第6話 作詞担当:大津颯太の場合

 坂崎未梨亜さかざき みりあからのメッセージを眺めながら、大津颯太おおつ そうたは道ばたでクロスバイクのフレームをまたいで立ったまま、ぼんやりと考えていた。


 もう暑くなり始めた6月の夕方のことだ。颯太は高校まで自転車通学をしている。下校中、スマホがメッセージが来たことを知らせ、クロスバイクのフレームをまたいで止まった。スマホの画面を開き、颯太はメッセージを読む。


〔アイドル始めました〕


 冷やし中華でもあるまいし、アイドルなんてすぐに始められるものでもないだろう、と颯太は心の中で突っ込んだが、文字にはしない。送信は取り消され、すぐにまた改めてメッセージが来た。


〔スクールアイドル始めました〕


 ラブライブか、と颯太にはすぐに分かった。高校でアイドル活動を始めたとか、そんなのだろう。


〔そうか。坂崎がアイドルか。でも、ジュニアアイドルの間違いではなくて?〕


〔スクールアイドルよりは確かに、ジュニアアイドルの方がプロっぽいからそう表現されて微妙〕


 未梨亜は中学校の時、3年間ずっとクラスメイトだった女子である。学年で一番背が低く、また、幼く見える子だ。3年生になっても新入生に間違われるような感じで、そして本当に間違われると、小さな身体を震わせてカンカンに怒っていたものだ。颯太もクラスで一番背が低かったので、クラスで整列すると列の隣になるのが彼女だったから、彼女とは普通に話す間柄だった。


 そう。高校に進学するまでは。


 まさか彼女がこの辺では名門の清心女子高に進学するとは思わなかった。だいたい成績も同じくらいだったから、同じ公立校に行くのだとばかり颯太は思っていたので、彼女が私立を選んだことを残念に思ったものだった。


 残念に?


 颯太は彼女の決まった進路を聞いたとき、自分に疑問を覚えたものだ。よく話す知り合いと高校でも当たり前に一緒だろうと思っていたのに、そうではなかった。知己の人間が1人減る。それを残念に思うのは当たり前か、と思い直し、そのときは自分を納得させた。


〔坂崎はかわいいから、スクールアイドル活動、ぴったりだと思うな〕


 お世辞ではない。未梨亜はたいそうかわいらしかった。背が低くて、全体的に小さくて、小顔で、すらっとしていて、元気はつらつで、全身にパワーがみなぎっていて、身体の小ささをカバーしていた。そこそこ男子に人気もあっても、「坂崎、いいよなあ」的なことを口にするだけで、ロリコン認定されるので、誰も表だってはそう言う男子はいなかった。だが、やっぱり客観的にもかわいかったのだ。


〔どうして直に言ってくれなかったかな……〕


〔メッセージだから言えることってある〕


〔お世辞というか、社交辞令的なものだね?〕


〔違うよ。前からかわいいと思ってた〕


〔ちいさいから?〕


〔それも含めての坂崎のかわいさだろう〕


〔うまくまとめられたな……〕


〔かわいいとか面と向かって言ったら、ロリコン扱いされるんで言えなかったんだ〕


〔コメントに困ることを言うな!〕


 ちょっと怒っているのか、プンプンと膨れている女の子のキャラクターのスタンプが送られてきた。


〔それでね、大津くんに頼み事があるんだけど〕


 その文字列を見て颯太の指は震えた。どう返せば正解なのか分からなかった。返信する前に未梨亜から次のメッセージが来た。


〔1曲は自分たちの力でカタチになったんだけど、クォリティーは低いし、完成度を高めるまではものになりそうにないわで〕


〔まずは完成度を上げることを優先して、不本意ながら2曲目、3曲目は外注しようと思ってて〕


 そこまで見て、やっと颯太の指は動いた。


〔アニメみたいに全部自分たちでできるはずがないからな〕


〔うん。分かってくれて嬉しい〕


〔坂崎は何をしたの?〕


〔聞かないで〕


 どうやら何も力になれることが無かったらしい。未梨亜が得意なのは元気はつらつさに似合わず、お菓子作りとお茶をいれることだ。だから、その特技をアイドル活動に活かすのは難しいだろう。


〔他のメンバーを元気づけるのも立派な仕事だ。縁の下の力持ちだ〕


〔そう言ってくれると嬉しい〕


 今度はてれてれしている女の子のスタンプが送られてきた。


〔外注か。俺に何ができる?〕


〔詞が書けるよ。まだ、街角に立ってるの?〕


〔最近、折りたたみ椅子を導入して座ってやってる〕


〔ボケは要らないんだけど……〕


〔前に何度か来てくれたよね。感謝してる〕


 颯太の趣味はキーボード演奏だ。街頭に立って、1人で演奏し、歌う。そんなことを中2からやっている。自分で作詞作曲のまねごともしていた。しかし、詞はともかく曲の方は今ひとつで、颯太に作曲の才能はなさそうだった。それでもストリートセッションの活動は今も続けている。


