第2話 服飾担当 東俊紀の場合
中学の時の瑞紀はあまり口数が多い方ではなく、どちらかというと陰にいるのが好きなタイプで、前髪を長くして他人と目を合わせないようにしている節がある――どう考えても難があるタイプの女子だった。
ただ、スタイルだけは良かった。今どきは水泳の授業は男女別々なので確認はできなかったが、体育の授業のときに体操服に着替えるだけで、それがよく分かった。冬の長距離走の授業の時は男子の目を釘付けにしていたものだ。本人も気にしていたが、胸にある2つの双丘は、走るとぶるんぶるんと八方に揺れて制御不能になるほどの巨大さで、とても中学生のそれとは思えなかった。
俊紀はそれをちらりと見ただけで、腰を引かざるを得なくなったものだった。
そんな瑞紀と俊紀の接点は部活だった。部が同じではなかったが、美術部と家庭科部で活動部屋が隣接しており、もともと同じクラスだったこともあり、お互い顔は知っていた。文化祭の出し物のため、服飾デザインの相談を受けるようになったのも、家庭科部が美術室に来たとき、俊紀がドレスのデザインを何種類か、さらさらとラフで描いたのがきっかけだ。
「……東くんってすごいんだね」
そういう瑞紀の表情に嘘偽りはなく、心から言ってくれているのがわかり、俊紀は照れを隠すのが大変だった。
「そんなことないさ。僕はデザイナーを目指しているんだけど、まずは数をこなすしかないから、さっと、これくらいは描けるってだけのことさ」
「ううん――すごいよ」
「デザイナーったって方向性決めてないから。メカもロボットもなんならキャラデザもやりたい」
それは俊紀の本心だ。あまり他人に言うことはなかったが、瑞紀には何故か言ってしまった。
「――アニメ好きだったんだ?」
「消費する方じゃないオタクだよ、僕は」
斜に構えた厨二病丸出しの俊紀の話に、瑞紀は食いついてくれた。瑞紀は文化祭の出し物のために、オリジナルデザインのアイドル風のコスチュームを作りたいということで、俊紀はラフのデザインを数点、その場で線をきれいに直してから渡した。
その後、瑞紀がデザインを型紙に起こして立体にすると、問題がある旨を相談してきた。もちろん俊紀は恥じた。それまでは立体化することなんて考えずにデザインしていたからだ。もちろん瑞紀の指摘は正しく、俊紀はデザインを苦労して修正した。
「ごめんね。適当なデザインをここまでカタチにしてくれて……それなのに僕は」
「ううん。もっと早く相談に来れば良かったのかな」
「その方が斉藤さんが苦労しないで済んだよ。今度からは何か困ったことが発生したらまずは来てね。無駄に苦労させたくないよ」
それから瑞紀は悩む前に細かいところの相談に来るようになり、無事、彼女は文化祭で自らをマネキンとしたアイドル風のコスチュームを発表できるまでに作りこんだ。
俊紀は家庭科室に呼ばれ、見事にアイドルと化した瑞紀に聞かれた。
「どうかな?」
俊紀がデザインしたアイドル風のコスチュームはありきたりのそれで、なんとなくアイドル風でしかなかった。しかしそのコスチュームをまとった瑞紀は間違いなくアイドル級の美少女だった。しかもそのプロポーションの良さがコスチュームで際立っていて、胸の大きさとウェストの細さが強調されている。俊紀はそんなつもりでデザインしたのではなかったのだが、そうなってしまったものは仕方がない。
しかし1番衝撃だったのは前髪を分けて、瑞紀が2つの瞳を見せていたことだった。
「――その髪型、いいよ。前髪、分けたんだね」
「だって、瞳を見せないアイドルなんていないもの――恥ずかしいけど、がんばるしかないよ」
はにかむ瑞紀は、かわいい。しかし俊紀は疑問も覚える。
「なんでそんなに無理してまでアイドル?」
「ラビライブは知ってるよね? わたし、あのアニメが大好きなの。高校生になったらスクールアイドルをやりたい!」
アニメの話をする斉藤は目を輝かせていた。
「――そうだな。今の斉藤ならできるよ。きっと。」
俊紀は頷いた。アイドルの輝きを、今の瑞紀は放っていた。
文化祭の発表は大成功し、家庭科部は特別賞を貰っていた。
「そうか――斉藤はスクールアイドル研究会を立ち上げたんだな」
