第5話 動画担当:羽山望の場合

 望が写真を撮るのを辞めてから結構経つ。中学の時はあんなにも撮りに行っていたのに。写真だけではない。動画もよく撮った。中3の文化祭はクラスの有志でショートムービーを撮って上映したくらいだ。それは静止画と動画を組み合わせて、夏をそれっぽく撮ったショートムービーだ。


 その動画の中の彼女はいつでも同じ笑顔を望に見せてくれる。


 望はベッドに仰向けになり、スマホでそのショートムービーを久しぶりに眺める。自分がコンテを切り、撮影し、編集し、音楽をつけた、中3の夏のすべてを投じたそれは、今見ると手直ししたいところもあるが、なかなかのものだ。


 彼女と電車に乗って1時間の海に行き、何度もロケをした。もちろん2人きりではない。ショートムービーでも、レフ板を持って貰ったり、通りかかった人が撮影の邪魔にならないよう誘導したり、メイクして貰ったりと多くのスタッフが必要だ。それが可能になるほど人が集まったのは彼女の人望による。


 白いワンピースに幅広帽子。鮮やかなスカイブルーのサンダルに、肩から掛ける小さなバッグ。そして風に揺れる長い金髪。


 波打ち際を歩き、空の蒼の色を写したサンダルと白い波が重なる。


 少女は穏やかで優しい笑顔をうっすらと湛えながら、望の方を見る。もちろん、カメラのレンズ越しにだ。望は液晶画面の中に幻想の彼女を見ていた。


 彼女は満足げに満面の、そして清楚な笑みを湛える。


「いつまでオレは引き摺ってんのかなあ」


 望は思い返す。自分が公立の進学校に、彼女が清心女子高に入学して、会わなくなって早3ヶ月。それでも何をしているのかはよく知っている。彼女は頻繁にSNSを投稿し、近況を世界に知らせているからだ。フォロワー数は4.5万人。


 清心女子高に入るや否や、1年生だけでスクールアイドル研究会を設立し、ついにその第一弾になる1曲目のステージ動画が披露されたところだ。


 ショートムービーを見終えると、今度は望はもう何度見たか分からないスクールアイドル研究会の動画を見る。


 スクールアイドル研究会のメンバーは9人。その中の1人が彼女だが、ショートムービーの中の清楚な彼女からはほど遠い。9人の中でもっとも布面積が狭く、至るところにアクセサリーをつけ、センターからちょっと遠い場所で踊っている。いわゆる金髪ギャル枠だ。それも彼女らしい。ショートムービーの彼女の方が嘘なのだ。


 上げられた動画はステージ全体を通して固定で映すロングショットだけ。こんな動画がいい出来になるはずがないことは彼女だって知っているはずなのに、何故、アップしたのか。理解に苦しむ。


 望むがモヤモヤしながらその動画を見ているとスマホが震えて着信を知らせた。


 湯島真凜ゆしま まりんと画面には表示されている。音声通話だ。


『よう、下僕1号、羽山望はやま のぞむ。どうせ暇してるんだろ。電話してやったぞ』


 あいかわらずの上から目線だ。久しぶりだと望もムッとする。


「暇はしてないが、君の動画を見ていたよ」


『ああ。さっそく餌に食いついてくれたか』


 スマホの向こう側の真凜の声は、いつにも増して愉快そうだった。


「餌――どういうことだ?」


『こんな出来の悪い動画を上げて何考えてんだ。これならオレが撮るのにって思ってなかった?』


 図星過ぎた。そういうことか。餌というのはこの電話の前振りだったんだ、と望は気がつき、動画を見ていたと口にしたことを後悔した。食いつくネタがあったら最後までしゃぶりついて人を利用するのが真凜のやり方だ。


「ああ。あんなんならオレが撮るさ」


 毒を食らわば皿までの精神で望は真凜に応えた。


『いいねえ。下僕1号。その意気だよ。真凜様が君に最高の夏をプレゼントしてやろう』


「押しつけはいらん」


『そういうなよ。スクールアイドル研究会を作ったのは知ってるだろ? 世間に周知するにしても静止画スチールが必要なんだよ。それも腕利きが撮った奴が……もちろん練習を撮影して貰ってダンスの反省材料に使ったりしたいし、ステージ動画も作って欲しいけどね』


「オレに何のメリットが……」


『ウチを含めた美少女9人の静止画スチール撮り放題だぞ。美味しくないか? しかも水着撮影もやるぞ!』


「マジか……」


 真凜の水着が見たくないといったら嘘になる。惚れた弱みだ。ここで彼女とのつながりを復活させないでいつさせるというのだ。


 望は決意した。


『下僕1号がやってくれるなら、ウチはビキニにするぞ!』


「あ~~ もう~~ わかったよ。やればいいんだろ、やれば」


『最初から勝ち負けが分かってんだから、無駄な抵抗するなよな』


 スマホの向こうの彼女がどんな顔をしているのか、知りたくもあり、知りたくなくもあり。難しいところだ。彼女が望を下僕としか見ていないこともまず間違いないだろう。それでもいい。彼女の力になりたいと望は思う。


