第7話 スクールアイドル研究会:柏崎彩愛の憂鬱
名門清心女子高に入学してまだ間もない4月。スクールアイドル研究会を作ろう、なんて戯れ言を、校内でも有名な才女で吊り目の黒髪ロング、イケメン女子、
放課後の手芸部の活動場所、家庭科準備室でのことだ。家庭科準備室にはもう1人の新入部員、
作業机に向かい合って2人座っているところに、突然、澄香が現れ、仁王立ちして前触れもなく話し始めたのだから普通はびっくりする。
「あたしには才能があるブレーンと実際にかわいいを体現する人材が必要なんだ。
大仰な言葉遣いだが、それが通常運転であることは、清心女子高の1年生ならば誰でも知っていることだ。
「――いきなりここに来て、その上、面識もないのに……?」
彩愛は戸惑うことしかできない。
「スクールアイドル研究会って知ってる。アニメのあれでしょう――ラブライブ」
瑞紀はうざったい前髪で目を隠した、会話にはちょっと難あり女子だ。澄香の言葉に彼女が反応したのは、おそらく彼女がラブライブを知っていたからだろう。澄香は瑞紀に答える。
「そうだ。アニメだ。おとぎ話だ。しかし、才能と努力さえあれば、おとぎ話だろうと現実にすることはできる。あたしは
誰かに証明したいのか、それとも単に自分自身に証明したいのか分からないが、澄香にはなにやら強い気持ちがあるようだ。
「斉藤瑞紀氏。貴女が中学の時、文化祭でコスプレをしていた情報は掴んでいる。それもなかなかなアイドルぶりだったらしいじゃないか」
瑞紀は顔色を変えた――かに彩愛には見えた。なにしろ前髪が長いのでよく表情を読み取れないのだ。現実にこんな女子がいるのかと彩愛も最初は呆れたものだ。
「そうだったんだ。へえ。斉藤さんがね……人は見かけによらないね」
「そういう柏崎彩愛氏。貴女も休日には変身して街に繰り出しているではないか。斉藤氏と大して変わらないぞ」
彩愛は言葉を失った。休日の彩愛はいわゆる地雷系女子だ。しかもその衣装はほとんど自分で作っている。アクセサリー作りにも挑戦しているところだ。
「柏崎氏、そのかわいいの力、私に貸してくれないか?」
「……よく調べてるね」
彩愛は座ったまま澄香を見上げた。この有数の進学校である清心女子高で新入生代表を務めただけのことはある。情報は戦略の基本だとでも澄香は言いたげだ。
「情報収集なしに勝利は掴めないよ」
彩愛の予想はだいたい合っていた。瑞紀が澄香に聞く。
「でも……衣装だけあってもアイドルにはなれませんよ」
「ああ。だから『アイドル』をできる人間に声を掛けている。最初に籠絡したのは真子だ」
「真子って、
瑞紀が小さく驚きの声を上げた。本成寺真子はこの清心女子高を運営する学校法人の理事長の孫娘だ。なのに明るくてきさくで人気があり、校内で知らぬ者がない女子である。
「いきなり本命から落とすとは、さすがは西園寺嬢」
彩愛は思わずニヤリと笑ってしまった。澄香は分かってるな、という不敵な笑みで答えた。
「なるほど。やろうとしていることはだいたい見当が付く。しかしそれを私たちがやって、何のメリットがある?」
「彩愛ちゃん……私、スクールアイドル、やってみたい」
「ええ~~ もうちょっと話を聞いてからそういうことを言おうよ~~」
瑞紀は2つ返事でOKしてしまった。
「だって……見て欲しい人がいるから」
今度は澄香がニヤリと笑った。
「考えるまでもなく、恐ろしいほどの努力と時間が必要になるぞ。その覚悟はあるか?」
「覚悟があるかといわれたら、まだそんなのはないけど……頑張れそうな気がする」
瑞紀は大人しい顔をして意思は強いようだ。今まで彩愛が聞いたことのない強い気持ちを漂わせた言葉を口にしている。
「ふむ。でも私にはアイドルになりたいなんていう気持ちはない」
