第11話 スクールアイドル研究会:西園寺澄香のコンプレックス

 歌詞は著作権的にアウトですが、曲名そのものは著作権対象外なので記載しております。


☆☆☆


「スクールアイドル――?」


 カラーコピーのチラシを朝の校門で受け取ったあたしは、思わずチラシを二度見してしまった。名門、清心女子高等学校に入学してまだ1週間も経っていない頃のことである。


西園寺さいおんじさんだったら絶対できる!」


 チラシをくれたのはあたしと同じく入学したばかりの美浜翠みはま みどりだ。ロングヘアの色白の、元気なかわいらしい子で、少し自分が嫉妬心を覚えていたので、別のクラスでも名前を覚えていた。


「美浜氏――冗談だろ?」


「なんでなんで!? この企画立てて、西園寺さんほどの美人に声をかけないはずがないじゃん! 絶対に、ワタシが作るスクールアイドル研究会の要の存在になるよ!」


「あたしが――アイドルなんかになれるはずがないだろう」


「アイドルじゃなくてスクールアイドル!」


「なんでスクールが付くのか知らんが、あたしはアイドルなんてガラじゃない」


「え、ラブライブ知らないの?」


「知らんな」


「まあ、スクールが前についてるのは高校の部活でアイドルやるから、かな」


「やはりアイドルなんだな。それなら他を当たってくれ。私には似合わん」


 美浜を振り切り、私は校門をくぐり、校舎に向かう。


「似合わない、からなんだ……」


 美浜の呟きが聞こえた。そう。私にアイドルなんて似合うはずがない。なぜ美浜がスクールアイドルとやらに私を誘うのか、理解に苦しむ。


 昇降口で上履きに履き替えながら考え続ける。15歳男子の平均より高い身長は172センチ。美人だと言われることは希ではないが、細くてきつい目は、怒っているのかとか、人を殺しそうだとまで言われたこともある。そこまで言われると外見に関しては自信をなくす。人を殺す目をしているあたしが、かわいくなんかなれるはずがない。だからこそ、今までずっと勉強に打ち込んできて、近辺では進学校で有名な清心女子にもトップで入学できた。


 ――いや。1人だけ、かわいいと言ってくれた男子がいたか。なんであたしは彼とケンカしたのだったのだろう。思い出せない。ううん。思い出したくないんだ。それは分かってる。


 私は考え込んだまま、教室に向かう。


 今度は教室ではクラスで1番、いや、新入生で1番かわいいと評判の清楚系女子で、手脚がすらっとして均整が取れた抜群のスタイルの持ち主である新宮早月にいみや さつきがあたしを待ち構えていた。


澄香すみかちゃん! 翠ちゃんから連絡受けたぞ! どうしてスルーするの?」


「あたしのことを名前呼びするのは新宮氏だけだよ」


 あたしは机のフックに鞄をかける。


「――って、新宮氏もスクールなんたらに関わってるのか?」


 早月を振り返るとあたしの席のすぐそばまで来ていた。


「スクールアイドル!」


「そうそう。新宮氏にアイドルなんて確かに似合いだ。似合いすぎる。美浜氏と2人でやればいいじゃないか」


 そう言うと早月は難しい顔をして唇をいったん真一文字にしてから答えた。


「スクールアイドルならやっぱり9人いないと」


「そういうものなのか……しかしあたしに声を掛けるなんてどういう了見だい? この清心女子にはどうしてか知らないが、かわいい子ばっかり集まっているじゃないか」


 あたしの席は窓際だ。窓の外には登校してくる生徒がちらほらと歩いてきている。


「その頭の回転の早さと、スタイルのよさと、15歳とは思えない美人度と、アイドルの才能に満ち溢れてるじゃない!? 私に力を貸して。スクールアイドル研究会を結成して、私たちと一緒に文化祭のステージを成功させようよ!」


 あたしの背後から早月が熱く語りかける。あたしが振り返ると想像通り、興奮して少し頬を赤くした早月の顔が目に入る。興奮した早月もやはりかわいい。かわいい子はどんな時でもかわいいのだ。


