第12話 メイク担当:柚木出流の場合

 ボクは西園寺さんに請われ、彼女と一緒に房総の海に向かっていた。


 僕らが乗っているのは清心女子高所有のマイクロバス。まだ外は少し暗い。館山道を一路南下している最中だ。


 それに乗車しているのは同校スクールアイドル研究会のメンバー9人と、そのうちの1人のボーイフレンドで振付師の榊原くん、カメラマンの羽山くん、そしてボク、柚木出流ゆずき いずるの計12人だ。


 マイクロバスの1番後ろには、清心女子高を運営する学校法人の理事長の孫娘、本成寺真子ほんじょうじ まこちゃんと榊原くんが座り、ずっとイチャイチャしている。ここまで堂々とイチャイチャされるとむしろ清々しいが、美女とへちゃむくれというカップルなので今ひとつ納得がいかない。まあ、人の趣味なのでいいのだけれど。


「すまないな。柚木」


 本日2度目の西園寺さんからの詫びの言葉だった。


「いいんだ。ボクは西園寺さんが自分を頼ってくれたのが、嬉しいんだもの」


 ボクは隣の座席に座ってくれている西園寺さんに笑みで答える。西園寺さんとボクは中学校のときのクラスメイトだ。2年、3年と2年間一緒だったが、美人で才女の西園寺さんと異端で鼻つまみ者のボクが関わることは、ほとんどなかった。ただ、3年生の文化祭の時にだけ、絡みがあった。


 僕らのクラスでは文化祭でベタにロミオとジュリエットを上演することになったのだが、そのときの西園寺さんの役柄はロミオ。長身で美形の西園寺さんはロミオにぴったりで、メイクが上手なことで知られていたボクは、メイク係として舞台袖に常駐していた。劇中のお色直しなどを数回経て、演劇は大成功で終わった。


 舞台袖で成功を祝い、西園寺さんの周りにクラスメイトが集まり、お祝いの言葉を投げかける中、ボクは端っこでその様子を見ているだけだった。しかし西園寺さんは少しキョロキョロしたあと、ボクと目が合い、ボクの方にまっすぐ歩いてきた。


 ロミオに扮した西園寺さんは小さい頭に長身で、本当の王子様のようだった。

 まだ舞台の方は天井照明が眩しく降り注いでいた。そんな逆光の中、彼女はボクの名を呼んだのだ。


「柚木。ありがとう。君のお陰で大成功だよ」


 声は嬉しげに弾んでいた。そのときボクは、普通に謙遜の言葉なり、ありがとうなり言えばよかったのだ。しかしそのときボクの脳裏を支配していたのは彼女から投げかけられた言葉ではなく、一緒にボクに向けられた笑顔だった。


「か、かわいい……」


 ボクの言葉が聞こえたのだろう。西園寺さんの笑顔はみるみるうちに引きつった。


「あたしが、かわいい?」


 その言葉は西園寺さんの逆鱗だった。怒りすら覚えているようだった。


 何故、その言葉が逆鱗なのかは未だにボクには分からない。


「バカなことを言うな! 君の方がずっとかわいいじゃないか!」


 そして西園寺さんは踵を返し、カーテンコールに応え、舞台の方へ戻っていった。


 彼女をかわいいとボクが言って、あのとき彼女は激高したが、ボクには本当にかわいく見えたのだ。舞台を終えて、力が抜けて、無理な表情もなく、ただ安堵して、ボクを見つめてくれた彼女は本当にかわいかった。それを思わず言葉にしてしまっただけなのに彼女の逆鱗に触れてしまった――やはりはぐれ者のボクが言うべきではなかったのかと、その後、ずっと悔やんだ。


 そして卒業まで彼女と一言も話すことはなかった。


 なのに何故か、別々の高校に進学して、2度と会うはずがなかったはずなのに、6月になって直接、彼女から連絡が入った。連絡先は中学の時のグループでお互い分かっていたが、直接のやりとりなんてしたことはなかった。


〔この度、『かわいい』をみんなと追求することになった〕


〔柚木の力を借りたいんだ〕


 理由は分からないが、どうやら西園寺さんはボクを頼ってくれたらしい。正直、一方的に怒りをぶつけられて以来、わだかまりはある。しかし、そんなわだかまりなんてどうでもいいとボクは思う。なぜ彼女が怒りを覚えたのか、それを知りたいし、ボクが彼女たちが目指しているスクールアイドルという存在に近づけば近づくほど、ボクがかわいいメイクを西園寺さんにすればするほど、その答えが分かっていくと思うから。


