第3話 プロジェクションマッピング担当 高梨くんの場合

(【書いてください】指定の文章で始まる小説)


 海へ行こうと思った。


 高梨俊紀たかなし としきの中にその理由は特に思いあたらない。ただ、美浜翠みはま みどりに『どこに行こうか』と言われ、思い浮かんだのが海だった、というだけのことだ。


 名門清心女子高等学校の文化祭で、スクールアイドル同好会のステージが終わった直後だった。




 俊紀と翠は小中となぜか同じクラスですごした腐れ縁だ。現在は翠が女子高に行っき、もちろん、高校は別になったのだが、もし彼女が女子高を選ばなかったのなら、公立高なら成績的にきっと同じ学校だっただろうし、また同じ学校になったに違いなかった。そういう巡り合わせが、2人の間にはあった。


 特に仲がいいわけではなかった。


 ただ、小学校のときも中学校の時も、なにかイベントがあれば、関わっていた。そういう仲だった。中3の文化祭のときは有志でアイドルのまねごとをする翠に半ば無理矢理手伝わされた。


 まさが別々の進路にいってもまた手伝わされることになると思っていなかったが、翠に頼りにされるのは悪い気がしなかった。


 清心女子でスクールアイドル同好会を立ち上げたとスマホに連絡があったのは夏休み前だった。清心女子も俊紀が行っている公立校もけっこうな進学校だ。夏休み中も講習がガンガンあるのに、その合間を縫ってそれ以上にガンガン文化祭に向けて準備するんだということだった。


 家の近くのコンビニのイートインで待ち合わせ、長かった髪を見事にバッサリと切って男の子と見間違うほどのショートカットになった翠を見たとき、俊紀は激しく動揺した。


「なんだなんだ、失恋でもしたのか!?」


「女子高で失恋も何もないでしょ! イメチェンだよ!」


「いや、今どき別に恋愛に性別は関係ない時代だし」


「このアホ!」


 そう言って翠は踵を返し、コーヒーメーカーにカップを入れ、アイスのラテを作った。戻ってきて椅子に腰掛け、改めて俊紀に言った。


「高梨の力が必要なんだ!」


「その言葉に何度騙されてきたことか」


「何度でも騙されてくれよ」


 いつもの調子の良さで、俊紀は数ヶ月ぶりに会う翠が全く変わっていないことを感じた。髪を切っても、翠は翠だ。


「もちろん、ただとは言わないからさ」


「ほうほう」


「なにせかわいい子を9人も揃えたんだぞ。文化祭のステージが終わったら、誰でも好きな子とデートさせてあげるからさ」


 さっきアホと言われたが、美浜も相当アホだなあと思い、俊紀は内心、頭を抱えた。だが、表には出さないよう、注力する。


「9人いたって好みの子がいるとは限らないだろ」


「まあ、見ろよ」


 そしてスマホで全員の集合写真を見せてくれた。確かに美少女揃いで有名な清心女子高だけあって、粒選りのかわいい子が揃っている。しかし俊紀の目にはやはり翠しか映らない。


「――誰でもって言ったな」


「責任をもって仲介するよ」


「いいだろう。夏の貴重な時間を美浜のアイドルごっこにつきあってやろう」


「ごっこじゃない。もうスクールアイドル同好会なんだから、同好会活動!」


「大して変わらないだろう。に、しても今度は9人か。難易度、上がりそう」


「しかも今度は3曲だ」


「こ、殺せ……ひと思いに」


 俊紀はコンビニのイートインのカウンターにうつ伏せた。




 俊紀が中学校の時の文化祭で受け持った役割はプロジェクションマッピング(P.M・)である。プロジェクション自体はそう難しいものではない。なにせ家庭用のプロジェクターからCGを投影するだけでもプロジェクションだ。しかしそれに立体的な構成をもたせるのがプロジェクションマッピングだ。たとえばステージの上にぶら下げておいた目立たないボールに光を投げかけ、月に見せて、月の中の顔が笑う、なんて芸当ができるのだ。計算上は。しかし実際にアイドルのステージでやるとなれば、センチ単位のアイドルの動きの正確さが求められる。投影する光をリアルタイムで補正するなんてことはできないからだ。


 アイドルの手の中に奇跡のように花を出現させ、開花し、宙に舞って消えるなんて演出をしようと思ったら、制作側も踊るアイドル側も死ぬほど大変な目に遭う。実際、中学の文化祭で、普通のプロジェクションに加えてそれをやって酷い目に遭った。酷い目に遭ったのはマッピングされる翠の方もそりゃ大変だったのだが。


