侯爵令嬢クローディアの恋

入江 涼子

第1話

  私はこのマルス王国のセーリク侯爵家の長女として、生まれ育った。


 年齢は十八歳で成人済みだ。来年には、婚約者のジョラン公爵家の次男であるケイロスと結婚する。現在、結婚式のために招待状を書いたり、ウェディングドレスやベールなどの準備などに追われていた。

 また、式場の確保や予約、他にも細々とした事があるが。それは私の両親やジョラン公爵夫妻がやってくれていた。私は母と二人でベールに使うレースを編んでいる。


「……ローディ、あなたも来年にはお嫁に行くのね。早いものだわ」


「そうね、私も思います」


「あなたとこうやって、一緒に過ごせるのも残り少ないわね。せめて、ベールくらいはと思って手作りでしているけど」


「意外と難しいし、大変ですね」


「本当ね、ローディ」


 二人で苦笑いしながらも手は止めない。また、レース編みに没頭した。


 このマルス国では、結婚を若い娘がする際に母親から、ウェデイングベールを贈る風習が昔からある。それは大昔に、初代王妃になった聖女が他国へ嫁ぐ娘もとい、王女に手ずから編んだベールを贈った事が由来していた。それから、母親が嫁ぐ娘の幸運や無事を願って自身で作り、贈るようになったらしい。ちなみに、娘本人と一緒に作るのも構わないが。なるべくなら、母親一人で作るのが好ましいと言われていた。

 さて、ベールの作成は既に七割くらいは完了している。後は裾などを仕上げるくらいだった。


 自室にて、招待状の清書の続きをしていた。傍らにはメイドのトリーシアがいる。


「……お嬢様、後は。四名の方々に送ったら、終わりですね」


「そうね、もう少しね」


 頷き、清書に集中した。しばらくして招待状の清書が終わり、各々の方々に送る。


「さて、これで完了です。次は二週間後に催される夜会ですね」


「そうだったわ、ドレスとかの準備をしておかないと!」


「お嬢様、実は。夜会用の衣装一式を婚約者のケイロス様が手配するはずだったんですが。それができないと、先方から言伝がありました」


「まあ、そんな事があったの?」


「はい、どうしましょうか?」


 私は頭を捻る。本当に、どうしようか。トリーシアと二人で考え込んだ。


 仕方なく、私は母に相談した。事情を説明してどうしたらいいかを尋ねる。


「……母様、どうしましょう?」


「そうねえ、ジョラン公爵令息のケイロス様がローディの衣装一式を贈るくらいは訳が無いはずよ。それくらいは婚約者として、当然というか」


「ですよね」


「けど、あなたの衣装一式を用意もしないで断ってくるのは。ちょっと、結婚を控えてもいるのに。首を傾げてしまう行いではあるわ。もしかして、浮気でもしていないかしら」


「な、ケイロス様に限ってそんな事は……」


 私が否定しかけると、母は険しい表情になった。


「……ローディ、ケイロス様は最近、怪しいところとかはなかったの?」


「怪しいところですか、あるにはありましたけど」


「例えば、どんな?」


「以前は毎日のように届いていた手紙やプレゼントが三、四日に一回になったり。週に一回は誘われていたデートも全く、音沙汰なしになりましたね」


「……それはどれくらい前から?」


「……確か、二ヶ月くらい前からかと」


 私が答えると母はため息をつく。


「やっぱりね、ローディ。十中八九、ケイロス様は浮気しているわ」


「まさか」


「その、まさかよ。手紙やプレゼントが数日に一回、デートのお誘いも梨のつぶて。しかも、今回はあなたに贈るはずだった衣装をキャンセルまでして。確実に怪しいわよ」


 母は再度、ため息をついた。


「しょうがない、ローディのドレスは父様と母様が用意するわ。兄のルイにエスコート役もしてくれるように頼んでみるから」


「……ごめんなさい、母様」


「謝らなくていいわ、悪いのは浮気しているケイロス様だからね」


 まだ、ケイロスが浮気しているとは確定はしていないが。けど、母はきっぱりと言う。私は両親や兄の厚意に甘える事を決めた。


 二週間後の夜会に私は婚約者のケイロスとではなく、兄のルイと出席した。ちなみに、着ているドレスは急遽、両親や兄が用意してくれたものだ。オーダーメイドではなくて、既製品を合うように手直しをした。アクセサリーや靴は今、持っている中で合う物を選んだが。