「ああ。分かった。やるからにはスクールアイドル研究会、成功させたいね」


『もちろんだ!』


 望は去年の夏に置いてきた写真をとりに行こうと心に決める。


 今年の夏がどんな暑い夏になるのか、今の望では想像することすらできないのだった。



 真凜から連絡があったその週の土曜日、さっそく望は清心女子高に赴いた。女子大の講堂が空いていて使えるからということだったので、ステージ練習らしい。スクールアイドル研究会の活動を見学させて貰うには絶好の機会だと思われた。


 よく晴れた土曜日の昼下がり、校門の前で真凜は望を待っていた。清楚だが胸が強調されたデザインの清心女子高の制服はこの辺では有名だが、真凜がラフに着こなすと、清楚さは失われる。その理由は主に、肌色面積が増えるからだ。中学の時の方がよほど肌を見せていなかった。それでも生活指導の先生にはよく呼び出されるスカート丈だったのだ。今はもう本当にギリギリだ。


「下僕1号、視線が露骨」


「もうそれは、少し跳ねたりするだけで見えるだろ!」


「見せパン履いているに決まってるじゃん。見る?」


 真凜がただでさえ短いスカートの裾を持ち上げようと指を掛けたので望は顔を背ける。


「いい。というかやめろ!」


「見たいくせに」


「オレは乳派だ!」


「そうだったか――初めて知る衝撃の事実。それはちょっと準備ができてないな」


「何の準備だ!」


 望が真凜を見ると首元を広く空けていた。


「上げて寄せないとさすがに谷間は見せられないな」


「嬉しいけどするな!」


 そう応えると真凜はニンマリと笑った。


「素直でよろしい」


 真凜に案内されて講堂に行くと、ステージの上では何人かのメンバーがダンスの指導を受けていた。ダンスの指導をしているのは男子だ。平均より背が低く、胴長短足のずんぐりむっくりした体型からはダンスが上手いようには思えないのだが、間違いなくステージの上の彼女たちより上手だ。


「――さっそく動き出してるんだ?」


「悪いけどウチもダンス練習に入るからさ、着替えてくるから少し待っててくれよ」


 真凜は舞台袖に消えていった。


 気がつくとダンスをしていた男子が望のすぐ前まで来ていた。


「うわ! いつの間に!」


「君が湯島さんが用意するって言ってた助っ人かい? ボクは榊原飛丸さかきばら とびまる。君は?」


「羽山望だ――あれは君の振り付け?」


「ううん。元は真子ちゃんのだけど、動画のときより良くなってるよ」


 それは今、ステージの上で各人が振り付けの確認をしているところを見るだけで分かった。かなり精度が向上している。


「どう? 力を貸してくれる気になった?」


「もともとそのつもりで来てるんだけど……あとで撮影のポイントを教えてよ。そうすれば彼女たちが動画を見てダンスの精度の確認するのに役立つだろ?」


 そう望が言うと飛丸は嬉しそうに微笑んで望を見上げた。


「そうこなくっちゃ。みんなの力がないと絶対にステージの成功はないからさ。頑張って力になりたいんだ。文化祭のステージを成功させないとスクールアイドル研究会は解散なんだって」


「そうなんだ……」


 ステージの上の8人の少女達はやや合わせつつ練習をしている。完全に合わせていないのは真凜がいないからだろう。


「よう! 待たせたな!」


「その肌色面積でいいんだよ」


 真凜が望と飛丸の前まで小走りできたが、上下ともにフィットネスウェアだった。肌色面積は極小になった。


「なんだよ。正常な思春期男子の発言とは思えないな。なあ、肉丸!」


「飛丸だっての!」


「神風の術またやってよ!」


「あれは真子ちゃんがいないとできないの!」


 なんだろう。神風の術って。2人に置いて行かれている望である。


 9人揃ったステージの上は、華やかだった。動画のコスチュームは着ていなくてももう緊張感が張り詰めている。飛丸の指導を受け、9人揃って踊る初めてのリハだという。確かにそれは緊張するだろう。どれくらい指導で変わったのか、望も興味があった。


 望は持ってきた8Kビデオカメラを三脚にセットし、講堂の観客席の中段にセットする。まずは通しでロングショットで撮らねばならないだろう。


 音楽が始まり、9人のステージが始まる。


 センターの子の独唱で講堂の中の空気が変わる。


 こりゃ凄い。


 望はにやりと笑う。真凜の声かけは惚れた弱みだから仕方がないとしか思っていなかったが、ステージが始まった途端、そんな気持ちはどこかに吹き飛んでしまった。リアルタイムでこのステージを作り上げられる一員になれたことを望は喜ぶ。真凜への気持ちですら、このステージを完成させて、いろいろな角度から撮り、1本のMTVとして完成させたいという気持ちの前には薄れる。