 ボクは連絡を受けた後、西園寺さんに呼ばれて、清心女子高に赴き、他の助っ人たちと一緒にスクールアイドル研究会のステージを見た。確かに頑張っていたが、まだ発展途上ということは素人のボクにも分かった。何より振り付けの細かい部分でもっとかわいいを織り込めるのにと熱い気持ちになれた。なので、このロケバスの中で榊原くんと話をしたかったのだが、残念ながらそれはかなわなかった。


「――真子、かわいいよな。柚木、さっきから見ているもんな。気になるか?」


 唐突に西園寺さんが言った。


「榊原くんと話がしたいんだけど、なかなか隙がなくて」


「飛丸氏と話がしたい?」


 西園寺さんが不思議そうな顔をしてちょこんと首を傾げた。


 かわいい。


「振り付けに2、3、仕草を追加したらもっといいと思うんだ。新しい動画を上げただろう? あれを昨日の夜、何度も見たんだ」


「ああ。頑張ったんだよオレ。早速役立ててくれたみたいでよかったよ」


 前の座席から身を乗り出して、羽山くんが言った。羽山くんは真面目そうなのにどこか抜けててお調子者な感じの男子だ。好感が持てる。彼の隣に座っている湯島真凜ゆしま まりんさんも身を乗り出してきた。真凜さんはいわゆる金髪ギャル枠だが、金髪は地毛ということだった。


「柚木くんさあ。ぶっちゃけ聞くんだけど、どうして女の子の格好してるの?」


 真凜さんはボクのことをまっすぐ見て聞いてくれた。嬉しいことだ。


「だってかわいい格好が好きなんですよ、ボク!」


 ボクの言葉に、おお、と真凜さんは目を大きく見開いた。


「これは確かに! 澄香ちゃんがウチらに必要な人材だって言ってた意味が分かった。柚木くん、すごくおとこらしいよ!」


「かわいいが好きでも、かっこういいが好きでも、ううん、誰が何が好きでもいいとボクは思うんです。自分の心に素直に、誰も嫌な気持ちにさせず、誰も傷つけなければ、それで自分の道を進んでいければ、それが幸せだって」


「それが柚木の志か?」


 西園寺さんはボクを見て、また不思議そうに首を傾げた。


「そんなだいそれたものじゃないよ。そう思っているだけ」


「柚木くんは女の子みたいだけど、しっかり根っこは男の子だね」


 真凜さんや羽山くんがそう言ってくれるのはとても嬉しい。ボクの中に漢らしいものがあるなんて思いもしなかったから。


「下僕1号は男の娘だからデレデレしてるだけだろ」


 真凜さんが羽山くんを小突いてから引っ張り、前の2人は再び座席に着いた。バスは走行中なのだから、後ろの席をのぞき込むなんてことは実に危ない行為だ。


「確かに今日も柚木はかわいいな」


 西園寺さんは小さな声で言った。


「そう?」


 今日のボクはレイヤードの濃いブルーのキュロットパンツにふんわりした白のブラウスという格好をしている。ボクは小さくて細いので普通に女物が着れてしまうこともあって、特に決めたスタイルを着こなすことはない。その日の気分次第だ。