「あれを3回分、演出考えて、曲と詞に合わせてやるのか……」


 帰宅して久しぶりにノートパソコンに入れてあるプロジェクションマッピング用のソフトを立ち上げ、去年作った映像を見る。


 跳ねるボールに合わせて追いかける映像だ。もちろんそれはプロジェクションマッピングの映像だけだ。しかしそれに合わせて踊って歌う翠が、俊紀にはありありと思い出された。


 翠は中学の時から、アイドルになりたいと熱く語っていた。進学校にいってまでまだそんなことを思っているどころか、スクールアイドル同好会を作ってしまうなんて、さすが翠だと思う一方で、自分も翠に弱いものだと俊紀は呆れる。


「惚れたもん負けだよな」


 俊紀は映像を止めて、自分の机にうつ伏せた。



 文化祭まで3ヶ月を切っていた。しかしスクールアイドル同好会は立ち上げたばかりで、仕上がっている曲は1曲しかなかった。


 あと2曲分、曲と詞と、振り付けとを用意しなければならず、また、その用意ができなければその2曲分のプロジェクションマッピングは作れないという、進行の中でもかなり後の方になってしまう役割だった。


 冬の歌なのに夏の演出はできないし、スローテンポにアップテンポの演出はできない。だから完成を待つしかないのだが、まずは少なくとも彼女たちが自力で作り上げた最初の1曲にプロジェクションマッピングを載せる作業を開始した。

 

 まずは彼女たちの練習に立ち会うことから始めなければならない。

 

 清心女子高はけっこうなお嬢様学校でもあるので、講堂のステージ設備には最新のものが揃っている。プロジェクターも専門のホール顔負けのものを入れているし、音響もオートのライティングシステムも文句なしだ。これに俊紀のノートパソコンをつなげば、まず問題ないだろう。


 1曲目のプロジェクションマッピングを作るために、彼女たちのダンスを見て、歌を聴き、歌詞を感じ取る。歌詞に合わせた演出でなければ意味がない。羽ばたく蝶のモチーフ。これを使わない手はない。


 練習を見ながら考えていると、講堂の中に他にも男子が来ていることに気がついた。振り付けに文句を言い始める奴がいたから、何事かと思ったが、彼女たちは真剣に聞いていたから、こいつも助っ人なんだと俊紀は気がついた。


 振り付けに文句を言い始めた男と丁々発止のやりとりをしている女の子。それを見て、ニヤニヤしている翠。なんだ。そういうことか、と俊紀も思い至る。


 どこも似たようなことをしているんだなあ、と俊紀は感じ入った。


 文句を言い終えて席に戻った男に、俊紀は自己紹介した。


「よろしくな。僕はプロジェクションマッピング担当の梨本だ」


「うわ。踊り切れるかどうかも分からないのにもうそんなの決まってるんだ? ボクは榊原っていうんだけど、見て分かったろ? ダンス担当なんだ。しかし内容が固まるの、まだまだ先だぞ」


「演出入れるからさ、調整させてよ。決めてから入れるの大変だろ?」


「お前さん、前向きなのねえ……」


 榊原は深いため息をついた。


「ドンマイ、ドンマイ。なんとかなるさ。彼女たちの熱意があればね」


「ボクは妥協しないから」


「奇遇にも僕もさ」


「作詞の奴も似たようなこと言ってたなあ……似たものの集まりなんだろうね。女に手伝ってくれと言われてホイホイこんなところまで何人も来ているんだから……」


「弱いよね~~ ああ! 作詞担当か! 決まっているなら、僕もつなぎつけないと!」


 歌詞も演出にはとても重要だ。


 そんなわけで俊紀達は助っ人男子でグループを作り、互いに連絡を取りつつ、調整と喧々諤々けんけんがくがくな論議を経て、少しずつスクールアイドル同好会のステージがカタチになっていく。


 カタチになると安心感が生まれるが、同時に詰めに向けて神経質にもなる。


 助っ人の男子たちとスクールアイドル同好会の女の子達の間にも、よくない雰囲気が生まれる。しかしそれは産みの苦しみだ。耐えて、完成度を高めなければならなかった。全3曲。20分間。そのために100時間近くを費やした。それだけの価値があるステージにしたかった。


 当然と言えば当然なのだが、俊紀がプロジェクションマッピングを完成させるのが、全行程で最後となった。歌詞ができ、曲に合わせ、ダンスを決めて、フォーメーションを検討し、ライティングのプログラムを組む。曲を編曲して、オーケストレーションする――その無数の作業の中で、最後になったのは、全てが揃ってからでないと決められないからだったのだが、完成は本当に文化祭の前夜だった。それまで俊紀が寝落ちしたのは1度や2度ではない。本当にギリギリだった。


 その最後のステージリハで全てが完璧に揃ったとき、ステージ上の女の子達は感涙のあまり震える程だったが、助っ人男子達は互いを抱き合い、肩を叩き、時に殴り、時に持ち上げてぶん投げているくらい大喜びした。


