第14話 スクールアイドル研究会:新宮早月の無自覚
私、
学校一の美少女。
それは努力の上に成り立っている事実だ。私はその努力を継続するために、全てのネガティブな要素は理性で排除し、普通の女子が享受するはずの多くのものを切り捨てた。小学校低学年の時に、自分は努力してかわいくなると覚悟を決めたときから、何一つ変わっていない。
しかしその切り捨てたものの中には『恋』の一文字もあった。今にして思えば、単に知らなかっただけなのだが、女子が、誰が好きだの、あの子は誰それにアタックしているだのという定番の会話が始まる度に、嫌気がさす私だった。
男子はみんな優しいし、親切にしてくれる。格好いい人もそうでない人もいるけれど、外見は内面を反映していることもあるしそうでないこともある。それ故に外見だけで判断するのは危険だと私自身が思っていた。だから、みんなとは一定の距離を置いて、誰に対しても朗らかに接した。また、それが学校一の美少女である私に課せられたポジションでもあった。
つまらん。
それらの全てがくだらないものだと、本気でその頃の私は考えていた。
誰かの特別になるより、自分を特別にする方が、ずっとやりがいがあると思っていた。しかし外見以前に、この自分のかわいくない性格をなんとかしたかった。いくら外見がかわいかろうと、身体を磨き上げてきれいになろうと、このつまらない人格はどうにもならないらしかった。外見は内面を反映していることもあるし、そうでないこともあると思うのは自分自身を省みてのことだ。私は、こと内面に関しては常に隠し続けている、演技をしていない素の自分は――かわいくない。
しかし今の私は、本当の意味でかわいくなりたいと思い、願ってすらいる。
『恋』を知ったからだ。
中学3年の秋のことだ。私たちの中学校の文化祭は、クラス出し物を抽選で選ぶことになっているのだが、私たちのクラスは体育館のステージで行う演劇にエントリーし、無事にその権利を勝ち取った。抽選だったので、劇の内容はぼんやりとしか決めておらず、クラスの文化祭実行委員は当選してから慌てて仕事を始めた。誰も何も言わなかったが、主役は私と決まっており、放課後の教室で、バタバタとあれこれ仕事を割り振る実行委員をよそに、私は自分の机にうつ伏せていた。
これからしばらくこの茶番に付き合わなければならないのが、鬱だった。
まずシナリオをクラスの器用な男子が書くことが決まり、翌日にはプロットが提出され、承認が得られた。竹取物語をベースにした現代劇で、タイムトラベラーの美少女が突然クラスに現れるのだが、主人公以外はみなタイムトラベラーの美少女が以前からいたように振る舞い――というよくある話だが、学校の演劇なんてそんなもので十分だと思う。見ている人にとってわかりやすいのが一番だ。急造にしてはよく書けていると思う出来だった。
このタイムトラベラーの美少女が自分だなと思いつつプロットを読んでいると実行委員が私につきあえと言ってきた。どういうことか説明を求めると自分の労力を減らすために戦力の調達につきあえという意味だった。なるほど。私は戦力調達のための撒き餌か――と思いつつ、放課後の校内を回り、部活動に忙しい男子たちの徴兵にこぎ着けた。
最後に下校の準備をさせられて実行委員と一緒に行ったのは市の児童館だった。音響に詳しい男子を確保すると言うことだった。児童館なんて小学生の時以来、来たことがなかったが、実行委員は2階にある重そうな扉の前に立ち、中の様子を窺って、なかなか開けようとはしなかった。扉の隙間からロックのような音楽が漏れ聞こえている。中はスタジオと思われた。演奏が終わる区切りに開けるつもりなのだろう。
防音扉の向こう側の音が小さくなると、実行委員は防音扉を開け、ノーアポなのにズカズカと中に入っていった。
スタジオの中には素人の自分が想像できるバンド活動に必要なものの全てが揃っていた。ドラムセットはもちろん、マイクスタンド、アンプの類いとスピーカー。そしてケーブルでつながれたマイクとエレキギター、ベースギターを構えたメンバーたちが、演奏を終えて汗を拭っていた。
私はその光景を見て、目を奪われた。軽音楽になど全く興味はないが、彼らがかいている汗は、自分が知っている汗だった。
実行委員はエレキギターを構えている男子を1人捕まえた。クラスメイトなのは間違いない。名前は――確か、
「おい、姫が来てるじゃないか」