 流行りからはちょっと、外れているのは致し方ない。それでも、我慢するしかなかった。


「……大丈夫か?ローディ」


「大丈夫よ、兄様。心配かけてごめんね」


「ならいいんだが」


 兄は気遣わしげな顔でこちらを見る。私はわざと、にっこりと笑った。


「兄様、本当に大丈夫だから。行きましょ!」


「分かった」


 兄は頷いて、私に腕を差し出す。それに手を添えて入場した。


 会場は王宮の大広間だ。独身で参加する最後の夜会だと思うと、感慨深いものがある。まあ、エスコート役は婚約者ではないけど。中を兄と二人で進むと綺羅びやかに輝くシャンデリアやピッカピカに磨かれた石床、思い思いに着飾った紳士淑女が目に入る。やはり、さすがは王宮だ。豪華絢爛とはこの事かと思った。

 兄と二人で今夜の主催側である国王陛下や王妃殿下に挨拶をしに向かう。


「……ふむ、セーリク侯爵の子息と息女か。良い、楽にしなさい」


「ええ、そうですね。陛下」


 陛下と殿下がお声がけをした。敬礼をしていた兄やカーテシーをしていた私はゆっくりと、頭を上げる。同時に、敬礼などの姿勢も解いた。


「よくぞ来てくれたな、二人とも」


「……はい、陛下」


「名を聞かせてはくれぬか?」


 鮮やかな赤みがかった金色の髪を短く切り揃え、紫色の瞳が目を引くナイスミドルなおじ様が玉座に腰掛けていた。ちょっと、素敵な殿方じゃないの!

 間近で見たら、好みどストライクな陛下に私は内心でガッツポーズをした。一回り小さな玉座には白銀の美しく伸ばされた髪に神秘的な青の瞳の超がつく美女が座している。こちらの殿下も、素敵なレディだわ。

 惚けていたら、兄が脇腹の辺りを肘で突付かれた。


「……クローディア、挨拶を」


「あ、ごめんなさい」


 小声で注意をされて、我に返る。慌てて、立礼をした。


「……陛下、王妃殿下。セーリク侯爵が娘です、名をクローディアと申します」


「そうか、クローディア殿と言うのか。よくぞ来てくれた、今夜は楽しんでいっておくれ」


「ありがとうございます」


 私はガチガチに緊張しながらも何とか、答える。陛下や殿下はにこやかに笑いながら、兄にも話しかけた。


「ルイ殿、君も楽しんでいってくれ。セーリク侯爵にもよろしく伝えてくれると、嬉しいよ」


「は、分かりました」


「ええ、わたくしからもお願いしたいわ」


 兄共々、深々と立礼を再度する。陛下が「もう良いぞ」と言ったので、その場を離れた。

 私は胸を撫で下ろしたのだった。


 兄が知人などに挨拶をしに行く中、私は隅っこで壁の花になる。目線だけを動かし、座れそうなソファーを探す。キョロキョロとしていたら、向かって左側にあるのを見つけた。

 やっと、座れるわあ。内心で思いながら、スッと歩き出す。ハイヒールをコツコツと鳴らしながらもソファーに近寄る。すると、チラッと見覚えのある人影が視界に入った。おもむろに見ると癖のある黒髪を短く切り揃え、薄い桃色の瞳が珍しい若い男性が離れた所にいる。こちらを見ずに、隣の見るからに可憐な令嬢と話し込んでいた。

 私より、二、三歳は下だろうか。まだ、十五か六歳くらいのデビュタントして間がない感じだ。しかも、ふわふわした赤毛に淡い緑色の瞳がまた可愛らしくて目を引く。着ているドレスもレースがふんだんに使われてはいるが、上品な淡い紅色のものだ。いやらしさがなく、この幼気が残る令嬢にはよく似合っている。

 髪もちゃんとアップにしてはいるが。留めてあるヴァレッタを目にして、私は息を呑んだ。ヴァレッタに使われている宝石が珍しいピンクサファイアだったから。私は言いようのない怒りを感じた。

 何が、手配ができなかったですって!?あの令嬢にはきちんと衣装一式を用意して贈っているようじゃないのよ!

