あの日の君に

@aiku1124

あの日の君に

昔君と行った海がとても綺麗だったことを覚えている。

地平線から橙色の光が俺たちを照らす。それを眩しそうに目を細め、心地よい潮の香りを感じる風をあびながら微笑んでいる彼女。

その姿に見惚れながらまた来ようと言うと、はにかみながら「約束だよ」と。

そんな日の遠い奇跡を忘れられずにいた。


あれから何度か夏が流れ、世界が日々その在り方を変えるように俺たちの関係も変わっていった。

日常の会話も減り、デートもしばらくしていない。俺の言動が彼女を傷つけてしまったのか、それともこうなる運命だったのか。

そんな諦めしか生まない考えを頭から消し去り、自室の机に置いているカレンダーに目を向ける。

3日後の土曜日が自分の存在を主張するように赤い丸に囲まれている。

昔一緒に海を見に行った日。あの日をもう一度過ごせば、なにか変化をもたらすことができると考え計画を立てた。


「なあ、土曜、海に行かないか?」

「海?」


夕食時、急に海に行くなんて荒唐無稽なことを言った俺を怪訝そうに見つめる。


「ああ、また行くって約束だっただろ」

「そういえばそうだね、いいよ」

「良かった、じゃあ土曜日に行こう」


当日、特別なにかすることもない準備を終え、車に乗り込む。助手席にいる彼女を見ると、私服を久しぶりに見た気がした。


「その服似合ってるね」

「そう?ありがとう」


社交辞令を受け取るような平坦な声色でお礼を受けると

この数年の間に開いてしまった距離を否応なしに実感する。

いや、だからこそ今日が必要だったんだ。これからやり直すための今日が。


CDをセットし車を走らせる。俺達が生まれるよりも前に発売した曲だけど、2人とも大好きだった思い出の曲。

爽やかなメロディーで奏でられる男女の恋愛模様。恋人を大切にしたいという想いが詰まった詩が車中に響く。


「久しぶりに聴いた、懐かしいね」

「だろ?前に海に行った時もこれだったから、CD探してきたんだ」

「そうなんだ」


その言葉を境に俺たちの間を静寂が包んだ。あんなに待ち焦がれていた彼女との2人の時間。それなのに口は錆び付いてしまったかのように動かない。


しばらく車を走らせると右側に海が見えてくる。日の光を力いっぱい吸収し、今も尚成長を続けているような海が。

あの時と何も変わらない景色。想い出をそのまま切り取ったような場所の中で、変わってしまった俺達が酷く歪に思えた。


時刻を見ると前回訪れた時間に近づいてきている。俺はまたあの時の彼女に出会うことはできるのだろうか。


「もう少しで夕暮れだな」

「そうだね、それを見に来たの?」

「うん、あの時の光景が忘れられなくて」

「確かに綺麗だったもんね、あの時の海」

「そうだな、世界一綺麗だったよ」


何が、とは言えなかった。


夕暮れを待ち続けること数十分。飽きてしまったのか彼女はスマホを手にし、中身の無い情報をスナック菓子を食べるように体内に取り込んでいた。

それはただ時間を潰すためだけに存在するようで、今の俺との瞬間はそれ以下なのだと思い知らされる。


ようやく夕暮れがその姿を表すと、彼女がスマホを離し、その光景を眺めていた。あの日と同じように光が彼女を包み、とても美しい光景が見えた。しかし、彼女の顔に笑顔がないだけで決定的に何かが足りないような気がした。