 ふふふ。


 望は笑いが止まらなかった。


 通してステージを終えると、飛丸が飛んできた。


「羽山くん、撮ってくれた?!」


「ああ。だけど本当に撮っただけだよ」


 飛丸は液晶画面で彼女たちのダンスを確認すると望の背中をバンバン叩いた。


「センスいいよ」


 ただのロングショットなのに飛丸は褒めてくれた。


 続いて真凜がステージから飛び降りて望のところに来た。


「どう? ウチ、踊れてる?」


「60点」


 飛丸に点数を言われると真凜はがっくりと肩を落とした。


「あいかわらず合格水準が高い……」


「少なくともネットに上がっている動画よりはよく踊れているよ」


 望がそういうと、真凜は望に抱きついた。


「そうか! そう言ってくれるか!」


「おいおい!」


「ハグくらい下僕1号がここまで来てくれた報酬だっての!」


 飛丸がひゅうと口笛を吹いた。望は真凜のおっぱいの感触を感じつつ、ハグされるに任せた。ハグを止めると真凜は望をまっすぐ見た。


「あとさ、来週は早速スチール撮りに行くからな。海だぞ!」


「え、そうなの? まだ6月だよ!」


「7月に間に合わせるなら今、撮らないと!」


 正論である。飛丸はステージの上に向かって声を掛けた。


「真子ちゃーん! 海に行くんだって?!」


「そうだよ~~! 飛丸くんも一緒に行こう~~!」


「うん! 行こう~~!」


 真子ちゃんと呼ばれた栗色の髪の女の子と飛丸はどうやらカップルらしい。羨ましいなと望は思いつつ、飛丸の方に歩いてくる真子を見た。


「おい!」


 真凜が望を小突いた。


「い、痛い。なんだよ!?」


「君は真凜様が呼んだ助っ人なんだ。いくら真子が可愛いからって、ウチ以外を見るな!」


「えええ!?」


 望が半ば悲鳴めいたリアクションを返すと真子と飛丸は朗らかに笑い声を上げたのだった。




 翌週の週末、スクールアイドル研究会は学校のマイクロバスで海に向かっていた。真子は学校の理事の孫娘ということで、ずいぶんと甘やかされているらしい。その割に普通の子なのはとてもいいことだと望は思う。


 他にも外部からの助っ人がいるというのに、マイクロバスに乗っている男子は飛丸と望、そしてメイク担当だけだ。飛丸がいるのは真子とのデートを兼ねているからであって、この海行きの主な目的はスチール撮影だから、望とメイク担当以外の男子に仕事が無いからだといえる。レフ板は空いている女子と飛丸に持って貰う。交通整理もしかり。


 助っ人の男子はそれぞれ呼んだ女子と一緒に座っているので、望は男子1人で座ることになるかと思ったが、そこは真凜が責任払いで隣に座ってくれた。


「期待しろよ! ウチのビキニ!」


「はいはい」


 期待しているのは間違いないが、それを外に出したくないし、写真に下心を写し込みたくないので、今日だけはポーカーフェイスをキメたかった。


 そして1時間ほど走って海に到着し、飛丸と望だけは下ろされ、マイクロバスの窓のカーテンが閉められた。お着替えタイム開始だ。


 1時間ほど経ってからマイクロバスのドアが開き、サンダルを履いてタオルを首から掛けた真凜が1番に降りてきた。


 マイクロバスの前で待っていた望は真凜の水着姿を見て、息をのんだ。


 ビキニなのに、肌色面積が極小なのに、初夏の陽光に照らし出された真凜は去年の夏に撮ったショートムービーの中の清楚な金髪少女に変貌していた。


「変……かな?」


 真凜らしくない。恥ずかしそうに俯き、赤くなり、真凜は望の反応を待っている。


 望は小さく頭を左右に振った。


「去年の湯島が戻ってきたみたいだ」


「ウチはいつだって、ウチだっての」


 そして真凜は前を向いた。


 自信はある。でも、恥ずかしい。そんな顔をしている。


 これからスクールアイドルを目指そうという彼女が、より多くの人に見て貰えるようになるための第一歩だ。これでフォロワーを1ケタ増やしたい。そんな思惑だってある。だがそんなことは関係なく、望は彼女の今の肢体をカメラに収めたくなる。


 ああ。夏が始まる。


 去年の夏に置いてきた写真を、今こそ取り戻すのだ。


 望は首からかけたデジタル一眼の重さを感じながら、言った。


「さあ! 撮るぞ!」

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