、それが本当に伝えたかった人――東だったからだ。こんなにも嬉しいことはない。希望が叶い、こうして当日のステージを迎えようとしている。何をためらうことがあるだろうか。
「本番のステージを見届けてから、もう1度聞きたい気がするね」
それはきっと、聞くことはないだろうと思う。なぜなら失敗する気がしないからだ。不思議だった。どんくさくて、みんなに迷惑を掛けてきた自分が、何故か今、ここまで到達している。しかしそれに奇跡はない。みんなで一丸となって頑張った結果だからだ。
「がんばるよ」
「うん。すごく、期待している」
そんな会話を終えた頃、他のステージ参加者たちもやってきた。劇やバンド出演、さまざまだ。それぞれが最終チェックくらいはしたいのだ。
「じゃあ、研究会の部屋で皆を待とうか」
「そうだね」
瑞紀はステージ脇の階段を降り、東の隣に立つ。
東はちょっと恥ずかしそうに1度瑞紀を見た後、前を向いた。
「なに? どうかした?」
「本番の衣装は胸の谷間を強調しすぎたデザインだからな。悔やんでるんだ。ダンスの最中にポロリしないといいんだが……」
「しないよ!」
瑞紀は両腕を胸を抱えるように組んだ。
「いや、作ったときと違って、絶対にサイズが合わなくなってると思う」
東くんが見ていたのはわたしのバストだったのか、と気付き、瑞紀は赤面した。確かに成長はしている。
「どこ見てるのぉ!!」
「冗談だよ」
瑞紀は東がこんな冗談を言うのを初めて聞いた。東は東なりに瑞紀の緊張を解こうとしてくれているのだと思い至り、小さく頷いたあと、瑞紀は東の耳元に顔を寄せ、思いきって反撃した。
「実は本当に大きくなってるんだ。内緒だよ……」
そう瑞紀が囁くと東は縮地の如き速度で1歩退いた。
「さ、斉藤!」
「冗談、冗談――冗談じゃないけど」
イタズラっぽく舌を出し、瑞紀は東より先に講堂を出る。あとから東が小走りで駆けてくる。駆けながら、東は瑞紀に言った。
「午前中のステージが終わったら、文化祭を一緒に回ろう」
本番のステージまであと4時間。
瑞紀はぐっと拳を握りしめ、覚悟を決めて言った。
「うん。楽しい文化祭にしようね!」
それからも瑞紀だけでなく、他のメンバーにもいろいろあったのだが、なんとか午前中のステージを無事終了して、一息をつくことができた。午前中のステージは超満員だったが、午後のステージもプラチナチケット化している。がんばらないとね、とお互いを鼓舞しながら、講堂の舞台から降りる9人だ。東以外の助っ人たちも、胸をなで下ろしているところだろう。
午後のステージまでまだしばらく時間がある。みんな一旦ステージ衣装を脱いで、制服に姿に戻り、文化祭を満喫する予定のようだ。メンバーは講堂の更衣室で衣装を脱ぎ、丁寧に片付け、ロッカーに保管する。
9人のうち、どれだけ文化祭デートの予定を決めているのか瑞紀には想像ができない。確定なのは真子と飛丸、悠里と日色の2組くらいだろう。かなり怪しいのは早月と東堂、翠と高梨というところだろうか。瑞紀だって、朝、東が来てくれなかったら、約束はできなかっただろう。ボーダーだったのだ。
しかし観客席の1番後ろで観覧していた東と、ステージの上で目が合ったとき、間違いのない何か予感めいたものを瑞紀は覚えた。朝に約束しなくてもきっと、きっといい文化祭になっていたに違いない。そう瑞紀には信じられた。
「――お待たせしました」
制服姿の瑞紀は、いつもと同じ冴えない格好をしている東に向かって微笑む。いつもよりよく見えるような気がするのは、午後のステージに備えて前髪を上げたままだからだ。
「どこから回る?」
東は照れているのかぶっきらぼうに言った。
「東くんはどこか行きたいところある?」
瑞紀は文化祭のパンフレットを手にしている。中身は熟読している。どうやって東と回ろうか何度もシミュレーションした。どうとでも対応できるぞと内心ほくそ笑む。しかし東から返ってきた答えを聞き、瑞紀はちょっと気が抜けた。
「1番見たいのは見ちゃったからな」
「それって研究会のステージ?」