 私は持っていた扇をミシミシと音を立てるくらい、握りしめた。そうでもしないと喚き散らしそうだったからだ。唇を噛み締めてソファーに速足で向かった。


 どっかりと座り込み、大きなため息をつく。しばらくはそうしていたが。ふと、こちらに近づく淑女の姿を見つけた。

 目を凝らすと友人に当たるソアラ公爵家のバーバラだった。艶々とした黄金の髪を巻き、アップにしている。赤い瞳とシャンパンレッドの豪奢なドレスが目を引く。いわゆるゴージャス系美女のバーバラだが。

 地味で目立たない赤茶色の髪に淡い琥珀色の瞳の私とも、仲良くしてくれている。見かけによらず、明るく人懐っこい性格を彼女はしていた。


「あらあら、まあまあ。クローディアじゃないの、こんな隅っこで何をしているんですのよ」


「何をって、文字通り。壁の花になっていましてよ?」


「ふうん、いつものあなたらしくないわ。常に凛としたクローディアなら、わたくしの事もすぐに見つけたはずよ?」


「……あなたには敵わないわね、バーバラ」


「ほほ、わたくしもあなたの事はよく見ているつもりよ。何か、飲み物でもどうかしら」


「お願いするわ」


 バーバラは頷くと、通りがかった給仕係の男性を呼び止めた。アルコールが入っていない葡萄ぶどうジュースが入ったグラスを二つ、受け取る。バーバラは手ずから、持って来てくれた。


「さ、ジュースよ。これなら、飲みやすいでしょう?」


「ありがとう、バーバラ」


 受け取り、私は一口飲んだ。甘酸っぱい味が口内に広がる。飲み込むと、体中に染み渡る感じがした。ああ、美味しい。バーバラの気遣いに感謝しながら、ジュースを飲んだのだった。


 その後、挨拶を済ませた兄と合流してファーストダンスも軽くした。バーバラと二人でスイーツを楽しみもする。婚約者のケイロスや一緒にいた令嬢の事は頭から、綺麗さっぱり抜けていた。そろそろ、夜会もお開きになって。私はバーバラと別れの挨拶を交わし、兄と帰ろうかと話していた。


「……ちょっと、よろしいかしら?」


 高らかな可愛らしい声で呼び止められる。振り向くと、そこには先程に遠目に見たケイロスと赤髪の令嬢が連れ立っていた。


「あ、先程の……」


「私の事はご存知ないのも当然ね、セーリク侯爵令嬢」


「……そう言う君はどこの誰かな?俺の妹に何か、用でも?」


「ええ、あります。ねえ、ケイロス様?」


「だな、コレット」


 ケイロスとコレットと呼ばれた令嬢はにっこりと笑いながら、互いを見合う。


「なあ、クローディア。お前はこのコレットみたいに可愛げが全くないな。しかも、嫌味たらしいし」


「ほう、ケイロス君。妹を侮辱するとはな、いい度胸をしている」


「……ルイ様には用がないんですがね」


 ケイロスは肩を竦めながら、言った。兄はピキリと額に青筋を立てながらも冷静に言い返す。


「そうか、俺には用がないか。君、クローディアのエスコートもせずにそちらの阿婆擦れと来るとは。とんだ仕打ちをしてくれたもんだよ」

 