 ただ作曲・音響担当だけはクールに逃げていたが。


 そして文化祭当日の2ステージは、事前チケットもプラチナ化し、どちらも超満員の中で終えることができた。


 ステージから降りてきた汗だくの翠を出迎え、俊紀は言った。


「――お疲れ。夢は1つかなった?」


 そして彼女にタオルを手渡した。


「とりあえず、1つ。あとは動画編集次第か……」


 翠はまだ先を見ているらしい。たかが文化祭の1ステージで終える気はないのだ。さすが翠というか。同じ夢を持つ女の子が9人も揃うと凄い力を発揮するらしい。


 しかしそれは俊紀ら助っ人の力があってのことだ。それは胸を張って言える。


 翠は汗を拭いたタオルを俊紀に渡し、露骨に笑顔を作っていった。


「で、どこに行こうか?」


 いきなりそう言われ、戸惑った俊紀だったが、何故か脳裏に波打ち際のイメージが浮かんだ。


 海に行こう、と思ったらしい。


 スクールアイドル同好会の仕事のお陰で、勉強以外のオフは全て持って行かれた。だからこの夏は水着を着るようなイベントは発生しなかったのだ。


「――海、かな」


「この季節じゃ海水浴は無理だよ」


「誰も海水浴なんて言ってないだろ!」


「そんなこと言ったってさ、どの子でもいいんだよ。話はもうつけてあるんだからさ」


 いや、どの子でもいいって言われてもどの子も選べない。なんせ助っ人達はみんなそれぞれの女の子に恋をしているのだから。どの子を選んでも角が立つし、気分はよくない。もう本命を指名する以外の選択肢はない。


 しかしその勇気がここにきて、俊紀の中から出てきてくれない。


「屋内プールでもいいんじゃない? ミズキンとか、水着見たいでしょ? 男子はああいうタイプに弱いから」


 メンバーの斉藤瑞紀のことだろう。確かにあのバストは大迫力だ。踊っている最中にも洪水になってあふれ出してしまうのではと何度心配したことか。見たくないと言ったら嘘になる。しかし。そうではない。その言葉も飲み込む。


「おお。早月ちゃんの方がいいか? 清楚センタータイプは、男の子の憧れだもんね」


 そんなことしたら東堂に殺されかねんわ――という言葉も飲み込む。東堂は早月が連れてきたクールな助っ人だ。助っ人の中ではムッツリのダンナと言われているが。


「あのさあ、僕のこと、からかってない?」


 俊紀は大きくため息をついた。


「だって、これだけかわいい子がいるのに。誰かかわいいと思う子、いないの?」


「ああ。いるな。かわいい子はいる」


 どう言えばいいのか、俊紀には分からない。


「今こそ、苦労が報われるときだよ」


「あのさあ――誰のために僕がこんなに苦労したと思っているんだよ」


 他のメンバーはみな、講堂の外に出て行った。残っているのは音響を片付けている東堂と新宮だけになった。彼らも出口付近にいる。


「えと――誰のため?」


 そう言いつつ、翠は自分を指さしていた。


「正解!」


 俊紀はやけくそ気味にそう叫んだ。


「じゃあ、高梨が一緒に海に行きたいのは、ワタシ?」


「以外に誰がいる?」


 翠は真っ赤になって俯いた。


「期待はしてた。そうはいっても他にもかわいいメンバーいるし、ワタシ、三列目だし、ボーイッシュ担当で、そんな際だってかわいい方じゃないし――」


「いいんだよ! 僕は美浜のことを1番に推してるんだからさ!」


 そう言うと翠は面を上げて、俊紀を見た。


「うん。推して!」


「だから――一緒に海に行こう」


 翠は頷いた。


 次のステージが始まっている。


 スピーカーから大音量のBGMが流れ始めていた。


 俊紀らの耳に、互いの言葉は伝わらない。


 俊紀は翠の手を取り、講堂の外に出る。


 講堂の外には文化祭に来た客の往来があったが、ステージ脇よりは静かだ。お互いの言葉が聞こえるようになる。


「ねえ、海に行くとき、どんな服を着て欲しい?」


「なんでもいいよ。美浜がドタキャンしなきゃ」


「ドタキャンなんかしないよ。どんな服がいい?」


「似合ってりゃなんでもいいって!」


「ちょっとは考えろよ!」


「じゃあ、白のワンピだ!」


 そう俊紀は自分で口にすると脳裏に波打ち際を歩く翠の姿が浮かぶ。


 白いワンピースが風に揺れ、波をよけて歩く翠は、夕日に照らし出され、徐々に赤く染まっていく。


「うん! じゃあ、それに決まりだ!」


 そしてまだ手をつないでいることに気づき、2人はハッとして距離を取った。


 これから――遅れてきた2人の夏が始まるのだ。

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