第8話 フィジカル担当:南風涼の場合

 まさか柏崎から今頃になって連絡が来るとはな、と南風涼はえ りょうはスマホの画面を見つめた。都心の大型書店で、スポーツ医学の本を漁っているときのことだ。実際にはどこかの図書館にないか探し、借りるのだが、実際に見てみないと借りる価値があるかわからないものなのだ。


 涼はメッセージ画面を開き、全文を読む。


〔スクールアイドル研究会に入った。困っているんだ。力を貸して欲しい〕


 それは彩愛あやめからのSOSだった。中学時代、本当に困ったときにだって自分にSOSを出さなかった彩愛が助けを請うてきたのだ。これはただ事ではない。涼は大型書店から出て、道ばたの日陰で音声通話のアイコンをタッチする。


「おい、柏崎かしわざき、一体何が起きたんだ?」


 根は熱血スポーツ少年の涼である。思い立ったら止まらない。スマホの向こうの彩愛の声は、どう聞いても動揺したそれだった。


『いきなり音声通話かよ。びっくりするじゃないか』


「それはこっちの台詞だ。どうした? 何が困っているんだ? 俺が力を貸せるようなことなのか?」


 矢継ぎ早に聞くが、スマホ越しに他の女の子の嬌声らしきものが聞こえた。なにやらスマホの向こうは盛り上がっているらしい。これなら大したことはないな、と涼はホッとする。


『うん。南風はさ、メディカルトレーナーを目指して頑張ってるじゃん。まだもちろん頑張ってるよね』


「当たり前だ」


『アイドルのダンスが激しい運動だってことも分かってくれるよね』


「見たことはないが、お前が言うならそうなんだろう」


『私たち、ステージをこなすだけの体力がぜんぜん、無いんだ。練習の疲労すらもリカバリーできてない。だから、練習をこなすには涼の知識が必要なんだよ』


「わかった。どうすればいいか教えてくれ」


 そう言うと、スマホの向こう側で「おおお!」と感嘆の声が上がったのがわかった。どうやら清心女子高では上手く友だちづきあいができているらしい。よかった。それが分かっただけでも音声通話にした甲斐があったというものだ。


『じゃあ、今度の土曜日に、私たち、清心女子大の講堂ステージで練習できるから、見に来てよ』


「わかった。待ち合わせ時間はあとで教えろよな」


『研究会の中で調整してからメッセ送っておく』


「ああ。柏崎のアイドル姿、期待しているぞ」


『!』


 スマホの向こう側から声にならない声が聞こえた気がした直後、通話は切られた。


 柏崎が元気そうでよかった。というのが涼の正直な気持ちだ。


 彩愛とは小学校は違ったが、地元のサッカークラブで4年生から一緒に練習していた仲だ。彩愛は割と動けてボールコントロールも上手で、女の子の中ではピカイチだったから、女子サッカーに進むのかと思っていたが、サッカーは小学校で卒業してしまった。しかし中学校で同じクラスになったとき、驚きもしたが、喜ばしくも思った。何度も試合でコンビを組んだ。サッカーでなくても、親友と言っていい間柄だった。だから、女子の制服を身にまとった彩愛とも仲良くやれていた。最初は。


 サッカーを辞めてもしばらくは男勝りの彩愛だったが、そのうち、色気づいたのか、おしゃれに注力し始めた。サッカーの才能もあったのに、ノートに鉛筆で描く服のデザインは、未来のファッションデザイナーを思わせるものがあった。才能があるというのは罪だと涼は思った。


 一方、涼は中学に上がってからもサッカーを続けていたが、中学のサッカー部ではなく、地元のJ傘下のクラブチームに所属した。だから、中学のサッカー部の連中ともぶつかることがあり、体育の授業でサッカーをするときはコンタクトの激しさは露骨だった。もちろん彼らはジュニアユースに所属する涼の敵では無かったが、それもあって学校では浮く存在だった。それでも女子にはもてていたし、なにより彩愛が味方になってくれたので、孤立せずに済んだ。


 それもあってか、彩愛のことを涼が恋愛対象に思うようになるまで、さほど時間はかからなかった。


 そんなある日、駅前で彩愛を見かけたことがあった。学校での彩愛はおかっぱ頭で目立つことのない、それでいてかわいらしい女子だったが(いや、かわいらしい女子になったが)、私服の彩愛はそれとは違って尖っていた。