うるさい。姫言うな。
「うわ。マジだ。どうして見に来てるんだ! もしかしてオレらのことが気に掛かってるとか??」
他のバンドメンバーがざわめく中、おそらくリードギターの東堂くんは渋い顔をした。実行委員が邪魔しに来たのも気に入らなければ、演劇で当選するかもしれないのに劇の準備を怠っていたことも気に入らない様子だった。
無理もないと思うが、私は実行委員だけに責任を押しつける気はない。たとえ多数決だったとしても東堂くんも演劇に決めたクラスの1員だ。私もスタジオの中に入って上目遣いで東堂くんを見る。
「東堂くんの都合も分かるけど、文化祭を失敗させたくないの。協力してくれないかな」
東堂くんの反応は冷ややかだった。いきなり上目遣いは露骨だっただろうか。
「新宮に頼まれるまでもなくやるが、どのくらいのレベルを求められているのかわからない」
私は内心ムッとした。彼がもったい付けているようにしか見えなかったからだ。必殺の上目遣いの反応が冷ややかだったからではない。断じてない――とまでは言えないが。
2年生から同じクラスだったのに、3年生の秋にこうして初めて、東堂くんと私の絡みが始まった。
中3にして既にライブハウスや屋外ステージで様々なセッティングを経験している東堂くんが、クラスのみんなに求めるレベルは高かった。それはヒロインを務める私に対しても同じだった。
劇の練習は放課後に教室でするのだが、3日に1回、体育館のステージで練習できる機会が巡ってくる。東堂くんが練習に加わるのは音響およびライティング担当という性質上、練習に参加するのはそのときだけだった。しかしそれにしては演技に対する指摘が鋭かった。
通しの稽古中、とあるシーンでライティングを急に絞る指示を出した。そのシーンは交際を求めてくる男子の1人に私が笑顔で応じているシーンだった。なのに、暗くなったのだ。私は通し稽古なのに中断し、東堂くんに再検討を要求した。ここは暗くなるシーンではない、と。しかし東堂くんはこう返した。
「シナリオをよく読め。この男にだけはヒロインは情を移しているんだ。なのにあんなバカみたいな明るい笑顔で応じるな」
「バカ……バカみたいな笑顔ですって!」
こんな屈辱を受けたことは今までなかった。東堂くんは毅然と答えた。
「読み込みが浅いんだよ。シナリオを書いた奴に聞いてみろ」
そして通し稽古は中断し、シナリオライターと実行委員で検討し、最終的にはライターの子は、自分では意図していなかったが、そう読めるという結論に達した。急造シナリオなので、ライターが意図しない読み方が生じることもあるのだ。
私は恥じた。ライターの子の説明通りに演じていたが、それではダメだったのだ。気がつかなければならないのは、自分だったはずなのに、全く関係がない東堂くんが気がついた。恥ずかしい以外の言葉を失った私だった。
とにかく、東堂くんの求めるレベルは高かった。彼の手持ちのシナリオは書き込みで真っ黒だったし、実際にライトを担当する男子への指導も微に入り細に入っていた。当日は音響を担当する東堂くんだが、ライトに妥協することはなく、また、音響も体育館に設置されている スピーカーでは満足せず、どうせ演奏発表する連中が音響機材を設置するのだからと、音響機材を組みまでした。
彼とぶつかったのはそのときだけではないが、なんでこんなに懸命にやってくれるのかを、直接聞いたことがあった。
「そりゃ簡単だ。チャレンジしないで縮こまっていたら人間は成長しないんだってラジオで言ってた。人間は不幸と不安なら、不幸を選ぶんだとさ。自分が何もできない不幸を見て見ぬ振りするんだ。なにかやって失敗して、不安に包まれたとしても、その経験は自分を成長させるんだって。俺はそれを聞いたとき、真理だと思った。だからやるからには、なんだって限界を目指す。それが周りのためになるし、将来的に自分のためにもなる」
そんなことを考えたこともなかった私は言葉を失った。
「限界――限界か。なるほど。分かった」
私のかわいくない性格も、きっと多くのチャレンジをすることでいつか殻を破れるかもしれない。そう思えば、東堂くんとぶつかることも悪いことばかりではないと思えた。
私が彼の姿を目で追うようになったのはその日からだ。教室で授業を受けているときも、体育で別々に授業を受けているときも、遠くに彼の姿を見つけては、見ていた。