俊紀はスマホ画面の文字を読み返し、思い至った。あの内気でどちらかというとポンコツな瑞紀がどこまでスクールアイドルができるのか、かなり心配だが、自分にできることであれば、力を貸してあげたい、と俊紀は思う。何より自分は彼女に、困ったことがあったらまず来てねと言ってあったのだ。だから自分に連絡をくれたのだろう。自分の言葉を覚えていてくれたことが嬉しいし、何より、俊紀自身が瑞紀に会いたかった。
清心女子高等学校はこの辺りでは有名な進学校で、かつ美少女揃いであることも男子の間には知れ渡っている。その校門の前で斉藤と待ち合わせ、彼女の姿を見てある意味ホッとし、ある意味ドキドキした。
彼女の前髪は相変わらずで、瞳を隠すようにしていた。スクールアイドルを目指すのであれば、普段から目を出して慣れていた方がいいに決まっているが、それでも俊紀はホッとしたのだ。
ドキドキした方は清心女子の制服のデザインだ。胸を強調するデザインは瑞紀にはまりすぎで、どこから見てもその巨大さがわかるくらいだ。高校に上がってからまた大きくなったのだろう。Gだろうかと見当をつける。もうその場に跪いてしまいそうなほどの強烈なデザインだ。
「僕にはこんな制服はデザインできない!」
「3ヶ月ぶりに会うのに、開口一番デザインのことなんて東くんらしい」
瑞紀はくすくすと笑った。
「すまん。元気そうで何よりだ。スクールアイドル研究会を立ち上げたんだな?」
「覚えていてくれたんだ。嬉しい!」
瑞紀は俊紀の手を取り、両手で握りしめ、そしてそれは意図したものではなかったらしく、すぐに離した。
「ごめんなさい。つい、嬉しくって!」
「あ、ああ。連絡を貰ってすぐに分かったよ。またデザインすればいいんだな?」
「そう――そうなんだけど」
瑞紀はそう言って学校の中に案内した。そして俊紀は驚愕することになる。清心女子のスクールアイドル研究会のメンバーはアニメと同じ9名。その9名分のデザインを、3D化して矛盾のないように描かなければならず、そして当然、同系統ながらも差別化され、その上、どれもが可愛くなければならないという地獄のミッションが待っていたのだった。
それからの俊紀と瑞紀は嵐のような忙しさに見舞われた。夏休み中は9人分のデザインに追われた。研究会の9人全員が、コスチュームのデザインについては自分のキャラクターを打ち出したいという強い思いがあった。そのため俊紀は何度となくリテイクを繰り返し、3Dモデルを作りつつ、ブラッシュアップを重ねた。9人全員からゴーサインが出たのは、夏休みの後半のことだった。
次は素材の選定に移るのだが、動きのあるステージに耐えるためにはある程度の強度が必要になる。縫製担当の瑞紀は俊紀と一緒に布類の問屋に行き、ああでもないこうでもないと検討を続けるだけでなく、他のメンバーの意見も聞きながら、1週間をかけて素材を決めた。
瑞紀は自らがスクールアイドルでもあるので、ダンスや歌の練習もしなければならない。そんな多忙の中、コスチューム作りに駆け回っていたのだが、他のメンバーにからかわれもしていたようだ。
「瑞紀ちゃんは今日もデートだ。良かったね-」
「ああ。うちの手伝いもこれくらいマメだったらなあ」
などと俊紀自身も言われたこともあった。
「それだけコスチュームが肝ってことですよ」
彼女たちにはそう返すので精一杯の俊紀だった。
買い出しの帰りに瑞紀と一緒にファストフードに寄ることもあった。瑞紀は学校に戻るので制服で、俊紀は私服だ。デートという感じではないが、ちょっといい雰囲気にはなれた。
「東くんにはお礼をしないとね。前も、今も、東くんがいてくれて、すっごく助かってる」
俊紀は首を横に振った。
「そんなの、いいよ。斉藤のお陰でいい経験をさせてもらってるよ」
そう言いつつ俊紀が前を向くと、ふと気がついてしまった。瑞紀が胸の大きなものをテーブルの上に乗せて休んでいることに。
「い、いや、いい経験って、デザインの話だよ、デザインの」
視線に気がついたのだろう、瑞紀は胸をテーブルからおろす。
「わ、わかってるよ、わかってるから」
瑞紀は真っ赤になって俯いた。
うん。やっぱり僕は斉藤が好きなんだな。
俊紀はこのとき、恋心を自覚した。