 いわゆる地雷系という奴で、ゴスロリという類いだということを涼はあとで知った。メイクもしっかりしている。別人のように見えた。


「よう、涼。こんなところで会うなんて」


「うわ、やっぱり柏崎か。驚いた。もしかしてそれ、自作?」


「そうだよ。どうして分かったの?」


「ノートに描いていたデザインの面影がある」


「えへへへ。見てくれてるねえ、涼くん! 彩愛ちゃんのこと、愛しちゃってるね!」


 尖ったゴスロリに身を包んだ彩愛だが、彩愛は彩愛だった。


「あ、愛してるとかバカなこと言うな……」


「マジレスすんなよ。照れるだろ」


 彩愛も涼同様、照れてしまっていた。


「でも、そんな格好をしているなんて全く知らなかったし、誰にも言ってないんだろ? 最初見たとき、全然分からなかったし」


「うん。できれば学校では波風立てたくないから」


 そういう彩愛は、学校で異物として扱われたくないという雰囲気を露骨に出していた。現に異物である涼としては、分かるし、彩愛に自分のようになって欲しくもない。


「でも、涼は私がこんな格好をしていたなんて絶対言わないだろ?」


「もちろんだ」


 だから声を掛けてきたのだと分かった。信頼されているんだなと思うと、涼は自然と自分が笑顔になるのが分かった。


「この格好、やっぱり変か? 格好じゃなくて私がかわいくないから、似合わないか?」


「デザインの善し悪しは俺には分からん。だけど柏崎がかわいくないなんてことは絶対にないぞ」


 そう言っていて、また涼は照れてしまった。


 そのときはそれで何事もなく終わったのだが、どうやらこの駅前でのやりとりを学校の誰かに見られていたらしく、学校で噂になってしまい、それが原因でかは分からないが、彩愛は不登校になってしまった。


 涼もちょうど同じ頃、試合中の事故で大けがをしてしまい、学校に通えなくなってしまっていた。だから涼は彩愛が大変なときに学校にいなかった自分を責めた。


 彩愛は好きなものを着ていただけなのに、それだけで彼女を排除する学校が許せなかった。その姿を、中学のサッカー部の連中から煙たがられた自分にも重ねられたからというのもある。だが、彩愛がいなくなって初めて、彩愛のことを単なる恋愛対象の女の子としてではなく、自分の唯一人の女の子と思っていたことに気付いたことも大きい。涼は愕然とした。だから、松葉杖をつきながらでも、涼は彩愛の家に通った。


 不登校でも別に問題なく卒業できる時代だ。涼はただ、彩愛に会いたいがために、学校の様子を伝えると称して、通った。


 平行して涼はリハビリにも通った。元通りにサッカーができるようにはならなかったが、その体験は涼が、自分と同じようにスポーツで怪我をして夢を断念する子が1人でも減るようにしたいと決意するに足りるものだった。


 涼は夢を彩愛に話し、彩愛は高校生活は目一杯楽しむんだと涼に話した。


 元々成績がよかった彩愛はこの辺りで有数の進学校でお嬢様学校の清心女子高に進学し、涼は普通の公立校に進学した。涼はメディカルトレーナーのスキルを独学で身につけつつあり、かつて所属していたジュニアユースクラブにも顔を出して、後輩たちの面倒を見始めていた――そんな矢先だったのだ。


 彩愛が自分にSOSを出しても、今回はそんなに深刻そうでもない。単純にまた彩愛と話せることが嬉しい。そう考えながら涼は、彩愛が指定する週末の土曜日を待ったのだった。




 名門、清心女子高等学校の校門前で待ち合わせ、涼は緊張していた。土曜日なので授業はないが、部活終わりなのか、出てくる女の子皆がかわいいからだ。こんなかわいい女の子たちに囲まれては、彩愛がかわいいと言ってもそれほど目立たないのではないか、なんて考えたのだが、息を切らして現れた彩愛を見て、脳内でその考えを撤回した涼だった。


「またその手のデザインか!」


「私だけね。他の子はそれぞれのイメージで作ったよ」


 彩愛はゴスロリ風アイドルコスチュームを身にまとったまま、涼を迎えに来たのだった。


「頑張ってるんだな」


「涼くんも頑張ってるんでしょう? お互い様だよ」


「そうありたいね」


 そんなことを話しながら、守衛さんの前を通り、校内に入る。近隣では男子禁制で知られる清心女子にこんなイージーに入れるものなのかと涼は感慨を覚える。清心女子高は創立100年以上で、建物は古いが、最近、リフォームが済んで、真新しい印象を与える。そしてこちらは真新しい女子大の方の講堂に入り、涼は素直に驚いた。専門の音楽ホールもかくやという作りだ。私立は金があるなあと涼は思う。


 ステージの上ではアイドル研究会のメンバー何人かが、振り付けの指導を受けていた。指導をしているのは胴長短足のへちゃむくれ肉まんのような男だ。他にも何人か男の姿が見える。おそらく涼と同じように呼ばれた助っ人に違いない。