海から青が消えたような、地球から月が消えたような、そんな大切な何かが無くなっていた。


地平線から光が見える。相変わらずそれに照らされる彼女はとても綺麗で、ただ表情だけが変わっていた。


「綺麗だね」


本当にその言葉を想ってくれているのかも分からず、立ち尽くすしかできなかった。

ただ、思うことを言葉にできないと、それを理由に何も起こさないと時間は容赦なく関係を断ち切ってしまうのだと、よく知っている。


「なあ、俺たちやり直さないか」


漸く口から出た言葉は、自分の思いだけを率直に述べていて、説得力も何も無いものだった。

いや、これでいいのかもしれない。言葉を交わさなくなって生まれた関係を進めるには、たった一言が必要だった。


「やり直すって?」

「今のままじゃ嫌なんだ。昔みたいに2人で笑ったり、遊んだりして一緒に過ごしたい。あの頃のように戻りたいんだ。」

「今更だね、こうなってからしばらくたったのに」

「分かってる。言うのが遅かった。でも、だからこそ取り戻したい。俺に悪い所があれば言ってくれれば直す。

だから頼む。」


そう言い誠心誠意頭を下げる。


「わかった、私もどこかでこのままじゃダメだと思ってた。寧ろそれなのに何も言わなくてごめん」

「いいんだ、これから2人でやり直していこう」

「うん」


久しぶりに見た彼女の笑顔は向こうに見える太陽より輝いていて、これからの未来は明るいんだと思わせてくれるだけの暖かさがあった。

ただ、彼女の瞳の中で、俺の姿が揺らめいているように見えた。


そこからは、またあの幸せな日々が戻ってきた。


「ただいま」

「おかえりー、ご飯できてるよ」


毎日仕事から帰ると、花が咲いたような笑顔で俺を迎えてくれる彼女。今までの日々が嘘だったように、俺たちの生活は笑顔に溢れていた。止まっていた時計がようやく動きだしたように、ここからまた始めて行けるんだと、そう思わせる日常だ。


「今日のご飯も美味しいよ、いつもありがとう」

「いつもちゃんとご飯の感想言ってくれたり、片付けも手伝ってくれるところ、凄い好きだよ」


仲直りをした日から、彼女への感謝を欠かしたことは無い。彼女も、あれから愛情表現をずっと続けてくれている。


「ご馳走様、じゃあ皿洗ってくるね」

「うん、お願い」


毎日を平凡に生きているが、景色はずっと煌々と輝いている。それもこれも全て彼女のおかげだ。自分のレンズの向こうにいつも彼女が映っていることが、とても尊いものだとあの日々があるからこそ気付くことができた。


そういえば2ヶ月後には付き合った記念日が来る。

あの仲直りの日から、このまま彼女との仲を修復できれば結婚を申し込もうと考えていた。

急だとは思うが、もう2度とあんな思いはしたくない。


彼女から貰った腕時計、かわいいコップ、服などを見る度に幸せなだった日々を夢想するのはあまりにも寂しい。


「2ヶ月後には記念日だろ?いいレストランとって食事にしようか」

「家で適当で大丈夫だよ?いつもいる落ち着いた空間で一緒に過ごしたいな」

「記念日くらいかっこつけさせてくれ。2人が付き合ったことを久しぶりに一緒に祝いたいんだ」

「そう…だね

そうしよっか」


いつもより遠慮がちな彼女をふと疑問に思ったが、仲直りしたばかりで記念日を祝うことがどこか気まづかったのだろう。そんなこと気にしなくていいのに。


記念日前日。傘をさしながら目的地に向かって歩いていた。歩く度に足元の水が跳ね、靴を濡らす。

いつもなら不快でたまらないこの光景が、明日の彼女を思うと恵みのように感じる。


向かった先は婚約指輪を扱っているお店だ。前々からお店を回り、2人の一生の思い出になるものを選んだ。


「すみません、19時に受け取りに来ると予約していたものなんですが」

「お待ちしておりました、こちらが商品になります。刻印はこちらでお間違いないでしょうか。」


そう見せられた指輪には、俺と彼女のイニシャルがそれぞれ彫ってある。これを付けている指を見る度に、彼女を想うのだろう。そう考えるとたまらなく心が暖かくなった。


「大丈夫です」

「それではお気をつけてお持ち帰りください」


指輪を受け取りバックに見えないよう仕舞い、家に向かう。


「ただいま」

「おかえり、雨すごかったけど濡れてない?大丈夫?