理由は最初は分からなかった。しかしたまに彼と目が合うようになると、気がついた。私は慌てて目をそらした。そうなるとそれらの理由はすぐにわかった。他の子からそうなることがあるという話だけは聞いていたからだ。
要するに私は東堂くんに恋しているらしかった。
その感情を知らなかっただけに、そして今まで気に掛けることすらなかっただけに、驚いた。自分の中にこんな感情が眠っていることと他人に深い興味を持てることにも感激した。
しかし私は彼への気持ちをひたすらに隠し、劇を成功させるためにそれからも何度もぶつかった。
文化祭の劇はその甲斐もあってか、無事に上演を終え、文化祭の劇らしからぬと高い評価を周囲から受けた。実行委員もシナリオライターの子もそれはそれは喜んだのだが、東堂くんの力も無視できないくらい大きかった。
翌日の振替休日にクラスのみんなでカラオケ店に打ち上げと称して遊びに行ったが、その中に東堂くんの姿はなかった。自分のバンド活動の遅れを取り戻すから、と実行委員には理由を説明していたらしいが、私はかなりガッカリした。
私はこれまで、彼にお礼を言うことすらできずにいた。劇の成功の立役者の1人を欠いては、私のテンションは上がらなかった。しかし、彼が打ち上げに来て一緒にカラオケを歌うことになっていたら、私が平常心を保てるのかはかなり怪しかった。
結局、同じクラスにいても、卒業まで私が彼と挨拶以外の言葉を交わすことはなかった。
初めての恋でどうすればいいのか分からなかった。進学先が違っていたこともあった。私は清心女子高という私立の名門女子高を目指していたし、彼はランク的には1つ下の公立高を目指していた。結局、同じ道を歩くことはないのだから、この気持ちを隠していようと思った。彼が目の前からいなくなればきっとこの気持ちも消えるだろう――そう願いすらしていた。
しかし中学校を卒業した春休み、私は激しく後悔した。彼に会う機会がなくなってしまった事実に絶望した。どうして告白しなかったのか、それができなくてもせめてバレンタインデーのチョコくらいあげればよかった――と。
激しい後悔の中、告白しなかった本当の理由に気がついた。学校一の美少女ともてはやされて男子にチヤホヤされるだけなのと、自分をチヤホヤしない特定の男子に告白して、次のステップに進もうと試みるのとでは大きな隔たりがある。それに、ほとんどの男の子が私にいい顔しか見せない中、彼が真っ正直に意見をぶつけてきたのは、私の内面を――つまらない、凡庸で、かわいくない自分を見抜いていたからに違いなかった。だから、告白できなかった。要するに
かねてから目標にしていた清心女子高に入学し、晴れてかわいい制服に袖を通し、古いのにリフォームしたてできれいで、デザイン的にも映画のセットのような校舎で学ぶことになっても、私の心は沈んでいた。
そんな私に声を掛けてきたのが、隣のクラスの
「スクールアイドル研究会――会員募集?」
「私の中学まで名前が知れ渡っている美少女が同じ学校にいるのに、声を掛けないはずがないじゃない?」
「――私はアイドルなんて柄じゃないよ。あの人なんてどう?」
新入生代表で挨拶した子が同じクラスにいた。確か
「近々声を掛けるとは思うが、まずは新宮さんだよ。新入生の中でダントツ! センター級のかわいさ!」
「私は……かわいくなんてないから」
ほよ、と全く想像外ですという顔をして翠ちゃんは言葉を返した。
「うーん。それは重症だね。何かあったんだね? まったくの知らない人間の方が話しやすいことあるじゃない? ワタシでよければ話を聞くよ」
そのときの私はどうかしていたとしか言いようがないのだが、駅までの道にある公園で、私は翠ちゃんに全てを話してしまった。全くの初対面なのにあんなにぶちまけたのに、翠ちゃんはイヤな顔1つせずに全部聞いてくれた。
「そーか。早月ちゃんと比べるとアタシのは悩みのうちに入らないなあ」
ベンチで隣にぴったりと私の脚に自分の脚を着けて、翠ちゃんはため息をついた。名前の呼び方といい、この距離の詰め方といい、思い返すとすごいと思うのだが、このときの私にはそれらを気にする余裕はなかった。
「私は、かわいくない。かわいくないんだ。外見がどれだけかわいくたって、仕方ないんだよ。だから、私には告白する自信が無かった。彼とのつながりも、失ってしまった……」
「でもさ、早月ちゃんにはもう答えが分かってるんじゃないの?」
「え……どういう意味?」