 かわいいと言ってくれる西園寺さんはロングスカートとぴったりしたシャツにジャケットで、いかにもできる女風だ。とても似合っている。


「――今日は研究会活動の宣伝に使うための静止画スチール撮影なんだ。海に向かっているから、何をするのかは分かるよな?」


 西園寺さんは面白そうに笑う。ボクをからかっているようだ。水着姿になることを予告し、どんな反応が返ってくるのか楽しみにしているに違いない。


「ボクはフェイスメイクはできるけど、ボディメイクはできないよ」


「男子に同い歳の女子のボディメイクをさせるなんて破廉恥なことさせんよ」


 西園寺さんは憮然として応えた。


「西園寺さんの水着はきっと綺麗なんだろうな」


 ボクは素直な気持ちを言葉にした。


「実際に見た感想を、聞きたい」


 西園寺さんの顔から表情が消えた。いや。消したのか。表情筋の勉強をしているボクにはそれがわかる。きっと複雑な感情が彼女の中を駆け巡っているのだろうなと想像する。


「もちろん。羽山くんの静止画スチール撮影に役立てて貰わないと」


 それが今日、このバスに乗っている理由なのだ。


「そうだ。1つ、聞いていい?」


 ボクは素直な疑問を西園寺さんにぶつけることにした。彼女は表情1つ変えずに応えた。


「答えられることなら」


「どうしてボクの隣に座ってくれたの? 他にも席は空いてるし、女の子同士で座ってもよかったのに」


 すると西園寺さんの顔はすぐに真っ赤になった。


「柚木はあたしのことをなんだと思っているんだ。君の知らない人しか乗っていないバスに、あたしが君を1人で座らせるような人間だと思っていたのか?」


 どうやら怒らせてしまったらしい。


「ごめん。そうだよね」


 バスは館山道を南下していく。富浦の文字が見えた。ロケする予定の海はもうすぐだ。



 マイクロバスは一般道を走り、自衛隊基地の外周を通って、今日のロケ地である館山市沖ノ島に到着した。まだ陽が出たばかりなので駐車場はガラガラだ。ロケの準備を後回しにして、一行は早速外に出て、沖ノ島を眺める。


 沖ノ島は関東大震災で海底が隆起して陸とくっついてしまった島だ。ただ、駐車場から見ると本当に島だ。こんもりとした森が青い空と海に浮かんでいる。海は千葉の海とは思えないほど青い。6月の海なので、人が少ないのもあるだろう。


「バス楽! それに人いない! 三崎口とは大違い! きれい!」


 羽山くんが感激している。去年の夏、真凜さんを撮ったショートムービーはボクも見た。なので昨年を思い出していることは分かる。


「そりゃよかったが、はしゃぎすぎだ、下僕1号」


 真凜さんに羽山くんはまた小突かれていた。


 そしてボクの背後で何故か膝を突いているメンバーの女の子がいた。


「く……私、完全に『かわいい』で男の子に負けてる。大口叩いていた自分が恥ずかしい……消えたい……」


 確かセンターを務めていた新宮早月にいみや さつきさんだ。彼女はいわゆる正統派美少女で、スクールアイドル研究会のセンター。そのポジションに相応しい子だとボクも思った。


「どうしたんです? 新宮さん?」


 ボクは西園寺さんに聞く。


「なに、柚木を見て鼻っ柱が折れたところさ。今、折れてちょうどいい」


「そう?」


 ボクは西園寺さんの答えがよく分からなくて首を傾げた。するとおお、と何故かメンバーから声が上がった。


「実に参考になる」


 研究会の発起人の1人、美浜翠みはま みどりさんがメモしていた。


 よく分からない展開だが、しばらく沖ノ島を眺めた後、ロケの準備に入る。バスは窓にカーテンをして、外から見えないようにして更衣スペースにする。外にはバスを利用してタープを張って日陰を作り、アウトドアのテーブルと折りたたみ椅子を出し、休憩所兼作業スペースを作る。運転手さんの指示があったからすぐ外の終わった。女の子たちはバスの車内で水着に着替えているところだと思われたが、外にまで嬌声が漏れていた。


 ボクは羽山くんのアドバイスを受け、レフ板や直射日光を受ける際のメイクについて、タープの下で注意点を考えた。やはり屋内と屋外で違うように、今日のような晴天の浜辺だとまたメイク方法は違うのだ。


 椅子に腰掛け、テーブルの上にメイク道具を並べて、女の子たちを待つ。


 最初にバスから降りてきたのは大人しめな女の子だと思っていた斉藤瑞紀さいとう みずきさんだった。高校生とはとても思えないグラマラスな肢体で、胸は大きく、ウェストはきゅっと細い。研究会のグラビア担当間違いなしだ。水着はツートーンのビキニで、とても似合っているが、胸の谷間がすさまじいことになっている。彼女は照れながらボクの前に置かれたメイク道具を眺めた後、正面に座った。


「わたしなんかでグラビアフォトの被写体になれるかな」


「ボクに任せてください」


 ボクは笑みを作り、斉藤さんは驚いたような笑顔を見せてくれた。


 メイク後に斉藤さんにメイクの仕上がりをチェックして貰ったが、ものすごく感動して貰えた。


「次はあたしだ」


 待っていたのは西園寺さんだった。彼女はすらりとした肢体によく似合うワンピース水着で、フリルがところどころにつき、お腹のところが大きく開いていておへそが見える水着だった。


「西園寺さんにとっても似合う水着だ。かわいいですよ」


「かわいい……か…… 水着撮影になるなんて夢にも思わなかったが……柚木、頼むよ。あたしに『かわいい』をくれ」


 西園寺さんは俯き、ぼそぼそと言った。


「安心して。それがボクの仕事だから」


 西園寺さんはさっきまで斉藤さんが座っていた椅子に意を決したように腰掛け、ボクをまっすぐに見据えた。ボクにはその瞳の中に彼女の決意が見える。ボクは彼女の顔をキャンバスにメイクを始めるが、やはり緊張する。ほぼ1年ぶりだ。きれいな整った顔。なめらかな肌。ボクにはないもの。