「?!」


 早月はあたしがどんな気持ちで見ているのか分からないのだろう。驚いたように口を小さく開け、ちょっと退き、顔を背けた。


「どうした?」


「澄香ちゃんに見つめられるとドキドキする」


「殺しはしないよ」


「ハートが凄いことになる。ドキドキ死しそう。ホントにイケメンだなあ」


「はは。イケメンか。そう言われるの初めてだ。かわいいとは真逆の概念だな。つまり、あたしがアイドルなんて柄ではないってことだ。それが分かっているから、美浜のチラシをろくに見もしなかったのさ。新宮氏とは違うんだ」


 あたしは自嘲するが、早月が指摘する。


「でも、まだ、チラシを手に持ってる」


「え?!」


 確かに私はまだチラシを手に持っていた。鞄と一緒に机に置いたつもりだったのに。早月に話しかけられて、意識から離れたからに違いない。


 早月はあたしを見上げ、強い語気で話し始めた。


「いい、澄香ちゃん。確かに私はかわいい。かわいいと言われてこれまで育ったし、その自覚もある。けれどそれは外見だけの話。かわいいの本質は外見なんかじゃない! だから私はスクールアイドルを目指して、自信をつける」


「……何を言っているのか分からない」


 あたしは本気で早月が言っていることが分からない。


「そのチラシ、捨てないで。そして、私たちの本気を見て欲しい」


 早月は睨むようにしてあたしを見たあと、目をそらし、自分の机に着席した。


「新宮氏……」


 清楚でかわいらしい早月にこんなにも激しい一面があるなんて、あたしは思いよらなかった。あたしは半分くらい呆然として、チラシに目を向ける。チラシにはスクールアイドル研究会、会員募集とあり、そしてデモンストレーションの日時が書かれていた。デモンストレーションというからにはアイドルのように歌って踊るのだろう。誰が? 早月と美浜か。まだ知り合って数日だろうに。


 あたしは唇を固く閉じ、その日時が記された文字列を眺める。それは明後日、金曜日の放課後。場所は校内の中央広場にある屋外ステージだった。確かに屋外ステージなら非公認の研究会だろうと使って怒られることもあるまい。


 明後日か――


 あたしはチラシを角を合わせて4つに折り、制服のポケットに入れた。


 そして、その日の放課後、あたしは早くもスクールアイドル研究会の2人の活動を少しだが目のあたりにした。下校するとき、頭上から微かに明るくハイテンポな音楽が聞こえてきた。その音楽が流れている方向を見ると、校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下の上の屋根になっている通路の上で、懸命に歌い、踊りの振り付けを確認している早月と美浜の姿が見えた。


 たった2人だけで何をしようというのだろう。


 あたしには分からなかった。

 

 しかしスクールアイドルという言葉が気にかかり、帰宅後、私はその単語を検索してしまった。そして初めてそれが美少女アニメの『ラブライブ』という劇中での呼称と知った。アニメ自体は、母校の廃校を回避するために、ラブライブというイベントにかける9人の美少女の物語だ。


 あたしは倍速でアニメの第1シーズンをその夜の間に見終えてしまった。


 見終えて、あたしは込み上がってくる笑いを堪えることができず、1分間はくすくすと笑ってしまっていた。


「――本気か?! 新宮、美浜……?!」


 これはアニメだ。荒唐無稽だ。だいたい、手助けがあるとはいえたったの9人であんな大規模で完成されたライブをすることなんてフィクション以外のなにものでもないし、毎回のように新曲が出て、踊りもアップデートされる。


 現実には不可能だ。


 もし現実で欠片ほどもスクールアイドル活動をするとしたら、どれだけの努力と時間が、どれだけの情熱と才能が必要なのだろうか。それに加えて、この現実にはラブライブなんてイベントは存在しない。現実にスクールアイドルをやるなんて、たとえるならインターハイがないのに高校サッカーの頂点を目指すようなものだ。どこに目標を置けばいいんだ。


「……面白い。面白いよ。嫌いじゃないよ」


 しかし心の中ではあたしはこう言っている。


 かわいくないあたしは、君たちの力にはなれないんだ。


 チラシを制服のポケットから取り出して、広げてみる。


 『スクールアイドル研究会! 会員募集♡』


 それはあたしにとってひどく距離を感じる文字列だった。



 そのあとも彼女たちは放課後の練習を続けていた。あたしは下校のたびにチェックするようになっていたが、日々の練習で、少しは上達しているように思えた。


 結局あたしは、クラスメイトなのに早月とは一言も口をきかないまま、デモンストレーションの当日を迎えてしまった。


 放課後の時間も、空は晴れ渡り、風もなく、屋外ステージでデモンストレーションをするのには好都合な気候だった。


 放課後になり、あたしはデモンストレーションを見たく思ったが、とてもではないが、2人の誘いをはねのけた自分が真っ正面からそのデモを見るなんてことはできない。だから屋外ステージが見える、彼女たちが練習していた渡り廊下の上の通路から眺めることにした。適度に距離があり、適度に見えるのでちょうどいいと思えた。