思いも寄らない言葉が翠ちゃんの口から出てきて、私は聞き返してしまう。
「中身がかわいくなければ、これからかわいくなればいいし、告白するならそれからでもできる。彼、音楽やってるんでしょう? なら、早月ちゃんもスクールアイドルやれば、きっと接点ができる。なんなら、また手伝わせちゃえばいいんじゃないかな。夏にPOPコンがあるんだけど、それを理由に連絡しちゃえ! 連絡先は知ってるんでしょ? その後は文化祭のステージとかさ、言い訳はいっぱい作っちゃえ!」
「れ……連絡先については……そ、そう」
文化祭の時にグループを作った中に彼の連絡先はある。だからさすがに連絡先は知っているが、彼宛に連絡したことはただの一度も無い。
「で、でも。何もしないままで連絡なんて……」
「じゃあ、まずは2人でスクールアイドルを始めよう! アニメのラブライブだって、最初は少ない人数でデモやってから人数が集まるんだから。やろう!」
なんなんだろう……この翠ちゃんの行動力は。呆れる以上に、もはや尊敬に値する。
「う、うん……」
「言質取ったぞ!」
翠ちゃんは本当に嬉しそうだった。この行動力の原動力は、彼女もまた、幼なじみへの片思いがあることを後に知るのだが、その頃にはもう、私も東堂くんをスクールアイドル研究会の活動に巻き込んでいたし、無事、彼女も幼なじみの高梨くんの召喚に成功していたから、お互いWINーWINだねということになった。
その後も水着撮影に行ったり、澄香ちゃんの助っ人の柚木くんのかわいらしさに打ちひしがれたり、期末テストだの、夏のPOPコンだの、夏合宿だのといろいろあったのだが、無事、文化祭のステージを迎えることになった。
結局、清心女子高スクールアイドル研究会はアニメと同じ9人になり、それぞれが男子の助っ人を呼び、男子は男子で一致団結して、ステージの成功に向けて一路邁進してくれ、膨大な量のプロセスとミッションをこなし、文化祭の準備を終えた。
その一員として、東堂くんがいてくれたことは、私にとってかけがえのないエネルギーとなってくれた。
かわいさとはなんだろう。
そう考え続けた半年だった。
しかし文化祭である『
私自身はかわいくなろうだなんて考えなくていいのだ。ただ目標に向かって 突き進み、雑念を捨て、純化して、ステージに来てくれたみんなのために歌って踊れば、それは
悩みは消えない。しかし答えの1つにはなったと思った。
私が東堂くんに声をかけられたのは結局6月で、約4ヶ月の間、みんなと一緒に頑張って貰った。しかしそれほど彼と仲良くなれたとは思っていない。もちろん同じ教室にいた頃よりは話はできているのは幸いだが、相変わらずの仏頂面で、相変わらずのぶっきらぼうな口調で、召喚したメンバーたちと他の助っ人の男子たちがそれぞれ関係を進めているのと比べると、どう考えても、私は彼に距離をおかれていた。
午前中のステージが終わった後、驚くべくことに東堂くんは舞台袖にパイプ椅子を並べて昼寝を始めた。他の研究会のメンバーたちは文化祭デートに繰り出しているというのにもかかわらず、だ。
私は呆れるしかなかったが、同時に、本当に女の子としての自分には興味がないのだと改めて分かり、悲しくなった。しかし彼は今、ここにいてくれる。午後のステージで最後になるかもしれないが、まだここにいて寝息をたてている。自分からはこれまで何もしてこなかった。ここにいてくれる以上のことを望むのは欲張りだ。仕方がないと思えるだけ、中学の時と比べてマシだと思う。
東堂くんは朝から何も食べていないし、自分ももちろんそうだ。
すぐそこの教室で軽食を売っていたはずだ、彼と一緒に食べようと私は思い立つ。私がステージ衣装の上にスクールジャージだけ羽織って、アメリカンドッグを買って戻ってくると、幸い、彼はまだよく眠っていた。
「アメリカンドッグ買ってきたぞ」
私は寝ている彼に声を掛けて起こすと、彼はパイプ椅子で作った仮ベッドから起き上がり、座った。
「ありがとう」
東堂くんは私が2本手にしているアメリカンドッグのうちの1本を受け取る。彼がアメリカンドッグをかじるのを見てから、私も食べ始める。
「東堂くんは男子憧れの女子高文化祭で昼寝か。信じられないけど東堂くんらしいというか」
これは本音であり、また、嫌味である。自分を誘えよという意味なのだが、彼はそれに気付くはずもない。真面目に返答してくる。
「まだ午後のステージがあるからな。気は抜けないよ。休憩だ」