 いろいろなことを考えたが、メイクに集中し、なんとか満足するできになった。そして西園寺さんに鏡で自分を見て貰い、チェックをお願いする。


「……かわいい。人を殺しそうな目なのに、ちゃんとかわいい。大きい!」


 西園寺さんの顔がみるみる笑みが満ちていく。ボクは満足して頷く。


「柚木、ありがとう……」


 西園寺さんは鏡をテーブルの上に置くと、すぐに椅子から立ち、バスの中に戻っていった。


「おおう」


 そう感嘆した後、いかにもゴスロリ風の水着を着た柏崎彩愛かしわざき あやめさんが口笛を吹いた。


「澄香ちゃん、乙女!」


「ゴスロリ風のメイクはボクも勉強してきたけど、チェックよろしくね」


「ちょっとちょっと、柚木くん、澄香ちゃんのアレ見て何も思わないの?」


「喜んで貰えた」


「だから……そうじゃなくて! 素直になれるときはならないと後悔するよ」


「はあ」


 意味がよく分からない。柏崎さんは小さくため息をついて続けた。


「まあ、いいか。まだ時間はあるしね」


「じゃあ、よろしくです」


 ボクは柏崎さんのメイクを始めたのだった。



 ロケは本当に1日かけて行われた。静止画だけでなく、動画も撮影したのと、夕暮が撮りたいという羽山くんの希望もあってのことだ。休憩を挟みながら、そして何度もお色直しを続けながら、ボクも榊原くんと一緒にレフ板を持ったり、他の観光客の交通整理をしたり仕事していると、あっという間に夕方になってしまった。


 女の子たちは日焼けしないように出番がないときはずっと水着の上に着替えポンチョを羽織っているが、男子は日焼け止めをしていてもだいぶ焼けてしまった。今日のお風呂はさぞかし痛いだろう。


 夕暮れの時間帯は短く、羽山くんは好機を逃すまいとさくさくと撮影していくが、撮る方も撮られる方も疲労の色が濃い。羽山くんは撮り慣れているだけあって、途中、写真を見せて貰ったが、雑誌のグラビア顔負けで撮れていた。これを研究会のホームページで無料公開するというのだからすごいことだ。


 羽山くんは真剣に撮り続け、ついに最後の撮影になった。


 最後は西園寺さんだった。


 西園寺さんはポンチョを他のメンバーに手渡し、カメラのレンズの前に出る。夕闇の中、ウインドブレーカーを羽織って浜辺で波打ち際を歩くシーンだ。彼女は波土際を何往復もさせれてていたが、陽が落ちつつあるのでそろそろ明るさが限界になりそうだった。


「お願いがあるんだけどさ――西園寺さん」


 羽山くんが言いにくそうに言ったが、西園寺さんは即答した。


「羽山氏。なんでも言ってくれ」


「疲れてるから逆に自然な表情が出たのはいいんだけどさ、欲しい表情があって……恋する人を見つけたときの表情が欲しい」


「……そう、なのか?」


 ボクはデジタル一眼レフを構える羽山くんの後ろで見守っていたのだが、ふと彼女と視線が合い、びっくりした。


 合ったこともそうだが、何よりその表情に驚いた。


「そう」


 羽山くんはシャッターを連射し、即OKを出した。これで撮影は終了だ。OKを聞き、メンバーが撤収作業に入る。


「え! 今のでいいのか?」


 西園寺さんは正に驚愕といった表情で羽山くんに聞き返した。


「OKは出しました。西園寺さんも着替えてきてください」


「あ、ああ……」


 西園寺さんは海岸からマイクロバスの方へ小走りに向かっていった。


 羽山くんがボクを振り返って言った。


「あとであげるから、この画像」


 羽山くんの言葉は意味深だった。


 外の撤収は男子と運転手さんで行い、マイクロバスのトランクに機材を詰め込んだ頃、バスの窓のカーテンも開いて中の準備も整ったのが分かった。


 もうかなり遅い。マイクロバスはコンビニに寄った後、すぐに高速道路に乗って帰路についた。


 みんな疲れていた。中学生にしか見えない坂崎未梨亜さかざき みりあさんや体力がなさそうなメガネの文学少女然とした浜元悠里はまもと ゆうりさんは2人並んで早々に眠ってしまった。羽山くんにとってはそんなシーンを撮るのも仕事らしい。いそいそと撮影に臨んでいた。彼も疲れているだろうに。