「もちろん」
それはそれで嬉しい。瑞紀は嬉しくて思わず笑ってしまった。しかし東は難しい顔をする。
「なにせこの文化祭で最もスリリングな出し物であることは間違いないからね。一体練習で斉藤が何回転んだか想像ができないよ。僕が見てたときだけで4回転んだんだよ」
それは否定できない事実だ。
「どんくさくてごめんなさい」
「飛丸くんが、どうしてここで転ぶんだって頭抱えてたよ」
「知ってる――でも本番は転ばなかったよ」
「本当によかった」
「でもさ」
瑞紀は話をそらした。こんな風に言ってくるようでは自分に脈は無いのではないかと思ってしまうしかない。ステージの上で目が合ったときに感じた自信はどこへやらだ。思いっきりネガティブになって、聞きたくないことをつい聞いてしまう。
「東くんが回りたいところはないの? 清心女子にはかわいい子、一杯いるんだよ。文化祭を回っている間に、いい出会いがあるかもしれないよ」
「ふーん。どうでもいいや。午後のステージを見たら帰るから、どっかでメシでも食べようかね?」
「どうでもいいの?」
意外な返事だった。
「いやだって、斉藤が一緒に回ってくれるのに他の女の子を見たら失礼だよ」
「そっか――そんな風に言ってくれるんだ?」
嬉しい。嬉しい。嬉しい。だけど、どんな気持ちで東くんがそう言っているのか、わからない。
瑞紀はちょっとだけ悩みながらも、東の顔をのぞき込んだ。東は真顔だった。どう反応すればいいか分からない。瑞紀は俯いてしまう。
「そりゃそうだ。さあ、午後のステージに備えて、何か食べようよ」
「そうだね。うん。そうだ」
瑞紀は面を上げて、廊下の先を見る。もう、開き直るしかない。
「この先、ホットドッグやってたはず」
パンフレットは熟読しているからもちろん知っている。
「じゃあそれで」
「お礼におごってあげる」
ちょっと冗談めかして言う。
「安!」
「じゃあ、ホットドッグは奢るとして、他にどんなお礼がいい?」
瑞紀は希望の答えを東から引き出したい。やっぱり、予感はホンモノだと思う。
「そうだね」
俊紀はバッと瑞紀に手を差し出した。
「これじゃダメかな?」
その言葉は瑞紀の脳天から背筋に掛けて、稲妻のような電流となってほとばしり、瑞紀の身体を甘いしびれで満たした。
瑞紀は真っ赤になって俯いてその場でわなわなと震える。
がんばれ瑞紀、ここでがんばらないでどうする!
瑞紀は自分を鼓舞し、東の方へ震える手を差し出した。
「よろしくお願いします」
自分の声が震えているのが分かる。
「こちらこそ」
東の声も震えていた。
瑞紀と東は手をつなぎ、講堂を出て行く。
まずはホットドッグだろうか。
しかしその前に瑞紀には言わなければならないことがあった。
「東くん。今日までありがとう。ここまでたどり着いたのは東くんがいてくれたからだよ」
「他の奴は他の奴で別のことを言うよ、きっとね」
東は自嘲した。しかしそんな風に言うからこそ、瑞紀は東に伝えなければならない。
「他の人は他の人。わたしは、東くんが力を貸してくれて、応援してくれたから、ただのどんくさい女の子からスクールアイドルになれたんだよ。スクールアイドルを始めて、本当によかった」
「そう言ってくれると俺も嬉しい」
「東くん……中学校の時から、ずっと好きだよ」
東の返事はなかった。その代わりに握る手に力がこもる。
「僕は重いんだぞ」
「わたしも負けずに重いと思うよ」
「仕方ないなあ。似たもの同士だから……」
2人はホットドッグの屋台の前まで来てしまった。タイミングよく誰も並んでいなかった。東は店番の生徒に言った。
「2本ください!」
東からは好きだという言葉は聞けなかった。しかし午後のステージまでまだ3時間はある。文化祭を楽しむのには十分な時間だ。
きちんと答えさせてみせる。
以前の自分には考えられないような自信が溢れ、瑞紀も東の手を強く握り返したのだった。
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