この頃から、他の助っ人たちとの絡みも増えてきた。特に絡みが多かったのはダンス担当の榊原というダンスをするとはとても思えない体形の主だった。彼はコスチュームがダンスの邪魔になってはいけないという考えの持ち主で、ぶつかることも多くあった。しかし最後はお互い歩み寄ってなんとかなった。
デザインが無事終わったので縫製の手伝いをしに、清心女子に通った。通う中で、いかにも音楽小僧と思われる東堂という男子とも話すようになった。東堂は作曲と音響担当で、あまり頻繁に来る必要はないはずなのだが、俊紀は何度も彼と遭遇した。やはり彼女たちが心配なのだろうと思われた。
彼は研究会の新宮という清楚系のメンバーから呼ばれていたのだが、その彼女に向ける視線があまりにも穏やかで、俊紀は感心せざるを得なかった。
秘めた恋というものなんだろうな、と俊紀は思う。自分の中ではもう恋心が盛り上がりすぎている。瑞紀がスクールアイドルとして舞台に上がれば、きっと注目されるだろう。そうなったらきっと他の男子に声を掛けられるに違いない。自分はそれすらも許したくない。
「終わったら気持ちを伝えよう」
研究会の部屋で1人縫製をしながら、俊紀はそう決意した。
清心女子高文化祭『
事前に散々広報を打ち、更にメンバーの中にマイクロインフルエンサーがいたとのことで、海のものとも山のものともつかないのに、プラチナチケット化していたからだ。俊紀は関係者として立ち見をしている。
舞台の上で、ライトに照らし出され、プロジェクションマッピングに彩られて踊って歌う9人は見事だった。自分がデザインし、縫製したコスチュームなど、この舞台にかけられた努力と情熱のほんの一部に過ぎないことを、3曲20分間で俊紀は思い知らされた。
舞台に上がっている9人の努力はもちろん、助っ人たちの力なしには成功はおぼつかなかった。そう断言できる。
そう考えると自分が瑞紀に告白することなんて、ちっぽけなことだと思えた。
だから、告白するのはやめにした。
午前中のステージが終わり、俊紀は更衣室の近くで瑞紀を待った。
ステージが終わったら、午後のステージまでの間、文化祭を一緒に回ろうと約束していたからだ。
瑞紀は急いで制服に着替えて出てきたが、髪型はアイドルのままだ。それはそうだろう。午後のステージに備えなければならないからだ。
「――お待たせしました」
「どこから回る?」
「東くんはどこか行きたいところある?」
瑞紀は文化祭のパンフレットを手に言った。
「1番見たいのは見ちゃったからな」
「それって研究会のステージ?」
「もちろん」
瑞紀は嬉しそうに笑った。
「なにせこの文化祭で最もスリリングな出し物であることは間違いないからね。一体練習で斉藤が何回転んだか想像ができないよ。僕が見てたときだけで4回転んだんだよ」
「どんくさくてごめんなさい」
「飛丸くんが、どうしてここで転ぶんだって頭抱えてたよ」
「知ってる――でも本番は転ばなかったよ」
「本当によかった」
「でもさ」
瑞紀は話をそらした。
「東くんが回りたいところはないの? 清心女子にはかわいい子、一杯いるんだよ。文化祭を回っている間に、いい出会いがあるかもしれないよ」
「ふーん」
俊紀はそうとしか応えられなかった。
「どうでもいいや。午後のステージを見たら帰るから、どっかでメシでも食べようかね?」
「どうでもいいの?」
「いやだって、斉藤が一緒に回ってくれるのに他の女の子を見たら失礼だよ」
「そっか――そんな風に言ってくれるんだ?」
「そりゃそうだ。さあ、午後のステージに備えて、何か食べようよ」
「そうだね。うん。そうだ」
瑞紀は面を上げて、廊下の先を見た。
「この先、ホットドッグやってたはず」
「じゃあそれで」
「お礼におごってあげる」
「安!」
「じゃあ、ホットドッグは奢るとして、他にどんなお礼がいい?」
「そうだね」
俊紀は勇気を出して手を差し出した。
「これじゃダメかな?」
瑞紀は真っ赤になって俯いてその場でわなわなと震え、ついでにおっぱいまで揺らしつつ、手のひらまで赤く染めて俊紀の方へ小さく震える手を差し出した。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
そして2人は手をつなぎ、文化祭の喧噪の中に消えていったのだった。
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