 あたしはチラシをポケットから取り出し、デモンストレーションの開始時刻を確認する。それは午後4時。腕時計を見るともう10分前だ。段差が50センチほどしかにない屋外ステージの上に、左右にアンプを置いている早月と美浜の姿が見える。よくわからないが、2人ともアイドルっぽい衣装を着ている。まさかこの短期間で縫ったのか。それとも既製品でこういうものがあるのか。アイドルなんてまったく知らないあたしにはその判断はつかない。


 しかしそういうことに関係なく、そのコスチュームを身にまとった2人は、あたしの目には数割増しでかわいらしく見えた。


 ――コスチュームでよりかわいくなることもあるんだ。


 あたしには新鮮な驚きだった。しかしすぐに、あたしには似合わないなと思い直す。高身長で目つきの悪い私では、あんなかわいいコスチュームの力があっても、かわいくはなれないだろう。


 アンプの準備が整い、2人はヘッドセットを着用し、屋外ステージの中央に立って、観客席になる中央広場に目を向けた。下校途中の生徒はいるが、デモンストレーションを待っているような生徒は皆無だった。


 観客ゼロのステージ。


 スクールアイドル研究会の船出は前途多難になりそうだ。


 そう思ったところで、中央広場にある時計が4時を指した。


 アンプのスピーカーを通し、美浜翠の声が聞こえてきた。


「スクールアイドル研究会のデモンストレーションにお越しくださいましてありがとうございます。これから、入学してから今までの短い時間ですが、ずっと練習してきた曲を披露します。今は春ですが、夏にJ-popのコンテストがあるので、それを見据えた夏の曲です」


 続けて早月が口を開いた。


「曲は、『常夏☆サンシャイン』、NHKのEテレで放映されていたラブライブ スーパースターで主人公たちが歌う曲です。聞いてください」


 そしてスマホの画面をタップし、アンプのスピーカーからイントロが流れ始める。


「常夏☆サンシャイン!!」


 2人は観客がいない広場に向かって同時に叫び、歌と踊りが始まる。


 スローなテンポで誰かに向かって話しかけるような歌詞。それにあわせてその誰かに向けて伸ばされる手。


 その手は自分に向けられているようにあたしには思われた。


 一転してテンポが上がり、2人は歓声をあげて跳び上がる。


 そして飛び上がり、元気いっぱいに四肢を降る。そのタイミングはばっちり合っている。2人の練習の成果だ。


 アップテンポになって少し間奏があり、歌詞が再開される。


 君と言いながら、指を立てる翠。


 太陽をイメージして両の手のひらを顔の前で広げて笑顔になる早月。


 続けて、少し困ったように、それでいて恥ずかしげに早月は目を閉じる。


 かわいい。


 この『かわいい』はなんだろう。いつも早月はもちろんかわいいが、このかわいいはまた別だ。別のところから湧き上がってきている。


 ゆらゆらと歌詞に合わせて身体を揺らす翠。


 そんな翠を後ろから目隠しする早月。


 目隠しをとると2人の笑顔がぱっと現れる。


 ああ!


 あたしはこれだけで分かってしまった。


 2人は並んで、笑顔でウインクする。


 ハイテンポな曲に合わせて笑顔で跳びはね、ウインクしては回る2人を見ていると何故か屋外ステージの上が、常夏の椰子の木の下に見えてくる。


 アイドルっぽいコスチュームを着ているのに、2人が水着に見えてくる。


 好きな男の子の前で、実際には飛び跳ねられないが、テンションマックスで元気を出していこうとする女の子たちが見える。


 歌の力、曲の力。そして彼女たちの力だ。


 その海辺の光景は現実ではない。あたしの中のイメージでしかない。しかしそのイメージこそが本質――きっとアイドルの本質なのだ。


 ほんの1分半ほどのデモンストレーションだった。


 しかしあたしが正直になるには十分な力を持ったステージだった。


 そう。これはデモンストレーションなどではない。立派なステージだった。2人が短い時間だっただろうが、注力し、スクールアイドルの魅力を校内の誰かに伝えようとした努力の結晶なのだ。