「それもそうか。すごい疲れたよ。私も休もう」
実際疲れている。私は彼が寝ている時に使っていたパイプ椅子の1つを奪い、座った。すると不意に彼が聞いてきた。
「新宮は次のステージが終わったら、どうするんだ?」
思ってもみない言葉に、私は少し期待した。そして、思いを言葉にした。
「――それは、見て回りたいよ。もうだいたい終わりかけだろうけどね」
そして上目遣いで彼を見る。以前はあざとさ全開でしたその仕草だったが、今は違う。私は自然と彼を見上げて上目遣いをしていた。雑念はない。ただ、彼と一緒にいたいだけだ。
「そうか。それはそうだな」
彼は苦笑した。だが、私はここで畳み掛ける必要があった。というか、ここで畳み掛けないでいつ畳み掛けるんだというタイミングだ。私は勇気を出して聞いた。
「東堂くんは?」
「俺は音響をバラすさ。この後は使わないみたいだしね」
彼は肩をすくめた。
「そっか……」
それはそうだ。結構大がかりに音響を使っているスクールアイドル研究会が音響を片付けないと後の回に迷惑がかかる。私は思わず俯いてしまった。
「まあ、1人でバラすのも難儀だから誰かに手伝って貰いたいんだよな」
私は驚いて彼の顔を見る。彼も驚いたような顔をしていた。その直後、私は自分の弾む声を聞いていた。
「それは女の子でもできる?」
「8の字巻きができるなら」
彼はあっさりと答えた。
8の字巻きとはマイクやスピーカーのケーブルを、次に伸ばした時、絡まりにくくなる巻き方だ。練習のときにいつも東堂くんがいるわけではないので、今となってはメンバー全員が会得している。
「この半年で8の字巻きは、みっちりできるようになったよ」
「それは頼もしいな」
東堂くんが微笑み、私は驚天動地の思いがした。
彼が、笑うなんて!
がんばってきた甲斐があったと、私は心の中で大歓喜したのだった。
午後のステージも無事終わり、メンバーと助っ人たちは再び文化祭の喧噪の中に消えていった。だけど私には東堂くんのの約束がある。だから、再びスクールジャージを羽織って、撤収作業を始めていた。
まだステージの上では次の出し物が行われているところだが、それほど音響を使うような内容でない。
私はマイクケーブルを8の字に巻いていると視線を感じた。視線の主は東堂くんだった。
「……何?」
私は微かに首を傾げた。自然に出た仕草だった。今からでもいい。本当は文化祭デートに誘って欲しい。しかし彼の口から出たのはそれ以上のものだった。
「せっかくこんなに手伝ったんだからさ、俺にもメリットがあっていいと思うんだ」
「――何?!」
信じられない! 私はじっと東堂くんから目を離すことなく、彼ににじり寄る。
「今度、ウチのバンドがライブやるから友達を連れて来て欲しいんだ」
「行くよ!」
私は即答するしかない。彼は小さく頷いた。
「ありがと」
私はここが勝負所だと思う。
「研究会もクリスマスライブやるからまた手伝ってくれる?」
「ああ」
「良かった。まだ、会えるんだ!」
それは私の本心そのものだ。何か理由をつけてだが、まだ彼と一緒にいられる。それはとても嬉しいことだ。しかしこんなにもわかりやすく言うつもりはなかった。失言だった。私はは口元を手のひらで覆い、表情を隠す。
「そうだな。まだ、会えるな」
彼は頷き、モニタースピーカーをケースに入れようとして、ケースをとりに舞台袖から降りた。
逃げたな、と私は思う。
頷いた彼の顔は真っ赤だった。これまでポーカーフェイスを貫いていたのに、ついにボロを出してくれた。いや、わざとかもしれないが、それはそれで嬉しい。彼もまた、私と同じで、一緒にいたいと思ってくれていたのだ。
本当に嬉しい。努力が実った、と私は思う。そして彼の言葉を思い出す。不幸と不安なら、人は不幸を選ぶものだと。しかし今の私は違う。不幸になるくらいなら、たとえ不安にむしばまれたとしても、全力でチャレンジする。
そう、彼が今もそうしているように、私も全力でチャレンジし、成長していきたいのだ――できれば彼と一緒に。
思いは1つのはずだ。
スピーカーケースを持った彼が私を振り返って言った。
「俺、これからが楽しみだ」
もうその言葉だけで十分だ。私は距離があるので、大声を出して彼に言った。
「私も!」
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