お風呂は用意しておいたよ」

「大丈夫だと思うけど一応入ろうかな、ありがとう」

「じゃあその間ご飯の準備しておくね」

「なあ」


そう言いながらキッチンに向かう彼女の背中に声をかける

彼女はこちらを向くことなく


「ん、どうしたの?」

「明日楽しみだね」

「うん、すごく楽しみ」


跳ねるような声色の言葉がこちらに向かってくる


「そう思うならこっち向いてくれよ」

「今ニヤニヤしちゃってるから恥ずかしいの」


そう話す彼女の声は確かに言葉の節々が滲んでいるような、そんな恥じらいが混じっている。

それを聞きご満悦になった俺は、そのまま気持ちよく風呂に入った。


記念日当日。外はあいにくの雨だが、俺たちの門出を祝福している神様が泣いてくれているような、そんな穏やかな雨に感じる。


「準備できたか?」

「んー、今終わるよ」


そういい準備を終えようとしている彼女に目を向けると

俺の視線は奪われた。

入念に化粧をし、余所行きの服を着た彼女は普段とは違うベクトルの美しさを持っている。それはまるで完璧と究極のように比べることができない美しさで

この女性が自分の妻になることが、夢のようだった。


「どうしたの?」


動かずに彼女へ視線だけを向け続ける俺を疑問に思ったのか、キョトンとした表情でこちらを見る彼女。


「あまりにも綺麗で、目を奪われたんだ」

「なにそれ」


その言葉が余程おかしかったのか、目に涙を浮かべながら笑う彼女が、とても愛おしかった。


「笑うことないだろ」

「ごめんごめん、じゃあ行こっか」


そこからの時間はあまりに楽しくて、周り全てが彩られ、心地よくて、あまり言葉を発することができなかった。

言葉にすると泣いてしまいそうだったから。


プロポーズはこれからも一緒に過ごす家でしよう。そう考えていたので、食事の後はそのまま家に向かった。


2人で同じ傘に入り、帰路を歩く。

聞こえるのは雨が降る音だけで、この世界に自分たちしかいないのではないかと感じられた。


「ねえ、少し遠回りして帰らない?」

「いいよ、あっちの公園の方から行こうか」


余韻に浸りたいのだろうと感じた俺は、あまり人通りがない公園に向かった。いつも人の影がない公園だが、雨の今日は人っ子一人居ないだろう。


公園に着くと、案の定誰もいない公園は誰も住んでいない空き家のような寂しさがあった。


しかし、遠回りしたいという彼女が何も言わないことが不思議で、声をかけようとしたその時。


「話したいことがあるの」

「そんなに改まってどうした?」


これからプロポーズがあるからなるべく早く帰りたいが、そう言う彼女の声には断固たる決意を感じた。


「ごめんなさい、別れてほしい」


その言葉を聞いた瞬間、あんなに聞こえた雨の音も聞こえず、自分の心が軋む音がした。

言いたいことは色々あったが、頭が回らない。

とにかく話をしないといけないと思い彼女の方を向く。


そして、

彼女の瞳に滲んでいる自分の姿を見た瞬間、俺たちの愛は消えてしまったのだということを知った。


「あの日にやり直そうって言ってくれたのはとても嬉しかった。あなたはすごくいい人だし、私もやり直したいと思った。

それなのに、どうしても好きになれなくて、今日のこの日までに戻れなかったら、あなたから離れた方がいいと決めてたの」


ごめんなさいと嗚咽を漏らす彼女を説得する気にもなれず

そこからどう行動したのかは自分でも覚えていない。


次の日起きると、昨日までの雨が嘘のように晴天だった。

窓から差し込んでくる光がベットを照らす。その光の中に彼女の幻を見たいと、そう願った。


そういえば、プロポーズのために購入した2人の婚約指輪は、いつの間にか無くなってしまっていた。


神様は、俺を憐れんでいたのだろうか。

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