「なっ、私が阿婆擦れ?!どういう事よ!」


「浮気相手だろう、君は。それを阿婆擦れ扱いして何が悪い。それとも、泥棒猫と呼んだ方がいいか?」


「くっ、顔がいいからって。調子に乗るんじゃないわよ!!」


「ふん、君に顔を褒められても全く嬉しくないがな」


 兄がかなりの毒舌をはいた。私は驚きを隠せず、無言で見つめているばかりだ。


「……行きましょ、ケイロス様。私、あんな嫌味野郎は嫌だわ」


「そうだな、コレット。じゃあな、ルイ様にクローディア」


 言いたい事だけ言って、二人はさっさとその場を去って行く。私と兄はやれやれと目を見合わせたのだった。


 夜会から、自邸に帰る。私は早速、兄と父の執務室に行った。先程の一件を報告するためた。


「……とまあ、こう言う事がありました」


「ふうむ、まさかな。ケイロス君が浮気相手と夜会に行っていたとは」


「はい、私や兄様と帰り際に出くわしまして。まあ、相手側が言いがかりをしてきたんですが。兄様が追い返してくれました」


「成程、やはり。ルイをエスコート役にして正解だったな」


「本当にそうですね、俺が追い返していなかったら。今頃、どうなっていたかとゾッとします」


 兄が言うと父も頷いた。やはり、二人共にかなり心配を掛けていたらしい。


「ルイ、今回はお前のおかげで事なきを得たが。次回からは私もクローディアのエスコート役をしようと思う」


「俺もそれは思いました、お願いします。父上」


「……クローディア、私の方からジョアン公爵家に抗議を申し入れるよ。ケイロス君との婚約解消も視野に据えるつもりだ」


「え、よろしいのですか?」 


「構わぬよ、ケイロス君がお前を裏切ったんだ。それ相応の報いをせねば、私やルイの気がすまないな」


 私はそれ以上は言わなかった。父も兄も目が本気だったからだ。仕方ないかと、小さくため息をついた。


 あれから、私とケイロスの婚約は無事に解消された。しばらくは社交界からも遠ざかったが。代わりに、バーバラが頻繁に手紙を送ってくれた。やり取りをしながら、バーバラはその都度、社交界や世間での情報を知らせてくれている。

 おかげでケイロスや浮気相手もとい、恋人のコレットのその後も知る事が出来た。

 何でも、ケイロスは私との結婚式が間近だったのにコレットと遊び呆けていたらしい。もちろん、ご両親などには内緒の上でだが。コレットは私やバーバラよりは身分が低く、子爵家の次女らしい。ある夜会にて出会い、ケイロスはコレットに入れあげた。出会ったその日には男女の仲になっていたとか、いないとか。

 結局、バレてしまい、ケイロスはコレットと別れるしかなかった。父君もとい、ジョアン公爵はケイロスを勘当する。

 しまいには公爵家から籍を抜き、絶縁もした。ケイロスは平民に落ち、日々の食事すら事欠く暮らしを送っているようだ。コレットは北方にある厳格な修道院に送られ、そちらで教育をやり直しているらしいが。

 バーバラの手紙には事細かにそう、書かれていた。私は便せんから顔を上げる。

 ちょっと、休憩しよう。そう思って、椅子から立ち上がった。


 あれから、さらに年月が流れた。私は二十二歳になっていた。傍らには今の夫であるレーゲンがいる。私より、二歳上で二十四歳だ。


「どうかした?ディア」


「何でもないわ、レーゲン」


 にっこりと笑う。私達の視線の先には二人の息子達がいる。まだ、二歳と幼いが。元気な子達である。

 ちなみに双子で、長男がクレメンス、次男はゲイルと名付けていた。


「クレメンス、ゲイル!そろそろ、帰るぞ!」


「「はーい!」」


 二人はレーゲンの声を聞くと小走りでやって来た。まだ、足元はおぼつかないが。それでも、一生懸命にやって来た。


「とうたま、かえるの?」


「ああ、もう暗くなってきたしな」


「わかった!」


 クレメンスが言うと、ゲイルも私に話しかける。


「かあたま、いこ!」


「そうね、行きましょうか」


 四人で笑い合いながら、庭園から邸の中に戻った。夕焼け空がやけに綺麗な六月の事だった。


 ――True End――

 

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