馬鹿げていると彩愛は思う。ただの女子高生がアイドルごっこをして何になるというのだろう。努力・友情・勝利――現代のスポ根ものがそこにあることは知っている。しかしそんなものに彩愛は用はない。
「まあ聞いて欲しい。あたしも自分たちでステージの全てをまかなえるとは思っていない。それなりに才能がある生徒を集めるが、それでもまだ足りないだろう。どうすればいいか真子に相談した」
「至極当然な流れだな」
アニメのラブライブのキャラクターはあり得ないほどの超絶能力の持ち主ばかりだ。コスチュームを9着作って揃えるだけで放課後だけなら数ヶ月かかりそうなのに、次々とコスチュームを替え、ダンスも歌も増えていく。時間に限りがある学生生徒には本当に不可能だと言わざるを得ない。
「するとだな、真子は外部から助っ人を呼びたいと言い始めた」
「外部から助っ人、ですか?」
瑞紀が食いついた。ホント、チョロいな、この子はと彩愛は呆れる。
「ああ。幼なじみの男の子がダンスの振り付けの天才らしい。まあそれを話半分に聞くとしても、人手が足りないのは事実だ。真子としては家庭の都合で女子高に入ったわけで、その分、部活で補給したいらしい」
「補給って何を?」
「男の子成分の補給」
澄香はそう言いつつ、頬を赤らめた。才女というが、どうやら男女関係についてはうぶらしい。男の子という言葉に瑞紀が食いつく。
「この女子の聖域、清心女子高等学校に男子を呼ぶって事ですか?」
「そうなるな。斉藤氏にはメリットになるかな?」
瑞紀は澄香にそう言われて、ためらいながらも頷いた。
「柏崎氏にもメリットにならないかな。もちろん期限は文化祭まで。そこでステージを成功させなければ、研究会活動は解散と理事長から言われている。やるからには本気。そしてクォリティも最高まで上げなければならないということさ」
彩愛は考えた。考えたが、すぐには答えが出なかった。
「少し、考えたい」
「当然だな。しかしあたしはいい答えを聞きたいな」
澄香はそう言って微笑むと家庭科準備室をあとにした。
「彩愛ちゃん、やってみようよ。コスチューム作りってさ、手芸部の活動でもあるよ、いいじゃない? ね?」
澄香の姿が消えると瑞紀は彩愛の説得を始めた。
「――スクールアイドル活動がどうとか、言うつもりじゃないんだ」
彩愛はためらう理由を瑞紀の前で口にする勇気が無かった。
彩愛が澄香の誘いに乗って、スクールアイドル研究会に入ったのは数日後のことだ。彩愛はよくよく考えたが、澄香ほどの美人が自分をスクールアイドルにと声を変えてくれたこと自体が光栄だったし、自分の中でもアイドルが着るコスチュームをデザインしたいという気持ちがあった。驚くべきことに澄香は作曲を自らこなし、瑞紀がコスチュームを縫うというので、彩愛も張り切ってデザインした。アニメのラブライブを見て、それなりにそれっぽく仕上げたつもりだったが、実際に瑞紀と一緒に衣装を縫うのはとても大変な作業だった。なぜなら歌と踊りの練習もこなしつつ、作業を進めなければならなかったからだ。想像していた以上に、スクールアイドルになるのは大変なことだった。
それでも5月下旬にはどうにか最初の1曲が仕上がり、女子大の講堂にあるステージでデモ映像を撮影することになった。彩愛も瑞紀もそれなりに頑張ったが、ダンスも歌も素人である。その上、彩愛と瑞紀はコスチュームを仕上げるために徹夜したことがあったくらいなので、デモ映像はあまりよい出来にはならなかった。他の子たちはすごく頑張っていたのに、と思うと彩愛はやりきれないものを感じた。
その翌週には、真子が念願の彼氏を呼び、ダンスの指導を始めてた。その彼のお陰でかなりダンスはまともになったと自覚があったが、残念ながら、ステージをこなすだけの体力が瑞紀にも彩愛にもなかった。研究会最小の未梨亜などは1曲を終えた時点で、相当へたってしまっていたから、どう考えてもダンス指導だけでは、文化祭のステージで披露する予定の3曲を歌いきれないことは明らかだった。