 彩愛と涼の目の前を清心女子高の制服を身にまとった、とびきり愛らしい清楚な子が走って来た。


「彩愛ちゃん! 首尾は?」


「上々!」


 そんな彩愛と会話をかわし、清楚な子は舞台に上り、袖に消えていった。


「これからもう1回通すから」


 通すというのはアイドルのステージとして1曲踊ると言うことだろう。


「うん。適当なところで見させて貰うよ」


「私、左から2番目だから、近くで見ててね」


 彩愛ほどかわいくても9人の中ではその辺なのかと涼は驚く。ということはスクールアイドル研究会は半端なメンバーを集めていないように思われる。


 涼は彩愛に言われたとおり、左寄りの前の方の席に座る。


 緞帳が下がると他の男の子たちもそれぞれ座り、再び緞帳が上がるのを待っているようだった。


 しばらくしてイントロが流れ始めると同時に緞帳が上がり始める。


 ステージの上に9人の美少女が並び、振り付けを始めている。センターはさっき走って行った清楚美少女だ。もちろん、アイドルコスチュームに着替えている。涼は彩愛の姿を探す。上手側の2番目で、あのゴスロリコスでヒールが高い靴でも、しっかりと体幹を維持し、手をのばしていた。


「うん……いいじゃないか」


 事前に彩愛に教えて貰った動画サイトで見たデモ映像と比べ、段違いによくなっているのが、素人目にも分かった。

 

 長い4分23秒が終わり、数少ない観客は拍手を惜しまず、スクールアイドル9人は恭しく頭を下げた。


 しかしその瞬間、彩愛は顔を引きつらせて、その場にしゃがみ込んだ。


「どうしたの彩愛ちゃん!」


 隣にいた巨乳担当と思われる子が、しゃがみ込んだ彩愛の顔をのぞき込んだ。


「脚が吊っちゃって……」


 オーバーワークだと、涼にはすぐに分かった。こんな短期間にダンスが上手になったのだ。練習を確実に積み重ねた結果だろうが、その疲労を素人の彼女たちが適切に処理できるとはとても思えない。なるほど、彩愛がSOSを出すわけだと涼は納得し、即座に席を立ち、ステージに飛び乗って彩愛のもとに行く。


「どこが痛い?」


「ふくらはぎ」


「靴、脱がせるぞ」


 涼は彩愛の高いヒールの靴を脱がせ、足の指を掴んで、ゆっくりと彩愛の身体の方へ足首ごと押す。


「痛くないか?」


「少し、楽になった」


 その言葉にステージ上の8人は安堵の声を漏らした。


 しばらくそのままの態勢を維持したあと、涼はふくらはぎの筋肉を黒タイツ越しに下から上へやさしくマッサージする。


「楽になった……」


「よかった。疲れがたまってるんだ。たぶん、これは全員そうなんじゃないか? きちんとアフターケアしてるのか? 運動と同じくらいの時間のストレッチやケアをしないと、毎日練習なんてできないんだよ。練習と同等以上の価値が、アフターケアにはあるんだ」


 涼は力説してしまう。今にして思えば、自分が故障したのだって、アフターケアが足りなかったからかもしれないとまで思うのだ。


「――すまない。私たちが無知で」


 目力が強い、おそらくリーダーであろうイケメン女子が彩愛と涼のもとに来た。


「謝ることはない。だって、それを改善しようとして柏崎は俺を呼んだんだから、それはもう無知とは言えない」


「涼くん……手伝ってくれるの?」


 マッサージされながら彩愛が涼をまっすぐ見据えた。だが、涼は自虐的に笑う。


「俺だって素人だぞ」


「でも私たちなんかより全然詳しいよ。頼りになるよ。今度も頼りにするよ……」


 彩愛は泣き出しそうだった。どうしてそうなるのか涼には分からない。しかし彩愛を泣かすことは、涼の本意ではない。


「柏崎……あのな、1回ステージを見ただけでも分かったけど、お前がやろうとしていること、サッカーでインターハイを目指すのと大して変わらないくらい大変だぞ」


「分かってる」


「高校1年生の夏を懸けるのに、十分すぎる、いや、足りないくらいの熱量が必要だと思うぞ」


「分かってる」


 彩愛を他の8人が見守る。


「俺も頑張る。精いっぱいお前をサポートする。だから、身体の面は任せろ。その代わり俺の指示はきちんと聞けよな」


「……はい」


「らしくないぞ。もっと元気よく言ってくれよ」


「はい! うん! 了解! 分かった!  みんなも、できるよね?」


 彩愛は他の8人を見上げ、8人はそれぞれ頷いていく。


 清心女子高スクールアイドル研究会の夏は始まったばかり。この夏を乗り越え、文化祭のステージまであとたったの4ヶ月。


 みんなの試練の夏が始まろうとしていた。

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