〔アイドルが歌うような詞を俺に書けと?〕


〔歌も上手いじゃん〕


〔それは親のせいだ〕


 声楽家の母に幼い頃からつい最近まで、練習をさせられていたからだ。


〔子どもの才能をのばしてくれたのに“せい”とか言うな〕


 ここで争っても仕方が無いので颯太はスルーする。


〔で、詞を提供するだけでいいのか。曲は?〕


 未梨亜に他にあてがあるのかと思うと、胸が少し痛んだ。すぐリアクションがあった。


〔他の子があてにしている男子がいる〕


 他の子が、か。少しホッとする。いかん。なんでだ。関係ないだろ、俺、と颯太は心の中で自分に言う。


〔詞だけだったら……〕


〔歌唱指導も頼むよ〕


〔時間ができたらな〕


〔やった~~ 言質とったよ!〕


 向こうから連絡してきてくれたのに、自分からこのつながりを切る理由は颯太にはない。言葉にはできないが、また未梨亜に会えることを嬉しく思っている自分を、颯太は見つけている。


〔じゃあ、みんなに報告するから、続報を待て!〕


〔はいはい〕


 そして「ありがとう!」と絶叫する女の子のスタンプが送られてきた。


 ふふん、と颯太は笑い、スマホをしまう。


 進学校に進学したはいいが、何かが足りなくて、学校と家を往復するだけの毎日だった颯太だった。しかし今、彼は、自分の中に何かが生まれる予感がしていた。



 未梨亜から連絡があったの週の土曜日。


 颯太は久しぶりにキーボードを担いで、最寄りの駅前の演奏が許されているエリアに向かっていた。未梨亜から連絡をもらってからの颯太は俄然やる気が出ていた。夕方になると明日のミュージシャンを目指す人たちで混雑して、ろくに音楽を聞いて貰えないが、午前中の早い時間には誰もいない。もっとも聞いてくれる人もいない。が、颯太には駅からの乗降客だけでも十分だ。しっかり聞いてくれなくても、ただ耳に入るだけでもいいと思っている。それでまだいい。自分の力でいつか足を止めさせると決めている。


 いつも通り、バスターミナルの端、まだ屋根のある部分に颯太は陣取る。キーボードスタンドを広げ、キーボードを置き、折りたたみ椅子を広げる。アンプは禁止されているので、生歌だ。演奏はキーボードのバッテリーがなくなるまで数時間やる。ほとんど苦行だ。


 颯太が作った曲もあるが、まずは誰もが知っている曲から演奏を始める。耳馴染みのある曲だから、たまに足を止めてくれる人もいる。その中には何度か見かけた人もいる。しかし、その程度だ。駅の乗降客にとって、颯太の演奏は、街の風景のほんの一部だ。颯太は自分がその程度の存在であることを痛感している。だが、それで終わるつもりはない。前に進む。転がる石に苔はつかない。その言葉を信じる。


 数曲、インターバルを挟んで歌い続け、最後に自分の作詞作曲のナンバーを持ってくる。


 キーボードの鍵盤に指を触れ、歌詞を脳裏に浮かべ、気持ちを載せる。




「放課後の教室 開け放たれた窓


 勉強を教えてくれる君 髪の匂いに胸が高鳴る


 秋風受けて 揺れる前髪 揺れる気持ち  


 他に周りに誰も いないのに 教科書片手に 君は呟く 


「好きだよ」と


 きけないよ なにが好きなの 誰が好きなの 


 きけないけれど 君の刹那を 独り占め」


 そしてキーボードでの最後のフレーズの演奏も終える。

 

 君の刹那、か。


 誰のことを考えてこの詞を書いたのか、颯太は自分でもよく分かっていない。恋愛ソングを書こうとした。それは間違いない。しかし、颯太は恋を知らない。他のクラスメイトがしているような恋愛は、颯太にとって他人事だった。そんな自分が書いた詞で人を感動させられるのだろうか――そう悩んでいるときだった。


「大津くん! すごく良かったよ!」


 急に声がしたかと思うと、キーボードスタンドを挟んで、3ヶ月振りに目の当たりにする未梨亜の姿があった。


「坂崎……聞いてくれてたんだ」


 未梨亜はパステルカラーのひらひらの多い上下セパレートのスカートとブラウスを着ていた。未梨亜の私服を初めて見る颯太だ。あまりにもイメージ通りで、自分の心拍数が急激に上がるのを即、感じた。