研究会の他の子たちも、真子に倣って、助っ人の男子を呼び始めていたから、やはり、自分も考えなければならないところに来ているな、と決心した。音楽担当も衣装担当も、自分たちの負担を減らすためには必要だろう。演出屋だって、ステージを成功させるためには必要だし、カメラマンだっていないと始まらないに違いない。
しかしそれよりももっと根本的なところで清心女子高スクールアイドル研究会には足りないものがあることを9人が自覚していた。
「彩愛ちゃんさあ、メディカルトレーナーの心当たりがあるって言ってたよね」
いつもダンスを練習する屋上で、休憩タイムの間に
「うん。よく覚えてるね」
「他でもない。みんながどんな助っ人を呼びたいのか興味があったからね」
早月は照れて笑った。おそらく好きな人を思い浮かべているのだろう。
「そういう早月はどんな助っ人を呼ぶつもりなの?」
「私はね……私は……音楽活動を頑張っている人。もう中学の初めの頃からバンド活動をしていて、本気で音楽活動をしている人。ぜんぜん、私になんか興味なくって、でも、力になってくれて、何を考えているんだか全く分からないんだけど、どうしてか放っておけない人」
「それはそれは大好きなんだね」
そう彩愛が正面切って言うと早月は真っ赤になった。それはダンス練習で火照ったからではもちろんない。
「あ……いや……その……そうとも言うかな」
「真子ちゃんなんか堂々と彼氏を連れてきているんだから、そんなに気にすることでもないのでは?」
「肉丸くんね……真子はすごいよね。男の子の本質を見てる」
「
「いや、これ、研究会内の定番のボケでしょ」
「そりゃそうだ。そうね……男の子の本質、ね」
そういう意味では自分はあいつに負けていると思う。いつだって負けっぱなしだ。そして何度も頼りにした。だから今回も頼りにするのが、気が引ける。彼のスキルは、挫折故に身につけたものだ。安易に頼ってはいけない気がするし、ここでまた彼を頼りにするのはズルい気がする。
単に自分が彼に会いたいだけなのに。
早月が意を決したように言った。
「彩愛ちゃんさ、素直になろうよ、素直に。スマホ出して!」
「え、何故にスマホ?」
「2人同時にメッセージを送ろう。2人一緒なら、勇気が出ると思わない?」
早月はそう言いながらも思いっきり照れていた。彼女ほどの美少女でも、好きな相手には自信が無いらしい。
「な、な、ど、どんなメッセージを送るの?」
「スクールアイドル活動を始めたんだけど、手が足りないから手伝って欲しいっていうSOSを送るの」
「わ、わたしもそれ、一緒にやります」
スクールアイドル研究会のマスコットキャラの未梨亜が、聞き耳を立てていたのだろう、手を挙げて早月の下まで来た。
「みーちゃんもやるか……そこで私が逃げるのも、確かに何だな」
彩愛は覚悟した。たぶん、あいつはこの研究会存続の要の1つになる。派手ではないし、ステージにその成果が表だって現れることもないが、フィジカルトレーナーなしに、素人9人がアイドル活動ができるとは思えない。
彩愛もスマホを取り出し、メッセージ画面をにらみつけ、3人とも様子を窺う。言い出しっぺの早月が未梨亜と彩愛を見る。
「入力した?」
「うん」
「あ、送っちゃった! あっ! 言葉が足りない! 取り消し取り消し……」
未梨亜はかなりテンパっている様子だ。未梨亜のフライングがあったものの、3人は呼吸を合わせてメッセージを送る。
「せえの!」
そして3人は天を仰いだ。
どんな返事が彼から返ってくるのか、ドキドキする時間はまだまだ続くのだった。
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