終電を逃す

やまこし

終電を逃す

あと5回、いや、あともう5回。

スズは100円玉をクレーンゲーム機に入れる。これが何度目かはもうわからない。いくらになっているのだろうか、などと酒に酔った頭が計算できるはずはなかった。何度か1000円札を両替機に吸わせた記憶だけがある。

「名人の名が廃るよ」

「酒が入っている時は別です」

ほんとかなぁ、とクレーンゲーム機を覗き込もうとしたら、ツカサの額とぶつかる。

「ごめん」

「意外と石頭ですね」

スズは人生で何度か「石頭だ」と言われたことがあるが、それがほめことばなのか、それともどこか貶しているのかはわかったためしがなかった。

「いま、石頭ということばはほめことばかどうか、考えていますね?」

ツカサはこちらを見ず、アームに向き合いながら聞いてきた。

「どうしてわかったの?」

「ちょうど"石頭ってほめてんのかな"って頭の中で唱えるくらい黙っていたので」

「バレバレだなぁ」

「だからぼくに隠し事は無駄です」

はぁ、と小さいため息をついて、軽くアームを叩く。100円はまた溶けていた。


スズはもはや、なぜこのぬいぐるみが欲しかったのか、思い出せずにいた。夜、なにかを誤魔化しながら歩いているといつのまにか河川敷に出ていることがあるが、そんな気持ちに似ている。たぶん、何かを誤魔化してここまできたのだ。


「スズさん、もう終電は逃げたと思いますけど?」

「え?」

「終電をにがすためにここにきたんでしょう?」

そうだった。

誤魔化していたのは時間だった。ツカサといる時間が夜に溶けてまざって、ぐちゃぐちゃになってしまえばいい。そんなことを考えていたら、まずは100円が夜に溶けていった。

「終電、にげたかなぁ」

「うん、今から逃げていくところです」


この世に生きる人間のほとんどが、標準時と最寄駅の時刻表を手のひらでを正確に把握できる現代において、終電をのがしてしまうということはない。よっぽど酔っ払っているか、わざとにがしているかのどちらかだ。ほんの20年前の人でも理解できないだろう。「終電のがしちゃった」は20年後には死語になる。現代の人々は、たぶん上手に発音できない。


スズもその一人で、それを上手に発音できなかった。含みを持って、艶と湿度を伴った「終電逃しちゃった」を言えないまま、ゲームセンターでツカサの腕を握っていたのだ。


「ぼくはタクシーで帰ります、スズさんは?」

「これ取ってよう」

「どうしてこれがほしいんですか?」

「ぎゅ、したいから」

そう言った時、ツカサの体温がほんの少しだけ上がるのを感じた。

「しょうがないなぁ」

ツカサはスズに手のひらを差し出した。スズは、財布に残っていた最後の100円を、大きくて分厚い手のひらの上に乗せた。

「ぼく、名人なので」


あっけなかった。

さっきまで何度も挑戦していた時間はなんだったのかと思うくらい、あっさりとぬいぐるみが取り出し口から顔を出した。スズが唖然としていると、ツカサはかがんで取り出し、ぬいぐるみのあたまを優しくなでた。


「言ったよね?ぼくは名人ですって」

「じゃあ、さっきまでのはなんだったの?」

「何って…あ、ほら、これ多分上りの終電です」

ツカサが指差した先を、電車が通り過ぎる。

「なので、ぼくはタクシーで帰ります。ありがとうございました。こいつをぎゅして、寝てください」

ツカサは、床に置いてあったカバンを持ち上げ、本当に駅の方向へ向かおうとした。

「まって」

「まだ何か取りますか?」

「いや、そうじゃなくて、」

「なんですか?」

スズは、ツカサが自分に何かを言わせようとしてきていることがわかった。瞳をよく見たら、小さくセリフが書いてあるような気がした。

「きょうは、たのしかったね」

「はい、とても」

ツカサがまばたきするたびに、瞳に書いてあるセリフが切り替わるようだった。

「タクシーだとどのくらいかかるの?」

「家までですか?」

「そう」

「ぼくの家ですか?」

「え、うん、そう」

「まあ、30分くらいじゃないですかね」

「うちは歩いて10分です」

「もう、そんな歳じゃないでしょう」


スズはまず、ぬいぐるみの手をぎゅっと握った。

くだり方面の終電が、ホームに滑り込もうとしていた。

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終電を逃す やまこし @yamako_shi

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