 あたしは渡り廊下の上から駆け出す。そして1階に降り、上履きのまま中央広場の屋外ステージの前に躍り出た。


 息は弾んでいた。汗も掻いてしまった。心臓はバクバク言っている。全力疾走だった。しかし全力で走らなければこの気持ちが2人に伝わらないと思った。


 屋外ステージの上の2人は、まだヘッドセットをしたままで、彼女たちは静かに中央広場に目を向けた。


 ここにはあたしの他には誰もいない。


 あたしは顎をあげて、2人を見て、口を開いた。


「あたしでもかわいくなれるかな!?」


 そして少し息を整え、フウと息を吐き、視線を足下に落とした。


 無謀なことを言っているのは自分でも分かっていた。他人に怖がられるような自分だ。スクールアイドルなんて向いていないと思う。しかし2人はそんなあたしでもスクールアイドルになれると言ってくれた。


「聞いてくれてありがとう」


 早月が言った。


「似合わないなんてこと、絶対にないよ。一緒にやろうよ、スクールアイドル」


 翠が手を伸ばした。早月も手を伸ばした。


 あたしは屋外ステージの前まで歩き、腰をかがめて手をのばす2人の手を取り、段差50センチの段差を乗り越える。


 50センチの段差なんて大したことはない段差だ。しかしステージの上と観客席という意味合いではとても大きな差だ。


 あたしは2人の温かな手に引かれ、屋外ステージの上に立った。


「あたしでもかわいくなれるかな!?」


 もう一度、あたしは同じ台詞を口にしてしまった。


「なれる。アイドルオタのワタシに任せなさい!」


 翠はあたしの手を離し、早月も手を離す。翠はスマホを取り出し、カメラレンズをあたしに向けた。


「動画を撮るから、いうとおりに動いて。少し斜めに俯いて、顎をひいて」


 言われるがままにきょとんとしながらあたしは指示に従う。


「口元は少しだけ開けて、楽しかったことを思い出して」


 楽しかったこと――思い出せること――それはあいつとの会話で、心が通じたかと思ったときのこと。それを思い出す。表情が緩むのが分かる。


「じゃあ、目を閉じて、そして開きながら私の方を見て」


 また翠に言われるがままにその動作をし、あたしは大きくスマホのカメラレンズに向けて目を大きく見開く。


「変だな。こんなことに何の意味があるんだ?」


 あたしは自嘲してしまう。


「あるから!」


 早月がそう言って頷き、翠がスマホで撮影した動画を見せてくれる。


 スマホ画面の中のあたしは少し悲しげに俯き、そのあと微かに笑い、面を上げると明るい笑顔を見せていた。


「……これが、あたし? かわいい。信じられない!」


 確かにかわいらしかった。かわいらしい動作をすれば、あたしみたいな怖い外見の女子でもかわいくなれるのだ。


「今、正に欲しい台詞をありがとう!」


 翠も笑顔になった。アイドルオタクと自ら名乗るだけあって、その笑顔もとてもかわいい。計算されているのかなとふとあたしは思う。


「ようこそ、スクールアイドル研究会に」


 早月がまた手を伸ばした。


「――ああ。あたしは『かわいく』なりたいんだ!」


「その動機、100点満点だよ!」


 翠も手を伸ばし、あたしも手を伸ばす。


 すると自然と3人で手を重ねていた。


「あたしも、あたしも仲間に入れてください!」


未梨亜みりあちゃん……来てくれたんだ」


 翠が屋外ステージ下の身長の低い、幼い感じのかわいらしい子に目を向けた。あたしとは正反対の女の子だ。アイドルに向いていると思う。確か名字は坂崎さかざきだったはずだ。


「あたしも勇気を出します! だからスクールアイドル研究会に入れてください!」


 未梨亜はステージに飛び乗り、手を重ねるあたしたちの輪の中に入る。


「うん……一緒にやろうよ」


 早月が頷いて言うと、未梨亜も手を意を決したように自分の手を私たちの手に重ねた。


 屋外ステージの上に4人。


 観客席である中央広場は無人だ。


 しかし今日、この時から、清心女子高スクールアイドル研究会は本格的に始動したのだった。

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