 隣には帰路も西園寺さんが座ってくれた。


「今日は1日ありがとう」


「ううん。ボクも勉強になった」


「どうだった――あたしの水着は。スクールアイドルに、なれそうか?」


 ボクは頷いた。


「頑張ったんだ。君がいたから」


「ボクを呼んだ責任感?」


「それもある」


「それ以上は、今はいいや。今日は西園寺さんと仲直りできたことを喜びたいんだ。文化祭の劇で西園寺さんを怒らせちゃってから、ずっと心の棘になってた。話もできなかったし。でも、今日でその棘は抜けた気がする」


「そうか」


 西園寺さんは安心したように微笑んだ。そしてすぐにその笑顔は萎んだ。


「すまなかった。あたしはあのとき――かわいいなんて言われたことがなくて、どうしてそんなあたしなんかにも、どうして軽く、無責任に『かわいい』なんて言うんだろうって、今まで1度そんなこと言われたことなかったのに、って思ったら、怒りを堪えられなかったんだ。柚木は本当にあたしのことをかわいいって思ったから言ってくれたなんて、想像することすらなかった。研究会活動を始めるまでは」


 なるほど。ボクは納得した。そういう訳だったんだ。スクールアイドル研究会に入って、西園寺さんは自分の『かわいい』を発見したんだ。それはとてもいいことだ。


「光栄だな。西園寺さんの初めての『かわいい』をボクが発見して」


 ボクは嬉しくて自然に笑みが浮かぶのが分かった。


「柚木……ごめん。今はいいって君は言ったのに、言ってしまった」


 西園寺さんは俯いた。まだいいたいことがありそうだったが、彼女は口を噤んだ。


「そんなこともあるよ。疲れているだろ? ボクも眠たいんだ。一緒に寝よう。隣が気になって眠れないこともあるよね。せえの、で寝よう」


「なんだそれは……」


 西園寺さんは笑った。


「じゃあ、せえの!」


 そしてボクは目を閉じた。バスの振動と疲労がボクを心地よい眠りに誘った。


 目が覚めたのは千葉市に入って渋滞が始まった頃だった。西園寺さんは小さな寝息を立ててまだ眠っていた。


 ボクのスマホにメッセージの着信があり、ボクはスマホの画面を開く。連絡先を教えたばかりの羽山くんからだった。添付画像がある。


 どうやら今日のスチールをもう送ってくれたらしい。


 ボクはクリックしてその画像を拡大する。


 その画像は最後の静止画スチールだった。


 それは羽山くんが、恋する人を見つけたときの表情、と西園寺さんにオーダーして撮った画像だ。


 ウインドブレーカーと長い髪が風に揺れ、黄昏の中、はにかんだ笑顔を見せている。


 薄い闇の中でも、その瞳は輝いている。


 恋する人を見つけた幸福感に、全身がオーラに包まれているかのような一葉だ。


 恋する人を見つけた――表情。


 なんてかわいらしいんだろう、とボクは衝撃を受けた。ボクの研究して作ったかわいいなんて、このかわいらしさの前には作り物に過ぎない。


 だけどこのとき、西園寺さんが視線を投げたのは、ボクにだった。


「え……」


 ボクは言葉を失い、もう一度、隣で眠る西園寺さんを見た。彼女は静かに眠り、もぐもぐと何か寝言を言っていた。


 画像の投稿のあと、羽山くんのメッセージは続いていた。


〔がんばれよ〕


 がんばる、のか。


 ボクは心の中でさえ、言葉を失った。何も考えられない。


 こんなに綺麗な女の子が、中学時代、みんなの憧れだった西園寺さんがボクに恋しているなんてこと、あるはずがない。


 そう思うが、ボクは再び羽山くんが送ってくれた画像を見る。


 その画像は恋する乙女のときめきの表情を映し出していた。


「西園寺さん……」


 彼女の寝言が聞き取れた。


「……柚木くん……」


 夢の中でもボクとなにかをしているらしい。そう気がつくとボクの全身になにか暑くて甘いものがぶわっと湧き上がってきたのがわかった。


 正気ではない。これは、特別な瞬間だ。


 甘いときめきがボクを支配していく。


 それは西園寺さんに向けられている。


 ボクは呟く。バスのエンジン音にかき消されるように呟く。


「ボクは――西園寺さんが好きなんだ……」


 マイクロバスは渋滞の高速道をゆっくりと進んでいく。


 彼女が目を覚まし、バスを降りたとき、ボクはどうすればいいのか、今はまだまったく見当が付かず、ただただ戸惑っていたのだった。

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