「すごい、すごいよ」


 そして未梨亜は宙に浮いていた颯太の右手を両手でとり、ぶんぶんと上下に振った。


 小さい手。白くて、細くて、温かくて、未梨亜そのものにも思えるような小さな手のひらが、颯太の右の手のひらを覆っていた。


 ぶわっ、と脳内から何かが湧き出てくるのがわかった。


 その何かは一瞬にして脳から全身を駆け巡り、甘く、切なく、心地よい感覚を颯太にもたらした。


 なにも聞こえなくなった。


 未梨亜が何かを言っているのは分かる。しかし聞こえない。颯太は全身がジーンと甘くしびれて、頭もくらくらして、倒れてしまいそうだった。


 視界が狭まり、未梨亜の小さくてかわいらしい顔しか、目に入らなくなった。


 颯太は気がついた。


 窓際の君。そう、未梨亜が窓際の席だったあの秋の日、颯太は彼女をそっと見つめていた。そして、テストが近づくと成績が近い者同士、勉強を教え合った。あのときから颯太は未梨亜に恋をしていたのだ。しかしそれを理解していなかった。初めての感情に戸惑い、別々に進学し、別れの切なさにその感情に颯太は蓋をしたのだ。


 しかし、3ヶ月ぶりに未梨亜の顔を見て、手をつなぐと、そんな蓋は簡単に成層圏まで吹き飛んでしまった。


 ああ、俺、未梨亜のことが好きなんだ。


 ジーンとする感覚が引き、ようやく、颯太は口を開くことができた。


「俺、君の力になれるかな?」


 好きだとはまだとても言えない。まだ自分の感情に気がついたばかりの颯太にはそれは難易度が高すぎた。


「どう? みんな?」


 そして未梨亜は手を握ったまま、おそらくスクールアイドルの同志である女の子たちを振り返った。本当に今までどこにいたんだろうと颯太は心の中だけで首をひねる。


「曲はイマイチだけど、私が連れてくる彼ならきっと大丈夫。いい曲を合わせてくれる。やっぱ、いいね。こういうの」


 いかにもセンターっぽい、スタイルがいい女の子が未梨亜に言った。


「おうおう。お熱いね。ウチみたいに下僕を連れてくるってわけじゃないんだ?」


 ギャル枠と思われる女の子もそう言い、未梨亜は慌てて颯太の手を離した。


「彼とか下僕とか、熱々とかじゃないです!」


 未梨亜は真っ赤になり、女の子たちに抗弁した。


「熱々なら私たちの方が熱々だよね~~ ね~~ 飛丸くん!」


 1人、女子の中にへちゃむくれな肉まんみたいな男子がいたが、その男子と女子の1人が手をつないでイチャイチャしていた。


「それは今のところ、どうでもいいさ。文化祭のステージを成功させるのが最優先だ。未梨亜、せっかくだから歌ってくれないか? 彼と一緒に」


 そうリーダーっぽい目力が強いイケメンの女子が言うと、未梨亜は頷いた。


「大津くん、もう1回やろう」


「え、歌うって、俺の今の歌を?」


「この流れで他にないでしょ?」


「で、でも、坂崎、歌詞、覚えてないでしょ?」


「毎週のように聞いていれば…… あっ!」


 未梨亜は失言したとばかりに口元に手を当てた。その意味は颯太もすぐに分かり、2人は揃って赤面する。


 颯太は2度、3度と深呼吸した後、キーボードに指を滑らせる。


「じゃあ、いこう。坂崎」


「……未梨亜って呼んでくれると嬉しいな……」


 颯太の指は硬直する。


 未梨亜は俯き、そして面を上げ、颯太の表情を窺う。


 颯太は真っ正面から彼女の顔を見ることなどできない。ただチラリと見るだけだ。見ると彼女だって真っ赤で、颯太はある意味、安心した。


「じゃあ、いこう。未梨亜」


 再び颯太の指が動き出し、鍵盤を押す。


 歌詞に入り、颯太と未梨亜は心を込めて歌う。


 颯太と未梨亜の声が混ざり合うと、予想外のハーモニーが生まれる。未梨亜のスクールアイドル仲間たちだけではなく、通りがかりの人も足を止め、耳を傾け始める。颯太の街頭セッションで、これまでそうないことだった。


 曲は進んでいく。


 そしてサビに入り、颯太は歌う未梨亜を見る。


 そのフレーズで未梨亜も振り返って颯太を見る。


「他に周りに誰も いないのに 教科書片手に 君は呟く 


「好きだよ」と」


 2人の歌声は重なり、駅前の喧噪の中に消えていく。

 

 それでもその言葉に偽りはない。


 清心女子高スクールアイドル研究会の文化祭ステージまであと4ヶ月。


 期待と希望を胸に、9人の美少女たちは前を向いて進んでいくのだった。

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